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 タイラーは森で拾った竜の正体を知って、しばらくのあいだその竜を家に置いていくことを提案した。家の主であるタイロンに向けてだ。それが一番竜にとっての最良の状態だと彼は考えた。「森に帰す」のは違うのだとしても、急に一人で生きろというのも現実味がなかった。これから高い山を目指すというのもそうで。

 タイロンは要求を拒まなかった。彼もそれがいいだろうという結論を出した。わずかな間はあれど、一つも文句もないともいえないが、彼は家に竜を置いておくのは不快ではなかった。

 家に連れてきたのは自分だ。森のなかで、タイラーは言った。「よし、わかった。家に連れていく。お前が、動こうとしないのがわるい」彼は率直に口にしても、その先のことまでは考えてはいない。(見知らぬ森という環境、一人で)とりあえず、いま目の前にある問題と向き合う。それが彼が選んだ道だった。村に戻っても変わらず。

 針尾竜の子供には、「翼を痛めているかもしれない」という注目すべき点があった。タイロンは家に招くことを決断したあと、タイラーにその可能性を伝えた。そのとおり、彼が少し前に言っていたこととちがう。まず、言い訳のように思えるかもしれない。平気そうに見えていたとしても、より正確なことまでは、タイロンでもそれなりに年齢を重ねてきたとはいえわからなかった。

 彼も人であり、迷うことがある。間違いもそうだ。もしそこに一つの注目すべき可能性があるのであれば、気にかけておく必要がある。だから、彼は正直にタイラーに伝えた。

 彼が翼に触れ指先で感じたものは、とてもむずかしいものだった。経験だけでいえば、そう滅多に竜に触れる機会はない。竜の子供だろうとそうだろう。見ることも、タナラ村では珍しい。だが、彼は村で生活をしていくうえで森の動物たちと触れることはある。散弾銃を持って、森に出掛けていくのは理由がある。

 あの時、彼が指先で感じたのは、(まったくはっきりとしたものではなく)不完全という感覚的なものだった。

 彼は詳しいわけではない。とはいえ知識がある。だから、彼はそのように判断した。


 タイラーは竜と共に暮らすことになり、それ以来、気持ちの高ぶりを感じることが増えた。家で遊ぶ。村で遊ぶ。森で遊ぶ。彼がこれまでにタナラ村で「退屈である」と主張したことはない。暇だな、と感じることはあっただろう。一日のなかには、どうしても何もない時間がある。お手伝いをしたり、食事を取ったり、寝台で眠ったりするなかで。

 森に出掛けていけば、彼は「退屈である」と考えることが不思議となくなる。したがって彼は自分で「高揚させる何か」を森に探しに行く。家々が並ぶ村に行けば、自分と年齢の近い者がいるのだが、彼はタナラ村にいる者たちと時間を共にすることはそれほど多くはなかった。一緒にいてもすこしも楽しくないとか、面白くないとかそう言うのではない。ただ森に出掛けていくことのほうが彼の心を動かし、その足を動かした。

 エマと遊ぶことはある。おかげで森に出掛ける回数は減った。そして針尾竜と出会い、彼はさらに森に行く回数が減る。

 家に迎えてから数日経過しても、竜は「空を飛ぶ」という行為は見せなかった。判断は正しかったのだろう。机に置こうが、手の上に乗せようが、場所など関係なくその翼を広げようとしない。鳴くことだけは一人前で、鳴き方で上手に意思を示していた。

 数多の星が空に見える日のことだ。タイラーはタイロンのほかにエマと針尾竜と夕食を取っていた。今日は、森に出掛けていない。彼は家から離れないで一日を過ごした。屋内か、屋外といっても目でわかる距離だ。「森に行こう」とすら考えない日が続いている。

 針尾竜が鳴く。机の下にいる。そのようすは要求をしているように見えた。

 タイラーは身体を捻り、視線を下げていた。「どうした?」と彼は問う。

 針尾竜は続けて鳴いた。返事のようだった。

「前よりは、元気になったな」

「ソラ、鳴いてる」とエマが言う。

 タイラーは姿勢を戻した。テーブルを囲んでいる。にぎやかになったものだ。彼は思うと、スプーンに手を伸ばした。

「ご飯はさっき食べていたから、なんでもないと思う」

「よく食べてた?」とエマは言う。

「よく食べてたな。食欲は相変わらずって感じ。むしゃむしゃ食ってた」

「むしゃむしゃ」

 エマはコップを手にすると、水を飲む。両手で大事そうに飲む仕草は、その味でも確かめているように思えた、小さな舌で感じ、流し込むことで、喉が動いている。

「あの調子だと、エマより食べるんじゃないか?」

「エマより?」彼女はそう言って、コップを置く。「そんなことない」

「ソラはこう勢いがある。でも、エマってあんな食い方はしないだろ? 竜みたいな。ソラはまだ食べることができそうには見えるけど、エマは皿の上にあるもの食ったら、もうお腹いっぱいでなにも食べられそうにはない」

 針尾竜が鳴いた。テーブルでの会話を聞いていたのだろう。どんな話をしているのか理解しているとは思わないが、一つ言えるのは『呼んでみよう』と考えた。

「お前のほうが、よく食べそうだよな」

 タイラーは触れようとして、途中でやめた。たとえ相手にするにしても、今でなくてもいいはずだ。夕食を終えれば、そのあとに十分に時間がある。

 針尾竜は鳴く。テーブルの下を歩き出した。離れていったかと思うと、元の場所に戻ろうとする。待っているのだろう。家のなかではとくにすることがない。

「ソラには負けてない」

 エマはその歩行を見て、口にする。言い方には、対抗心があるようではなかった。ソラが床をうろついているのを目で追いかけて、顔の向きを正面にしてから頷いている。

 タイラーはなにも言わない。張り合おうと考えたりするんだ、と彼は思った。普段、静かに食べる彼女が――ソラが家にやって来てから――変わり始めている。そんな気がする。

 彼はコップを持ち上げて、ふと考えた。竜は『野菜』を食べたりするのだろうか。

「ずっと思ってたんだけど、竜って野菜とか食べたりしないのか?」

 タイロンは向かい側の席にいた。音を立てないで腕をおろす。スプーンを持っていたほうの手だ。そして彼は「肉でいい」と低い声で言う。「他のも、食べることはあるだろうが、今は与えているものだけでいいはずだ」

「食べているのを見てるとさ。豪快で。生の肉をかぶりついて。こう、ぐわっと」

 水のようにはいかないとしても、肉を喉に流し込むようなようすが(竜の子供)ソラにはあった。タイラーはおもわず歓声をあげたのを覚えている。

「タイラーもエマも、竜が草を食べている光景なんて想像できないだろ」

 できないな、と彼は頷く。草食動物のように声も出さず、口を近づけて、黙々と食べるすがたは「竜」には似合わない。

 タイラーは考えた。「生の肉、小さく切ってるから、食べやすいんだろうなとはおもう。でもさ、大きいのは頑張ってる」

「もうすこし、小さいほうがよかったか? 大きかったか?」

「わからない。でも、ずっと噛みついていたから。自分でなんとかしているようだけど」

 タイラーはソラに目をやり、食事風景を思い返す。ときおり口を閉じて、じっとしている状況があった。その後に噛みつくといったような。

「皿、要らないんじゃないかな」

「皿?」タイロンはむずかしそうな顔をする。

「皿の上に用意しても、こぼして食べてたから。直接、あげたほうがいいのかなと思って。ほら、家に来てすぐの時は、皿からこぼしてただろ? あれ、いまでも、時々やってるから。やってないようには見えるかもしれないけど、俺が片付けてるだけだし」

「皿の上でいいだろ。汚れたら、お前が責任とって掃除しろ。あと、便の始末とかもな」

「ええ、俺が」

 タイラーは掃除の大変さをその場で述べようとした。おじさんは一回やって、それからやっていないからいいけど。しかしながら、彼は思ったことをそのまますぐに伝えようとはしない。苦労があるのは、タイロンだって知っているだろう。ソラと過ごすことになって起きる、予定などないちょっとした事態はとてもいきなりで驚かせられる。それが誰にでもある、大切な生きていくための働きなのだとしても。

 タイラーはじっとソラを見る。

 少し経って、「ああ、わかった」と彼は言った。


 竜との生活は戸惑いもあれば、心を晴れ晴れにして楽しい気持ちにしてくれる。大人でも子供でも、ほかの人が同じように感じるかはわからない。それでもタイラーに関してはそうだった。食事後の片付けも、排泄物の後始末も使命感を持って彼は進んでやっている。食事の準備については、「危ないから」と手伝うことはないが、それができないからといって焦ることもない。一日一回は、翼の状態を見る。それは、「必ず行わなければならない」といったような決まり事ではない。知識が無かろうと、ぐあいが悪そうかどうか、よくわからないとしてもじっくりと観察する。声をかけてみる。大丈夫か、と問いかける。飛べそうか。翼は広げられるみたいだな。だが、ううん。飛べそうにはないのか。子供のうちは、空を高く飛べないのか? 子供は大空へ飛び立てないのか?

 彼からしてみれば(エマよりも苦労があれど)新しい友達ができたようなものだった。要因のひとつとしては、小さな村ではその顔ぶれがほとんど変わらないからだろう。いうまでもなく、近くの町でも「顔ぶれのはなし」であれば同じようなものである。栄えた都市でもないかぎりは、人の行き交いなんておおかた知れている。けれども近くの町はタナラ村よりかは人が多いのは事実だし、「余所からやって来た」とされる人が時々訪れるのも否定しようがないはずだ。「村」というのは意識して積極的に訪れるような場所ではない。

 彼の日常は忙しくなった。常に時間に追われているような生活をしているわけではなかったが、日々に明かりでもつけたかのような、さらに充実な暮らしのように思えた。

 夕食後、タイラーは脱衣所で衣服を脱ぎ、裸になると、お風呂場でぬるい湯を溜めた浴槽に浸かった。汚れやホコリを落とすためだ。町からはすこしばかり距離が近いといっても、タナラ村では浴槽のある家屋は珍しい。この家には、外観は古くても身体を洗う場があった。もちろん、毎日、お湯を張ることはない。タイラーだって「毎日、身体を洗いたい」と願うようなことはしない。今日は数えて三日ぶりの入浴だった。

 エマも一緒だった。彼女も裸で入浴をしている。そして、『竜』であろうソラもいた。

「町にいけば、大きなお風呂があると聞いたことがあるけど、そのお風呂って、どんぐらい大きいんだろうな」

 タイラーはそう言って、両手でお湯をすくうと、その色でも知ろうとするように見詰める。やや響いたその問いには、だれも答えてはくれない。彼の気持ちとしてはただの独り言のつもりだったので、(返事が無くても)とりあえず気にはしなかった。疑問は、「そのまま」でいいように思えた。水にとけるといったような。なぜなら自分で確かめるほうが、その時の衝撃を十分に感じられる。

 次に、「川ぐらいあったりしてな」と呟く。彼はすくったお湯を落とした。

「おおきい」とエマは言う。

「さすがに、川ほどはないか。でか過ぎだよな」

「タイラー、いったことない?」

 ソラが鳴く。浴槽には浸からず、風呂場の床で座っている。竜の爪の音が、際立って聞こえてきた。音からして引っ掻いているわけではないのだろう。

「だな」とタイラーは相槌を打つ。ここで嘘をついてもしかたない。

「じじは、ある?」

 エマはぬるい湯で身体が温まっているようだ。血色のいい顔になっている。

「おじさんは、あるんじゃないか」タイラーは顔を傾けると、首を伸ばすことに意識を働かせた。「まあ、前に聞いたことはあるけど、そんときは無いと言ってた」

「ない? あるんじゃなくて?」

「『無い』といってたけど、嘘っぽかったんだよな」

 タイラーは当時の出来事を思い出して、浴槽からこぼれ落ちるようにソラのいるほうへと腕を出した。急かすかのように二回続けて、ソラが呼んでいた。

「ウソ、よくない」

「ぴー」と、肯定でもするように鳴き声が響く。そのあとに、ソラはタイラーの指を咥えた。

「お風呂、せまくなる」

 エマは、ソラに向けて言っている。けっして、タイラーに不満を述べているようではなかった。彼もそれを知って、ちいさく息を吐く。「それは、俺がいいたいよ」と彼は言う。

「ここに来たときは、一人でお風呂に入ってたのに。今はエマがいて、ソラまでいる。あんなに広かったのに」

「エマは、ひとりのお風呂、イヤ」

「それって、自分ひとりでお風呂に入れないからだろ。やっと、どうにかいまは体は洗えてるが。それでもちゃんと洗えてないけど。頭は難しい、まだ洗えないからって」

 エマはなにも言わなかった。彼女は反論をしない。口を閉じて、額や頬に水滴を垂らしている。きっと洗ってくれたほうが、(楽だとか)彼女の思いとしては良かったりするのかもしれない。いや、そういうのではないのだろう。確かなことは、彼女は洗う際にいやがる素振りをみせなかった。お湯を頭にかけても、騒ぎ出さない。

「お前も入りたいか?」タイラーは腕を伸ばした状態でゆっくりと問いかけた。指を揺らして、反応を窺う。

 ソラは口を開けると、元気よく鳴く。振る舞いで、気持ちを伝えていた。

「暴れるなよ」

 タイラーは身体を起こして、両手を伸ばし、ソラを持ち上げる。浴槽に戻っていく。無駄に不安がらせないように静かにお湯につけた。

 ソラは鳴く。気持ちいいのかはさておき、イヤではないらしい。エマみたいな反応だ。

「すげえいまさらだが、竜って、お風呂に入るもんなのか?」

「ソラは、入っちゃいけないの?」

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