4-7


「――ッ……!?」


 松喜が声なき悲鳴をあげ、彼女はペタンとその場に尻もちをつく。同時に、複数体の土人形たちが同時に膝から崩れ落ち、ボロボロとその身体が泥クズへと変容していった。


「動くと今度は首を斬るよ」直立の姿勢に直った式部が、斜めに振り上げた刀の切っ先を、今度は松喜の目の前へと突きつけた。


「ふっ」茫然自失の様そうだった松喜の口元がひきつり。

「ふふっ、ウフフ、ウフフフフフフフ」彼女はそのまま、狂ったように笑い始める。


 式部は怯む様子を一切見せずに、なおも刀の切っ先を松喜へと向けながら微動だにしない。やがてピタリと松喜が笑い止んで。


「式部さん、最期に教えてくれないかしら」やけにしおらしいトーンで、松喜が言葉を紡ぐ。

「一切の命を惜しむ様子も見せず、一切の躊躇を見せることもなく――勇猛果敢に敵へ立ち向かう、あなたの原動力って、あなたのいうところの『エゴ』って、一体全体何なのかしら」


「何って」式部は彼女らしく、その言葉を平然と言いやった。

「私は男の子と……、柳楽くんとキスをしてみたい。それだけだよ」


「えっ?」松喜がポカンと口を開け、信じられないって顔つきで。

「それだけ? そんな理由であなたは、命の危険を晒してまで私を斬ろうとしているの?」

「『そんな理由』かどうかは、キミが判断することじゃない」


 式部の声は凛と張っていた。あらゆる横槍を許さぬ口調だった。それこそ、否定の言葉を一つ漏らすだけで、すぐにその首を斬り飛ばされてしまうような。


 だけど松喜は、「下らない」吐き捨てるようにそう言った。


「下らない、下らない、下らない……ッ! ひどく下らないわ。怖ろしく低俗だわ。あまりにも淫乱だわ」


 憎悪に歪んだ松喜の声が、怖ろしく低い彼女の声が空間に轟く。松喜は尻もちをついたまま、侮蔑のこもった目つきで式部を睨み上げた。


「『あなたの最期』に、下らない理由を教えてくれてどうもありがとう、あの世の土産話として、私からも一つアドバイスがあるわ」


 ニンマリと。悪意に塗れた表情を晒す松喜が、不敵に笑って。


「お喋りしている暇があるのなら、宝物から目を離さない方がよくってよ」


 その瞬間、式部は何かを察知したように後ろを振り返る。彼女の背後ろ――僕がいる方へ。


「――柳楽くんッ!?」唐突に名前を呼ばれる。お間抜けに「えっ」と漏らす僕は、自らに置かれた状況にてんで気づいちゃいなかった。式部が身体を半回転させ、そのまま僕に向かって猛スピードの突進を開始する。


 ドンッ。僕の身体が式部に突き飛ばされ、僕の視界がグラリと揺れた。揺れた視界に映る光景。さっきまで僕がいた場所のすぐ後ろ――今まさに、巨大な土人形が腕を振り下ろそうとしていたんだ。

 そしてそこには今、式部が存在している。

 つまり式部は、身を挺して僕をかばったということになる。


 なんの戦力にもならない、何の役にも立たない僕を。


 土人形が無慈悲に腕を下ろして、式部の身体が地面へとたたきつけられた。


「――ガッ!?」悲痛な式部の呻き声が、僕の意識をリアルへと引っ張り上げる。

「式部ッ!?」僕は彼女の名前を叫んだ。同時、焦燥が血流と共に全身を駆け巡る。


 無惨な彼女の姿を視界に捉えることで、僕は自らの過ちをようやく理解することができた。


 痛みを必死でこらえながら、それでも彼女は立ち上がろうとする。震えながら五体を起こす彼女の全身を、土人形がゴミでも拾い上げるように掴みあげた。


 彼女の四肢は巨大な掌に包まれ、完全に拘束されてしまう「ぐぅぅ……っ!」式部が呻き声を再び。彼女の華奢な全身は今まさに、みしみしと握りつぶされようとしている。


 嘘、だろ。こんなの、こんなの、こんなの――


「し、式部……」僕はすがるような声を上げ、彼女に近づいた。でも無力で脆くて何の力も持たない僕は、彼女が苦しそうに悶える様をただ見せつけられるだけ。


「や、柳楽くん……」式部が狐面を僕に向けた。隠された彼女の素顔を僕が視認することはできない。でも彼女は苦悶の表情を浮かべていて、死に抗っているに決まっている。


 彼女は僕になど構っている場合ではないのだ。それでも彼女は絶え絶えになりながら、絞り上げるような声を僕にかけるんだ。


「こ、これくらい、平気さ……、キミのことは、絶対に、わたしが……、守るから……ッ!」


 なんだ、なんだよコレ。

 僕さえいなければ、式部は松喜に負けていなかった。

 僕がお荷物となって、彼女に隙を作ってしまった。


 僕なんかやっぱり、ただの疫病神じゃないか。


「あら、まだ喋る元気があるのね。そろそろ背骨の一つでも折ってあげようかしら」


 松喜の声が僕の右耳に入って、左耳に抜ける。「あ……、ああッ!」式部の悲鳴が、遠くで鳴っているような感覚に陥る。


 気づいたら、僕はその場で膝をついていた。式部から目を背けていた。ガクガクと震えながら、両手を頭に抱えていた。

 僕のせいで、僕がいなければ、僕なんか。

 ぼくなんか、ボクなンか、ボクナンカ


 ボクナンカ、ヤハリコノセカイカライナクナルベキナノダロウ



 ふいに声が聞こえた。ノイズの混じった歪なその音が、今は何故だか愛おしく感じる。


『ステロ、ステロ、ステロ、ステロ』


 顔をあげると、真っ黒な怪異と目が合った。僕が産み出した『自棄』の心魔。

 彼は自身を覆うローブからひょっこり両手を覗かせていた。はじめてみる彼の両手には、禍々しく光る錆びた鎌が握られている。


『ステロ、ステロ、ステロ、ステロ』


 彼は徐に両手を前に伸ばし、鎌の刃先が僕に向けられる。

 僕は何かに導かれるように首を差し出した。


「――ダメだッ!」誰かの叫び声。……誰、だろう。


「心魔の声に……、耳を、貸すなッ! 『この世界からいなくなる』なんて……、もう、思わない。言わない。……キミは、私とそう……、約束したじゃないかッ!?」


 ……ああ、式部か。そんな約束。したんだっけかな。


「――なぁんだ。ビックリさせないでよ。柳楽くん、あなた、自分の心魔を喰ったワケではないのね。心魔に憑かれて心を支配されているだけなのね」


 ……喰った? この声は、松喜かな。一体何を言っているんだろう。


「どうやら、消す手間が一つ、省けるみたいね。……実にあっけないわ。歯ごたえがないわ。でも安心して。私が作る『停滞』の世界では、心魔なんて誰の心からも産まれない。負の感情なんて存在すらさせないから。お二人とも、お空の上から見守っていて頂戴」


 鎌の刃先が僕の首にかかる。

 ……いよいよかな。本当に良かった。

 コレでようやく、この世界から、いなくなることができる。

 安寧が胸の中で広がり、僕は陽光に身をゆだねるように目を瞑った。

 暗がりの世界で認知できるのは、無限の虚無。

 なんの音もしない。何も視えない。何も感じない。

 なんて楽なんだろう。ぬるま湯に身体が溶けていくような心地だった。

 ココなら僕に、誰の声も、届かな


「――キスしたいんだよッ!」




 思わず僕は目を開けてしまった。

 声のする方に目を向けると、見覚えのある狐面が視界に映る。


「私は、キミの顔を見てから、キミの唇が頭から離れないし、二人で口づけし合う妄想を何度も、何度もしたんだ! 柳楽くんと過ごすようになって、その時間が増えるほど、気持ちが溢れそうで止まらないんだッ! ……でも」


 式部が何かを叫んでいる。僕は巨大な掌で拘束された彼女の全身をボーッと眺めていた。


「キミがこの世界からいなくなったら、その夢が敵わなくなるじゃないか! 私が狐面の呪いを解く理由が……、なくなってしまうじゃないかッ! ……そんなの絶対に御免だよ! 例え腕がもぎとられようとも、足が引きちぎられようとも――」


 なんで、なんでだろう。なんでこの子は、そこまでして。


「私は最期まで、キミの唇……、諦めるつもりはないよッ! 私は……、執念深い女なんだ。稀代の変態なんだ。だから――グッ……!?」


 ……稀代の……、変態?


「黙って、汚らわしい。すぐに息の音を止めて上げるから、それまで大人しくしていなさい」


 式部はそれ以上何を言うことはなかった。苦しそうな呻き声が漏れるばかり。

 僕はというと、やはり彼女の全身を眺めていた。

 もっと言うと、僕の視線は彼女のある一点に釘付けになっている。


 僕は首にかかっている鎌をゆっくりと払って、のそりと立ち上がった。僕の様子に気づいたのか、松喜が訝し気な目つきを僕に向けている。


「式部」僕はなんでもないように彼女に声をかけた。式部は苦しそうな様子で、それでも僕に顔を向けた。僕は言葉をつづける。


 何でもないように。

 世間話を振る様に。

 彼女に問う。


「式部ってさ、何カップなの?」



 世界が止まった気がした。



「「――はっ?」」


 女子二人の疑問符が、ものの見事にシンクロする。


「いや、胸のサイズだよ。アルファベット表記の」

「……そ、それはわかるけど。なんで、今そんなこと――」

「大事な質問なんだ。真面目に答えて欲しい」


 式部は心底困惑している様子だ。でも、構うものか。


 これは、僕が生きるべきか死ぬべきか――それを決めるにあたっての、重大な問いなんだ。

 式部は僕の雰囲気に気圧されたのか、混乱した口調ながらも。


「……、び、Bカップだよ。見れば、わかるだろう。私なんて、大したモノ持っているワケでは――」


 ニヤリ。僕の口元が思わず綻ぶ。


「ちょうどいい」


 全身の血流が、マグマのように熱くなる。僕を司る六十億の細胞が今にも踊り出しそうだ。

 ああ、ヤバイ。コレはヤバイな。

 ありていに言おうか。僕は今、興奮している。


「大きすぎず、小さすぎず。Bカップは僕の理想の形状だ」

「……や、柳楽……くん?」


 式部が恐々と僕の名前を呼んだ。彼女はたぶん、ちょっと引いている。ちなみに松喜はというと、生ごみに塗れた汚物でも見るような目を僕に向けていた。


「式部。白状するよ。僕は貧乳フェチなんだ。キミのさらし姿を一目見た時から――その中、どうなっているのかなぁって、日夜妄想していたんだ」


「えっ」今度こそ完全に式部が引いた。変態性でお前にだけは引かれたくないけどな。僕は心の中でツッこみを忘れない。


「よし、決めた」僕はくるりと後ろ振り返る。僕が産み出した『自棄』の心魔、真っ黒な怪異が相変わらずふよふよと宙を漂っていた。僕は彼に近づく。


 両手を乱暴に前に出し、僕は彼の顔面を掴んだ。僕は、僕の生み出した絶望の塊とはじめて対峙している。ふぅっ、一呼吸を挟んだのち。


 僕は世界に向かって、高らかなる生存宣言を告げた。


「……式部の生乳拝むまでは――死ねるかよッ!」


 僕はあんぐりと口を開け、心魔の顔に思いっきりかぶりつく。

 怪異の顔面がバキリと割れて、僕はそれらの破片をガリガリと噛み潰し、呑み込んだ。

 自分でも何故そうしたのか、きちんと説明することはできない。

 突発的で、本能的な行動だったから。 


 僕は文字通り、心魔を『喰った』


 やがて、ノイズの混じった歪な声が、僕の耳元で淡々と囁かれる。


『ステズニ、クラウカ、ソレモイイ』


 その声はどこか、愉し気に揺らいでいる気がした。僕が勝手にそう感じただけかもしれない。実際のところはわからない。忽然と姿を消した彼に、ソレを確認する術はもうない。


 そう、僕が産み出した『自棄』の心魔は姿をくらました。でも彼は僕に置き土産を用意してくれていたみたいだ。

 彼が持っていた死神の鎌。空中でくるくると回転していたソレを僕は片手で掴み上げる。


「……うらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 そのままの勢いに身を任せ、僕は全身をグリンと半回転させて、巨大な刃物を思い切り振りかぶった。式部を拘束している巨大な土人形に向けて。


 グサリ、土人形の首元に、鎌の刃先が突き刺さる。

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