4-5


 すっかりと見慣れてしまった景色。ぐるりと周囲を見渡してみても、人々の喧騒から隔離されたような寂寞が広がるばかりだ。僕は昨日も訪れたその場所、神社の境内のど真ん中に一人ポツンとそぞろ立っていた。自身が呼び出した待ち人をひたすらに待っていた。ちなみにその相手は、昨日会った彼女とは違う人物である。


 ふいに足音が聞こえた。僕の心臓がしり上がりに高鳴っていく。


 待ち人が僕の呼び出しに応じてくれたという事実に、僕は一旦の安心と怒涛の緊張感を同時に感じていた。足音が徐々に大きくなり、石造りの鳥居の向こうには待ち人の姿が。


 僕は待ち人の方にジッと目を向けていた。待ち人は長髪ストレートの黒髪を揺らしながら、しゃなりしゃなり、しなやかな所作で僕に近づいてくる。

 約一メートルくらいの距離感。足を止めた待ち人が徐に口を開く。


「柳楽くん。靴箱にお手紙を入れて呼び出すなんて、ずいぶんと古風なことするのね」


 松喜小百合がおどけたように笑った。狂いなき角度、首を斜め四十五度に傾けながら。


「ココ、式部さんのお住まいの神社よね? 違う女の子呼び出したりして、彼女に怒られないかしら?」


 僕は黙っている。松喜の質問には答えない。でも彼女は構う様子も見せずにキョトンとした顔で、口元に手をあてがって。


「そういえば、一昨日の怪我は大丈夫? あのあと、柳楽くん急にいなくなっちゃったから心配で――」


「松喜」僕はその名前を呼ぶことで、意図的に彼女の声を遮った。


 ふぅっと息を吐いた後、一音一音に力を込めて、彼女の眼前に疑問符を突き付ける。


「単刀直入に聞くよ。キミは、『停滞』の心魔に憑かれているよね? うちの学校の生徒たちの心を支配して、彼らを操っているよね?」


 目に力を込めた。彼女の一挙一動、寸分たりとも見逃すまいと僕は全神経を視覚に集中させていた。松喜は相変わらずキョトンとした顔で、やがて口元を崩して困ったように笑う。


「急に、何を言い出すの? 心魔って何? みんなの心を操るとか……、柳楽くん、最近そういうSF小説でも読んだのかしら」

「化かし合いは、時間の無駄だから」僕は真顔を崩さない。彼女のペースには乗らない。


 さざ波一つ立たない波長で、淡々と言葉を放つ。


「根拠を提示して、キミに真実を吐かせるよ」


 なおも困惑した顔つきを見せる松喜の口元がピクリ、一瞬だけひきつったのを僕は見逃さなかった。


「最初に引っかかったのはね。一昨日の体育の授業の直後だ。キミは、教室に戻った僕の酷い有り様を見るなり慌てて、僕に近づいたよね? その時にさ」


 松喜もスッと真顔に直る。朗らかに笑ういつもの彼女が、普段は絶対に見せない顔だ。


「教室に戻っているのは男子の連中ばかりで、女子はキミ一人しかいなかった。女子の授業はランニングで、終わるまで帰らせてくれなかったから授業が長引いたと式部に聞いたよ」


 僕は慎重に言葉を選ぶ。一つでも足を踏み間違えれば、僕の五体は奈落の底に突き落とされる。そんな心地だった。


「松喜、キミは体調不良を理由に授業を途中で抜けた。だから誰よりも早く教室に戻ることができた。それってさ」言葉の弾丸をリロード。彼女の額に照準をさだめて。


「式部や明智が僕と接触する前に、『男子の体育の授業で何が起きたのかを、僕が彼女たちに喋る前に』、キミは僕を保健室に連れて行きたかった。そういう意図があったんじゃない? 絶望した僕が勝手に早退してしまうことも、織り込み済みでさ」


 ここで僕は一瞬だけ言葉を切った。松喜の様子を窺うために。


 真顔だった彼女が表情を崩す。困ったように、呆れたように、彼女は冷めた吐息を漏らした。


「……話が、見えないんだけど。私が体調不良で体育の授業を早ぬけしたことや、柳楽くんを介抱したことが、そんなにおかしいことなのかしら?」


 僕の頭を二つの可能性がグルグルと巡っていた。

 何も知らない松喜が、僕の世迷言に心底辟易している可能性と、

 黒幕である彼女が真実を知っていながらなお、トボけた演技をつづけている可能性。

 もちろん、僕は後者に懸けていた。ここまできたら後戻りはできない。


「根拠はそれだけじゃないよ」


 彼女の顔面に張り付いたペテンのペルソナ、僕はその裏側に向かって声を飛ばす。


「僕は体育の授業中、明智や式部のいない男子だけの体育館でリンチを受けた。この学校から出ていけと、北条を介して脅しをかけられた。『停滞』の心魔が人を操ることができるといっても、さすがに、本人の目の届かないところで『具体的な言動』までコントロールはできないだろう。僕と会話するってことは、僕の言葉を聞く必要があるからだ」


 二発目の弾丸。装填した言霊に熱量を込めて。


「つまり黒幕は、男子の体育の授業をどこかで見ていたんだ。そして、それが可能だったうちのクラスの生徒は、体育の授業を早ぬけしたキミだけだ」


 ――瞬間。姿の見えない巨獣にベロリと、紫色の舌で舐められたような恐怖が背筋に。


 松喜の雰囲気が明らかに変わった。だるそうに前髪をかきあげた彼女の表情は艶めかしく、その目つきは、すべてを見下すように醒めていた。


「百歩譲って」淡々と発された彼女の声からは、体温が感じられない。


「心魔だかなんだか知らないけど、そういう、人の心を操る力がこの世界にあると仮定する。その力を使って、体育の授業で柳楽くんが酷い目に遭わせた犯人……、あなたの言うところの黒幕が存在すると、仮定する」


 無表情の松喜が口元だけを動かしていた。


「今の柳楽くんの話を聞く限り、黒幕が私だって断定することはできないんじゃない? だってその犯人が、『男子』の中に混ざっていたという可能性もあるし、他のクラスの生徒だという推測も立てられる。容疑者を私一人に絞るのには、根拠が足りないわ」


 あまりにも冷淡で、冷静な口調。この時点で僕はほぼ確信していた。

 黒幕は松喜小百合だ。


 もし彼女が心魔の「し」の字も知らない、今回の事件と全くの無関係の人物だとしたら、僕の推理に対してロジックで対抗するような態度、とらないはずだ。ただただ狼狽して、混乱して――そういう反応を見せるはずだから。


 豹変した松喜は、だけど「シラを切る」というスタンスは崩さないつもりらしい。

 つまり、この戦いを決着させるには『彼女自身に真実を認めさせる』状況を作り出す必要があるんだ。


「確かにそうだね」僕は努めて平静を装い「体育の授業でのアリバイだけでは、キミを黒幕だと特定することはできない」


 三発目の弾丸。僕は最後の切り札の装填準備に入る。


「あの体育の授業の時、北条の意識を介して黒幕は言った『そうか刀、やはりあれが式部の心魔だったのか――』って。だから黒幕は、式部が刀を常に持っていること認識している人物……、心魔を『視える』人間に限定される」


 僕の言葉を受けて、松喜がはじめて怪訝な表情を見せた。僕の言葉にピンときていない様子だ。……やっぱり――というか、冷静に考えると、そうなんだ。

 松喜は『彼女の秘密』を知らない。だからこそ、あの時ミスを犯した。


 僕の証明は最終フェーズを迎える。


「転校初日、キミと北条は僕に学校案内をしてくれたね。あの時僕は、キミたち二人に確認した。式部の恰好が不自然じゃないかって、狐のお面をつけて常に刀を持っているなんて変じゃないかって」松喜の表情は未だ険しいまま、舐めるように僕の声を聞き入っている。


「式部の狐面をみんなが不自然に感じないのは、周囲の人間に惑わしがかかっているからだ。『彼女が持つ心魔の力』とは別の――『第三者が彼女にかけた呪い』によるものだ」


「……呪い?」声をこぼした松喜の片眉が吊り上がる。僕はコクンと遠慮がちにうなづいた。


「でも、心魔を視える人間――僕や明智にはその惑わしは通用しない。もちろん、式部の刀を視える黒幕にもね」


 松喜がハッとした表情を見せた。彼女は、自身の過ちにようやく気付いたようだ。

 でも、もう遅いよ。


「黒幕であるキミは、式部の恰好を不自然に感じていた。でも周りの人間がそれを不思議に思わない様子を察して、キミも周囲に合わせて気づかない振りをしていた。……他人の意志を操る『停滞』の心魔を持つキミは、式部も似たような力を使っていると思ったんじゃないかな。『狐面』と『刀』。その両方に関して、みんなが何の疑問も持たないように認知を変化させているって、そう考えたんじゃないかな。……けど、それはキミの勘違いだ」


 松喜が口を挟む様子はない。ただ黙って、憎々し気な顔つきで。

 彼女は僕の言葉を、ただただ享受している。


「『狐面の呪い』と『刀として具現化された彼女の心魔』は別物だ。それを知らなかったキミは、普通の人に式部の狐面は視えていても、『刀は視えない』という事実に気づけなかった。……松喜、学校案内のあの時、僕はキミに訊いたよね。常に刀を腰にさしている式部の恰好はおかしくないかって。そしたらキミは、コスプレは日本の文化だからとかなんとか――そう、答えたよね? つまりさ」


 引き金に指をかける。

 最後の切り札だ。言い逃れできるものなら、してみろ。


「キミには式部の刀が、『心魔』が見えている。それって、キミと黒幕を繋ぐ共通項に為りえるんじゃないかな」


 僕は静かに口を閉じた。これ以上、何かを言う必要はないから。松喜の出方を窺う以外に、やりようを持たないから。


 松喜が僕から視線を逸らす。やさぐれた所作で再び前髪をかきあげた。やがてふぅっと辟易したようにタメ息をこぼして。


「……私、そんなこと言ったかしら。一か月以上前の会話だもの。覚えていないわ」


 平然とそう言いやがった。


「刀? 何のことかしら。式部さん、腰に刀なんて差してないじゃない」


 松喜が、この期に及んで困り顔を作る。


「……それは通用しないよ松喜、僕は確かに聞いたんだ。記憶に覚えがあるんだ」

「『私は』、覚えていないって言っているの。……それとも、あの時の会話を録音でもしていたのかしら?」


 ……ただの雑談だ。している、ワケがない。


 限りなく黒に近い僕の推測。どんなにその可能性が濃厚であっても、現行犯でもない限り彼女を黒幕と断定することはできない。何故なら、この場所は神聖なる神社の境内であり、法廷ではないから。裁判官も、検事も、弁護士も、陪審員も――罪の可否を決める『第三者』が存在しないから。

 だから僕たちは、僕たちのやり方で松喜を裁く必要がある。


「面倒だね」ひょうひょうとした声が沈黙を裂いた。


 声のする方、松喜が背後ろに振り向いた。気配を消して近づく彼女の存在に、松喜は気づいていなかったらしい。でも僕の視界は少し前から捉えていた。鞘から抜いた日本刀を水平に構え、刃先を松喜へ向ける式部の姿を。


 僕と式部が松喜を挟み込む恰好になり、式部が淡々と言葉をかける。


「コレで松喜さんを斬ってみるのが、手っ取り早いよ柳楽くん」


 ユラリ。徐に腰を落とした式部が、両掌で握り込んだ刀を低く構えた。


「ま、待ってよ式部さん」


 慌てた様子の松喜が後ずさりをはじめ、逃げるように僕たちから距離をとる。


「あなた、何を言っているの? 『コレ』って……、なんのコト?」


 松喜が首を斜め四十五度に傾げた。式部は今にも松喜に斬りかかりそうな姿勢で。


「コレはコレさ。この、日本刀のことだよ」

「えっ……、えっ? 式部さん、あなた、どうかしちゃったの? 私には何も視えないんだけど?」松喜が宇宙人でも見るような目つきを式部に向けた。

「視えない? 松喜さん、キミにはこの刀が本当に視えないのかい? 私が今、手に何も持ってないって、そう言いたいのかい?」

「ええ、何も視えないわ。ごめんなさい。さっきから私には、何がなんだかさっぱり」

「ふむ。そうか視えないか。だとしたら」


 式部が構えを解いて、直立の姿勢に直る。


「松喜さん、キミは今すぐ眼科に行った方がいい」


 片手に持った日本刀の切っ先を下に向け、そのまま土くれの地面へと突き刺した。


「この刀は、うちの神社に奉納されている『本物の日本刀』だからね。心魔でもなんでもないからね。キミに視えないのは……、どうしてだろう」


 松喜からの応答はなかった。

 ひきつった笑顔で固まってしまった彼女の姿が、すべての真実を物語っている。

 松喜は、『日本刀が視えない』という演技をしていた。

 それは、彼女が都合の悪い真実を隠しているという事実に他ならない。最後の最後で、彼女は自ら黒幕の尻尾を出したんだ。


 はぁっ。この世界の理、その全てに辟易するようなタメ息が松喜の口から。

 彼女はだるそうに前髪をかきあげて、「ふぅん」不機嫌そうに地面に目をやっている。


「あなたたち、私のことをハメたのね」


 心の底からの侮蔑を感じた。その口調は、女神のような笑顔で周囲をほだす、いつもの松喜のソレとは思えない。

 クラスのマドンナという彼女のペルソナは、一瞬にして剥がれ落ちた。

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