4-3
式部の返答内容は僕が予期していないものだった。でも僕は存外、平静を保っていた。
彼女は、僕が隠している真相に気づいているのかもしれない。
脳内で慎重にテキストを選び取ったあと、僕はゆっくり、トボけたような声をわざと。
「どういうこと? 黒幕は北条だった。キミは彼の心魔を斬り、学園は元の姿に戻った。……全てはもう、終わっているじゃないか」
「いいや」ピシャリ。強い意志のこもった彼女の発声。
「私の見立てでは、黒幕は別にいる。そして」
式部が出し抜けに立ち上がる。境内の中央に向かって歩き始める。
僕に背後ろを向けたまま、彼女が声を紡いで。
「キミはそれを知っている。知っていながら、私や明智さんのために自分を犠牲にしようとしている。もっと言うと」
式部がクルリと振り返った。短いスカートが僅かに翻り、凛と立つ彼女の全身が陽光に照らされている。なんだか様になる絵面だな――核心からずれた感想が脳裏をかすめた。僕はそれなりの阿呆面を世界に晒していた。阿呆に成り下がった僕の耳に、輪郭を伴う彼女の声が届けられた。
「柳楽くん。キミはこの世界からいなくなろうとしている。それで全てを丸く収めようとしている。違うかな?」
よくわかったね、その通りだよ。
心の中で即答した。
声には出さない代わりに、僕は彼女に習うように立ち上がる。
「なんで、そう思うの?」肯定も否定もせずに、質問を疑問符で返した。
「理由の半分は、論理的根拠に基づく仮説があるから。もう半分は」おどけるように首をすくめた式部が、僕を煙に巻いて「女の勘ってやつかな」
彼女が再びゆっくりと僕に近づく。水平に伸びる僕たちの視線がまっすぐ交差した。
「最初に違和感を覚えたのはね、北条くんの心魔が具現化した時」
式部がポツポツと、論理的根拠とやらをこぼしはじめる。
「『停滞』――人や物事が変化したり、成長したりすることを極度に恐れ、一切のエゴを削ぎおとそうとする歪な感情。……けどね。北条くんの心魔が現れる直前。彼は自分の自我を、エゴを、爆発させているように見えた。『停滞』の思想とは、まるで逆の振る舞いだ。柳楽くんと、北条くんと、明智さん。あの時に三人がしていたやりとり。傍から聞いていた私としては、柳楽くんをかばう明智さんの姿を見た彼が憤り、癇癪を起こし、同時に失望していたようにしか思えなくてね」
違和感を覚えた僕は、思わず口を挟んで。
「……式部、結構離れた場所に隠れていなかったっけ。僕たちの会話、聞こえていたの?」
「私は狐だよ? 耳には自信があるさ」
式部が子を化かすような笑い声を漏らす。そのまま彼女は僕から視線を逸らし、土くれの地面をあてもなくさまよいながら。
「彼が憑かれた心魔は『停滞』じゃない。彼が苦しんでいたのはおそらく、『嫉妬』の心。明智さんを独占したいという独りよがりな欲が、彼にとってのエゴだったんだと思う。つまり」
ふと式部が足を止める。人差し指を天に向けて。
「北条くんは黒幕じゃない。うちの学校を支配している黒幕は別にいて、その心魔もまだ、この世界に存在しているっていうのが私の見立てさ」
式部は一度言葉を切った。両足を交差させながら、得意げな様そうで僕に身体を向けている。
少しだけ間を置いたのち、僕は後ろ頭に手をやった「だとしたらさ」そう前置いたのちに、ぶっきらぼうな声を放った。
「北条の心魔を斬ったあと、うちの学校の連中が洗脳から解けたみたいに、みんな好き勝手やりだしたのはどうしてなんだよ。状況的に、『停滞』の心魔の存在がいなくなったって考えるのが普通だ。辻褄が合わないじゃないか」
「黒幕の、罠」
道化を着飾るような雰囲気と打って変わり、式部が絶対零度の一声を。
「黒幕が、『北条くんを影武者として利用していた』としたら、説明がつくんだよね。私たちが北条くんを黒幕だと誤認するよう、彼の心魔が斬られた直後にあえて、支配の力を解除していたとしたら、納得がいくんだよね。そして」
式部がユラリと腕をあげやる。僕に人差し指を向ける。
「全てが終わったのだと見せかけて、私たちが油断しきったところで……、黒幕は、柳楽くん一人をターゲットにしたんじゃないかな」
僕はそれまでどこか他人事のように、彼女の独壇場を見物していた。けど。
無理やり証言台の上に立たされるような、ひた隠しにしていた罪が暴かれたような心境に陥った。安全圏に置いていたはずの自意識、その足場が徐々に狭まっていく。
式部は僕に、一切の猶予を与えてくれない。
「昨日の体育の授業のあと、キミは明らかに様子がおかしかった。自分では気づいていないかもしれないけどね、今だってキミ、ひどい顔しているよ。肌は青白いし、唇もカサカサで見ていられない」
ギリッ。顔面に力が入った僕は思わず歯を鳴らす。
なんだ。なんなんだコイツ。どうして、式部はそこまで――
彼女の行動原理は僕の辞書に存在しえない。わからない。つまり、怖い。
自分でもわかるくらいに、僕は精神的余裕がなくなっていた。
式部がなおも言葉を羅列する。僕の心中などお構うこともせずに。
「黒幕は、女子と男子で授業が別れる体育の時間を利用した。私と明智さんという協力者が存在せず、かつクラスメートたちを存分に操れる恰好の機会を使ってね。柳楽くん。キミはあの時間にクラスのみんなから、リンチのような仕打ちを受けたんじゃないか? キミがあざだらけだったのは、そういう理由があったからじゃないか? それを私たちに黙ってたのは、黒幕に脅迫されたからなんじゃないか? 学園から出て行けと。『停滞の御代』から出て行けと。私や明智さんを人質に、一方的な契約をもちかけられたんじゃないか? だから――」
やめてくれ。真実を露呈しないでくれ。放っておいてくれ。心の中で懇願する。
僕は知らぬ前に頭を垂れて、両手で頭を抱えていた。
僕の願いは式部には届かない。彼女は、暗幕のヴェールを慈悲もなくひっぺ返す。
「キミは私たちに何の相談もせずに、一人でこの世界からいなくなってしまおうって。そんな結論に行き着いたんじゃないか?」
僕は、男の割りに少し長い髪をぐしゃぐしゃとかきむしっていた。
『ステロ、ステロ、ステロ、ステロ』……うるさい、黙れ。
わかっている。僕だってそうしたい。僕だって、僕みたいな奴、さっさと棄ててしまいたい。
だけど邪魔をする。僕の世界に無遠慮に入り込もうとする式部の存在が、僕の心をぐしゃぐしゃに掻きまわしている。
「もし、そうだとして」おぞましいほど低い声が出た。僕は前屈みの姿勢で、ヨロヨロと体勢をなんとか保ちながら、眼前の式部を睨み上げる。
「キミの憶測が全て真実だったと仮定して。黒幕がまだ存在すると仮定して。僕がこの世界からいなくなろうとしていると、仮定して」
ふぅーっ。胃の中に溜まっていた淀んだ息を一気に吐き出すと、少しだけ身体が楽になった。僕はムクリと上半身を起こして、斜めの姿勢で片足に体重をかける。冷めきった細い目を彼女に向けながら声を放った。
「式部、キミはどうするつもりなの。……どう、したいの?」
「当然」式部は一切怯む様子を見せない。さも当然と、世間話でも返すように言いやる。
「真の黒幕を見つけて、その心魔を斬る。キミがこの世界からいなくなる理由を、潰すだけさ」
風が鳴った。
僕の視界で銀色の髪がさざめく。スカートのひだがたゆたうように揺れる。
「なんでだよ」ひとりでに声がこぼれた。
「なんでキミは、僕に干渉するんだよ」彼女から視線を逸らして、ごちるように。
「キミの目的は心魔を斬って狐面の呪いを解くことだろ? 別に黒幕の心魔にこだわらなくてもいいはずだ。正体のわからない黒幕を探すなんて、骨を折る必要ないはずだ。心魔を斬りたいだけなら他をあたればいいじゃないか。僕が例え、この世界からいなくなったとしても――」
言葉が止まらない。心を制御できない。言うという行為に関して、脳のフィルターが通らない。僕は感情が溢れるままに声を並べていた。そして。
「キミには、関係ないはずだ」
言ってはならない一言を、吐き出したのかもしれない。
だけど僕はもう、限界だったんだ。真実に目を背けず、果敢に立ち向かおうとする式部の強さを見ていられなかった。同時に、自分の弱さを突き付けられている気がしたから。
「柳楽くん」彼女が僕の名前を呼ぶ。その声は、いつものひょうひょうとした風でもなく、冷徹に淡々としているでもなく、照れたように慌てふためいているでもなく。
「……つれないこと、言わないでよ」
物憂げで、儚げで、寂しそうな音色だった。
僕はハッとなり、急速に頭が冷めていく。思わず彼女に目を向けると、彼女はしおれたように背を丸めて、土くれの地面に目を落としていた。
後になって気づいた。僕はたぶん、彼女の強さに甘えていたんだ。
自分自身を棄てる。そう決めたあとの僕は、一切の思考を手放していた。何も考える必要がなかったから。その方が楽だから。でも僕の感情に揺らぎが生じてしまった。
式部の言葉で、第二の可能性が露呈してしまったから。『僕がこの世界からいなくなる』理由を、彼女に消されそうになっているから。だから混乱した。混乱して。
式部に、ありのままの感情をぶつけてしまった。
式部がいくら強くたって、巨大なバケモノと対峙できる度胸を持ち合わせていたって、同時に彼女は人間で、僕と同い年の女子高生なんだ。
あんな言い方されれば、誰だって傷つく。
言い訳の一つも思いつかない。やがて僕は痛々しい彼女の姿を見ていられなくなった。逃げるように土くれの地面に目を落とす。やっぱり、僕なんて――
青空に橙が混じり、夕焼けの到来がこの世界に告げられた。沈黙が足かせとなり、僕たちの間は無為な時間が流れるばかり。もしかしたらこのまま一生、僕たちはこうしているのかもしれない。そんな想像すら脳裏をよぎる。でもそんなことにはならなかった。
「約束して」
式部が唐突に声をあげた。先ほどの弱々しい声とは違い、やけに力強い発声だった。僕は顔を上げて彼女の顔を見る。彼女は未だ顔を伏せっていた。
「私が、黒幕の心魔を斬ることに固執している理由、柳楽くんに固執している理由……、言ったら、考え直してくれるって。『この世界から消えてしまおう』、そんなこともう言わない、もう思わないって、約束してよ」
式部が徐に顔を上げる。無表情の狐が僕を眺めている。
……その言い方は、ずるい。そんな約束できるはずがない。
でも僕は首を縦に振ってしまった。罪悪感が拍車となり、後先ってやつを無視したんだ。
「私ね」
思いつめたように口を開く式部。その様そうはどこか鬼気迫っていた。彼女はこれから、彼女なりに意を決して、彼女の核心に触れるような何かを僕に伝えてくれようとしているのかもしれない。直感的にそう思った僕は、真剣な面持ちに直る。
一言も聞き漏らすまいと、神経をとがらせた。そして。
「私、唇フェチ……、なんだよね。男の子とキス、してみたいんだよね」
――はっ……?
これまでにも何度か、脈絡の欠片もない式部のトンデモ発言に、ドギモを抜かれた経験はあった。僕は幾度となく心の中で、彼女へのツッこみを忘れなかった。でも最近は慣れてきた節もあるし、ちょっとやそっとじゃ動じないだろうという自負もあった。
――而して、さすがにその発言は看過できない。
「何、言ってんの?」
僕は心の底からそう思い、そう言った。
「いやねっ、あのねっ、そのねっ」式部は相変わらず僕と視線を合わせようとしない。挙動不審に後ろ髪を触り、忙しなく足をくねらせている。僕はいうと、言うまでもなく呆けたまま。
「私たちがはじめて出会ったあの夜。柳楽くんの顔を見た時にね。その……、キミの唇、すごい綺麗だなって。私が追い求めていた理想の形だなって。そう、思ってしまってね」
話が見えない。見えるワケがない。……ワケがないけど、まさか――
「私、キミの唇に、一目惚れしちゃった……、んだよ、ね」
言うなり、彼女は狐面を両手で覆い、その場にうずくまってしまった。
「えっ?」とりあえず僕は声をあげた。
「えっっ??」だけども、疑問符が鳴りを潜める気配を見せない。
「――はぁっ!?」
遅れて、感嘆符が僕の脳内を支配する。僕は大声を出さずにはいられなかった。
……っていうか。
唇に一目惚れって、何?
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