3-7


 北条の心魔を式部が斬ってから、半月は経とうとしている。


 本日はお日柄が良くもなく、登校した僕は昇降口にたどり着くなりビニール傘を閉じ、軽く振って水滴を払った。自身のクラスに向かい、『2ーA』のプレートが掲げられた教室の前、ドアを開ける前から節操ない笑い声が僕の耳に届けられる。

 ガラリと扉を引くと。


「――ギャハハハハッ! それマジかよ! 中坊に喧嘩売ってしかも負けたって、お前、ダサすぎっ!」「るせぇっ! あいつゼッテー、空手かなんかやってるんだよ! オイ今度、闇討ちするから手伝えッ!?」「――この前のオジサン、ご飯だけだったのに二万もくれたんだけどッ! エモくないッ!?」「パパ活にエモいもクソもねぇよッ!? ……でもアタシにも紹介して?」「おい明智! 今日こそリベンジさせろ! 昨日トレモで五時間くらいガーキャン練習したんだからなッ!」「やだよ。お前ザコすぎて、練習台にもなんねー」「ドイヒーッ!?」


 このはた喧しさにもようやく慣れてきた。僕は幽霊のように気配を消して、一人ひそやかに自席に着く。近くの席の明智が「オッス、ヤギラ。朝から雨とかだりーよなー」相変わらずゲーム機をカチャカチャいじりながら僕に声をかけた「おはよ。そう言いつつ朝から真面目に来ている明智って、意外と偉いよね」明智はゲーム画面から僕に視線を移し、「マジでやべーんだよ単位、カーチャンに殺される」キシシと笑うがその顔は、どこか途方に暮れている。



 北条の心魔を斬ったあの夜のあと、僕はどこかモヤモヤと気持ちが晴れない心地に陥ってた。本当にコレで、すべては終わったのだろうか。黒幕は北条。彼の心魔が消失したことで、物語を幕引きと見做していいのだろうか? 結論から言うと、僕の不安は杞憂に終わった。


 あの夜の翌日から、うちの学校の雰囲気がガラリと一変したんだ。校則など知るものかと、半分以上の生徒連中が独自のセンスで制服を着崩し(ビビットカラーの私服と組み合わせる変則スタイルが多い)、髪を染め、ある意味で自由を謳歌していた。ゲラゲラと、愚にもつかない雑談に毎日耽っていた。


 彼らの元のいでたちを知らない僕は最初、多少面を喰らったものの……、まぁこれが本来の姿なんだろう。素行という観点では誉められたものではないけど、クラスをとりまく雰囲気からは以前のような薄気味悪さは感じられない。良くも悪くも彼らは活き活きとしていた。


 北条はあの夜を境に学校を来なくなった。――なんてことはなくて、翌日から普通に登校している。あの夜のことをよく覚えていないらしい。式部曰く、心魔が具現化している時、本体であるその人の意識は朦朧としているため、前後の記憶が曖昧になるのだとか。


「柳楽クンが女装趣味で、明智クンが本命だということは覚えているのだが」いやなんで、間違った情報だけ覚えているんだよ。


「僕たち、これからはライバルだね。負けないよッ!」北条が爽やかな笑みを残して颯爽と去ってしまったため、僕には相変わらず言い訳する余地が与えられない。……もういいか。


 北条は、他人に対して過度にケチをつけるような真似をしなくなった「町内清掃をしよう」とかも言い出さなくなった。『停滞』の心魔が消失し、彼は本来の自我を取り戻したのだろうか。ちなみに北条に対する明智の塩対応は健在だ。ドンマイ。


 ある日の放課後、僕が教室で帰り支度に勢を出していたところ、式部が声をかけてきた。


「みんなの様子を見るに、事態は収束したと考えていいかもね」彼女がヒソヒソと囁き、僕がコクンと頷くと。

「でもまだ油断はしないでね。夜道を散歩したくなったら私を呼んでね」お前はカレシか。


「そういえば」僕の胸中のツッこみなど知らぬ式部が、何かを思い出したように再びヒソヒソと、「柳楽くん、黒幕狩りを手伝う代わりに、何か私にお願いがあるって、手紙にそう書いていたよね?」首を傾けながら僕に訊ねる。


 僕は机の上に目を伏せ、少しだけ間を置いたのち。


「……その話は、今度じっくり、二人きりでしたいかな」神妙な声をこぼした。


「エッ」ピタリと動きを止めた式部が、「わっ、わっ、わっ、ワカッタヨ」何故かカタコトの日本語でもじもじ身体をくねらせている。なんで?


 学園は支配から解放された。僕たちを狙う黒幕は、舞台から姿を消したんだ。

 僕に残されたミッションは、あと一つだけ。



「ヤギラ?」あどけなくのん気な声掛けに、僕の意識がハッと戻される。窓の外から漏れる雨音が、現実時間を僕に知らしめた。


「何、ボーッとしてんだよ。一限目、体育だぞ?」ナップサックを肩にしょった明智が、キョトンとした顔で僕を窺っている「ゴメン、ありがと。昨日あんま寝れてなくてさ」僕は適当な言い訳で明智をいなして立ち上がる。


「なんだよ、エロサイトでも徹夜で見てたのかよ」キシシ、彼女が節操なく笑って。

「違うし、女子がそういうこと言うんじゃないよ」僕は親心のつもりで明智に説いた。



 外が雨ということで、本日の体育は屋内でバスケットボールに興じる運びとなった。ちなみにうちの高校は公立学校の割りには施設内の設備が整っていて、なんと体育館が二つもある。そのため男女が同じ空間で同じ授業を受ける事案は発生しない。同空間にて、巨乳女子の胸が揺れる様をネットの網目越しに男子が覗き見て――みたいなラブコメ展開は発生しえない。


 普段の座学はこぞって惰眠を貪っているような不良連中も、体育に関してはけっこう真面目に取り組んでいたりする「オイ、こっちこっち!」「――バッカ、どこ投げてんだよッ!?」


 一介の授業とはいえ明確な勝敗がついてしまう以上、闘争本能には抗えないのが男のサガなんだろう。而してイレギュラーも存在する。僕のことだ。


 僕は球技が苦手だし好きじゃない。チームプレイが苦手だし好きじゃない。そもそもバスケットボールなんてルールすらあやふやだ。ありていうに言うと、ひどくやる気がなかった。


 僕はコート内で試合に参加している風を装うのに必死だ。ボールを追いかけている振りをしながら、その実ウロウロしているだけ。


 ウロウロしながら、僕は考え事していた。先日の式部の発言が妙に引っかかっていたから。


 ――でもまだ油断はしないでね――

 彼女はそう言っていた。どういうことだろう?


 黒幕は北条だったし、彼の心魔は式部が斬ったんだ。僕たちの身を危険に陥れる『敵』はもう存在しないはず。何にどう気を付けろというんだ。もしかして、彼女にはまだ何か懸念が。


「――イテッ」


 側頭部に衝撃が走る。遅れて痛みも。僕の思案が中断されるのは必然だ。

 軽くフラつきながら、何事かと僕は事態の把握を試みる。


「すまないやぎらくん。てもとがすべってしまって」


 声のする方に目を向けると、コート内にいる北条がずれたメガネを直す所作を見せる。どうやら僕は彼にボールをぶつけられたらしい。


「別に、いいよ」何の気なしにそうこぼしながら、僕は転がったボールを追いかける。……ええと、北条は敵チームだから、この場合は僕がコート外からスローインすればいいんだよな。


「――イテッ」


 ボールを取ろうと腰をかがめた瞬間、再び後頭部に痛みが。僕は条件反射で上体を起こした。


「ごめんね、やぎらくん。ぼくもてもとがくるっちゃって」


 僕は今度はコート外に視線をやる。いつだったかの学級裁判の際、北条に促されてウソの密告をした豊田とかいう生徒が、無表情のまま口をパクパクと開閉させていた。……はっ?


 違和感が胸を駆け抜け、常識が空間からはじき出されてしまったような感覚。


 意味がわからない。豊田はコート外にいる。つまり、彼は試合に参加していない。

 試合に参加していない奴が、なんでボールを持っている? なんで、手元が狂う?


 ドンッ――と再び頭部に衝撃。一抹の違和感がどんどん大きくなる。恐怖と不安が加速度的に膨れ上がっていく。僕はもうほとんど脊髄反射で後ろ振り向いた。すると。


 さきほどまでバスケ試合に夢中になっていたクラスメートたちが、こぞって僕に視線を向けている。北条も、不良連中も、体育教師ですら。


 マネキン人形のような無表情で。色のない瞳で。

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