3-6


 式部はその瞬間を見逃さなかった。「ハッ!」自由を手にした彼女は短い発声と共に刀を振り下ろす。切っ先が綺麗な半円を描き、幾千の細い触手が一斉に切断された。


 拘束を解かれ宙に放り出された式部が、しかし身を屈ませながら優雅に着地する。


「式部ッ!?」僕は彼女の元に駆け寄った。立ち上がった式部が僕に顔を向ける「御免、油断した。いや貞操はなんとか守られたからね。安心おし」この状況で何言ってんだコイツは。


 式部が着地するのとほぼ同時、北条もムクリと上体を起こす。


『グ、グフ、グフフフフ……』


 バケモノの大口が再び僕たちに向けられた。奴は平静を取り戻したようだ。

『ムダ、なんだよ』北条が徐に立ち上がる。ずれたメガネを艶めかしい所作で持ち上げ。


『タトえカラダがバラバラにされたとしても、アタマだけになったとしても、ボクはケッしてイキタえることはないんだよ、ウゴきツヅけることがデキるんだよ、フジミなんだよ』


 余裕の態度とその理由をふてぶてしく語るバケモノを前にして、「ふぅん」式部が全く意を介さないようなトーンの声を返す「成程ね、教えてくれて有難う」行き処のわからない感謝を漏らす。


 無言のまま彼女は、右手で握っていた刀の切っ先を天へと向ける。頭部だけになったバケモノの大口を、ジッと見据えたまま。


 ヘラヘラと笑っていた北条の顔が真顔に直った


『……おマエ、ナニを、している。ナニを、するキだ?』何かを訝しむようなノイズ音。


 相対する式部はというと「別に、何も」ひょうひょうとした様そうを終始貫いていた。

 北条が何かに気づいたように顔を歪ませる。

 呼応するようにバケモノもまた、大口をいっぱいに開いて。


『――サセルカァァァァァッ!?』


 バケモノの咆哮が轟いた。バケモノは身体を縮こませて、まさに今、式部に向かってとびかかろうとしている。瞬間、僕の脳が全神経に号令をかけた。


 動け。

 一心不乱だった。バケモノが式部に向かう寸前。僕もまた北条に向かって飛びかかっていた。僕たちの身体がもつれ合い、地面に転がる。


 無我夢中だった。僕は両手を必死に動かして北条の顔面を掴んだ。僕の掌が彼の両目をメガネごと覆う。……僕の仮説が、正しければ――


『――ナッ! ナニも、ミえ……、ナいッ!』


 北条は地べたに転がりながら、滑稽に手足をバタつかせている。僕たちの背後ろで、バケモノが今どうなっているのか僕に確認する余裕はない。でも僕は確信していた。


 あのバケモノは目を持たない。だから代わりに、北条の眼を使って僕らのことを認識していたんだ。彼の意志を乗っ取り、その視覚までも支配していたんだ。

 だから、北条の眼さえこうして塞いでしまえば――


「お手柄だよ、柳楽くん」遠くから、妙に落ち着いた式部の声。


 北条の動きがピタリと止まり、ガタガタと震えはじめた。……何事だろう? 僕は背後ろを振り返り――ギョッと肩をすくませる。


 式部が天に掲げていた右腕を降ろし、今度は水平に伸ばしていた。掌には刀の柄が握られている。その刃先を、禍々しく光る紫の閃光が覆っていた。


 刀身を遥か凌駕した大きさを誇る光の渦が、深淵を呑み込まんばかりに煌めく。


『アッ、アッ、アアッ』


 北条の眼をもたないバケモノは、式部を視認することができない。しかし奴は、自らの運命の行く末を直感的に理解したのかもしれない。漏れ出たノイズ音があまりにも弱々しい。


 ゆったりと腰を落とす式部が、同時に天を仰ぐように右腕を旋回させた。刃先をまとう巨大な閃光もまた上空を揺らぎ、彼女は刀を低い位置で構え直した。


「冥途への土産話でも教えようか。女の子の身体はね、大事に扱わなくちゃいけないよ。そんなことも知らない輩はね」


 一閃。彼女が深淵を横なぎに払った。紫の光が辺り一帯を呑み込む。


「地獄で、閻魔の裁きを受けるんだよ」


 刹那。僕の視界。夜のグラウンドに重鎮していたバケモノの姿が、忽然と消えた。


 しかしよく見ると、バケモノの大口『だけ』が宙に漂っていた。それ以外の部位、バケモノの存在を誇示していた奴の痕跡――

 その胴体も、地面に横たわっていた下腹部も、散らばった幾千もの触手すら。

 閃光にかき消され、跡形もなく消え去っていたんだ。


 式部が今度は刀を上段に構える。短く、鋭く、発声して。


「御心、頂戴」


 一つ、式部が刀を縦に振り下ろすと、バケモノの大口が閃光に喰われる。

 バケモノが、北条に憑りついていた心魔が、今度こそ世界から消失した。

 文字通り跡形もなく。身体を再生させる余地を一切与えられずに。



 戦いは決着した。……んだろう。


 式部の持つ刀から禍々しい閃光が次第に薄れていき、彼女は無駄のない所作でソレを鞘へとしまう。カチャン、固い音が無機質に響いて。


 僕は呆けていた。呆けたまま虚空を見つめるばかり。静寂を切り裂いたのはいつものごとく、あどけない明智の声だった。


「えっと……、やっつけた……、の?」


 僕と同様、明智は幼い顔つきでポカンとしている。式部がユラリと視線を彼女に移し、コクンと遠慮がちにうなづいた。するとダムが決壊したように明智が。


「――うおおおおっ! やったぜ! シキベ! ヤギラ!」


 マンガみたいな跳躍を披露した明智が、そのままの勢いで式部に駆け寄り、彼女に抱き着く。明智の無邪気さに動揺したのか、式部がギョッと両手をバンザイしたまま固まった。


「すげぇよシキベ! あんなバケモノ倒しちまうんだからッ!」明智がキラキラとした目つきで式部を見上げると、照れ隠しなのか式部が明後日の方向に視線をそらす。


「最初の一振りで決めるつもりだったんだけどね。まさか首を斬られても動けるとはね。私としたことが迂闊だったよ。キミたちを危険な目に合わせてしまったね。御免よ」

「何言ってんだよ! 最後のオオワザ、あんなん持ってるなら、最初からやれっつーんだよ!」

「……いや、アレには少々、集中する時間が必要なんだよね。その際、丸腰になってしまうのが玉に瑕なんだよね。だから柳楽くんが時間を稼いでくれて助かった」

「ふーん、格ゲーの超必殺技みたいなモン?」

「……知らないけど、そうかもね」


 式部が肩をすくめながらフフッと笑い、明智も満足げにキシシと表情を崩している。

 僕は彼女達のやり取りを眺めながら、ヨロヨロとした足取りで近づいた。


「お疲れ、式部」僕が彼女に声をかけると、彼女の狐面が僕に向けられた。少しだけ間を置いて、「柳楽くんこそ、お疲れ様」彼女の声は、いつもよりどこか柔らかく聞こえる。


「――あっ、そういや北条。アイツ、大丈夫なのか? まさか死んじゃったり、してないよな?」


 明智が思い出したような声をあげ、僕たち三人の視線が彼に向けられた。少し離れた場所、土くれのグラウンドの上で彼は大の字になっている。もちろん意識があるようには見えない。


「安心おし。一時的に気を失っているだけさ。少し経てば目が覚めると思うよ」式部がそう言うと明智はホッと胸をなでおろしたように「そっか、そんならいったん放置でいいか。アイツ変態だったし」彼女は未だに色々と誤解しているようだった。……北条、ドンマイ。


「確認なんだけど」今度は僕が声をあげた。二人が同時に僕に目を向ける。


「北条は心魔に憑かれていた。つまり、僕たちの見立て通り彼が黒幕だった。そして、さっきのミミズのバケモノみたいなのが『停滞』の心魔で、うちの学校の生徒たちの心を操っていた」


 一つ一つ、丁寧に確かめるように僕は言葉を紡ぐ。


「でも『停滞』の心魔は式部によって斬られ、この世界から消失した。学園を操る存在はいなくなったんだ。生徒たちの心は解放されて、明日からはみんな元の人格に戻る。……僕たちのミッションは完遂されたってことで、いいんだよね?」


 僕は言葉を切って、二人の反応を窺う。


「それは」口を開いた式部の声はどこか腑に落ちたようには聞こえない。


 真意をはぐらかすような、その返事も。


「明日になってみないと、わからないかもね」


「えっ?」一人キョトンとしているのは明智だった。

「なんでだよ。ラスボス倒したんだから、ゲームクリアじゃないの?」しかし式部は明智に言葉を返さず、無言のまま視線を地面に落とすばかり。


 僕はというと、先に述べた自身の結論に妙な違和感を感じていた。

 妙な違和感……、そうか、そういえば――


「あのさ」とてつもなく重大な事実に気づいた僕が、再び口を開く。僕の声は、自分で思っている以上に鬼気迫っていたのだろう。何事かと目を配らせた二人が恐々と僕に視線を向けて。


「とりあえず僕、もう着替えてもいいよね」


 下半身がスース―して限界だ。僕はもじもじとまたぐらを閉じやる。


「……着替える前に写真、撮ってもいい?」


 いいワケないだろ。式部が宣う戯言に対して、僕は当然、胸の前で大きなバッテンを作った。

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