3-2
なんとか立ち上がる気力を回復させた僕が、神社の境内へと延びる石造りの階段を降りて歩道路に降り立った時、唐突に誰かに話しかけられた。
「あら、柳楽くん。こんなところで偶然ね」
聞き覚えのある声、見覚えのある顔。僕は、僕に声をかけた彼女の名前を呼んだ。
「松喜……、は、今帰り?」立ち止まった松喜がニコリと、首を斜め四十五度に傾けて。
「うん、委員会の仕事で遅くなっちゃって。柳楽くんは――」彼女が石段の先にある鳥居に向かって目を向ける。「……この神社、確か式部さんのおうちよね?」そして何故か、嫌らしく目元をたゆませはじめる。……嫌な、予感が――
「なるほどなるほど、お二人はそういうご関係だったのねぇ。前にも、一緒に図書館で勉強していたとか言っていたし。そういうことだったのねぇ?」
「い、いや、ご関係って。そういうのじゃないから」僕が両手を振って否定を試みるも、「ハイハイ」松喜は門前払いするように掌をひらつかせ、取り合ってくれない。なんでだ。
「柳楽くんは、駅まで?」松喜は結局、僕に申し開きの余地を与えてくれなかった。もうなんでもいいやと、すべてを諦めた僕は彼女の質問にそのまま答える。
「いや僕は徒歩通学。この通り真っすぐ行って、小路を曲がったところが家なんだ」
「なるほどね。じゃあ途中まで一緒に、どうかしら?」両手を後ろに組んだ松喜が上目遣いで僕を見上げて、まるで試すような所作。「別に、いいけど」何故だか僕は視線を合わせられず、あさって方向に向かって返事を返した。
二車線道路のわき道を二人で並んで帰る。人通りは少なくはないけど、特段混みあっているわけでもなく、僕たちは一定のペースを保って歩いていた。会話を振るのはほとんど松喜。最近の授業がどうだとか、新しい生活はどうだとか、当たり障りのない質問を適度に広げてくれるので、話していて楽ではあった。もちろん、心の中でツッこみを入れる必要性なんてない。……いや、誰かさんと比較しているワケではない。
「あ、僕こっちだから」自宅付近の交差点に差し掛かった僕はピタリと足を止めて、身体を松喜に向ける。そのまま胸の前で手を振ろうとしたところ、「……ねぇ、柳楽くん」地面に目を伏せた松喜が、どこか躊躇するように僕の名前を呼ぶ。
僕は彼女の態度に少しだけ違和感を覚えた。「……何?」僕が間をおいて返すと、松喜がゆっくりと顔を上げて僕を見る。僕を見て、小さな口を開いて。
「柳楽くんは、うちのクラスのみんなが……、『おかしい』って感じたことはある?」
僕は固まってしまった。思考も、全身も。
鏡がないので何とも言えないが、僕は今それなりの阿呆面を晒してしまっていることだろう。僕の様そうを受けてか、松喜が慌てたように不自然な声をまくし立てた。
「あっ……、ご、ゴメンネ! 変なこと聞いちゃって、やっぱなんでもな――」
「あるよ」
だけど僕は即答した。まっすぐと松喜の顔を見ながら。
「というか、僕はずっとそう感じている」
松喜がポカンと口を開けて、見開いた目を僕に向けていて。
やがてフッと表情を崩した「やっぱり」そう漏らして彼女は再び目を伏せる。
「松喜も、なの?」僕がそう訊くと、彼女は遠慮がちにうなづいた。地面に視線を落としたまま、松喜がポツポツと声をこぼしだす。
「もちろん私は、クラスのみんなのことが大好きだし、屈託ない性格の彼らと一緒にいて幸せを感じているわ。でも……、時々、不安になるの。みんなの言葉が、あつらえられた台本を読まされているように感じる時があって。それに――」
松喜が言葉をつづける。恐々と、罪を告白する受刑者のように、沈んだトーンの声で。
「自分自身もね。私の行いが、喋っている言葉が……、自分の意志じゃないように感じること、あるの。頭の中を、誰かに操られているような感覚……、みたいな」
僕は彼女の言葉を頭の中に反芻させていた。松喜は、僕や明智と同じく、クラス連中の態度に違和感を覚えているらしい。ただ、自分自身にもソレを感じるという点は、僕らとは異なる。
たぶん松喜は、僕たちのように『視える』側の人間ではない。でも。
黒幕の心魔による支配に、一握りの自意識で抗っているのかもしれない。だとしたら。
自我を奪われてしまったクラスの連中も、心のどこかで、このままではいけないって――『支配』から解放されたいって、そう思っているのだろうか?
「おかしいのは私よね。そんな風に考えてしまうなんて。……アハハッ、私、疲れているのかしら?」
松喜は声を無理やり絞り出しているようで、やけに空々しかった。頬にシワを寄せて笑う彼女の表情が痛くて、咲月のソレとなんだか重なり合う。思わず、僕は。
「松喜は、おかしくなんかないと思うよ」
神妙な声を出してしまった自覚はある。松喜が意外そうな顔で「えっ?」と。
少しだけ間を置いて、僕は無遠慮に言葉を並べた。
「争いが一つも起こらなくて、一切の不幸が存在しなくて。でも、嘘で塗りたくられたような、かりそめの世界とさ」
唐突な僕の発言に、松喜はキョトンとした顔を継続させている。でも僕は構わずに。
「自らの意志やエゴをぶつけ合って、時にはお互いを憎み、ののしり合って、……それでも一人一人が、自分の意志を持って、自分の人生を歩んでいる、そんな世界」
周囲の環境音が一切耳に入ってこない。松喜は僕の目をジッと見つめていて、僕とて彼女から視線を外してはやらない。僕が意を決して彼女に問いをかけた。
「松喜は、どっちの世界が正しいと思う?」
彼女は最初、奇をてらわれてポカンとしていたが、やがて口元に手をあてがい、思考の渦に潜り込むように虚空を見つめだした。そのままの姿勢で、彼女は脳内のテキストを握りしめるように、声を発して。
「……答え、られないわ。結論を導き出せるようなお題ではないと思うし、自分の考えていることを、言葉としてひとまとめにするには、あまりにも難しい、質問だから」
彼女の声はいつになく真剣だ。その表情からは苦悶すら窺える。
やがて松喜が顔をあげて、僕たちの視線が交錯する。「でも」と、彼女が力強く言葉を放って。
「その人が『正しい』と思った世界を理想として、それに向かって進む。……そういう『姿勢』自体は誰に奪われるものでもない。誰に否定されるものでもない。それが、その人にとっての『正義』だから。……私はそう、考えているわ」
……その人にとっての、『正義』――
自分から訊いたというのに、僕は彼女の答えを聞いて呆けてしまった。僕自身、答えを用意していなかった二択の問い。『彼女』も似たような答えを言いそうだな。そんな感想がよぎって。
「柳楽くん?」
亜空間に飛ばされてしまった僕の意識がリアルに強制送還された。気が付けば、首を斜め四十五度に傾けている松喜が僕を心配そうに見つめており、僕は慌てて返事を返した。
「あっ、ゴメン。なんかヘンなこと訊いて、ヘンな雰囲気になっちゃったね。深い意味はないから、全部忘れて」
あまりにも一方的な僕の要求、でも松喜は気にするような素振りも見せず。
「ううん、私から始めたようなものだし。帰るのを引き留めちゃって、こちらこそごめんなさいね」彼女はしおらしい所作で前髪を撫でていた。
「それじゃあ、また明日学校でね。……あっ、式部さんとの関係はナイショにしておくから、安心してっ」……いやだから、違うっつーの。
しかし言い訳をこしらえる暇は僕に与えられず、松喜はクルリと僕に背を向けてしまう。
はぁっと再三のタメ息を吐いて、僕もまた帰路を辿る。
松喜の言葉が頭にこびりついて、僕の脳内、一問一答がグルグルと巡っていた。
僕にとっての正義。そんなもの、あるのだろうか。
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