3-3


 全身が深淵に包まれている。


 遥か遠くでポツポツ灯っている街灯と、心もとない半円の月――僕の視覚が頼りにできる光はそれくらいなものだ。何故かというと、僕が今いる場所が今時分、照明を必要としない場所だから。僕は夜の校庭の隅っこに一人ポツンと突っ立っていた。風のない空間、近くに佇む大木は一つもさざめくことなく、薄ぼんやりした輪郭が妙におどろおどろしい。


 僕はあらゆる意味で心が落ち着いていなかった。甲羅をはがされた亀のような心地だ。あまりにも不慣れなシチュエーション。ただ『待つ』という行為にこれほどまで苦痛を感じたことはない。早く、来てくれ。いや、来てほしくもないような。……もういっそ殺せ。


 僕が宵闇に願を懸けたところで、願いはいち早く成就する運びとなる。

 校庭の隅に身体を向けている僕の、背後ろから足音が。

 徐々に、徐々に大きくなり。徐々に、徐々に僕に近づく。

 足音の正体が声を発する。舞台役者のような口調だった。


「こんな時間に学校に呼び出すなんて、一体どうしたというんだ。僕は仮にも学級委員長だよ? こんな不良みたいな真似、誰かに見られたら大変だ」


 『標的』の出現。……間違いない、北条の声だ。僕の背筋に緊張が走る。

 僕は振り返らない。北条は言葉をつづけている。奴の足音が、更に近づいて。


「……もしかしてキミは、僕の気持ちにようやく気がついてくれたのか?」


 僕の心臓がドクンドクンと飛び出しそうだ。僕は戦慄していた。


 『こんなバカみたいな作戦がうまくいっている事実』に。

 『こんなバカみたいな作戦に、バカみたいに引っかかっている北条』に。そして。

 『バカそのものである、自分の状態』に。


「嬉しいよ。月夜の晩に二人きりだなんて、なんだかロマンチックだね」


 北条の声がトロンと溶け出す。……やめろ。お前は何を言っている。その殺し文句は何百年前のものなんだ、殺傷能力が逆に高いから二度と口にしない方がいい。


 しかし北条が僕の胸中など知る由もない。奴は愛撫するような生ぬるい声を重ねて。


「……なぜ何も言ってくれないんだ。照れているのかい?」


 違うわ。吐きそうなんだよ。僕はもう限界だった。シンプルに北条の声を聞いていられなかった。北条がまき散らしている恥は、もはや上塗りする余地すら見当たらない。


「さぁ、その顔を僕に見せておく――」


 僕がクルリと振り返る。眼前には、約一メートル先で満面の微笑みを浮かべる北条の顔。

 そして、奴の声がピタリと止まる。

 僕は心の中で陳謝を漏らした。……ホント、ごめん。


 僕は黙って、北条の顔をジッと見つめている。作られたような笑顔で北条もまた硬直している。そのまま、どれくらいの時が流れたのだろう。半世紀くらいは経ったんじゃないかな。

 やがて、深海の底に沈められたようなトーンの声で北条が。


「……キミは、柳楽くん、かな」

「……うん」

「……なんで、女子の制服、着ているんだ」

「……深くは……、聞かないで欲しい」


 静寂の闇夜が、再び。



 『黒幕狩り』のファーストミッション。僕たちは第一容疑者である北条に対して尋問の場を設ける必要があった。しかし先に式部も言っていたように、およそ警戒視されているであろう僕たち三人の呼びつけを、彼が素直に応じるとは思えない。であれば。


 北条が心を許す相手に『為りすませばいい』のではないか。その着眼点を提示したのは明智だった。


「なぁなぁ、ホージョーってさ、たぶんマツキに惚れてるだろ? 嘘のラブレターでおびき出すの、どうかな? 二人きりで話がありますとか、コクられるんじゃねーかって思わせてさ」


 あまりにも突飛な明智の提案。ギョッと肩をすくめながら僕は脊髄反射で反発した。


「……北条が松喜に惚れてそうだなっていうのは同意だけど、事前に本人に確認されちゃったらバレるでしょ」明智が片眉を吊り上げる。


「いや、さすがのアイツでもそんなヤボなことしないんじゃねーの? ……でも、まぁそうだなー。だったらサシダシニンフメーにすればいいよ。誰からの告白か、わからないようにするんだよ。アイツ、バカだから絶対マツキからだって勘違いしてソワソワするぜ?」


 ……なるほど、一見バカみたいな作戦だけど、意外と死角は少ないのかも――と僕が思い直したところで式部が、「それで呼び出せたところでさ、その場所には実際、松喜さんはいないワケだよね、松喜さんの代わりに私たちが待っているワケだよね。だとしたら北条くん、私たちと接触する前に気づいて、帰っちゃうんじゃないかな」さも当然なる反論を述べる。しかし明智は更なるトリックで翻った。


「北条が近づくまで、マツキだって思いこませればいいんだろ? 待つのを一人だけにして、他の二人は近くに隠れるんだよ。遠くからじゃよく見えねーよーに暗い場所を待ち合わせにしてさ、制服さえ着てりゃあ誰が誰かなんてワカンネーだろ」


 得意げな表情を見せる明智に対して、今度は僕が口を挟む。


「女子の制服……、ってことは、囮はおのずと明智か式部になるよね? 北条がもし本当に黒幕だとしたら、彼は心魔に憑かれているってことになる。真相を問い詰める過程で心魔が具体化する可能性は十分にある。……一応、女の子なんだから、明智を囮にするのは危険じゃないかな」明智はキョトンと意外そうな顔をしていた。僕はつづいて式部に目を向ける。


「戦う術を持っている式部を囮にするとしても、狐のお面が目立つし、髪の毛の色で遠くからでもさすがにバレちゃうと思うんだよ。だから、囮作戦は無理があるかなって」


 僕は明智の身を案じて意見したつもりだった。しかし僕は明智の発想力を舐めていた。

 次に放たれた彼――じゃない、彼女の言葉に、僕は自身の発言を秒で後悔する運びとなる。


「だったら、ヤギラがオレの制服着りゃいいよ。お前、男の割りに髪長いし、ギリギリまで声出さなきゃ、バレないだろ」


「えっ?」僕はマヌケな声をあげる。

「えっっ??」もう一度あげてみるも、明智はニヤニヤと嫌らしく笑うばかり


「や、柳楽くんの、セーラー服姿……ッ!」式部は恍惚した様子で鼻息を荒くするばかり。


 こうして、僕の公開処刑が決定した。


 小柄な明智の制服が、僕のガタイに合うはずがない。ワイシャツの肩幅はピチピチだし、下は超ミニスカート状態。ちなみに一応すね毛は剃った。夜中に一人で。泣きながら。

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