三.
3-1
僕は腑に落ちない顔を顎の上に乗せている。土くれの地面をボーッと眺めながら、社殿の前に設えられた木造の階段に腰を下ろしている。式部の自宅でもある例の神社の境内。昨日の記憶がまだ新しいその景色に、僕は再び訪れていた。
僕の頭上から式部の声が降ってくる。彼女は僕のやや後方で社殿の柱を背もたれにしていた。
「なんだか、ずっと冴えない顔をしているね。作戦が成功するのか不安なのかい?」
僕は顔を上げることもせず、がらんとした空間に向かって声を放る。
「……いや、不安だよ。こんなやり方、本当にうまくいくのかなぁ」
『黒幕狩り』に参画する意思表明をした僕はというと、式部と明智、三人で早速の作戦会議を開いた。ターゲットは、今最も黒幕である可能性の高い北条。
僕たちのミッションは二つ。『北条をうまくおびき出すこと』と、『真相を吐かせる』こと。それらの方法論について、僕たちは放課後の時間を使って作戦を練り上げた。
内容がある程度固まったところで、明智は弟妹の世話があると言って早々に退散してしまう。僕と式部だけが舞台に取り残され、袖にはけるタイミングを失った僕は静寂の時間をただ享受していた。
先に吐かれた僕の弱音に対して、返す式部の言葉はやけに淡々と、サバサバとしている。
「ここまで来たらやってみるしかないと思うね。あとは野となれってやつだよ」
式部の発言はおよそ男らしい。対する僕は再三のタメ息が留まるところを知らず、女々しい。
「……もう決まったことだけどさ、やっぱり僕の負担、重くない? 色んな意味で」
「北条くんが黒幕だとしたら、敵と認識されているであろう私たちの呼び出しに、おいそれとやってきやしないだろうからね。彼の警戒を解くという意味で、明智さんのアイディアは見事だと思うよ。少し邪道だけどね。……まぁそれにしても」
言葉を途中で止めた式部が、プッと噴き出した。
僕が恨めしそうに彼女を見上げると、「ゴメンゴメン、いやでも想像しちゃって」彼女の声は言葉とは裏腹、あまり反省しているようには聞こえない。……まぁ、いいけど。
夕焼け空に藍色が混じりはじめる。頃合いかなと僕は腰を上げた。「僕もそろそろおいとまするよ。作戦の決行は明日の夜八時、事前準備は明智がやるんだったよね?」僕が段取りを確認すると、式部がコクンと首を縦に振る。「それじゃあ」、僕は彼女に背を向けようとして――
「あっ、ちょ、ちょっと」
彼女の声が僕の首根っこを掴む。……なんか、前にも似たようなシチュエーションが――
僕は再び彼女へと視線を戻した。式部は挙動不審に後ろ髪を触っている。
何事であろうか。片眉を吊り上げた僕が細い目で彼女を眺めやっていると。
「あのさっ、柳楽くんって……、リップクリーム、普段使ったりするの?」
……はっ?
やはりというか、またしてもというか。
式部紫乃の質問はいつもの如く脈絡がない。意図を一ミリもはかることができない。
「……いや、使ってないけど」とりあえず僕は杓子定規に回答した。もちろん八の字眉を作ったまま。式部が更に言葉を続けて、「そ、そうなんだ……。あっ、今度、私が持ってる未開封のやつあげるよっ。いっぱいっ、余っちゃっててっ」
……はぁっ??
何を言っているのだろう。何を言い出すのだろう。
僕は眉間にシワを寄せまくっていて、両眉の端同士が接着するレベル。ちなみに式部は何故だか僕の顔面を凝視しており、傍から見たこの状況はきっとカオスだ。
「いや、いいよ」乾いた声でそう返した僕は、ふいによぎった疑問をフィルターも通さずにそのまま彼女へ。
「っていうか式部、狐面外せないのになんでリップクリーム持ってるの? 塗れなくない? 意味なくない?」
「――エッ!?」
露骨に慌て始めた彼女が、例によってシェーのポーズで停止してしまった。しかし秒で硬直を解除させるや否や「コレはだねっ、ソレはだねっ、アレはだねっ」、両手をブンブンと振りながらいつも通りバグり始める。
「ひ、人が見ていない所ではお面、外せるからっ、そういう時に塗っているんだよっ!」
式部が得意げにフフンと鼻を鳴らしながら、僕に人差し指を突き付ける。
なんで『してやったり』みたいな態度なんだろう。こんなにも台詞と整合性の取れないドヤ顔(正確にいうとドヤ面)はついぞ見かけない。っていうか、人に素顔を見せられないならやっぱ意味なくないか。
心の中のツッこみは、心の中だけにしまっておくことにした。それよりも、少しだけ気になった事実について僕は彼女に訊ねる。
「あっ、そのお面、一人の時は外せるの?」
式部がキョトンと首を傾けて「えっ、そうだよ。人に見られそうになると、また勝手にくっついてしまうカラクリなんだよね。……というか、もしかして柳楽くん」
式部が一段低いトーンの声を不機嫌そうに。
「私がずっと、一切の食事も取らず、顔も洗っていなかったと、そう思っていたのかい?」
「うん」
「――ひどいなっ! 私だって人間だからねっ!?」式部がずずいと僕に顔面を寄せながら、腰に手をあててプリプリ憤慨しはじめた。なにこれっ、おもろ。
さっきまでの不安感はどこへやら、すっかりと毒気を抜かれてしまった僕は思わず、プっと噴き出してしまう。「あのさ、前から思ってたんだけど」
安寧にほだされた僕は、緩慢した声を春夏の風に乗せて。
「式部ってかわいいね。お面被っているけど、他の人よりもよっぽど表情豊かと言うか」
「……かっ、かわッ!?」
相変わらず式部はリアクションがでかい。彼女が両手を狐面の頬にあてがいながらずぞぞっと僕から身を引いた。……いや、そんな大層なことを言ったつもりは――彼女と僕と、摂氏温度100くらいの差を感じた。僕は細い目つきで式部の様そうを眺めやっており、ちなみに彼女の耳は煉獄に染まっている。
やがて式部が、プルプルと全身を震わせ始めて。
「やっ……、やっ……、やっ――」
――やっ……?
「――やめてよっ! もうっ!?」
パーンッ、と。振り上げられた彼女の右掌によって、僕の頬は引っぱたかれる運びとなる。
式部はそのまま脱兎のごとく去ってしまった。一切の加減がない力学に全身が吹っ飛ばされた僕はというと、土くれの地面で大の字に寝転がりながら、燃えるような顔面の痛みをただただ受け入れながら。
……女子、むずっ。
夕暮れ空を駆けるカラスに、「アホウ」とののしられた気さえする。
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