2-5
彼女の発声は凛としていた。答辞を読み上げるようにまっすぐだった。
「黒幕は気づいてしまったんだ。『停滞』の心魔による支配の力が、私たちに通用しないことをね。黒幕は明確な意思を持って、私たちを学園から……、『停滞の御代』から除外しようとするだろう。先の『学級裁判』とやらが、その第一手だったんだと思うよ」
ああ、そうか。僕と明智が罠にかけられた理由が、ようやく腑に落ちる。
明智は元々、クラスの連中に対して反発するような態度を取っていた。そして僕は、例の『町内清掃』の際、明智をかばう形で反対意見を述べた。黒幕にとって、僕や明智のような『イレギュラー』は存在自体が邪魔なんだ。そして『学級裁判』の時に、僕たちに助け船を出した式部もその対象に。
「でも、先の『学級裁判』では君たちに有罪判決は下されなかった。黒幕は失敗したんだ。敵が次、どんな強行手段をとるかもわからない。だから、先手を打ちたいんだよね。……それには、私一人だと少々手に余ってしまってね。協力者が欲しいんだ」
式部が右手を僕たちに差し出して。
「黒幕から支配の力を失わせることは、キミたちが高校生活をつつがなく送るための糧とも為りえる。そして、私は私の大義のために、心魔を斬ることができる。『黒幕狩り』は、互いの利益が合致しているんだよね。悪い取引じゃあないと思うけど?」
式部が窺うように首を傾けた。紅い眼に見据えられた僕は言葉を窮してしまう。
悪い取引じゃない。彼女の言い分は一理も二理もある。確かにそう、なんだけど――
僕は逡巡していた。ありていに言うとグズグズしていた。そしてグズは、早々に置き去られるのが世の常というやつである。
「いいぜ」式部の提案に対して、明智が秒で即答していた。彼は快活な声をあげながら、振り上げた右手で彼女の掌をぱぁーんっと思いっきりひっぱたく。たぶん式部は握手を求めていたんだろう。軽くギョッと驚いていた。
明智が得意げに鼻をすすりながら、ニヤリと口角を吊り上げながら。
「まぁオレは、『シンマ』だかなんだかは、ちょっとよくわかってねーけど。……『クロマク』っていう、うちのクラスの悪の親玉ってさ。今一番アヤシーの、ホージョーだろ? 現に『学級裁判』でオレらをハメよーとしてたの、アイツだし」
……普通に考えたらそうだよな。
僕の見解は明智と一致していた。というか、容疑者としてあげられそうな対象が彼以外に思いつかない。式部にも思う節があるのだろう「……まぁ、今のところ可能性が高いのは彼だけど」明智に叩かれた掌をヒラつかせながら同調の意を見せた。明智がキシシと笑う。
「だろ? 今度またなんかの悪だくみで、校則違反とか言われたらたまんねーし、アイツをボコボコにするタイギメーブンができるんだったらよ。オレはいくらでも協力してやるよっ!」
「いや、ボコボコにするのが目的ではないけれど」式部が困ったような声をあげ、「でも、その気持ちは嬉しいよ。ありがとう」フフッと、声を綻ばせた。
「ヤギラも乗るだろ? 退学にされちゃあ、お前も困るだろうし」振り返って僕を見る明智の顔は相変わらずあどけない。あまりにも無垢で視線を逸らすことができない「ええと」僕はとりあえず口をごもらせたあげく。
「……ちょっと、考えさせて、欲しい、かも」
明智から顔を背けて、弱々しい声をこぼした。
問題を先送るようなその回答は、およそ男らしくない。そんなこと自分でもわかっている。
わかっては、いるけど。
ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ
ゴ、メ、ン、ナ、サ
咲月が懺悔を奏でる。
僕の頭の中で。ノイズの混じった歪な音域で。
僕が二の句を継げずにギュッと唇を結んでいると、「へっ? なんで?」明智がポカンと口を開けてポカンとした声をあげた。僕は彼に返事もせず、あさっての方向に視線を逃すばかり。
僕の心中を察してくれたのだろうか。式部が、「決断は今すぐでなくてもいいよ。心魔と対峙することは、少なからず身に危険が及ぶ可能性があるからね。強要はしない」ひょうひょうと、でもどこか柔らかい声を僕にかけた。
「うん、ゴメン……」僕は再三、覇気のない声を地面に落とす。
幾ばくかの沈黙が流れて、「あっ」と静寂を見限ったのは明智だった。
「オレ、そろそろ行かなきゃ。スーパーのタイムセール、終わっちまう。……とりあず明日あたり、また集まって作戦会議しよーぜ。じゃなっ!」彼はそう言うなり、ブンブンと大仰に右手を振った後、クルリ僕らに背を向けてその場を去った。
取り残された僕たち二人の間を、春夏漂う虫の音が抜ける。
「それじゃあ僕も、このへんで……」僕は逃げるよう式部に背を向けると、「あ、ちょ、ちょっとまだ、聞きたいことが――」彼女の声が僕の襟首を掴んだ。
「何?」僕は振り返った。何故か式部は地面に顔を落としており、くねくねと身体をくねらせている。……ん? なんだその動きは。
僕の頭上に疑問符が舞うのは必然だった。そして次の瞬間。
「や、柳楽くんってさ、明智さんと……、付き合ったり、しているの?」
驚愕のヒトコトが、僕の脳天をグラリと揺らす。
「――へっ……?」
いつぞやの、威風堂々たる様で心魔の首をぶった斬った彼女はどこへやら。
眼前の式部はというと、上目遣うように僕の顔をうかがっており、両手の人差し指を胸の前で合わせて無駄にもじもじとしており、ありていに言うと、いじらしい女子高生そのものであった。何が彼女をそうさせているのか僕は知る由もない。知る由もない僕は、阿呆のように口を開け放つくらいしかやりようがない。
……っていうか――
「いや、そんなワケないじゃん。何言ってんの? なんでそう思ったの?」
僕は疑問符の弾丸で彼女を狙い撃ちにした。彼女は相変わらずもじもじと、「いや、だって、お昼一緒に食べているみたいだし、仲、良さそうだから――」彼女の声はどこか萎れている。そして僕は、彼女がその推察にいたった真意を未だ測りかねていた。
「……まぁ明智は、僕が唯一話すクラスメートだけどさ。別に僕、そういう趣味ないし」
僕は別段、おかしな戯言を宣ったつもりはない。だけど式部が「えっ?」と驚くように顔をあげた。……なんだろう、さっきから彼女のリアクションがおかしい。
しかし僕の疑念などお構うことなく、式部がなにやら焦ったような声を。
「そういう趣味って……、柳楽くん、恋愛の類に興味を示さない人なのかい? そういう、主義なのかい?」
「主義もクソも……、まぁ、他の同年代の連中よりは恋沙汰に目は向かない方だとは思うけど、そういうことじゃなくてさ」僕は幼子を諭すような口調で。
「同性である男を恋愛対象に見たり、僕はそういう人じゃないよって、そういうこと」
僕が言い切ると、式部がピタリと硬直してしまった。なんだ、なんなんだ一体。
僕は、空中をすれ違うように無為なやりとりに辟易していた。
でも次の彼女の一言――本日二度目、僕の脳天が先ほどとは逆方向からグラリと揺れる。
「ああ、柳楽くん。キミは勘違いしているようだけどさ。明智さんは女の子だよ」
「えっ?」あまりにも間の抜けた僕の声が。
「――えぇっ!?」晴天を貫かんばかりに空間を揺るがした。
待て、マテマテマテマテ、まて。
グルグルと、僕の脳内では明智とのやり取りが逆回し再生されていた。三倍速で。
「――あ、アイツ、自分のこと『オレ』って言ってない?」
「なんでかは私も知らないけど、一人称をどうするかなんて個人の自由じゃないかな」
「――ほ、北条! 確か明智のことを『クン付け』で――」
「あぁ、北条くんは男の子にも女の子にも『クン付け』だからね」
「――む、胸! 明智、ぺったこんじゃんッ!?」
「……それを彼女の前で言ってはいけないよ。決して駄目だよ」
僕が放った疑問符の弾丸を、式部は全てを素手で掴みとってしまう。
そして。
「ややこしいわっ! 勘違いしない方が無理あるだろっ!?」
僕はいよいよ地面に両膝をついた。
……男の割りにやけに背が低くて、やけに声が高いなと思っていたけど。果たして。
男じゃなかったのなら全て合点がいく。奴はショタではなくロリータだったというワケだ。
「だ、大丈夫かい?」僕の頭上から慌てたような式部の声が。
大丈夫かどうかと問われれば大丈夫ではない僕だったが、「……へ、平気だよ。アハハハハッ」壊れた様に笑う僕の顔面は誰の目からどう見てもバグっていた。
僕はフラフラと立ち上がった。薄ぼんやりとした視界のさ中、何故だか式部が胸に手をあてている「よ、良かった。そんな勘違いをしてたってことは、想い合っているワケじゃ、ないんだね」何故だか声を撫で下ろしていた。
僕の胸中を一抹の疑問が巡る。思考能力が著しく低下している僕は、疑問符をそのまま。
「えっ、なんで『良かった』なの?」何の気なしに聞いたつもりだった、でも式部が。
「――エッ!?」
普段の彼女とは思えないような大声と共にのけぞりはじめた。片足を上げながら折り曲げて、両手を天に向けながら折り曲げて、いわゆるシェーのポーズを取っていた。彼女の驚愕に僕の方が驚嘆を強いられた。彼女のソレが伝染るように僕も「えっ」と間抜けた声を出す。
狐面のヴェールに隠された彼女の表情を僕は知る術を持たない。でも銀髪おかっぱから覗き見えた彼女の耳は、死ぬほど赤かった。……この子、どうしちゃったの。
「いやっ、そのっ、あのっ、コレはだねっ、ソレはだねっ、アレはだねっ」
もはや言うまでもないだろう。彼女は胸の前で両手をブンブンと振っている。今回に関して言うと、首もブンブン振っている。彼女の声が空気中を錯綜した。
「私だって、女子高生だしさっ、人の恋路が気になるんだよっ、そういうお年頃なんだよっ」
……はぁっ? 式部の言動は、誰の目から見てもどの角度から見てもおかしい。
僕は片眉を限界まで吊り上げながら彼女の顔を凝視していた。でも僕は、僕たちの顔面の距離が鼻先三十センチメートルくらいまで接近している事実に気づけていない。
式部がピタリと硬直して。ワナワナと震えた声を。
「ちっ……、ちっ……、ちっ――」
――ちっ……?
「――近いよっ!?」
どーんっ、と突き出した彼女の両手に、僕の五体はぶっ飛ばされる運びとなる。
「――御免。本当に御免。恥をまき散らしたあげくこの愚行。私はもう生きていてはいけないよ」
再三の土下座を披露し終えた彼女が、神社の社殿にひっこんだ。かと思うと、彼女がいつも帯刀している心魔とは別の――本物らしき日本刀を持ってくるなり、制服の上着とシャツを脱いでさらし姿を披露する。僕は彼女の胸元に釘付けになり、ええと推定カップ数は――ってそんな場合か。
「腹を切って、詫びるしか」
刀の鞘に手をかけた彼女を、僕は全身全霊で止めた。
冷静を取り戻した式部は、おずおずとワイシャツのボタンを止め直しながら「この数分間のできごとは全て忘れてくれ。特に見たものは忘れてくれ。私も、水垢離で邪念を払うことにするから。それじゃっ」
式部が疾風のごとく僕の元から立ち去り、神社に隣接されている自宅へと消えていく。
心魔に関する疑問に関してはおおかた晴れた今日ではあったが。
……ブラじゃなくて、何でさらし巻いてんだあの子。
式部紫乃に関する謎は一向に晴れる気配が見えないもので。僕はしばらく彼女の存在が頭から離れなかった。
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