第2話 通勤
電車の到着のサイレンが響く。
人込みに紛れて車内に乗り込む。
スマートフォンで音楽のボリュームの調整を行う。
地下鉄の窓の先は黒い。
時刻を見ると出社の25分前だった。
皮膚の毛穴から濃度の高い汗がじわりと染み出してくるのを感じる。
混雑した電車では気温と湿度に関わらず、極端に近い他人との距離の影響で身体に明確に不快のサインがあらわれる。
思えば、今の職に就いた動機は肉体労働ではなく、他人と多く話す必要性が少ないことからだった。
冷静に考えると電車通勤がもっとも過酷な、それも心を削る肉体労働ではないだろうか。
親族ともとらない距離を見知らぬ他人の群れに囲まれた車内の中で、叫び声が聞こえた。
声の主は女性らしい。
距離は車両の半分向こう、10メートルほどの人の頭の群れから聞こえた。
続いて、男性の怒号の声。
車内の人の共通認識としてただならぬ事態ということが一瞬にして伝播された。
緊急停止のボタンが押されたようだ。
車掌のアナウンスが流れ、電車が止まる。
ふと鼻についたのは、血の匂いだった。
電車から飛び出る人々。
外は地下鉄の線路のようだ。
自分も人込みに飲まれながら飛び出ようとしたとき、足をくじいてしまい、倒れこんでしまった。
汗だくでパニックになりながら、次々と自分を乗り越えて外に出ていく人々。
自分の身体がまったく思うように動かない。
スマートフォンを経由してイヤホンから流れる音楽のボリュームは電車の走行音に合わせて大きく設定してある。
流れる汗と大きい音楽に目の前が真っ白になりながらふと横を見上げると男が立っていた。
そして横たわり、うずくまっている人が2人。
男はまっすぐこちらを見据えて近づいてくる。
黒いダウンにジーパン、縮れた髪には何日も風呂に入っていなさそうなしけった油みがあった。
手にはナイフを持っていた。
男が目の前に立ち、手を振り上げた。
その瞬間、横から黒い物体が突如男に突進し、男を吹き飛ばした。
くじいた足をひきずり、重い身体を起こして振り返ると、どうやら黒い物体の正体は人のようだった。
それも女性。
くじいた足の痛みと鳴り響く音楽と朦朧とする意識の中でそれだけを認識すると目の前が何も見えなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます