第18話
藍川紫苑は、天才子役などではない。
それは自分が、一番よく分かっていた。
お父さんと、お母さんは役者で、私は、その真似をしていただけ。
だって、二人とも、褒めてくれた。
すごい。天才だ。って、言ってくれた。
すごく嬉しかった。
お仕事で忙しい二人も、私が役者の練習がしたいと言えば、休む時間を削って、私に教えてくれた。
教えてもらった事を忘れないように、また褒めて貰えるように、何度も繰り返して練習をした。
それを、二人に見せる。
褒めて貰えば嬉しくて、もっとこうすれば良いよ。と言われれば、次はもっと褒めてもらえると思って、必死になって練習した。
毎日、私は自分の家を舞台にして、役者を演じていた。
そうしていると、私は、本物の役者になったらしかった。
知らない人たちの前で、知らないお客さんたちの前で、演技をした。
皆、私の事を、天才だと言って褒めてくれた。
嬉しくて、誇らしくて、もっと、練習した。
ここはこうすれば、もっと良い。ここはこうしたら、ダメ。そう言うのも、自分でも分かるようになってきて、上手に練習が出来るようになった私は、皆に一層、褒めて貰えるようになった。
嬉しくて、嬉しくて、私は、自分は本当に天才なんだと、勘違いをした。
そして、彼女に出会った。
今では、映画で、テレビ番組で、コマーシャルで、見るだけの人。
今も、役者で居続ける人。
私みたいな偽物とは違う、本物の天才と、私は出会った。
彼女の演技は、圧倒的だった。
他の子役の誰にだって、劣っているなんて思った事は無かったけれど、彼女にだけは勝てないと、一目で分かった。
演技の質が、まるで違った。
私は、知らない役を、少しづつ知って、それらしく見える様に、練習を積み重ねて、本物そっくりの役を作る。
彼女は違う。
彼女は、そのままで、役に成りきってしまう。
感性型の天才だと、周りの人は言っていた。
合わない役はどこまでも合わないけれど、合う役なら抜群。
そう言うタイプの天才子役。
私は、それこそが本物の天才だと、直感的に理解した。
彼女と私が一つの役を取り合ったら、絶対に勝てないと、すぐに分かった。
私は、もっともっと、練習する事にした。
私が天才子役であると言う事を、嘘にしたくなかった。
だって、私の事を天才だと言ってくれる人がいる。
お父さんと、お母さんと、他の役者の人たち、監督、お客さん。
皆、天才子役である藍川紫苑に期待してくれている。
私はもう、自分が天才だとは思えなかったけれど、私がそう思えないからと言って、頑張らない理由にはならない。
期待を、裏切って良い理由にはならない。
頑張って、頑張って、頑張って、練習して。
どれだけ練習しても、彼女ならば、もっと上手に見せると、痛感させられた。
けれど、周りの人たちは、素晴らしい演技だったと、私を褒めた。
そんな訳ない事は、私が一番分かってた。
だって、どう考えたって、彼女の演技の方が素晴らしい。
自分ではもう、これ以上に上手に演技をする方法が分からなかった。
だから私は、お父さんに、お母さんに、他の役者さんに、監督に尋ねた。
どうやったら、もっと上手になれますか。
皆、同じような事を言った。
もう十分上手だ。みんな満足してる。心配ない。
そんな訳あるか。私は下手くそだ。少なくとも、彼女より下手だと、私は知っていた。
誰に聞いても、何度聞いても、答えは大して変わらない。
どうしてそんな嘘を吐くのだろう。
以前はもっと、教えてくれた。
考えて考えて考えて。
みんな本当は、私の演技なんか、どうでも良いと思っているのではないだろうかと思った。
そう思うと急に、舞台に上がるのが怖くなった。
天才だなんだと持ち上げられて、良い気になって、下手な演技をさらす為なんかに練習している、見ているだけで笑いが込み上げてくるような滑稽な役者だと、私の知らない所で、嗤われているのではないか。
素晴らしい演技の期待なんか、もう、されていないのではないか。
だって、私よりもずっと上手な、彼女が居るのだから。
私なんか居なくたって、誰も困らない。
そう思うと、辛かった。
怖くて、苦しくて、涙が出た。
でも、両親が応援してくれていたから、頑張って、練習をした。
他に、やり方を知らなかったから、練習をした。
お父さんとお母さんのやり方だったから、練習をした。
作った役が勝手に動くくらいにならなければだめだと思って、練習をした。
けれど、彼女みたいに、役に成りきるなんて、私には出来なかった。
私という人間は、どれだけ練習を繰り返したって私だし、彼女にはなれないし、役にだって成りきれない。
台詞は飛ぶし、動きはめちゃくちゃになっただけだった。
頑張らないと、誰も褒めてくれないに違いないのだから、頑張らなければならない。
けれど、その両親だって、もうやめて良いと、私に言った。
もう、頑張る事すら期待されていないのだと、私には分かった。
頑張る理由が無ければ、私はもう、頑張れない。
褒めて貰えないなら、私が頑張りたい事すら認めて貰えないなら、頑張る意味がない。
役者の藍川紫苑は、それで終わった。
だから藍川紫苑は、舞台には上がれない。
舞台が怖くて、人が怖くて。
そして自分が傷つくのが、一番嫌い。
頑張れないのだと自覚するのは、情けなくて辛い。
期待に応えられないのは、申し訳なくて悲しい。
好きな人に失望されるのは、何よりも耐えられない。
頑張って、頑張って、頑張ったのに、それに何の意味も無かったなんて、思いたくないし、思わされたくない。
もう二度と、そんな経験はしたくない。
そのような事を、紫苑は泣きそうな顔で言った。
私と違って強い子だって、私とは違う、自分で頑張れる人なんだって、私は知ってた。
言えと言われたなら、たとえ、嫌だな言いたくないな、と思う事も言える。
やれと言われたなら、たとえ、嫌だなやりたくないな、と思う事も出来る。
誰かに期待されていると言う、たったそれだけの理由で、それが出来る。
自分のやりたい事しかできない私とは違う。
けれど、誰かに応援してもらえたなら、認めて貰えたなら、嬉しい。
そこは、私も紫苑も、同じらしかった。
初めから何でも上手にできる人は居ない。
だから、頑張って、努力する必要がある。
頑張るのは辛い。
期待に応えられないで居るのは、苦しい。
他の人には出来るのに、自分には出来ないと言う事は、それだけで情けなくて、悲しくて、泣けてくる。
だから、頑張ったら褒めて欲しい。よくやったと認めて欲しい。
誰かにそう言って貰えるから、耐えられる。
辛くても我慢できる。苦しくても堪えられる。涙を流した事だって、忘れられる。
後になって。ああでも、そんなに悪い物でもなかったって思える。
私はそれを知ってる。
でも、その様子を目の前で見せられる方は、たまった物じゃない。
だって、大切なのだ。好きなのだ。
そんな人が、苦しくて悲しくて情けなくて泣いている姿なんて、想像だってしたくないに決まっている。
泣き顔より、笑顔の方がずっと魅力的だなんて、当たり前の事。
けれど、苦しいのも、悲しいのも、情けないのも、全部本当に感じた事だ。
都合よく無かった事になんかならない。
頑張っても、上手くいかない事もある。
苦しいのを我慢しても、報われる保証はない。
情けない思いを抱えたまま、ずっと思い悩まなければならないかもしれない。
自分ですら嫌だと思う事を、どうして他の人に、他ならぬ紫苑に、無責任に頑張れと言えるのか。
誰かを応援する事は、怖い。
良く知る相手であればあるほど、大切な相手であればあるほど、応援するのは恐ろしい。
けれど、紫苑は、私を応援してくれた。と、私は思う。
考えすぎかもしれない。馬鹿の考え休むに似たりともいう。
私の勝手な勘違いかもしれない。ただ私が求めていたから、紫苑の口にした言葉を、応援されたと、自分勝手に受け取っただけかもしれない。
もしかすると、私と言う存在は、紫苑にとって取るに足らない、どうでも良い存在なのかもしれない。だから、無責任に応援できたのかもなんて、いまさら、思わなくもなくもない。
今の私みたいに、沢山余計な事を考えて、それでも。と応援する事を決意してくれたのかもしれない。そうなら、とても嬉しい事だ。
まあでも結局、どれでも結果は同じ事。
紫苑が私の事をどう思っていたとしても、私は、紫苑の事が好きだし、大切だ。
私は、紫苑のお陰で、頑張れた。
それも、私にとって、一つの事実。
だから、私には、やりたい事がある。
すると決めた事がある。
そのせいできっと、紫苑は辛い思いを強いられる。
もしかすると私は、紫苑に嫌われてしまうかも。
ああ、それは嫌だな。やりたくないな。言いたくないな。なんて思う。
でもやりたいのも本当だから、やる以外ない。
紫苑みたいに、なんでも頑張るなんて、格好良い物じゃない。
紫藤紅葉は馬鹿なので、自分のやりたい事が最優先。
もっと賢い方法が、あるのかな。なんて思う。
でも私は馬鹿なので、そんな方法、分からない。
よし、やるか。
有言実行なんて言葉は嫌いだけれど。
思っているだけで、言葉にも、してはいないのだけれど。
なんだか、好きで始めた事なのに、何かに、自分で?強いられている様な気がするでしょう。
私の『好き』を貶める言葉の様な気がして、好きになれない。
でもやります。
やらない事こそ『好き』への冒涜だ。
本当に、紫苑にとって、私が、好きな人であったなら。
とても嬉しい。
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