第13話


 一瞬。

 自分の口から出た言葉かと疑った。

 でもやっぱり、紅葉も、私と同じように思っていたのだとわかる。


「紫苑、座って」

「あ、うん」


 紅葉が寄せてくれた椅子に、慎重に腰を下ろす。


「白井、早う机と道具用意しぃ」

「私の扱いだけ雑くない?気を使って待ってたんですけど!?」

「そら、ありがとう。黒田もよろしく」


 悲しみに暮れる時間も無く、その資格が無い事を噛み締める時間も無く。

 私の周りで三人の女の子がせわしない雰囲気で動き出した。


「あいよ。さあ、藍川さん、どんな感じにします?」

「どんな感じって」


 言われても、何が何やら。


「髪型。藍川さんの髪の毛は長くて綺麗だから、長さは生かしたいでしょ?横、編む?編んじゃう?我ながら良いと思う。紫藤はどう思う?」


 黒田さん(まだ、確信が無いけれど、たぶん)が、私の後ろで言った。


「ん~。よさそうやん?」

「藍川さんは、どうしたい?」


 紅葉が少し考える素振りを見せて、同意する。


「え、あ。良いんじゃないでしょうか」

「黒田、分こてると思うけど」

「派手にはしない。素材を引き立てる感じで」

「よろしゅうな」

「おけ、大丈夫。じゃあ、藍川さん。そんな感じでやりますね」


 鏡越しに見る黒田さんは、手慣れた感じのする笑顔で言った。


「はい、ちょっと前失礼しますよー」

「え、なに?」

「紫藤」

「なん?」

「藍川さんクソ美人」

「当たり前やろ」


 椅子に腰かけた私の顔を覗くようにかがんだ白井さん(たぶん)と、少し離れて後ろに立つ紅葉が言葉を交わす。


「これ、変にメイクしない方が合うんじゃない?」

「斜め左右からスポットライトが当たるねん。陰影が消えてまいそでな」

「なるほど。素材の良さを殺させないための照明映え用メイクね、了解。藍川さん、ちょっと前掛け掛けるねー」

「あ、はい」


 化粧用の大きな前掛けが、私の首に回される。

 私は今、何をされているのか。

 何が何だかさっぱり分からない。


「紅葉?」

「なに?」

「いや、何は私の台詞でしょ」

「ごめん藍川さん。薄ーくだけど下地塗るから、ちょっとお喋り我慢して?すぐ終わるから。はい、目閉じて」

「あ、はい」


 何これ。

 私何されてるの?

 いや、何をされているのかは、分かる。

 化粧だ。

 同時に、髪の毛を編まれてもいる。

 けど、そういう事ではなく。

 何のために、そんな事をされているのか。

 という事が、私にはさっぱり理解できなかったのだ。




 私が話す許可を与えられたのは、三十分ほどたってからの事だった。


「よし。藍川さん。もうええよ。待たせてごめんね」

「いえ」


 すぐ終わるから。の、すぐ、は全然すぐじゃない。

 黙って姿勢よく座っているだけ、と言うのは、案外疲労するものである。

 返事に張りがなくなっていたとしても、誰が私を責められようか。

 なされるがまま、前掛けを外され、忙しく片付けを勧める二人を少しだけ眺めて、膝に力をためる。


「で、紅葉?」


 そうして私はようやっと席を立ち、紅葉に向って尋ねる事が出来る。


「なに?」

「なに、は私の台詞でしょう。これ何」

「可愛いで?」

「違う。そうじゃないだろ」


 何のためにこんな事をしたのか。そこを、私は聞きたいのだ。

 化粧だの、ヘアメイクだの。

 紅葉は、意味も無く無駄な事をやるような人ではない。

 忙しい人だ。

 常に、仕立てについて考えていると言っても過言ではない。


「あ、紫藤。靴ここね。いろいろ、って言っても三つだけど、良さげなの選んで」

「ありがとう、助かるわ。流石に上履きやと締まらんしなぁ。払いは?」

「後日で良いよ」

「わかった」

「じゃあ、あたしら、先に行ってるから。なんかあったら連絡して」


 てきぱきと、必要な連絡を済ませたのか、黒田さんと白井さんは、さっさと第二家庭科室から出て行ってしまった。


「ほんとに、なんだったの」


 二人を視線だけで見送って、紅葉に向き直る。

 その途中、ちらと、姿見が視界の端に入った。

 自分がどうなってしまったのか、まだ確認していないから、怖いもの見たさもあって、見てしまう。

 薄く化粧を施され、ヘアメイクまでされた私は。いよいよ、モデルもどきじみていて、自分の姿を見ている筈なのに、他人を見ている様な気がして、その違和感が、正直、気持ち悪かった。


「紫苑」


 紅葉に呼ばれ、姿見から視線を外す。


「これから紫苑は、ミスコンに出ます」


 紅葉は至極真剣な表情で、そんな、理解に苦しむ事を言ったのだった。




 美人品評会ミスコンテスト

 名は体を表し、意味は読んで字のごとし。

 人を集めて行う催し物の中でも、かなりポピュラーな催しの一つ。

 参加者集め以外、苦労するような準備も無く。

 準備にお金もかからない。

 そのくせ、集客力に優れたイベント。

 どこの学園祭でも、必ず企画段階でやるかやらないかの議題に上がり。

 学校によっては、もしかすると、毎年恒例のイベントになっていたりする。

 我が校でも、毎年、行われては、いる。


「なんて?」


 ミスコンを知らない訳ではなかった。

 ただ出来れば、聞かなかった事にしたい言葉である。


「あれ、ミスコン知らんの?毎年やってるやん。それに出て、優勝します」

「意味がわからない」


 しかも、なんか、優勝だとかいう変なワードが増えてるし。


「出ないよ」


 出れる訳がない。


「そういうのええから」

「絶対出ない」


 照れだとか、羞恥心だとか、人と比べられて負けるのが嫌だとか、そう言う当たり前の感情も、当然ある。

 けれど、そうじゃない。


「無理だから」


 本心から、本気で言った。


「出たら、勝つ」


 紅葉も、どうやら、本気で答えた。

 私が勝つと思ってくれている事自体には、嬉しくも思う。

 けれど、それは、実現不可能な事に違いなかった。

 藍川紫苑は、もう二度と、舞台に立つことはない。

 藍川紫苑は、もう二度と、人前に立つことはない。

 藍川紫苑は、舞台の上に立つ資格なんて無い。

 私は、舞台が。

 他人が。

 怖いのだ。

 親友である紫藤紅葉の頼みでも、それだけは、絶対に出来ないのである。


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