第12話


 私が頷くのを見て、紅葉は出入り口を塞ぐように立つ二人に目配せをした。

 二人は後ろを向いて、『何も見てません』というポーズを取った。


「え、今?」


 帰ってから、とかでなく?ここで、着替えろと?


「今着ないで、いつ着るん?」

「えー」


 まあ、紅葉が着ろと言うのなら、着ますけど。

 本音を言えば、少しくらい、最後に浸る時間がある時に、着たかった。

 私の部屋か、紅葉の部屋か、落ち着ける所が良かった。

 出来れば、他に誰もいない所であれば、そっちの方が良かった。

 だって、このワンピース自体は、すごく良いな。と思うのだ。

 着たい服と、着れる服は違うものだけれど、私に似合う似合わないは別にして、すごく可愛い。

 こんなすごい服を着てしまったなら、それを私の親友が仕立てたのだと思ったら、間違いなくテンションが上がる。

 上がりすぎて、変なテンションになる。

 変なテンションを晒しても大丈夫な状況であれば、例えばもし、思わず涙を流したりとかしてしまっても、言い訳は幾らでも出来る。

 だって、最後だ。

 そうなってしまったとしても、許されると思う。

 でもそれは、あくまで、他人の目が無ければの話。

 何でわざわざ、他人の前で恥をさらさなければならないのか。


「寝間着にする?」


 紅葉の声色には、冗談味が多分に含まれていた。

 紅葉がマネキンから手早く服を脱がせる。

 その手際は、私の体で覚えたものだ。そう思うと誇らしい。


「もったいない」


 思わず出た言葉だったけれど、ほんと、それだ。

 紅葉手製のワンピースドレスを寝間着にするなんて、惜し過ぎる。

 それと、最後と決めたマネキン役も、正直もっとゆっくり落ち着いて果たしたかった。

 二つの意味で惜しい。私、上手い事言ったかもしれない。

 気を改めて、カーテンを引こうと思って、既に閉められていた事を思い出す。

 出入口を塞ぐ二人は、廊下側を向いていて、私達に背を向けたままだった。


「そやな。これはちょっと、今着て貰わないと困るから」

「?」


 とにかく今ここで、私がワンピースに着替える事は、紅葉の中で決定事項であることは、間違いないようだった。

 紅葉の言葉の意味は良く分からなかったけれど、とりあえず、誰かに着替えを覗かれる心配はない。

 いろいろと、気になる事は、あるにはある。

 けれど、今大事なのは、最後と決めたマネキン役を、きちんと果たす事だ。

 一応最後に、入り口を塞ぐ二人を見る。

 二人は変わらず廊下側を向いていた。

 下着姿なんて紅葉にこそ見せ慣れているけれど、他人に見せたいと思う程、自慢の体でもない。

 見せずに済むなら見せずに居たい。

 制服を脱いで、適当に畳んで避けておく。

 紅葉が、ワンピースを広げて持って、私の前に立つ。

 広げられたワンピースを見る。

 背中で留め合わせて着るタイプのワンピースだけれど、首の後ろからスカートの下まで、全て開ける様になっている、変わった形状だった。

 広がると、幅広の砂時計に少し似た形。

 しかし留め紐の数は多く、腰から下なら自分で結べるかもしれないけれど、背中、首の後ろなどは、よほど肩が柔らかい人でなければ、自分一人では結べそうにない。

 服の簡便性も考慮する、紅葉らしからぬ形状だった。


「へんな形」


 言いながら、ワンピースの袖に腕を通す。

 作りは単純に思えた。

 袖を通せば、肩の位置を合わせて、背中側の留め紐を結ぶだけ。


「紫苑の尻が育ったからやなぁ」

「今それ関係あるの?」


 少しからかうような雰囲気を感じて、私は食って掛かる。

 紅葉が、地雷ワードさえ口にしなければよいと思っているのだとしたら、もう十年近い気安い付き合いを舐めているとしか思えない。

 まあ。二人揃ってお喋りは好きだから、話のとっかかりとしての軽口だと、そのあたりは私も紅葉も、よく理解している。


「伸縮性がない亜麻布やし」

「いや、亜麻布は伸びるでしょ」


 私と紅葉の主な遊び場である紅葉の部屋には、生地サンプルも一通り揃っていた。

 面白半分で、生地を弄繰り回した事もあった。懐かしい。

 亜麻布(リンネル)と言えばたしか、その名の通り、亜麻由来の植物性繊維。独特のマットな質感を持ち、吸水性と通気性に優れた生地。だったはず。

 紅葉に作って貰った私のエプロンも、亜麻布製だ。

 派手さが無い、落ち着いた印象の生地である事が気に入って、紺色のお手伝い用エプロンを作って貰った事がある。(余談だけれど、紅葉は赤のエプロンを自作した)

 あのエプロンは、引っ張ればある程度は伸びた気がする。


「亜麻自体はそもそも伸びんし、この生地も伸びん」

「なんで?」


 同じ亜麻布なら、違いがあるのはおかしいと思う。


「織目がぎっちぎちに詰まってるから。普通の亜麻布は緩めに織るから、引っ張ると織目の形が崩れて伸びるように見える。でもこの生地に、そんな隙間は無い」

「織り方一つでそんなに変わるの?」

「全然別物やで?」

「そうなの?」

「そうやで」


 やっぱり、少し学んだ程度で、全て知った気になるのは良くない。

 その道のプロ(紅葉はまだ、セミプロ?)に比べれば私は、何にも知らないに等しい。

 なんて思いながら、腰あたりの留め紐を後ろ手で一つ二つ結ぶ。

 上と下は、無理だった。

 仕立てが私の体のラインにぴったり合ってしまっているせいで、体を曲げるのが、すごく怖い。

 伸縮性の無い生地と聞いてしまえば余計に、縫い合わせや生地自体をビリッとやってしまうのが恐ろしい。

 頑張れば結べるのかもしれないけれど、一人で結ぼうと頑張って、ワンピースをダメにしてしまっても嫌だ。

 屈んでビリ。なんて絶対トラウマになるに違いない。

 自然と、背筋が伸びる思いがした。


「これ、ほとんど結べないんだけど」

「私がやる。髪の毛、上げててな」

「ん。なんで一人で着れない造りなの?」


 自分の髪の毛の房を捕まえて避け、紅葉に尋ねる。

 どのような形状が着やすいか、なんて話も、沢山したというのに。


「デザインに拘りたかったから、簡便性は、無視したんや」

「無視って、そういうの、珍しいね」


 紅葉が勝手に仕立てる私用の服の中には、着やすさに劣る物も幾つかあった。

 けれど、完全に一人で着れない物というと、このワンピースが初めての事かもしれない。


「まあ、これは特別やし。機能性を追求した結果やな」

「私の知ってる機能性と違う」


 特別。

 そうか、この服は特別な服なのだ。と改めて知った。

 紅葉の部屋以外で作られ、学校で試着し、なぜか知らない人が二人もこの場にいる。例外尽くしの服である。

 紅葉にとって、何か、特別な意味のある服なのだろうと、分かりそうなものなのに。


「最後、ぎっちり締めるで。で全部あらためて締め直すから」

「うえ、何でそんな面倒な事を?」

「機能性を発揮するためや」

「機能性って言えば良いと思ってない?」

「ははっ、んな訳あるかい」


 紅葉は笑ったけれど、声色は真剣だった。

 そして私が、そんなに引っ張って大丈夫なのかと言いたくなるくらいには、紅葉は無遠慮に、留め紐を締めた。

 コルセットを付けていた欧州は中世の女性たちは、こんな気持ちだったのかな。なんて事を思った。


「多分今の私は、生まれてきて一番姿勢が良い」


 息苦しいほどではないものの、多少は圧迫感がある。

 しかしそれ以上に、変な姿勢になったら服が破れるような、嫌な予感がした。


「そやろ?帯締めるで」

「まだ、帯があったか」


 私は、さらなる窮屈を予感して狼狽した。


「そんなに締めんよ、帯もショールも、雰囲気だけの物やから」

「そうなの?」

「そら、そうや。後ろで留めるワンピースに帯とか要らんやろ?可愛いから付けるだけや」

「そう言われると無駄感強い」

「機能性。機能性やで」

「もうそれを言いたいだけなんじゃない?」

「可愛いは、もはや機能」

「パワーワード感ある」


 実際帯は、きちんと腰に乗る程度のきつさだった。

 ショールは、自分で羽織って留め紐を結う。

 これで、完成だ。

 完成、してしまった。

 紅葉が私の背中を、ぽんと叩く。


「よし」


 紅葉が言う。

 ああ、これで、本当に終わってしまったのだと理解した。

 いや、始めから、こみ上げるものがあった。

 それを誤魔化すのに、余計に沢山、言葉を交わしたのかもしれない。


「黒田、姿見」

「あいよ」

「白井。椅子」

「紫藤人使い荒っ」


 紅葉が、間髪を入れずに指示を飛ばす。

 二人はそれに答えて、忙しなく動き出した。

 私だけが、呆けたように、何も出来ない。

 それが、これからの事を暗示しているようで、酷く寂しい気持ちになった。

 紅葉にも、二人にも、余韻も風情も何もない。

 そりゃそうだ。

 最後と決めたのは私だけ。

 三人は、私の決心など、知りようがない。

 紅葉は、もしかすると、私がモデルの話を受けると、思っているのかもしれない。


「紅葉?」


 その誤解は、早く解かなければ、ならない。

 紅葉は、今までの仕立ててきた服と同じように、服の良し悪しを判断しているらしかった。

 今の経験や感想を、次に生かすために、真剣に服を見る。

 後ろを見る。

 私の前に回って、前を見る。

 横も見て、後ろに戻った。

 紅葉には、次がある。

 私には無い。

 私にかかずらっている時間は、失くした方がいいに決まっていた。

 これからの紅葉には、相応しいモデルが必要なのだろうと思う。

 それは、悲しい事だけれど、私ではない。

 私では紅葉の役には立てない。

 人前に立てないモデルが何の役に立つのか。

 だから、今、散々引き延ばした問いに、答えなければならない。

 私は、貴方のモデルにはなれません。

 そう、言わなければならない。


「着たな?」

「え?」


 唐突。

 どこか不敵な感じのする声色、物語の悪役が、もしくは裏切り者が言うような、そんな雰囲気の台詞。

 なぜか急にそんな事を始めたのか、紅葉の様子を視界で確かめたくて、後ろを振り向く。

 紅葉は私の脱いだ制服を手に取っている所だった。


「私の仕立てた服を、着たな?」


 にや。と紅葉は笑った。

 その様子が、とても外連味に溢れていて、私はつい、突っ込んでしまう。


「着ろって言ったの紅葉じゃん」

「ま、そやけどな」


 突然の悪役ムーブは、すぐに終わった。

 紅葉が屈託なく笑ったのが、声だけで分かった。


「姿見、思ったより全然重かった」

「ありがとう」

「椅子、めっちゃ重いんですけど!」

「んな訳あるかい」


 黒田さん(?)は私の前に、全身を映せる姿見を持ってきて、白井さん(?)は私の少し後ろに椅子を置いたようだった。


「紫苑。このワンピース、どう思う?」


 紅葉はすぐに、姿見に映る私を見た。

 姿見と紅葉の間に立つ私には、紅葉の顔が、良く見えた。

 すぐに表情が一新される。

 その表情はきっと、職人の表情なのだと思う。

 鋭く尖った視線。

 遊びの一切ない、引き締まった表情。

 控えめに言って、とても格好良かった。


「どうって」


 言われるがまま、姿見に映った自分自身を見る。

 ワンピースは可愛い。

 それは間違いない。

 けれど。

 やっぱり。

 私には似合わないような気がした。

 もしかすると、マネキンが着ていた時の方がまだ、この服の良さを引き出していたようにも見えた。

 マネキンには何もない。

 表情も、記憶も、何にもないけれど。

 ただ、服を着て、飾る、と言う機能だけは、当たり前に持っている。

 マネキンは、そのための物。

 けれども、私には、それも無い。

 この服に見合うような、可憐さも、清楚さも、活発さも、何もない。

 紅葉が仕立てた服のモデルが出来る様な、才覚資格も持ち合わせてはいなかった。

 紅葉だって、本心では、そのように、思っているのではないか。

 と、無性に気になった。

 けれど、その事をそのまま口にすることは出来ない。

 自分自身を恥じる気持ちは、当然ある。

 けれど、それ以上に、紅葉のこれからを応援する者が、そんなどうにもならない自分の弱さだけを紅葉に残して何になる。

 邪魔にしかならないだろう。

 だから私は、肯定する言葉しか使えない。

 紅葉の作った服は素晴らしいと。

 この服は、紅葉がしてきた努力の成果だと。

 これからも、応援していると。

 それらの意味を込めて、いつもと同じように、私は、こう言うのだ。


「私は、この服好き」


 自分に似合うとは思わないけれど。

 紅葉の作る服が好きなのは、本当だ。


「ありがとう」


 紅葉はいつも、そう言って、返してくれる。

 下手くそな応援なのかも知れない。

 向上心溢れる紅葉は内心で、もっと率直な否定の言葉が欲しいのかもしれない。

 けれども、私ごときに、そんな事は言えない。

 でも、ああ、良かった。

 最後でも、何とか、私でも、紅葉の応援ぐらいは、出来たのだ。


「でもやっぱり、んやなぁ」

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