第9話
我らが高校の学園祭は、毎年十月に行われる。
公立の大して予算も組めない高校の学園祭なんて、規模も盛り上がりも、たかが知れているのだけれど、それでも、学生たちにとっては、毎年毎年、一生に一度しかない機会だ。
だから一定数、どんな事にでもやる気に溢れた人たちが居る。
私と紅葉は、そう言うタイプではない。
クラスの仕事だけ最低限済ませて、あとは楽しみたい人達だけでどうぞ。
私達は毎年そう言うスタンスだ。
けれど、一年に一度しかないお祭りである事は、もちろん事実。
私は毎年、紅葉とあちこち回って、学園祭を楽しむ。やる気の沸かない準備期間より、祭り本番の方が楽しいに決まっていた。
お金のかかった物は無いけれど、工夫を凝らした展示や、ちょっとしたアミューズメントなどを用意するクラスや部活動もあって、普通に楽しめるのである(私の個人的一押しは、弓道部の射的ゲームだ)。
紅葉と休みの日に、二人で買い物に行くのと、感覚的には近い。
でも学校という場所でそれが出来るのは、良い感じに特別感があって、結構好きだった。
「お昼、どこで食べる?」
校則で、飲食店は禁止されている。それどころか、販売系全般が禁止。
ゆえに売り上げが確保できないので、打ち上げも自費。
そんな学園祭、盛り上がりに欠けるに決まっていた。
毎年熱意のある学生たちが、その校則に挑戦してはいるものの、なんでも、公立校である以上、中々自由に出来ない、決まり事があるのだとか。
だからお昼も、いつも通り各自お弁当を持ってきなさいスタイルである。
展示などで自分達の教室が使えない学生たちに、我がクラスの出し物である休憩室は大人気である。昼時間限定だけれど、それなりに需要があるのが、我が校の休憩室の立ち位置なのだ。
野外には、ベンチも数は少ないけれどあるし、広い芝生もあるから行楽用のシートなどを持ち込めば、外で食べてもいい。天気に恵まれればという条件は付くけれど、野外や、普段は立ち入り禁止の屋上も、人気の昼食スポットだった。
「場所は、確保してるで」
「そうなの?」
「うん、行こか」
一度、荷物置き場に戻って、それぞれお弁当を持つ。
紅葉は珍しく(珍しくと言うか、初めてかもしれない)、私の腕を抱える様に捕まえて、歩きだした。
羨ましいボリュームを肘に感じて、私は少しだけ、微妙な気持ちになった。
やはりでかい。くれ。何とかして私の物にならないだろうか。
紅葉が私を連れてきた場所は、第二家庭科室だった。
第一家庭科室とは違って、コンロや調理机などの調理設備はない。
第二家庭科室自体は、普通の教室を二つくっつけただけじみた、広々とした教室なのだけれど、被服実習用の設備が揃っている。マネキンだとか、ミシンだとか、布、針、糸。紅葉と相性の良さそうな実習室である。
私の腕を捕まえたまま、紅葉は教室の扉を開けた。
「お、来たね」
「それが、噂のお姫様?」
家庭科室の中には、先客が二人いた。
「どーも」
気安い感じで、紅葉が会釈をした。
先客の二人は、手を挙げて返事をするにとどめた。
「誰?」
私は二人に声が届かない様に気を付けて、小声で紅葉に尋ねた。
「居残りで一緒になった人達」
「仲良いの?」
「んー?短期契約の部下、みたいな?」
私に合わせて小声で答えてくれたけれど、紅葉は何でもないような感じで、言った。
「ふーん」
なんか、すごく、面白くなかった。
紅葉に、私以外で気安く話す友達がいたなんて、知らなかった。
いや、別に、良いのだけれど。
でも、それにしても短期契約の部下って何、私それも知らないし、聞いてもないんですけど。
私以外に友達を作るなとか、そんな現実的でない事は言わないし、言えないけれど、しかしどうして私に黙っていたのか、そこが一番気になる。
それと、いつの間に、という思いもあった。
「で、お姫さまって誰?私?なんで?何話したの?」
だから、気になる言葉を切っ掛けに、問い詰めるつもりで、そう聞いた。
「いかに紫苑が可愛いか、滾々と(こんこん。水が湧き出る様に、尽きずに、いつまでも。の意)語った」
「なんでそんな事した!?」
私の拙い目論見は、至極当然と言わんばかりの表情をした紅葉の言葉によって粉々に粉砕された。
爆散四散した。跡形も残らなかった。何も残らなかった哀れさだけが残った。
どう頑張っても聞き逃せない特大の爆弾を、この女(紅葉)は無差別投下したと、つまるところ言ったのだ。
この女もしかして、誰彼構わず吹聴して回っているのではあるまいか。
まさか、そんな事無い。よね?
「ただただ親友自慢がしたかった。他に理由はない」
「何それやめてよ」
私に直接、面と向かって可愛いと言うのは、百歩譲って、それは良い。
私は紅葉の方が可愛いと確信しているし。
紅葉が言う可愛い。は、おはようございますと変わらないのだと思うようにすれば、まだ我慢できるのだ。
「私はいつでも、紫苑の事を自慢したいなて思てるし」
「ほんと、やめて」
けど、他所で言うな。それも、私のいない所で。
「やめへんよ?当たり前やん。何言うてんの」
「私が間違ってる。みたいに言わないで」
いや、私がその場に居ても言うな。どっちにしても、すごく、照れ臭い。
「まあま、あの二人の事は気にせんと。とりあえず、少し、早いけど、ご飯にしよか」
ちょっと、嬉しいのが、また厄介だ。
やめて欲しいと思うのは本心だけれど、ちょっと腹が立つのも本当だけれど。
それでも、表情筋が容易に、私の意思を離れてしまう。
紅葉はお構いなしに、表情を無くそうと鋭意努力中な私の腕を引いて、窓際に用意された椅子に私を座らせた。
紅葉はその隣に座って、お弁当を広げた。
二人とも同じ、紅葉のお母さんが用意してくれたお弁当。
私が、自分で用意しますから、親から昼食代も預かってますから、と言っても、それは親の仕事だと言って聞かなかった、紅葉のお母さん。代わりに夜には手伝ってちょうだいと言ってくれた優しいお母さん。
いつも美味しいお弁当をありがとうございます。頂きます。
私と紅葉は横並びで、窓の外の風景を見ながら、静かにお弁当を食べた。
食べながら話をしようとすると、お行儀が悪いからやめなさい、物が飛ぶでしょう。とお母さんに叱られた。昔は二人とも頻繁に叱られたものだ。
私と紅葉は、全然異なる二人だけれど、同じ事も学んできた。
なのにやっぱり、違う二人なのだ。
横目で、紅葉の顔を盗み見る。
今日も、ぴょん、とアホ毛が立っていて、可愛い。
紅葉の髪の毛は、癖は強いけれど、柔らかい綺麗な黒髪で、紅葉はそれをショートカットにしている。
癖のある髪質が良い感じにふわりとして、躍動感のある髪型に仕上がっていた。セットなんかしてないけど。
精力的に努力を重ねる活動的な紅葉に、ショートカットは、良く似合っていた。
けれど一度だけ、髪の毛を伸ばさないのかと、尋ねた事があった。
ロングでも、きっと似合うと思ったし、一度くらいは髪の長い紅葉も見てみたいと思ったのだ。
『裁縫の邪魔になるやん』『一々結ぶの手間やし』『カット代にお金を使うんなら布買いたい』という三つの理由から、紅葉は髪の毛が鬱陶しくなってくると鋏を持ち出して、出鱈目に見える手つきで、自分で髪を切っている(!)。
私は、面白みのない直毛で、伸びるに任せている。昔は両親に美容室などに連れて行ってもらったのだけれど、いつからか、紅葉に前髪や毛先を整えてもらうのが当たり前になった。随分伸びた。
自分の髪の毛は大胆と言うにも乱暴にざくざく切る紅葉が、私の髪の毛を切るのには(前髪や毛先をほんの少し切るだけなのに)毎度おっかなびっくりするのが、面白かったからだった。
でも、いつも私だけ切ってもらうのも悪いから。紅葉があまりにも簡単そうに自分自身の髪を切るものだから。一度だけ、紅葉の髪の毛を切らせてもらった事がある。
紅葉が私の髪の毛を切る時、毎度異様に怖がる理由が、すぐにわかった。
これ、本当に切って良いの?一度切ったら、もう戻せないのに?そう思うと手が震えて、鋏を動かす決心が鈍る。
誰の髪でも平気で切るプロは、本当にすごいと感心した事を覚えている。
紅葉に『早う』なんて笑われながら、意を決して、私は紅葉の髪の毛を切った。
しかし全然上手に切れなくて(初めて切ったのだから当然と言えば当然だが、整えるくらいなら簡単だと思い違いをしていた)、紅葉は『上手やん、これからはお願いしよか』なんて言ってくれたのだけれど、私的には全く許容できないレベルだったから、紅葉に手直しをお願いして、以後私は、髪を切らせて欲しいとは言わなくなったし、紅葉から頼まれても、必ず断った。
その代わり、朝寝ぐせを直す事すら面倒がる紅葉の寝ぐせを発見し、眠たげな紅葉の髪の毛を梳き、水を吹きかけ、ブローするのは私の仕事だ。髪型を作ろうとすると面倒がって嫌がるので、セットはさせてもらえない。
『お返しな』とか言ってすぐ、私の髪をアップに結うのやめて欲しい。お返しにならない。
それは、さておき。
髪の毛一つとっても、人と人は、違うのだ。
よくもまあ私は、紅葉と仲良くなれたなと、しみじみ思う。
価値観だとか、考え方だとかに似た所も多少はあるし、ほとんど一緒に生活しているようなものなのだし、仲良くなるのも、有り得るとは思うのだけれど。
けれども、初めて出会ったあの時に、もし、紅葉が私に声をかけてくれなかったとしたら。
今の様な関係性は、無かったのかもしれない。
というか、たぶん、きっと無いだろうと思う。
本当に、紅葉には感謝しか感じない。私が何も返せない事を、悔しく思うぐらいには。
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