第8話
紅葉の嬉しい提案に何の返事も出来ないまま季節は過ぎて、夏も終わりそうになっていた。
紅葉の放課後居残りは、入試本番が迫っているからか、ますます厳しさを増し、どんどん帰りは遅くなって、私と一緒に過ごせる時間は、みるみる少なくなった。
日が落ちてから帰って来る紅葉は、かき込むようにご飯を食べて、大急ぎでお風呂に入って。
私と、ろくに会話もせずに、眠ってしまう。
仮眠をとって、深夜に起きて、何か縫物をしているのが、部屋が隣である私には分かったけれど、邪魔だけはしたくなかったし、紅葉に返事も出来ていない事が後ろめたくて、わざわざ部屋に行く事はしなかった。
学校でも、秋の学園祭の準備が始まって、少し忙しくなってきていたし、紅葉は授業合間の休み時間ですら、必死になって何かの勉強をしている様子だったから、私は出来るだけ、その邪魔をしない様に努めた。
言い訳をしている自覚はあった。
『喧嘩でもしたの?』なんて、葵さんにこっそり言われたりもしたけれど、そっちの方が、まだ良かった。
怒りを吐くだけ吐いたら、仲直りなんて、秒で済むのだ。私たちは。
私が勝手に、気まずさを感じているだけ。
そのくせ進路は、これと言った目的は無かったけれど、東京の大学を狙って進学。という事にした。
この町に残るよりもずっと、紅葉と会えるチャンスがあるに違いないと、思ったからだった。
女々しい女だ。私か。情けなくて、みっともなくて、本当に自分が嫌になった。
きっと世界中の高校三年生の中で、私だけが、何も出来ないまま日々を過ごしているのだろうと、そんな、くだらない妄想をした。
学園祭の出し物を決めるホームルームの時間、私達のクラスの出し物は、難なく休憩所に決まった。
担任の先生は苦笑いだったけれど、それだけ、進路に関わらない事に時間を取られたくないと思うクラスメイトが多いのだと思うと、素直にすごいと思った。
私には、時間が惜しいと思う、理由すらないから。
きっと学園祭当日も、私は自分の進路にとってあまり利益にならない時間を過ごすのだろうと、確信した。
その日の晩。
紅葉が私の部屋に来た。
随分と久々な気がして、私自身が驚いた事に、一番驚いた。
「ちょっと、寸法計らせて」
「はいはい」
受験勉強以外にする事の無い私は、紅葉の前に立って、マネキンの真似事を始める。
手早くメジャーを伸ばす紅葉の表情は真剣そのもので、とても格好良くて、綺麗だった。
「なんか、久々?」
「そう、やね。紫苑買い物誘ってくれんし」
「紅葉勝手に作るじゃん」
「ま、そやけど。勉強は順調なん?」
紅葉の採寸する手は止まらない。
私は、一歩も動けない。
紅葉が、私が返事をしなかった事を、どう思っているのか、とても気になった。
「まあまあ、かな」
「そか、頑張り」
「うん」
こんなに自然に聞こえる、嫌味の無い『頑張れ』があるだろうか。
紅葉に頑張れと言われたら、私は確かに、頑張るべきだろうと思ってしまう。
だって紅葉が頑張っている事を、私は良く知っている。
私が何にも頑張っていない事は、私自身が、一番よく分かっている。
「よし、ええ。乳は育っとらん」
私の秘密の数値を、紅葉はメモ紙にさらさらと記入して言う。
何度言われた悪口か、分からない。
私が返す言葉は決まっている。
話の流れも、決まっているようなものだった。
「うるさいなぁ!おっぱいお化けめ」
「こんなん肩凝るだけやけど、羨ましいん?」
「それ、すごい、言ってみたい」
「そうなん?ウエストは、変わらず。尻は、少し育ったなぁ」
「なぜ尻だけ。全然嬉しくない」
「背、伸びたやん」
「身長は自分じゃ、わからないし」
「ちょっと前まで、こんなんやった」
冗談半分で、紅葉は私の腰のあたりで、水平にした手の平をひらひらとさせた。
「それ、いつ頃の話なの」
「小学校くらいやんな?」
にかと、紅葉が笑った。
確かに、小学生の頃の私は、そのくらいの身長だったかもしれない。
記憶の中でいつも私と並んでいた紅葉の姿を思い浮かべて、同時に、もっと小さな頃の、紅葉の写真の事も思い出した。
その、愛おしさに釣られて、私も笑った。
二人して、笑った。
当たり前の会話が、最近ではあまり無かった会話が、楽しくて仕方がない。
こうして、顔を合わせれば、当意即妙の話をして、笑いあって。
面白くもない冗談が、愛おしいほど、面白い。
「勉強の邪魔してごめんなぁ。ありがとう」
メジャーをしまって、紅葉はそそくさと自分の部屋へと帰ろうとした。
「今、服、作ってるの?」
それがすごく寂しくて、思わず、声をかけた。
「ん?私はいつでも、服作ってるけど」
「そうだよね」
紅葉はいつでも、服を作っている。
きっとこれからも、ずっと、そうするのだろう。
分かり切った筈の事を、私は聞いていた。阿呆か。
でも、近い将来、必ず。
「その」
これは、言っていいのかな。なんて、一瞬だけ思ったかもしれない。
「なに?」
自分でも、どうして聞いたのか、わからない。と思う事にしたい。
そんな訳ない。
どうしても今、聞きたい事があった。
「その服も、私の、服?」
紅葉には、いつか必ず、私以外の人の為に、服を作る時が、来る。
それは、少しだけ、嫌だった。
「アホなん?」
そうだね。
紅葉が言う通り、私は阿呆で、馬鹿だった。
友達の夢を応援したいと思いながら、紅葉がずっと、私だけの親友である事を望んでいて、私が、いつかでも、一番じゃなくなるかもしれない事が嫌で嫌でたまらない。
馬鹿らしい被害妄想を抱いて、向ける相手も分からないのに、おぞましい嫉妬心を燃やしていた。
子供みたいな熱心な独占欲によって、理性が溶かされていた。
まともな精神状況なら、きっと聞けなかった。
だから、聞いた。
今は。
その服は。
間違いなく私の物だと、紅葉の言葉で聞いて、安心したいがために、分かり切った事を聞く。
私は今、どんな顔をしているのだろうか。それすらもよく分からない事が、酷く恐ろしかった。
「紫苑の寸法取って、他に誰の服作るん?」
そう言う感じに、言ってくれると、思っていた。
「当然、紫苑に着てもらう服やで?」
そこまで言ってくれると、信じていた。
「そっか」
「そやで?」
だから、お礼を言いたくなった。
紅葉はいつも、私を支えてくれる。
グラグラ勝手に不安定になって、馬鹿な事ばかり考える私を、馬鹿だと言って、叱ってくれる。
期待通りにしてくれて、甘やかしてくれる。
こんな人、他に居ないに決まっていた。
紅葉と私が出会ったのは、きっと奇跡か何かに違いなかった。
だって私たちは、あまりにも、違う人間すぎる。
「ありがとう。私、紅葉の服好きだから、嬉しい」
私自身には、何の目標も、何の価値も、無くても。
私の言葉なんかペラペラで、意味も、重みも、無くても。
それでも。
紅葉の夢に、紅葉の仕立てた服に、間違いなく価値があると、こんな私が口にしたって、良い筈だ。
それくらいは、許して欲しい。
「やめてよ急に、照れるやん。ありがと」
ぶっきらぼうに言う紅葉は、最高に可愛かった。
私の親友が世界一可愛いと、私は改めて確信した。
他の全て、紅葉が言う事が正しいのだとしても。
そこだけは絶対に、紅葉が間違っている。
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