第7話
何度も両親と話し合いの機会を持ったのだけれど、自身の進路を決める事も出来ないまま、私は高校三年生に進級した。
特別変わった事は、紅葉と一緒に帰宅する機会が極端に減ったと言う事。
紅葉に一緒に帰れない理由を尋ねると、『進路関係で居残りやなぁ』と神妙な表情で答えた。
成績が芳しくない紅葉は(家では私が助力してきたけれど、紅葉の成績は決して、良い訳ではない)、放課後、先生にこってり絞られているのかも知れなかった。
紅葉の居残りは殆ど毎日の事で、結果私は毎日の帰路で、紅葉は目的に向かって頑張り続けているのにと、暗い気持ちになった。
勉強する時間すら惜しんで服作りに精を出す紅葉と違って、私は学業に、とりあえず、不安はなかった。
けれど、目的もなく勉強をして、それが何の役に立つのだろうと思ってしまうと、熱もなにも籠らない。
教室で紅葉と別れ、一人で紫藤家に帰る。
紫藤家の家事を出来る限り手伝い、時間があれば一応、入試に対応できるよう自習をする。大学入試がダメそうなら、私は別に就職でも全く構わなかった。
紅葉が帰ってきたら、とりとめのない話をして、夕食を済ませて、お風呂に入って、その後は決まって、紅葉と過ごす。
紅葉は縫物をして、私はマネキンの真似事をしたり、大して身の入らない受験勉強をしたりして、眠気が来るまで一緒に過ごす。
卒業を控える高校三年生にしては、ずいぶんと気楽だなぁと、私は自分の事を棚上げして、他人事のように思う。
「紅葉は、進学?」
普段通りの、何でもない会話をするのと同じに聞こえる様に、努めて平坦に、私は尋ねた。
「そのつもりやけど?」
紅葉も手を止めず、いつも通りに答えた。
「どこ?」
「東京服飾デザイン専門学校」
東京と聞いて、心臓が跳ねた。
この町から見て、東京はとても遠い。間違いなく、毎日通えるような距離ではない。
そう遠くない未来に、紅葉との別れが不可避であると言われたような気がして、心が落ち着きを無くした。
「行けそう?」
胸中のざわつきを必死の思いでねじ伏せて、ありきたりっぽい事を尋ねる。
正直。離れたくは、無かった。
ずっと、今までのように、楽しい毎日が当たり前に繰り返されると、何の根拠もなく信じていた。
けれども、違った。
紅葉は、私がぐずぐずしている間に、自分の目指すべき所を、見つけてた。
そしてそこに、私はついて行く事が出来ない。
だって私は、紅葉と同じ道を進むための努力を、しただろうか。
紅葉の夢をかなえる手助けができる仕事を、考えたりしただろうか。
私がしてきたのは、紅葉と、楽しく過ごしてきた、というだけでしかない。
もしかしたら、私は、自分が楽しく過ごしたいからという理由だけで、紅葉が、本当は努力に費やしたかった時間を、奪ったり、していたのでは、ないだろうか。
私は、紅葉が夢を目指す、邪魔しかしていないのでは、ないだろうか。
今までは、思いもよらなかったけれど、気が付いてしまえば、大好きな親友の夢を、邪魔をするなんて事は出来ない。
私みたいな夢も何も持たない者が、そんな事をして、許される訳がない。
「んー?わからんなぁ。専門学校の人に聞いて来て」
「あはは、何それ」
「合否決めるの私やないし」
声色は普段通りだったけれど、少しネガティブにも聞こえる物言いが紅葉らしくない様に、私には聞こえた。
絶対行くんや。とか、私が行けない訳ないやん。とか、そういう言葉をこそ、言いそうな気がした。
言って良いだけの努力を重ねてきたと、私は思う。
進学が目前に、現実的に感じられて、ナーバスになっているのかも知れなかった。
それも、毎日のように居残りさせられているのなら当然の事なのかも知れなかった。
「倍率厳しいの?」
「さあ?」
「さあ。って」
でも、逆に、紅葉らしいような気もした。
その専門学校に行きたいと思ったから、行きたいと言う。
合格するとかしないとか、成績が足りないかもしれないとか、上手くいかないかもしれないとか。もちろん努力を欠かすような人ではないのだけれど、そもそも、そういう事には目も向けない一直線な女の子。
服を作る仕事に就くと言う、揺るぎない目標が紅葉の中にあって、その方法の内の一つとして、専門学校への進学がある。
たったそれだけの、シンプルな話なのかも知れなかった。
確かに、専門学校に行かなくたって、服を作る仕事には就けるのではないか、と思う。
何処かの服を作る会社に勤めても良いだろうし。
それこそ極端な話、紅葉はこういう考えは嫌いだろうとも思うのだけれど、『紫』からの暖簾分けの様な形で、新しく仕立て屋を開業してしまえば、紅葉はそれだけで立派な、服職人という事になる。
まあこれは、紅葉の性格上、一番あり得なさそうな、私の勝手な妄想に違いない。
目的が『これ』と定まっているのなら、何も不安に思う事は無いのかも知れなかった。
だって、ずっと目指し続ければ良いのだから。紅葉ならきっと、いつか必ず、上手くいくだろう。
私のように、何の目標も夢も無い様な人間には、誰かに聞かない限り、思いつきもしない考え方。
でも。だからこそ。
紅葉には、専門学校に進学して欲しいと、私は思った。
紅葉が決めたと言う事は、紅葉自身が良く良く考え、その方法が一番良いと判断したからに違いなかった。
これだけ努力を重ねてきた紅葉が、一番良い方法を選ぶことが出来ないなんて、そんなのは、間違っていると思うのだ。
成績が悪かったらなんだと言うのか、古典や現代文が正確に読めなくて、服造りで困るのか。
難しい公式を使った計算を、服作りに使うのか。
歴史上の偉人の名前や出来事を暗記して、服作りのどこに役に立つのか。
それに、私は邪魔ではなかったと、そういう風に思いたい。
私と言う友人がいても良かったのだと、せめて紅葉には、そう、思っていて欲しい。
ほんとうに、私は自分が嫌になる。
素直に、親友の応援すら、上手に出来ない。
「ま、私の事はどうでもええ。紫苑は?」
紅葉が手を止めて、私を見た。
息がつまって、返事が出来なかった。
「進路。聞いたんやから、聞かせてよ」
「わたしの?」
聞こえなかった訳じゃない。意味が分からなかった筈もない。
紅葉の言葉はきちんと、私の耳に届いていた。
「うん。どうするん?」
考え事に飲み込まれそうになっていて、驚きはしたのだけれど、そこまで呆けてはいなかった。
ただ少し、情けなさとか、恥ずかしさとか、相談しても良いのかな、なんて甘えた心があったから、どう答えるか、答えないか、迷っただけ。
紅葉の何気ない視線が、私の心に刺さるような気がした。
「どう、したら良いんだろう、ね?」
何か、言わなきゃ。それだけの理由で、口を突いた言葉は、およそ思いつく限り。
最も情けない。
自主性の無い。
格好良い親友に聞かせたくも無かった、私の本心からの格好悪い言葉だった。
「なんか、やりたい事、無いん?」
それが見つかれば、苦労はない。と思うけど、口にはしない。そんな恥を上塗るような格好悪い事は、できない。
紅葉のように、きちんと出来る人と、私は違うのだ。と少し腹が立ったとしても、顔には出さない。
あやふやに、誤魔化すように、へらと笑うのが精一杯だった。
「そうか」
自然と、背中が丸まった。
紅葉がどんな表情で、そうか。と言ったのか、怖くて見る事ができない。
どんな思いを抱いたのか、怖くて想像もしたくない。
「なら」
紅葉は、何を言うのだろう。
私は、何を言われてしまうのだろう。
「私の、専属モデルにでも、成ってもらおうか」
「やりたい事ないなら、ええやんな?」
「その内に、なんかブランドでも立ち上げてな」
「給料は、まあ、私がちゃんと稼げたら、ちゃんと払うし」
「私の作った服が売れる様に、頑張ってもらわなあかんけど」
「パリコレとか?おもろそうやし」
紅葉の言葉が、私の耳から、頭の中を滑って行く。
聞き取れる部分と、聞き取れない部分は、大体半々。
それでも分かった。
紅葉は、自分の夢の先に、私が居ても良い場所を用意してくれていた。
それが、あんまりにも嬉しくて。
あんまりにも絶望的で。
私は、何の返事も、返せなかった。
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