ご機嫌な朝食
翌朝、いつもなら目を覚ますと同時に、焼きたての菓子パンを十個と紅茶をご馳走になっていた。だが今日からは違う。
ダイエットで最初にすべきこと。それは食事制限だ。私は食べ過ぎの食生活を反省し、アンにダイエットメニューを考案してもらった。
「リーシャ様、本当にいつもの食事でなくてよろしいのですか?」
「美味しい朝食を食べられないのは残念だけど……我慢してみせるわ」
隣国の姫の二の舞はごめんだからだ。だがアンは釈然としない様子だ。
「旦那様はリーシャ様が太ったからと婚約を破棄するような人ではありませんよ」
「知っているわ。でも……あの人の隣に立てる女でいたいの」
私の婚約者――アスファル・フォン・ケイネスは、王国最大派閥のアスファル公爵家の領主である。美しい黒髪と黒曜石のような瞳は、国中の女性を虜にしたほどに美しく、縁談の申し込みは千を超えたそうだ。
だが多くの女性候補の中から、ケイネスは私を選んでくれた。美男子の隣に立つのは美女が相応しい。彼のためにもダイエットを成し遂げてみせる。
「では本日の朝食をお持ちしますね」
「覚悟はできているわ」
サラダだけか、それとも豆だけか。どのような食事メニューでも厳しいものとなるだろう。しかし運ばれてきた食事は予想に反するものだった。
「これが減量メニュー……」
並んだ食事は以前と大きく変わらない。鉄板で焼かれたステーキに、サラダの盛り合わせ、デザートにカボチャのタルトまで並んでいる。
「こちらが、リーシャ様の新しい朝食です」
「疑いたくはないけど……このメニューで本当に痩せられるの?」
「リーシャ様、まずは大切なことを一つ。無理なダイエットは身体によくありません」
「そ、そうね。無理はよくないわ。でもこれは……」
あまりに豪勢な食事に、本当に痩せられるのかと疑問が湧く。
「説明させていただきます。サラダはビタミンを、ステーキ肉はタンパク質を確保するために用意しました」
「でもデザートがあるわよ」
「そちらは、カボチャが使われていますから。野菜なのでカロリーゼロです。それにリーシャ様、甘味なしに絶えられますか?」
「うっ……さすがはアン。私の事をよく分かっているわね」
ただでさえ辛いダイエットだ。食後のデザートが欠けては、心が折れるかもしれない。
私の性格まで考慮した減量メニューに感動する。これで痩せないはずがない。豪華な朝食に遠慮なく舌鼓を打つ。
ステーキの肉汁、サラダのフレッシュさ、そしてカボチャのタルトの自然な甘味を満喫する。頬が落ちそうになるほど美味な食事。気づいた頃には皿が空になっていた。
「リーシャ様、お味はどうでしたか?」
「最高よ。私、この食事なら続けられるわ」
そして必ず痩せてみせる。そう決意し、減量メニューを続けて、一週間が経過した。しかし鏡に映る自分の顔に変化はない。
「本当に痩せているのかしら」
手鏡に映る自分を見つめる。痩せていないように感じるが、気づかないだけで減量に成功しているのかもしれない。
「誰か通りかからないかしら」
廊下に出ると、人がいないか視線を巡らせる。そんな折、偶然、使用人のリリアが通りかかる。
「あの、聞いてもいいかしら」
「なんでしょう、リーシャ様」
「私、痩せた?」
「え、あ、あの……」
「ありがとう。その反応で十分よ」
痩せているなら好意的な反応が返ってくるはずだ。お世辞を言えないほど変化がないのだ。
「本当にこのままでよいのかしら……」
不安に思いながら、少しでも痩せようと屋敷内を散歩する。目的地がないまま彷徨っていると、いつの間にか内庭を歩いていた。
赤と白の薔薇が咲く庭は、そこにいるだけで心を落ち着かせてくれる。
(もう一度アンに相談してみようかしら)
今度は食事制限だけでなく、運動も取り入れよう。そう心に決めた瞬間、遠くからアンの声が聞こえてくる。
(いったい誰と話しているのかしら)
こっそり声がする方に近づいてみると、四阿で談笑するアンとケイネスの姿があった。
(ケイネス様、今日も美しいわ)
男性とは思えないほどに透き通る肌と、墨を溶かしたような黒髪が陽光で輝いている。そして彼だけでなく、隣に立つアンもまた愛らしい。
栗のような茶髪と子犬のような愛嬌ある顔立ち。二人はお似合いのカップルのように思えた。
(まさか……二人が浮気しているなんてこと……)
あるはずがないと、疑念を振りほどく。アンもケイネスもどちらも信頼できる人たちだ。私を裏切るはずがない。
「リーシャはどうかな?」
「暴飲暴食の日々を繰り返しています」
「そうか……」
アンの報告内容に、衝撃を受ける。毎日の食事メニューは彼女が考えているのだ。それなのに暴飲暴食をしていると報告するのはどういう了見なのか。
(まさか本当に私を裏切って……)
ケイネスの心象を悪くし、婚約者の立場を奪う算段なのかと、悪い予感が頭を過る。
(でもアンに限ってそんな酷い事……)
長年一緒に過ごしてきたからこそ分かる。彼女の心根は誰よりも優しい。疑っちゃ駄目だと、自分を諫めた。
「それで……リーシャ様との関係ですが……」
「そろそろ決断の時だね。婚約関係を終わらせる時が来たのさ」
ケイネスの口から絶対に聞きたくなかった言葉が飛び込んでくる。
(え、私との婚約を破棄するつもりなの!)
隣国の姫が太ったからと捨てられた話を思い出す。この事件は他人事ではない。次は自分の番なのだ。
「あ、あの、ケイネス様!」
我慢できずに二人の前に姿を現すと、後ろめたさを隠すように彼らの目が泳ぐ。
「まさか僕たちの話を聞いていたの?」
「すべてではありませんが……」
「なら隠せないね……実は君との結婚について話をしていたんだ」
「あ、あの、もう少し待ってくれませんか?」
絶対に痩せてみせる。そのための時間が欲しいと願うが、ケイネスは悲しそうに眉根を落とす。
「他の男から縁談の申し出があると聞いたよ。そのための待ち時間かな?」
「い、いえ、そんなことはありません!」
確かに痩せていた頃の美貌を期待してか、婚約の申し込みは未だに届く。ただ既にケイネスと婚約関係にあるので、誘いはすべて断っていた。
(もしかして私が浮気をしていたことにして、婚約破棄するつもりなのかしら⁉)
太ったから捨てたとなれば、ケイネスの評判も落ちてしまう。だが浮気となれば話は別だ。一方的に断罪できる。
「わ、私はケイネス様一筋ですから。待って欲しいとお願いしたのも、あなたを想ってのことです」
「分かったよ……君が納得をするまで待ち続ける……」
「ケイネス様……ありがとうございます……」
チャンスを貰えた。これはまだケイネスの中に私への愛が残っている証拠だ。
もう一秒も無駄にできない。彼らの前から走り去ると、自室へと戻る。より過酷なダイエットに身を投じることを決意するのだった。
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