9月4日(月)14日目
「死」
それは誰もが知っていて、そして生きている物全ての終着点。
だけれど、皆何処か他人事の様な、別の世界の事のように感じている。殆どの人は、例えば自分が急に交通事故にあったりしても
「何故、自分がこんな目に合わなければならないんだ。」
と思うことであろう。
人は自分、或いは自分にとって大切な誰かが「死」に直面しないとそれを実感しない。
「死」とは人間にとって最も近くにあり、けれども意識の中で最も
遠くにあるものでは無いだろうか。
何故冒頭からこんな事をつらつらと述べているかと言うと、かくいう俺も今まで「死」と言うものを実感していなかったからだ。
こんな事を考えるとは、1週間経ってもやはりショックから立ち直ってはいないらしい。
先週じいちゃんが死んだ。
帰ったら家の前に救急車が止まっていて、そのままじいちゃんが搬送されて行った。
ばあちゃんは付き添いで救急車に乗り、仕事から急いで帰って来た母親と車に乗って病院に行った。車の中で聞いた話だと畑から帰って来て、急に倒れたらしい。
その後、病院に着いた頃にはもう手遅れで、じいちゃんは亡くなっていた。心不全だったらしい。
なんの言葉もなくじいちゃんとは会えなくなってしまった。
俺の両親は共働きで、じいちゃんが倒れた時も母親は幸いすぐ来ることが出来たが父親が来たのはじいちゃんが死んだ後だった。
その為俺は小さい頃からじいちゃん、ばあちゃんに育てられた。
じいちゃんは俺によく昔の話をしてくれた。
若い頃は大分やんちゃだったようで、やれどこの誰と喧嘩したや、
あの時の喧嘩は死ぬかと思っただの、今思えばバカバカしい話も、小さい頃の俺はそのバカバカしい話が大好きだった。
じいちゃんとの時間が大好きだったのだ。
だから俺は、1週間前の自分を、じいちゃんと大喧嘩して別れた俺を許すことは出来ない。
放課後、あの世の入口前で 花鳥 月風 @nozomu110
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。放課後、あの世の入口前での最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます