第39話 逆転

 熱い。

 背中に強い熱さが走り、ぼたぼたと熱い液体が垂れているのがわかる。

 それが血液だと理解した瞬間に、激痛が襲う。


「あ……」


 反射的に背に触れた手の平にはべっとりと赤い血がこびり付いていた。

 鮮やかな赤。


「君たちは魔法感染をうまく隠してる。だが、魔法は確かにこの世に存在している。いつまでも隠し通せるようなものじゃない。僕はそれを世間に知らせたいんだよ」


 首を掴まれる。


「――かは」


 華奢に見える細腕からは信じらないくらいの強さで首が絞められる。片腕でだ。

 息ができない。

 もがく。蹴りをいれるが、壁でも蹴っているような感触だ。


「教えてやる魔導官。僕は世界に革命を起こす。これから全世界に魔法を感染させる」


 そんなこと。

 ふざけるな。

 そんなこと許されるわけがない。

 妹の変わり果てた姿を思い出す。

 彼女はとてつもなく苦しんでいる。

 自分も変わってしまった。

 父も母も殺されてしまった。


 それを全世界に広げるなど許されるはずがない。

 自分の首を掴む少年の腕を握り締めると、首を絞められながら叫ぶ。


「カラドボルグの魔剣を!」


 少年の腕を媒介として魔剣が生成され、少年に突き刺さった。

 防御魔導円が展開され、気が削がされたのか首を絞める力が弱まった。

 その隙になんとか逃げる。


「……なかなかやるね、君」

 

 背は裂かれた痛みで引き攣り、首を強く掴まれていたせいで息もしづらい。大量に血が流れているせいで徐々に意識も朦朧とし始めている。

 やるしかない。最後の奥の手だ。

 魔力消費が激しくて、一度しか使えない。その上、相手に通じるかすらわからない。


 だがやれるとしたら今しかないだろう。

 会話で時間を引き延ばすのも難しそうだ。

 両手いっぱい砂を掴むと、膝をついて立ち上がる。

 息を吸い込む。


 全魔力をぶつける気持ちで。

 呪文の声は大きいほど威力が高まる。相手に知られるリスクを負うからだ。

 目の前には強い魔力の光が見える。少年だ。


「カラドボルグの魔剣よ!」


 絶叫し、砂すべてに魔力を込めて、投げつけた。

 砂一つ一つが剣となり、少年に突き刺さった。

 砂は小さいので剣の長さの倍数も大きくする必要がある。

 まるでマシンガンのように強烈な勢いで、無数の剣が少年に撃ち込まれていく。

 一本一本でも魔力を使うのに、これが無数だ。しかももっとも殺傷力の強いパラメータで投げつけてやった。


 強烈な魔力消費を感じるとともに、下腹部が痛むのがわかった。

 呪の発動だ。

 これでダメなら――脂汗が流れ出る。

 砂ぼこりが収まり、絶望が訪れる。


 少年の体を覆うような巨大な魔導円が展開されており、まったくの無傷だった。


「じょ、冗談でしょ……」


 少年を守る魔導円が消える。

 逃げようとしたが、魔力消費が激しくて、体がついてこない。


「魔導官ってのはなかなか強いんだね。ここまで魔法を操れる人間はあまりいない」


 まずい。

 貧血で意識が遠のいていく。

 そのとき。


「1,2,2」


 知った声が聞こえた。

 眼前の少年に魔法の弾が着弾した。


――魔導円が展開されてる。


 少し朦朧とはしていたが、見えていた。

 彼は何もしていなかった。なのにガードした。

 つまりは防御魔法は別に術師がかけている。


 これが三つ目の魔法の正体。大したことないじゃないか。


 何とか起き上がると、魔法が飛んできた方向を見やる。西岡がスマホを翳していた。

 なぜかマウンドにいる。逃げるように言っていたはずなのに。西岡の力量では、まず勝てない。

 自分ですら厳しいのだから。

 声が届くかはあやしいものだが、かすれた声で精一杯怒鳴る。


「バカ!」


 私など放っておけ。助けを呼びに行け。

 声にならぬ指示。


「2,2,2」

「爆ぜろ」


 轟音とともに、マウンドが発光した。

 収縮、爆発。その爆風で舞い上がった砂が叩きつけるように私の頬を打った。

 目をつむり、腕で目を庇いながら爆風が収まるのを待つ。


――西岡、君!


 砂ぼこりが収まったころ、マウンドをみやると大きな穴が開いている。

 死んでしまった。

 自分の力不足を悔やむ。わなわなと両手を握りしめたまま、座り込んでしまった。


「ねえ、君たち魔導官を殺せばどうなるだろう? 政府は魔法を公表するだろうか?」


 後ろから声が聞こえた。西岡の死など、蚊を叩き潰したくらいの感覚なんだろう。

 一体こいつは、なんなんだ。私ははじめて恐怖した。

 今までの魔法感染者と格が違う。

 勝ち目がない。途端に絶望感が襲ってくる。

 だが。


「1,2」


 頭上が聞こえてきた。見上げると、西岡が空高く飛び上がっていた。


「!」


 爆破を宙に飛んで逃れていたらしい。

 少年は煩わしそうに西岡の魔法を振り払うと、再び爆破や切り裂きの魔法を放つ。

 しかし西岡は突然スピードを上げるため、逃げ切る。何度も何度も。

 私はその光景に呆気に取られていた。


「……西岡君」


 結構きわどいタイミングだが、西岡はうまく爆破を避けていた。あの驚異的な跳躍を見せる魔法が有効なのだろう。自分以上に立ち振る舞いが上手い。

 いつもの臆病な性格が引っ込み、別の人格が出てきているようだ。


「お前の魔法なんか、全く当たらない!」


 挑発すらしている。

 当たらない西岡に少年も苛立ってきたのか、棒立ちだったのが西岡に近づいて攻撃というように変わってきている。


 いつの間にか少年のほうがマウンドの上に立っていた。

 それこそが西岡の狙いなのだろう。私も途中から気が付いていた。

 いつも猫背気味の西岡が背筋を伸ばし、大きく空気を吸い込んだ。


「ああ……」


 体がびりびりと震える。空気が魔力を孕むせいなのか、彼の成長に感動しているのか。背中の産毛がぜんぶ総毛だつのがわかった。

 西岡の体が魔力で包まれている。


 そして、朗々とした声が球場に響いた。


「マキシマム」


 ◆


「マキシマム」


 自分の足元が光輝く。


 魔導円と気が付いたときはすっかり光に包囲されていた。だが、自分は興味を持てない。どうせ自分を傷つけることはできないのだから。

 無視して、あの羽虫を見やる。


 あちらのほうが鬱陶しい。

 ぶんぶんと耳元で飛び回るだけで目障りだし、耳障りだ。

 あのなんとかという野球少年は、ダメだ。これ以上の舞台には立てない。

 代わりがいる。


 あの魔導官の女。

 こういう若い魔導官は珍しい。それも美しい少女。

 派手に殺そう。


 そうすればセンセーショナルなニュースになる。


「爆ぜろ」


 まずは羽虫退治だ。

 そう言いながら語手を翳すが何も起こらない。

 なぜか魔導円が展開されない。


「なに?」


 初めて感情らしい感情を出す。

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