第35話 スマートフォン版グリモワールは機能としては限定的

 黒木さんの姿がなくなる。

 僕は言われたとおりに座席に座ろうとして、躊躇する。


――このまま座っていていいのか?


 自答した。

 人生を変えてやるんじゃなかったのか? 彼女に認められたいのじゃなかったのか?


「おい、西岡聞いてんのか、なんなんだ。デートなのかよ。お前どうやったんだ」


 魔法を欲するのは、なぜだ。


「黒木さん飛び降りっちゃったけど。しかも元気に走ってるし」


 あのままの自分に嫌気がさしたからだろう?


「おい」


 激しく自分の肩を揺さぶってくる村上の腕をがしっと掴むと、


「うるさい。何も知らない奴は黙っておけ」


 そう怒鳴りつける。

 驚いた村上は、唖然とした顔でこちらを見ていた。

 僕はその顔を一瞥すると走り出す。柵のほうでなく、階段のほうへ。


――飛び降りれる気はしない。


 何かやれることがあるはずだ。

 学校でも緊急に魔法を変えたい場合に、スマートフォンに接続をして切り替えを実施していた。とりあえずトイレの個室に入るとケーブルを首元に突き刺す。


『ようこそ。魔法開発総合環境グルモワールへ』


 黒木さんの課題クリアのために様々な魔法をつくった。彼女は、まるでこういうときのことを想定していたかのようだ。魔法は一朝一夕では作れない。

 だから様々なシーンを想定してあらかじめ作成しておき、実践では切り替えを実施する。


 何か使えるものはないか。

 スマートフォン版グリモワールは機能としては限定的だ。

 アプリケーション開発機能は削られており、過去に作ったことのある魔法をロードしてセットするだけの機能。


 魔導円の方向へ魔法を放つ。

 使えない。

 魔導円を描いたところへ、声を届ける。

 使えない。

 魔導円を描いたところへ、物を届ける。

 使えない。

 魔導円の書かれたものは、一度だけあらゆる物体に反発する。

 使えない。

 魔導円で計算し、結果を光で返す。

 もちろん使えない。


「あああ、何やってるんだ僕は、一つも使えないじゃないか」


 しかも、そもそもどういうことができれば、彼女の助けになるのか想像すらできていない。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 個室で狼狽え。うろうろしている。

 するとトイレの外が騒がしくなっている。


「煙りだ。消火しろ、消火!」

「誰か、119番!」

「観客を外へ出せ」


 騒ぎが大きくなってきているようだ。焦りだけが募る。


――まず敵を見ないと作戦も立てれないか。


 とりあえず、魔導円の方向へ魔法を放つ魔法と、魔導円の書かれたものは、一度だけあらゆる物体に反発する魔法をセットした。それなりに使えそうだったから。

 根拠はないのだが。

 まずはグラウンドに出てみるか。

 すると。


 とぅるるるるるるん!


 けたたましい音が鳴った。


「うわっ」


 驚きすぎて、スマートフォンを落としそうになる。

 表示名は、小早川さん、とある。


 警察に捕まったときに、ぼやきながらも何かを面倒を見てくれた警察官の名前だ。気の良いおじさんという感じで話しやすかったのを覚えている。何かあったときのために、ということでラインを交換していたのだ。

 しかしあまり親しくない大人と話すというのは緊張する。

 気を付けをする感じで電話に応答した。


「西岡か?」

「は、はい!」

「嬢ちゃんが電話に出ないので、君にかけた。あー君らが追いかけてる上条だがな」


 小早川さんの声が沈んだものになる。


「ちょっと筋の悪いやつらと付き合いがあるぞ。気を付けたほうがいい」

「……もう遅いですよ!」

「なに?」

「い、い、今、大変なことになってます。早く助けを!」


 それからトイレの外に出てみると、得体の知れぬ黒い煙に覆われ、多くの人が切羽詰まった表情で走り回っていた。

 何が起きてるんだ。

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