第30話 魅惑の少年
俺、上条秀樹は、ガキの頃から野球漬けだった。
だが結局才能がなかったのだろう、俺より後に始めた同級生にポジションを奪われ、下級生にも抜かれた後、名門のリトルリーグを辞めた。
遊びレベルの野球部のある公立の高校へと進みお遊びレベルの野球をする日々。
物足りなかった。
けれど、その上のレベルには届かなかったし、何とかする意欲もなかった。
そんな時だった。彼と出会ったのは。
その日は酷い雨で部活がなくなり、部活メンバーで繁華街で遊んだ帰りだった。
「あれは、中尾じゃないか」
友人の一人がそんなことを言った。
見やると長身の制服を着た男が、妙な男と歩いているのが見えた。
中尾といえば、去年夏の甲子園で準優勝した高校のエースだった男だ。リトルリーグでも一年上で活躍していたのを覚えてる。
だが。
「たしか、あいつ肩壊したんだよな」
友人が小声でいう。
「……それで荒れてるってか」
中尾も色々噂のあるやつだが、今一緒に歩いている男とはあきらかに異質だ。
見た目からしてなかなか質が悪そうだ。格闘技でもやっていそうな体格、ピアスやらチェーンやらが全身についている。極めつけはその頭だ。髪の毛一本もない。ヤクザといっても納得できる外見だ。
すれ違う時はさすがに黙る。揉めても面白くない。こちら武闘派ではないのだ。
そのとき中尾の声とともに大学生の声が聞こえた。
「あいつら野球部じゃねえのか、なあ中尾」
「!」
思わず足を止めてしまう。
一緒に遊んでいた友人の一人のカバンからバットがはみ出ていたので、気が付かれてしまったらしい。無駄に持って帰るなよ。
話の流れからして、やばい気がする。
「あん、お前、どこかで見たことあるな」
足を止めてしまったのがまずかったのか、中尾がこちらを見ながら、そんなことをいった。
「やばいって逃げよう」
「あ、ああ」
逃げようとしたところを強い力で引き止められてしまった。
「ずいぶん楽しそうじぇねえか、練習もせずに何やってんだよ」
中尾は威嚇するように口元を歪めながら俺の手を掴んでくる。
――手はピッチャーの命だ。
「や、やめろ」
振り払おうとして、中尾でなく、巨漢の男の顔を殴る格好となってしまったのだ。
「なんだ、お前」
どす黒い殺意と同時に首を物凄い力で捕まれる。
「ちょっと来い!」
なんとか首をつかむ腕を外そうとするが、まるで万力だ。自分の倍以上ある腕は固く外れない。俺は宙ぶらりんになりながら、そのまま路地裏に連れていかれた。呼吸しにくく、意識がもうろうとする。
呼吸ができなくなり、空気を探そうとして喘ぐ。代わりに先ほどカラオケで散々飲んだクリームソーダ―が口から吐き出された。
「汚ねえ! 俺の足に掛かってんじゃねえか、コラ」
ごすごすと鈍い音ともにまた蹴られた。
それから言われるがままに、路地に連れていかれた。気が付くと一緒にいた友人たちは逃げたらしく、姿がなくなっている。
――こんなもんだよな。警察でも呼んでくれていたらいいけど。
半ば諦め気分で自嘲した。
明らかに学生が来てはいけないような系統の店が立ち並んでいる。ホスト店、キャバクラ、風俗……。
その一角にある薄汚れた雑居ビルに立ち止まった。灰色の汚れた壁には昔流行ったバンドの色褪せたポスター、アート風の落書きがあり、あたりには割れたガラスの破片が散らばっている。そして扉のない入り口がぽっかりと口を開けている。
明らかに入るとやばい感じだ。
暗闇の奥へと連れていかれる。大勢の人間のいる気配。
この中にはいってはいけない。本能が強く拒絶したが、両脇をがっしり掴まれており、少しでも抵抗するとわき腹を殴られる。汚れた、埃まみれな部屋だが薄暗さと、いやらしい色の照明と臭いがそれらを覆い隠している。タバコ、大麻、覚せい剤、そういったものが吸われていそうな部屋だ。
俺は絶望的な想いでそれらを眺めていた。
「今思いだした、お前、上条だろ。リトルリーグにいたよな」
中尾のそんな声が聞こえた瞬間に、背中を強く押された。
「痛っ」
突き飛ばされて床に手を思わずついてしまった。散らばっているガラス破片で利き腕を切ってしまった。大事な右手を。
「なに――」
さすがに激高しかけて、状況に気づき黙ってしまう。
周囲には何人もの男たちで囲まれていたのだ。
「ちょうどピッチャー探してたんだよね、上条君」
中尾はそういうと、奥にいる男に向かって頭を恭しく下げた。
「……俺の代わりをみつけてきました」
血が流れだす右手を庇いながら、その方向へ視線をやる。
そこには妙な少年がいた。上質の服装に綺麗な金髪。芸能人ともいえそうな雰囲気だ。周囲にいる厳つい男たちとは明らかに違うその雰囲気に、訝しる。
――なんだ、こいつ。
明らかに自分たちくらいの年齢なのに、周りの年上の強面たちを従えているのだ。先ほど俺を蹴りつけた体中にチェーンをつけている男も完全に従っている素振りを見せている。
「マノウさん」
まのう?
おかしな名前だ。マノウというのはどう書くのか。外国の言葉か?
マノウと呼ばれた少年は微笑んだ。それは魅惑の少女に微笑んでもらったように感情を揺さぶった。
「人生のチートを教えてあげよう」
予想外の言葉に俺はぽかんと口を開けた。一体こいつは何を言っているんだ。一体こいつは何者なんだ。
「今時の高校生には、こういえばいいと聞いたのだがな?」
「はあ……」
お前も同じような年じゃないのか?
少年はそんな俺の胸中など気にもせず、無造作に近づくと俺の手を掴んだ。傷ついた右手のほうだ。彼はその傷を見ると悲痛な表情をした。
「治れ」
するとみるみるうちに、ガラスで怪我をした傷が癒されていくではないか。
唖然としてその光景を見ていると、すぐ近くで悲鳴が上がった。中尾だ。
「痛いぃ」
中尾は自分の右手を抑えている。その手からは大量の血が流れていた。ちょうど自分が怪我した場所と同じに見えた。
「ひいいいぃぃ、マノウさん、ご命令通りピッチャーを連れてきたというように、ひひひ、酷いじゃないですか」
「どうせ君の右手は使えないんだろう?」
もういらないじゃないかと、少年は不思議そうに言った。
その心底不思議そうにいう彼の様子を見て、俺はこいつは本物だと思った。
普通の人間の感覚じゃない。そして何なんだ、この力は。傷が治った?いや傷が移った感じだな。中尾の傷をさきほどの自分の傷はちょうど同じ位置に見えた。
騒ぎ立てる中尾は、別の人間にどこかへ連れていかれている。そして代わりにワインのようなものを渡された。高そうなグラスに注がれたワインは、血の色をしていた。
「ワイン?」
「それを飲めば、君の世界は変わるよ」
「どう変わるっていうんだよ?」
暴力でここに連れてこられ、周囲を取り囲まれているというのに恐怖を感じていなかった。
「凡人でなくなる。少なくともね」
本当の話なんだろう、すぐにそう思った。そう思わせるだけの力がマノウと呼ばれる少年から感じたのだ。このまま努力したって大した投手にはなれない。高校でそこそこの球を投げられた。それだけだ。大人になれば、後悔しながらテレビでプロの選手を見ることになるのだろう。
もし、あの時誘いに乗っていればと。
俺はワインを飲みほした。
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