第20話 黒木レイ 上
「お兄ちゃん!」
振り返るとそこには妹がいた。
オレは面倒だった。これから友達と野球をするというのに、女の妹がいたら邪魔なのだ。
だいたい妹はまだ小さいのだ。混ざったところでまともにプレイできないし、どうせ転んで怪我して泣くだけだ。
そのことを何度説明しても、彼女はオレの後をついてくる。
「ねえ、どこ行くのよー。私もいく!」
オレは妹を撒くことにした。
試練だといって、普段通らない裏道を通り、フェンスの下に空いている穴を抜ける。草むらになっているところを抜けると、ほら妹はついてこれなくなった。
振り返ると妹の姿はなくなっていた。
オレは成功したことに満足すると、そのまま友達の待つグラウンドへ向かった。
妹はそのうち諦めて自宅へ帰るだろう。
日が暮れるまで野球をやった。
最後は一番スイング力があるやつが、思い切りホームランを打って、ボールをどこかへやってしまった。
すこし探したけれど、暗くなってきたので諦めて明日探すことにした。
家に帰るとマンションの入り口に、なぜか複数の大人たちが途方に暮れていた。いつも入り口にいる警備員のおじさん、管理人のおじいさん、他にも知らない顔がある。そして、その中に母親の姿もある。母親はオレの顔を見るやいなや大変な形相で、こちらの肩を掴んだ。
「イチがいないの!見なかった? こんなに暗いのにどうして。パパも出張なのに」
オレは母親の話を聞いて血の気が引いた。
そしてグラブを投げだし、一目散に走り出した。
「探してくる!」
妹はオレを追おうとして、あのまま裏道を通ったのだろう。そして迷子になった。
それしか考えられない。
たぶん大人たちには見つけられない道だ。オレがなんとかしなきゃ。
脳裏に妹の笑顔が浮かぶ。
学校帰りにしょっちゅう歩いた裏道だったが、夜入ってみるとまるで印象が違う。暗いだけで未知なる恐怖が潜んでいるのだ。獣の鳴き声、得体の知れぬ物音。
オレはごくりと唾を飲み込んだ。
怖いが小さい妹はもっと恐怖を抱いていることだろう。
絶対に見つけてやらないと。決意すると闇の中へ飛び込んだ。
「イチ!」
暗闇の中へ呼びかける。
探すが全然わからない。
暗いし、人がいるのかすらわからない。何かに触れて、ぎょっとするがただの木だった。
「イチ!」
やがて先ほど野球をやっていたグラウンドへと辿り着く。
「あ、ボール」
なくしたボールを見つける。グラウンドでなく逆視点で探したことで見つけられたようだ。
それならと思い、妹をグラウンドから探し直す。
しばらく探すが結局見つからなかった。
すごすごと自宅へ歩き出す。
一旦母に見つからなかったことをいうしかない。今、何時なのかわからないけれど、大分遅くなっているし、先ほど転んでしまって、膝から血が流れている。
あのとき、イチもつれてきてあげていれば。
その後悔の念に囚われる。
自宅のマンションにつくと、既に大人たちがいなくなっていた。
オレは、きっと妹は見つかったんだと思った。走ってエレベーターホールを抜けると自宅に向かうエレベーターへと乗り込む。
家に着くと、なぜか入口が開いたままだった。
不審な気持ちで、家の中をのぞき込むと、顔なじみの警備員の大きな背中が見えた。
「おじさん、どうしたの?イチは?」
「逃げな、さ」
警備員は、倒れる間際に俺にそう言うと、フローリングの廊下に、大きな音を立てて倒れた。
その背中には大きなピンク色のきれいな穴が開いていた。そこからドロドロとした粘着質の真っ赤な血液が流れている。
「レイ、にげなさ……!」
母は何かに顔を掴まれて空中で手足をばたつかせている。
視線をずらしていくと、そこには異形な大男が母を掴んでいた。全身土気色の肌は剛毛に覆われている。まるで鬼だ。
子供ながらにオレはただ泣き叫んだ。
物凄い音がして、母親の首が九十度曲がった。口から涎、下半身から糞尿が垂れる。長い舌がベロンとだらしなく飛び出した。
逃げ出す。
「お兄ちゃん!ねえ、どこ行くのよー。私もいく!」
妹が叫んだのが聞こえた。
「イチ!こい!」
今度は一緒に連れていってやる。
余裕のない口調で叫びながら、振り向いた。
そこには妹がいた。
全身に充血した眼球を植え付けて。
顔面に目玉が四つか、五つ、両腕にも目玉が垂直に並び、オレをぎろっと睨んだ。
「お兄ちゃん!私もいく!」
◆
私は、目を覚ました。頬が涙で濡れている。
久しぶりに家族の夢を見た。
呼吸が荒い。心臓がばくばくとうるさいくらいに鳴っている。
汗だくだ。
全身妙な気怠さがあるが、大丈夫そうだ。魔力の方はよくわからない。あの時、彼の魔導円に触れられた瞬間に魔力を使い切った時のように全身の力が入らなくなったのだ。
薄闇の中で手足に力を入れる。ぐー、ちょき、ぱー。足も同じように。
とりあえずあまり問題なさそうだ。
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