第27話 パコリーヌ恋人騒動

 カチカチと秒針の音が大きく聞こえるほど静かなリビング。


「母さん。お茶のお代わりを頼む」


「……あなた、それもう五杯目よ? 大丈夫?」


「ああ、大丈夫さ。国家プロジェクトから帰ってきた息子と会うのが緊張しているわけじゃないぞ」


「全部口から出てるわよ。はい、お茶……」


「ありがとう、母さん……熱い……!」


 ふーふーと冷ましてからもう一度、母さんが淹れてくれたお茶をすする。


 そうだ。ただ息子と会うだけじゃないか。


 緊張する必要はない……ないのだが……今回は事情が違う。


 私の自慢の息子である大吾はとても優秀だ。


 いつまで経っても平社員の私とは大違いで、大会やコンテストに応募すればいつも賞状を持って帰ってくる。


 学業も優秀で、家族愛にもあふれた「完璧」という言葉は息子のために在るんじゃないかと考えるくらいには優秀だった。


 もちろん引け目など感じたことはない。


 母さんが腹を痛めて産んでくれ、二人で愛を注いできた子の成長はいつだって喜ばしい。


 けれど……けれど、今回ばかりは事情が違う。


 国家プロジェクトに選ばれたというのは過去最大の勲章。


 わかりやすく凄さを説明されて、改めて実績に圧倒されてしまっている。


 自分が情けなくて涙が出てきそうだ……。


「……母さんが普通過ぎるんだよ。国家プロジェクトだぞ、国家プロジェクト」


「そうは言ってもあなた、一週間会っていなかっただけじゃない」


「しかし、男子三日会わざれば刮目してみよと言うだろう? どうしよう、ムキムキになって帰ってきたら……」


「そんなすぐに肉体改造出来たら世の中マッチョマンだらけよ」


「そ、それもそうだな。ははっ、すまない」


 もう一度、温かい緑茶を口に運ぶ。


 温かさが緊張で固まっていた身体を弛緩させてくれた。


「……よし、決めたよ、母さん」


「いったいなにを?」


「今日は大吾をめちゃくちゃ褒める」


「ふふっ、それがいいわ。そうしましょう」


 私も母さんも晴夏のために働く時間が増えたから、どうしても大吾に構ってあげられる時間は少なくなってしまった。


 それでも文句ひとつ言わずに晴夏の面倒を見てくれたり、してくれた立派な息子をねぎらおうじゃないか。


 ピンポーンとインターホンが鳴る。


「来たみたいね」


「どれ、私が鍵を開けに行こう」


 廊下を歩いて、玄関の鍵を回す。


 大吾の顔つきも少しばかり大人になっているのだろうか。


 開くドアの向こう側を楽しみに見つめる。


 視界に飛び込んできたのは、修羅場を潜り抜けて男としての成長を感じさせる顔つきになった愛息と。


 銀色の髪を持つ明らかに外国生まれの少女。


 くりりと大きな紅の瞳。手入れが施された白い肌。


 著名人がかわいそうになるくらい整ったプロポーション。


「ただいま、父さん。ちょっとだけ顔出しに来た。……で、彼女なんだけど」


「は、初めまして! パコリーヌって言います! みやっち……大吾さんとは仲良くさせてもらっています! よろしくお願いします!」


 国家プロジェクトに選ばれた息子が一週間で超絶美少女な恋人を連れて帰ってきた件について。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




『…………』


 無言が空間を支配する。


 父さんがパコリーヌに衝撃を受けたのはわかった。


 さっきからひっきりなしに俺とパコリーヌに視線が行ったり来たりを繰り返している。


 一方で母さんはいつも通りで慌ただしい父さんの背中を叩いて、落ち着かせていた。


「ごめんね、パコリーヌちゃん。ちょっとこの人、想像していないシチュエーションが来て、緊張しちゃっているみたいで」


「い、いえ、大丈夫です! 私も急にお邪魔してしまい、すみません……」


「ううん、いいのいいの! 大吾がお友だち連れてくるなんて初めてだから、おばちゃんも嬉しいわ~!」


 そう言う母さんはニヤニヤとした視線を俺に向けてくる。


 これは間違いなく勘違いしているやつだ。


 ちゃんとパコリーヌは友だちだと説明したが、「思春期の息子が恥ずかしがって嘘をついている」ととらえられたらしい。


「それにしてもパコリーヌちゃん、すごく日本語上手ねぇ。やっぱり国家プロジェクトだけあって、優秀な子が集まるのねぇ」


 母さんたちに天獄学園の詳細は伏せられており、ただ国家プロジェクトに選出されたという事実しか伝えられていない。


 まさか考えもしないだろうな。


 俺とパコリーヌは童貞を奪い、守り合う仲だなんて。


「い、いえ、あーし……じゃない。私はいつもだ、大吾さんに迷惑かけてて……」


「なに言ってるんだ。助けてもらってるのは俺の方だよ」


「そ、そうかな。えへへ……」


 照れたパコリーヌは頬をポリポリとかく。


 彼女もまた家族の前で緊張しているのか、いつもより大人しい。


 普段なら「濡れるかも……」と返すような場面でも、俺たちの常識に合わせてくれているのかもしれない。


「あら~、とっても仲がいいのね? よかったら、二人のなれそめを聞いてもいい?」


「母さん……」


「は、はい! えっと、え~と……大吾さんとは私から話しかけて、一緒にお弁当食べたりして……」


「うんうん」


「保健室で大吾さんを襲っちゃって」


「うん……うん?」


「大吾さんにやり返されちゃって、いろいろあって……仲良くなりました」


 パコリーヌさん!?


 とっさに彼女を見やると、顔が真っ赤になってオーバーヒートを起こしていた。


 彼女なりに童貞デスゲームを伏せて説明しようとしてくれたのだろうが、それだと誤解しか生まないから!


「か、母さん! 今のは違うんだ!」


「……大吾」


「は、はい!」


 母さんの滅多に聞かない圧のある声に思わず背筋を伸ばす。


 父さんに視線で助けを求めるが、パコリーヌの発言に固まっていて使い物にならなかった。


 パコリーヌは髪をもふもふとさせて、ゆであがった顔を隠している。


 ゴゴゴと効果音が聞こえてきそうな雰囲気を醸し出しながら母さんが口を開く。


「今日は赤飯を焚くわよ! ご飯食べていきなさい!」


 そっちかぁー!


 完全に母さんはパコリーヌを彼女として認めていた。


「そうよ、それがいいわ! あなた! 固まっていないで、ちょっとスーパーで赤飯買ってきて!」


「背中痛いっ!? えっ? なに!? 赤飯!?」


「おばちゃん、腕によりをかけて作っちゃうわよ!」


「あ、あの! 私も手伝っていいですか?」


「あら、本当? パコリーヌちゃんもお料理できるの?」


「は、はい! 女体盛りとか得意です!」


「だ、大吾……?」


 父さんが信じられないものを見る目をしていた。


「ちょっと待ってくれ! 勘違いしてる! 女体盛りはパコリーヌの故郷でめでたい時に食べる郷土料理のことで……!」


「そんなのあるわけないだろう! 彼女を巻き込んで特殊プレイするのはほどほどにしなさい!」


「ですよね! すみませんでした!」


 全員が全員、いつもよりテンションがおかしいせいで場がおさまりつかなくなっていく。


 結局、母さんが父さんを殴って落ち着かせて、男勢で買い物に行かされることになった。


 俺とパコリーヌが恋人同士という誤解は解けないままだった。

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