第7話 一寸先は……

 カチカチと秒針が進む音が聞こえる。


 時間が経つにつれ、体が凝り固まっていくのを感じる。


 深呼吸をして緊張をほぐすと、すぐに飛び出せるように椅子を後ろに引いた。


 壇上の先生が行っている授業などメモすらしていない。


 俺がノートに書いているのは教室からの脱出経路。


 5人だけの生徒には十分すぎる広さの教室で俺が陣取ったのは窓側最後列。


 俺はまだ校舎の地図をインプットしていない。


 それに休み時間は他の生徒も廊下にいるはず。


 運動能力にそれなりの自信があるので、障害物には阻まれたくなかった。


 ならば、選択肢は自然と窓側一択になる。


 俺たち一年A組の教室は二階。さらに下はグラウンドだ。


 これくらいなら最悪の結果にはならないだろう。


「ふんふふっふーん」


「…………」


 のんきに鼻歌を歌っているパコリーヌと姿勢正しく授業を受けているクラリア。


 ただ時折、視線がこちらを向いているのには気づいている。


 パコリーヌは俺と同じ窓側の最前列。クラリアは教室のど真ん中に席がある。


 そこから二人がどうやって動いてくるのか。


「ふぅ……」


 いよいよだ。


 ついに俺の童貞を賭けた逃走劇が始まる。


 そして、チャイムの音が鳴った――。


「――【石化】」


「うぐっ!?」


 立ち上がって駆け出そうとした瞬間、ピタリと足が動かなくなる。


 走りだそうとする意志に体がついてこない違和感。


 見やれば、両足は灰色に色を変えて床とつながっていた。


「これは……!?」


「魔法よ」


 ゆっくりと立ち上がったクラリアの瞳が妖しく光る。


 その手には桃色の光を放つ杖が握られていた。


 創作の中でしか見たことがない超常現象を目の当たりにして、自分の認識が甘かったと痛感する。


「わかる、宮永? これが人間とサキュバスの違い。あなたの童貞は奪われる運命なの」


「く、くそっ……」


「……サキュバスと仲良くしたいというあなたの気持ちは立派だと思うわ。だけど、あなたの童貞は私がいただく――」


「――ほい、【魔法解除アンロック


「うおっ!?」


 固まっていた足が解放されて転びそうになるのを踏ん張る。


 俺とクラリアの間に立っていたのは銀髪をなびかせたパコリーヌ。


 覗けるトパーズのイヤリングがキラキラと輝く。


「大丈夫、みやっち?」


「あ、ああ。問題ない……けど」


「そっか。なら、よかった」


 そう言ってニカリと笑うパコリーヌ。


 対照的なのはドスケベ行為を邪魔されたクラリアだ。


 眉間にしわを寄せて、こちらを睨みつけている。


 どこか焦りすら感じる声でパコリーヌを責める。


「なぜ、パコリーヌ? あなた、サキュバスのルールを忘れたの?」


「覚えてるよ。でも、みやっちとはお昼ご飯食べる約束したし? それまでに童貞奪われたら無駄になっちゃうじゃん」


「邪魔しないでくれる? 私は今度こそ童貞を奪わないと……!」


「それもクラリアのお家の事情じゃん。あーしはあーしの好きにする。クラリアもクラリアの好きにしたらいいよ」


「……っ! 【石化】!」


「【魔法解除】!」


 クラリアの魔法とパコリーヌの魔法がぶつかり合って、相殺される。


 二人から放たれた光が弾けて、眩しさが教室を包み込んだ。


「みやっち! 逃げて! ここはアタシに任せてよ!」


「……! ありがとう、パコリーヌ!」


 そうだ。ぼうっと呆けている場合じゃない。


 彼女が時間を作ってくれているのだ。


 俺も俺の目的を果たさねば。


 窓を開けると陽気な風が吹きつける。


「俺は飛べるんだぁぁぁ!!」


 逆風を切り裂くようにグラウンドへと飛び降りた。


「うぉぉぉぉぉっ!」


 見事に五点着地を決めた俺は激しい爆裂音が鳴り響く教室へと目を向ける。


「へへっ、やったね、みやっち!」


 そこにはサムズアップを決めたパコリーヌがいて。


 試合終了を告げるチャイムが鳴り響いた。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 パコリーヌの助けもあり、俺は初めての童貞デスゲームを生き延びた。


 それからの休み時間もパコリーヌとの共闘という形で乗り切っていく。


「イエーイ、みやっちっ。お昼ご飯、食べよ~」


 そして、ついに一日の半分である昼休みにたどり着いた。


 パコリーヌは自分の机を持ってきて、俺のとくっつける。


 クラリアはすでに諦めたのか教室に姿はない。


 つまり、俺はパコリーヌと二人きり。だが、微塵と不安はない。


 彼女となら信頼関係を築けると思えたし、何より歩み寄ろうとしてくれている。


 俺をただの童貞えものと見ていなかったのが嬉しかった。


「これ、全部パコリーヌが作ってくれたのか?」


「うんうん! 最近は家庭的なギャルが流行ってるじゃん? あーしも時代に取り残されないように~って練習したんだよね~」


 テーブルに広げられた数個のお弁当箱の中には、これでもかというくらい定番のおかずが詰め込まれている。


 唐揚げ、たこさんウインナー、卵焼き、きんぴらごぼう、白身フライ、ポテトサラダ……。


 一目見ただけでわかる。これは美味いやつだ。


「お味噌汁もあるよ。この国の技術ってすごいよね~。これに入れておけば冷めないんだもん」


 魔法瓶から注がれたのは豆腐とわかめの味噌汁。


 受け取ってそのまま口に運べば、その温かさが胃に染み渡っていく。


「……あ~あ、飲んじゃった」


「ん? 何か言ったか?」


「ううん、なんでも。どう? 美味しい?」


「すごい美味しい!」


「そっかそっか。いっぱい食べて午後も乗りきろうね」


「ああっ!」


「あははっ、そんな急いで食べなくてもなくならないって~」


 笑顔が絶えないパコリーヌと一緒に弁当をつつき、楽しい時間を過ごす。


 クラスメイトと談笑しながら昼食をとる。


 この学園において俺の理想ともいえる光景が目の前にあった。


「はぁ~、ごちそうさまでした」


「お粗末様でした。よかったらさ、また明日も作ってきてもいい?」


「俺から頼みたいくらいだ。毎日食べたい」


「はははっ、それじゃあプロポーズみたいじゃん。みやっち、恥ずかし~」


 言われてみれば……うかつだった。


 真っ赤になった顔を手で仰ぐパコリーヌ。その視線はあちらこちらと忙しない。


 気まずくなりそうなタイミングで次の授業を受け持つ先生が教室へと入ってきた。


「あっ、先生もやってきたし、うちも席に戻るね」


「このまま隣じゃダメなのか?」


「あーしはいいけど……みやっちはいいの? あーしが襲うかもしれないよ?」


「大丈夫だ。パコリーヌを信頼してるからな」


「みやっち……。うん! わかった! じゃあ、失礼しま~す」


 パコリーヌは元の位置に戻そうとした机を俺の隣に並べる。


 さっきのは心から出た言葉だ。俺はパコリーヌを信じている。


 例えこれまでの行動が打算だったとしても、パコリーヌとは友達として卒業を迎えたい。


 俺の気持ちが素直にそう思えるようになっていた。


「えへへ……恥ずかしくて濡れてきちゃった」


「ははっ、ハンカチ使うか?」


 彼女とならば学生性活も乗り越えていける。


 そう思った矢先だった。


「ふぐっ……!?」


 ぎゅるるるるると嫌な音が腹から聞こえる。


 同時に走る激痛。


 突然やってきた痛みに思わず机に突っ伏してしまう。


「み、みやっち!? どうしたの? 大丈夫!?」


「あ、あおうっ……!? うぉぉぉっ……!」


「いや、全然大丈夫じゃないでしょ! 先生! みやっちを保健室に連れて行っていいですか!?」


「え、ええ、構いませんよ」


「ほら、みやっち立てる? ちょっとずつ歩こうね」


 パコリーヌの肩に腕を回して、支えてもらいながら保健室を目指す。 


 その間も腹痛は止まらず、思考がまとまらない。


 脂汗が額を伝い、歯を食いしばって尻の穴を引き締める。


 そっちに意識していたからだろうか。


「……バカ」


 教室を出る際、耳に届いたクラリアのつぶやきの真意に気づけなかった。






 ◇よし、普通の学園ラブコメだな!(なお、次回)◇

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