<6-8 バタフライエフェクト>

 セルバさんの執務室に呼ばれた朝食の場に、来ると思われたローエンさんとネレイラさんとヴァレンティアス殿下が来なかった。

 「殿下はすでにお発ちになった。弟子二人は・・」ジャムを塗ったパンを咀嚼し、飲み込んで、「二人で食事しておる。」

 「「え!」」

 「お前さん達、何をやった?わしでもなし得んかったというに。」

 「自慢じゃないけど、まったく何もしてません。ね、クローネさん。」

 「はい、誓って何もしておりません。」

 「何もしておらんことを力強く断言するのう。いや、照れるでない。」

 とはいえ、お二人に思うところはそれぞれあったので、下地というか前提みたいなのはできているわけで、

 「不本意でしょうけどアゴニトさんは、背中を押した形になったんでしょうね。」

 「本当に世の中、何がどう転ぶかわからんのう。オリータ、お前さんは不意に水に投げ込まれた石のようなものじゃな。その波紋で水面を揺らすように、敵がたてた計画に予期せぬ揺らぎを発生させるのじゃろう。それ故、弟子二人よりお前さんの命を取る方が優先されたのじゃ。」

 「ほめられてる気がしない・・」

 「危機感を煽っておる。まあ、弟子2人の方は良い方向に揺らいでおるようじゃで、それは安堵しておる。それより、本当にもう帰るのかの?いや、命の危険があるとなれば早く国に帰った方がよいのじゃろうが・・」ため息が出る。「もうちっとウスイホンの話をしたかった・・」

 「それは私も残念です。だけど、いつかきっと。」

 「そうじゃな。おまえさんのことじゃ、わしのウスイホン生活にもきっとよい変化をもたらしてくれるじゃろう。いや、すでに大きな変革をもたらしてはくれたがな。あの世界は奥が深い。余生をかけて追求したいことがたくさんある。」

 「わかります。沼は深いです。」

 「沼?」

 「はい、私の国では何かにのめり込むことを“沼にはまる”と表現します。」

 「言い得て妙なり。」

 昔は単に“ハマる”とか“転ぶ”とか言ったものだけどね。

 「だが、甘美な沼じゃ。」

 「耽美でもあります。」

 私とセルバさんは互いに深く、深くうなずき合った。

 

 名残惜しくはあったけど、ご飯とお茶をいただいて私達は日本に帰ってきた。こっちは命の危険があるし、セルバさんは大学会がある。

 「なんだかすっきりしないというか・・ローエン様達を仲直りさせて帰ってきたかったです。」

 折田家の玄関でクローネさんが言い、私は苦笑する。

 「なるにまかせる方がいいと思うよ。結局はお二人の気持ちの問題だし。」

 周りが何を言っても、お二人がその気にならなければどうにもならない。ヴェルトロアのブリングスト王様も、そう思って介入を控えていたのだろう。なんか納得いかないクローネさんが、「うーん・・」と腕組みでうなったとき、ガチャリとドアが開いた。

 柔道の練習に行っていたウチのダンナ、折(おり)田(た)誠(せい)也(や)が、180㎝90㎏のでかい体を押し込むようにしてドアをくぐってきた。

 「あれ、お客さん?・・おっ。」

 クローネさんの容貌に小さく驚く。

 「あー・・ダンナ、こちら私の友達のクローネ・ランベルンさん。クローネさん、ウチのダンナの折田誠也です。」

 「折田さんの御夫君でいらっしゃいますか!」クローネさんはすっと背筋を伸ばし、右手を胸に当てるエリオデ大陸式で礼を取る。「はじめまして!ヴェルトロア王国第一王女殿下付近衛騎士団長クローネ・ランベルンです!折田さんには日頃より大変お世話になっております!」

 「えっ・・ヴェル・・騎士団長・・?」

 あわわわ。

 「あ~・・あの、アレだわ、ヨーロッパのね、あまり聞かない国だと思うけど、そこから日本に留学で来てて、」

 「現在はひまわりマート三口町店で、日本の商業について学んでおります!」

 「ひまわりマートって・・あのコンビニの?」

 「はい、コンビニです!」

 「えーと・・バイトで・・?」

 「いえ、正式に店員の任を拝命しております!」

 「正式に・・というと、就職してるの?留学は・・」

 あわわわわわわわ。

 「立ち話もなんだから、二人とも上がって!」

 帰ろうとしていたクローネさんだったけど、なんとなく流れでダイニングテーブルに着いた。汗を流しにダンナが風呂場に消えると、クローネさんがカウンターキッチンから身を乗り出す。

 「折田さん、御夫君は何か武術を嗜んでおられますか?なにやら、身のこなしが普通ではないような。」

 「あー、柔道やってるの。今その練習から帰ってきたのよ。」

 「柔道?!」キラーンとクローネさんの目が光った。「アレですね、武器を使わず、投げ技や絞め技で相手を制する日本伝統の武術ですね!何度かテレビで見て、あの流れるような技の運びに感動していたのです!折田さん!ぜひ、私に一手御指南いただけないものでしょうか!」

 うーむ、我が家のリビングダイニングにそんなスペースがあるだろうか、と思っていると、ダンナがお風呂から出てきた。首に粗品の白タオルを掛け、毛玉が浮いたグレーのスエットズボンに白い丸首シャツという姿のためか、若い娘さんの目を避けてこそこそ寝室に逃れようとしていたが、ランベルンの隼ことクローネさんの目をごまかせるはずもない。

 「御夫君、お待ちください!ぜひ私に柔道を御指南ください!」

 「ええっ?!」

 若い外国人の娘さんの突然の申し出にダンナの目が点になる。次いでクローネさんは私に向き直る。

 「折田さん、ぜひ、折田さんからもお口添えを!柔よく剛を制す、ひいてはカルセドを制す!」

 「カ、カルセド君?!いや、そんな下心で!」

 クローネさんは立ち上がり、ダンナに頭を下げた。

 「御夫君!お願いです、どうか私に柔道を御指南ください!私の結婚問題もかかっているのです!」

 「え?!と、桐子さん、どういうこと?!」

 「うーん、話すと長くなるんだよね。もう・・ちょこっと、さわりだけでも教えられる?」

 割と頑固なクローネさんだ。教わるまで頭を下げ続けるだろうと思い、テーブルやソファを押しやり場所を作り始めた私を見て、ダンナも折れた。

 「では御夫君、イッポンゼオイというのをお願いいたします!」

 「え、えーと・・今日のところはその一つでいいかな?」

 「はい!一つ一つ確実に我が身にしみこませ、ものにしていきたく思います!そしていずれはその技でアレとの結婚も投げ飛ばしたい!」

 「ちょっと、桐子さん、いいの?これ・・」

 「うん・・よくないけど・・いいよ。」

 「なんか不穏な感じだけど、じゃあ・・」

 畳もないし狭いので勢いよく投げ飛ばすわけには行かないけど、そこは運動神経抜群のクローネさんのこと。一を聞いて十を知り、あっという間に一本背負いをものにして、ほくほくと帰って行った。

 ダンナにはクローネさんは中世の騎士の流れをくむ家系に生まれた、日本武術オタクだと説明し、納得してもらった。

 

 アゴニトが意識を取り戻したのは、大学会最終日の朝だった。

 すぐにローエンとネレイラによって取り調べが行われる。

 その結果、アゴニトが幽閉されていたアルメリア族の幕舎から魔法を使って秘密裏に連れ出され、目隠しをされてこの地まで運ばれてきたと判明した。宿の名と何をすべきか書いた紙と金を持たされて目隠しを取られ、市場に置いていかれたので、自分を連れてきた者の顔は一切見ていない。自分にローエンかネレイラのどちらかを、後に折田桐子を殺せと命じた者が、男である以外は何もわからなかった。

 なお、メリンダに金を渡して嘘をつかせたという学生に該当する者は、トリスメギス学術院には存在しなかった。代わりに制服を盗まれて騒いでいた学生が一人見つかった。

 以上のことをしたためたセルバの書簡をもって、ローエンがヴェルトロアに、ネレイラがガルトニに帰国する。

 「お二方とも無事に国境を超えられました。」

 ディルムンの報告を受けて、セルバは執務室のソファによりかかる。

 「学問の中立を死守したいところであるが、このことでそれをやれば、無能の学術院長として後世に語り継がれそうじゃ。」

 「この学術院に携わる者は貴方様と一蓮托生です、セルバ様。」ソファの傍らでディルムンが言う。「故に貴方様の怒りは我々の怒りでもあります。神聖な学問の府を利用して人の命を狙うなど、許せるものではございません。」

 「うむ。学務課は引き続き調査を。でもって、そろそろ大学会の閉会式じゃな。ああ、此度は疲れたのう。」

 「あと少しのご辛抱です。」

 微笑むディルムンに鷹揚にうなずき、帰宅したら心ゆくまでウスイホンを堪能する、とセルバは心に誓った。

 

 身寄りの無いアゴニトはメリンダが引き取った。

 メリンダ自身天涯孤独の身で、収入は酒場で働いて得るものだけ、自分一人が暮らすだけで精一杯だったのだが、「父さんと母さんが死んじゃった後、たった一人で私を育ててくれたおじいちゃんを思い出すの。」と言い、献身的にアゴニトの世話をした。

 初めは何をするでもなく寝室に引きこもっていたアゴニトだったが、一月ほど経つと、わずかに残った魔力で占いをして日銭を稼ぐようになった。

 一年後、メリンダは酒場の常連だった鍛冶師見習いの青年と結婚した。

 青年もまた早い内に家族を亡くしていたせいか、家族は多い方がいいと言い、アゴニトを夫婦の新居に連れて行って実の祖父のように接した。

 アゴニトもまた占いで稼ぎながら、生まれた子どもの面倒も見るようになった。

 子どもが漏らしたおしっこでずぶ濡れになったアゴニトに謝る青年に、

 「なんのこれしき、つぐない・・、いや・・」

 と、つぶやいて怒ることもなかった。

 そうこうしている内に10年の月日が流れた。

 この地方には珍しい、アゴニトの生まれ故郷のような鉛色の冬空の日、メリンダ夫婦と3人の子ども達に見守られながら、アゴニトは息を引き取った。

 その顔は、北方にいた頃のアゴニトを知る者がおよそ見たこともないような、穏やかな顔をしていたという。

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昔○○だった者達へ 下藤じょあん @regria_grendle

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