<6-7 夜明けが来る>

 折田桐子とクローネは朝まで眠って休息を取った後、朝食を食べてから日本に帰ることになった。

 2人を宿舎に送り届け、守護魔法の結界が機能していることを確認したローエンとネレイラも、それぞれの宿舎に戻ろうと廊下を歩いていた。白亜の石造りの廊下は中庭が見える回廊となっている。ランプと月の明かりを白い石が反射して足下は明るかった。中庭に植えられた赤や黄色の花々も月光に照らされて美しい。

 「では我々もそろそろ休もうか。」

 立ち止まってそう言ったネレイラのゆるく波打つ黒髪にも、月光が反射していた。

 「ああ、うむ・・こほん。」

 「風邪か?」

 「い、いや、ちがうわ。なんだ、ちと話がある故、そうだな・・」ローエンは周囲を見回し、「“知らずの塔”を使う。時間はあるか?」

 “知らずの塔”は強力な閉鎖結界が施されたトリスメギス学術院の施設である。アーケード装飾に囲まれたオープンな作りだが、外からは声はもちろん、見えるはずの人の動きも見えないようになっている。

 「・・ある。行こう。」

 2人のローブが月光の中で翻る。

 

 月明かりにつややかな大輪の花々がよく映える。

 ネレイラがふと立ち止まり、その光景に見入る。

 「見ろ、ダリー。美しいな。今はガルトニでは花が無い季節だ。同じ大陸とは思えぬ。ヴェルトロアでは一年を通して花が咲いていようが・・」

 「だが、こちらの花は色が濃いし、大きい。」

 「ほう、花の違いがわかるのか?」

 クスクス笑うネレイラに、ばつが悪そうに庭を見るローエン。

 「何を言うか、ポーション作りでは植物のささいな違いも重要だろうに。」

 「うむ、そうだな。あのような美しい花束を持ってきてくれたのだ。花には少し詳しくなったのだろうな。」ネレイラはローエンを見た。「あの時の見舞いに改めて礼を言う。そうだ、これを・・あのときのポーションの代金だ。ただ、どうしても金の工面が間に合わなくてな、足りない分は魔石と薬草で払ってかまわないだろうか?後で送る故・・」

 「う・・い、いらん。」

 「しかし、20番をあの本数作るにはかなりの・・」

 「いらんと言うに。そ、それより・・だな、」

 「うん?」

 ネレイラのぬれたように黒い瞳が真っ直ぐに自分を見てくる・・ローエンは思わず目をそらした。

 「あの研究をだな、再開・・するのはどうかと思ってだな・・」咳払いをして続ける。「それ、先程の呪術師との戦いでは、アレだ・・あー、お前の精霊魔法と共に戦ってみてだな、やはり・・」

 「ああ、あれか!お前の呪文魔法と私の精霊魔法の融合についての研究か!そうだな、あれは此度のような未知の魔法への対抗策になり得る。だが・・」ネレイラの口角が上がる。「その研究は私とでなくてもできるのではないか?」

 「ぐっ・・」

 「お前だとて高位の地精霊を操ることができると聞いたぞ。私は必要か?」

 何か言おうとしてローエンは口を開け、閉じ、目をつぶる。

 「・・できん。」

 「ん?」

 「・・お前でなければできん。精霊魔法はやはりお前の方が上だ。先程のカティア・アイは女神直属のなかば神霊に近い位階の精霊だ。あれほどの精霊を操れるほどの高みに登った者は他にはおらん。無論、わしもそこまではいっておらん。そもそも他のどの者と話しても、お前の魔術への理解には遠く及ばん・・話が通じん。」

 「・・・・」

 沈黙が二人の間に割って入る。

 やはりダメか、とローエンは思う。

 どうにも口が回らない。いや、少しでも気の利いた物言いができるなら、

 (離婚などしてはおらんだろう・・)

 

 夫として、家族として、妻の扱いが雑だったことは自覚している。

 夕食にこれを作ってみた。口に合うか?

 そろそろ寝た方がいい、二日寝ていないのではないか?

 ベッドのシーツを新しいものに取り替えた。色は気に入ってもらえただろうか?

 この花はいい香りがするだろう?・・

 そんな妻の問いかけにちゃんと答えた記憶が無い。

 (あれでは怒るのも無理はない)

 心の中に澱となってたまった後悔と反省がため息となる。

 「条件がある。」

 ハッとしてローエンは顔を上げた。

 「じょ・・条件?」

 「いつ何時でも、私の質問に答えてくれ。」

 「・・うん?」

 構えていたローエンは拍子抜けするが、

 「質問とは魔法に限ったことではない。例えば料理のできばえ。」

 「むっ・・」

 「研究を共にするなら、どこか共同研究室を設けることになろう。研究中の我々の食事を作るのはきっと私の役目だ。その際私は聞かずにはおれないだろう。今日の鶏肉の煮込みは美味いか?と。それにこうも聞く。テーブルクロスを変えてみたがどう思う?と。飾った花は良い香りだと思わないか?と。それらの質問にも全て答えるのが条件だ。」

 「う・・」

 「簡単ではないぞ。それができずに我々は破綻したのだからな。」 

 「うむ・・うむ。」

 「答えてくれるだろうか?・・今度は。」

 「・・・・」

 怒っているのだろう、とローエンは思った。

 が、元妻は微笑んでいる。

 月を背にし、その光をまとい、杖を手に立つ姿は女王のごとく堂々として見えながら、微笑みには微かなもろさのようなものを内包している・・

 心底からの笑みで無いことだけはわかった。そしてその笑みが、今の二人の間の距離なのだろうということも。

 「具体的なことは大学会の合間に話し合おう。」ローエンが逡巡している間に、ネレイラが口を開いた。「学会が終われば帰国せねばならぬ故、話は急がねばならぬな。」

 「・・うむ・・」

 「そうだ、食事を共にとろう。」

 「うむっ?!」

 「時間が惜しい。いいだろう?よし、まずは明日の・・いや、もう今日か。今日の朝食から始めよう。」

 「お、おお。」

 「よし。そうと決まれば、そろそろ休もうではないか。頭をすっきりさせて話し合いたいからな。さあ、宿舎に戻ろう。」

 ネレイラが先に立って歩き出す。

 その足取りが軽く見えるのは気のせいだろうか?

 自分の提案を受けて、張り切っているように感じるのは気のせいだろうか?

 「・・・・」

 元妻の心の、本当のところが全くつかめないまま、ローエンは後に続いて塔を降りた。

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