<5-3 人生一寸先は闇>
ガルトニに来たからには黙っていてもなんなので、ネレイラさんに案内されて王様に挨拶に行った。幸い時間を取っていただいて執務室に入ると、王太子ヨシュアス様と一緒に書類の山に埋もれていらっしゃった。
「おう、久しいな。」そしていきなり手を突き出した。「で、ブリングストがなんと?」
ブリングストとはヴェルトロア王国の王様の名前である。
「すみません、手紙とかありません。実は友人を追いかけてきて、迷子になりかけたところをネレイラさんに助けられまして。」
迷子と聞いて、ぶは、と笑い出すリヴィオス王様。
「なんだ、それは・・ではブリングストの密使だとかそういうことではないのか?はたまた、エルデリンデ殿から愛の言葉を息子に預かってきたのでもない?」
「そんな大事な用事に剣も魔法も使えない外国人を、一人で派遣しないと思います・・」
重厚なヴェルトロア国王ブリングスト王様を見慣れた目には、この方、ひじょーに軽いちょい悪親父に見える。前に会ったときは宴会だったので、酔っ払った上でのちょい悪かと思ったけど、なかなかどうしてこれが通常運転のようだ。
「まあ、それはそうだな。そうでなくても先日危ない目に遭ったのだからな。その節は我が国の国民が迷惑をかけた。すまん。」
「あ、いえ・・結局この通り無事ですし、その人とは和解してますし。」
私は和解だと思ってるんだけど。今、どうしてるかな、サシェさん。
「そうか。こちらでも全力で黒幕を探しておるが、なかなかしっぽがつかめん。ところで我が国はどうだ?ヴェルトロアと違い、寒々しくて地味だろう。彼の国は年中暖かくて花が咲き、その華やかさは大陸中に聞こえている。違うか、ネレイラ?何しろつい最近、10日も過ごしてきたばかりからな。」
「は・・」私と目が合う。「まあ、その・・先の北方の呪術師との交戦後の魂の疲労がなかなか抜けなくてな。ミゼーレの癒やしを受けに行っていたのだ。」
「ガイゼル大神官だけではあるまい。元夫も一役買ったはずだ。」
「へ・・陛下!!」
頬を染めて慌てるネレイラさん。だけど、私が全く動揺していないのに気づいた。
「・・オリータ殿?」
「いやあ、アレなんですよ、その通達が出された場にいたんです、私。ローエンさんに、謹慎の代わりに、ネレイラさんに会いに行けっていう・・」
「な・・知って・・いや、処罰だったのか、私に会いに来たのは!」
「いや、あのですね、表向きは処罰でその実はお見舞いで・・そうやって尻をたたかないとローエンさんは一人じゃ動かないからって、ブリングスト王様は言ってました。なんか心配してるみたいですよ、ローエンさんのそういうところ。」
「・・・・」
「俺は部下の色恋沙汰には極力干渉せぬ。好きにしていいぞ、ネレイラ。」
「い、色恋・・など、では・・」
「何、ヨシュアスの慶事に乗じてよりを戻してみるのも、一興かもしれんぞー」
「父上、人の大事なことをついでのように言うのはおやめください。」
それまで黙って羽ペンを動かしていたヨシュアス殿下が苦言を呈するが、リヴィオス王様は涼しい顔で言った。
「いや、人間、しがらみを一切捨てて自分の心に正直になった方がいいときもある。俺のように大切な者が不意にいなくなることもあるからな。人生、一寸先は闇だぞ。そうだ、オリータ、時間はあるか?今、俺の目の前がこの書類の山で一寸先が闇だ。入り口のドアも見えん。俺のサインを覚えて書くのを手伝え。何、多少筆跡が違っていてもばれん。」
何言ってんの、この方。
「あの、これでも国に帰れば役人の端くれですので、文書偽造は遠慮いたします。」
臨時でも一応市職員だ。異世界・異国とはいえ、違法行為には手を染めたくない。
「冷たいやつだ・・こっちは書類を読んでサインを書くだけという生活を丸二日過ごしているというのに、お前は俺を見捨てるというのだな。ともに酒を酌み交わし、息子とも知らない仲でもないというのに・・」
さらに愚痴がでかかったところに侍従長さんが来て、面会時間終了。
悲しげにため息をつく王様と、苦笑とともに小さく手を振ってくれたヨシュアス殿下に会釈して、執務室を出た。
見送って出てきてくれた侍従長さんに聞いてみる。
「あの~・・なんであんなに切羽詰まってらっしゃるんでしょうか。」
「先日閲兵をなされまして。1時間で引き上げて政務に戻られる予定でしたが、なぜかあちこち見て回られて結局夕方までお戻りにならなかったので、決裁文書がたまりにたまりましてな。」
ちょっとぽっちゃりめの初老の侍従長さんはそう言って、ホッ、ホッと笑った。この扱い、もしかしたら書類に埋もれる事態はよくあることなのか。
「しかし此度はちとたまりすぎました。王太子殿下まで動員して丸2日サインし続けておられますが書類が減りません。さすがに私も心配でございます。」
冷たいとか言われた方としては自業自得と言いたいところだけども。
「ハンコじゃだめなんですかね。」
「なんと言われましたかな?」
「ハンコです。」
「はて、それは一体どのようなものなので?」
ハンコがない・・?
「そうですねえ、例えば“国王印”とか手に持てるぐらいの石や木に彫り込んで、王様しか使えないようにして、インクつけてサインの代わりにぽんぽん押すんです。」
「それは・・印章ですかな?」
指輪に王家の紋章を彫り込んで、印章として封蠟に使う習慣はあるそうだ。だったら。
「おお・・つまり指輪ではなく、印章のみ独立させ、大きく作り・・ふむふむ。陛下に提案いたしましょう。楽できるとなれば否とはおっしゃいませんでしょう。」ドアに向かいかけて、くるりと振り向いた。「ちなみに、ヴェルトロア国王陛下もこのようなご苦労はされておられますかな?」
「長期滞在したことないのでアレですけど、あまり見たことないですねえ。」
大体いつ執務室にお邪魔しても部屋はきれいに片付いていて、優雅にお茶など飲みながら歓談できる。
「やはりそうですか。」
諦観の表情でうなずきながら、侍従長さんは執務室に戻っていった。
こうして日本の役所の誇る(?)ハンコ文化が、ガルトニ王国に伝わった。
すっかり日も落ちた頃。
私とネレイラさんはテーブルを挟んで向かい合っていた。
ここは、さっきリールさんが出てきた魔法研究室の2階に設けられた、ネレイラさんの自宅だ。リビングダイニングを挟んで片方に台所、片方に寝室と浴室と客室がある。落ち着いた光を放つ木の床と箔押しの模様がうっすら光る白の壁紙、光沢を放つ布をはったソファやいすなど、シンプルながら高級感が漂う。今は食後のお茶が運ばれてきているが、ティーセットも上品に金とモノクロの薔薇をあしらった高そうなものだ。
「さあ、どうぞ。久しぶりのお客様なので、張り切って焼いたんですよ。お口に合うといいんですが。」
そう言って、ふっくらした白髪のおばあさんがお茶とお菓子を置いていった。柔らかく焼かれたクッキーはオレンジに似た風味のドライフルーツが焼き込まれていて、ヴェルトロアのそれより見た目も味も素朴だけど、これはこれでいい。
「今のは私の乳母ハリエラという。生まれたときから私に付き添ってくれ、今もこうして何くれとなく世話を焼いてくれている。」
「乳母さんですか。いや、このクッキー美味しい・・さっきご馳走になった晩ご飯も?」
「うむ。恥ずかしながら、料理も洗濯も掃除も全て任せっきりだ。おかげで私は下の研究室で魔法の研究に専念できる。再婚しろとぼやかれるのは堪えるが・・」
「ああ・・」
「もう40になんなんとするのに、離婚したまま仕事ばかりして子供の一人もいないのが、心配でたまらぬらしい。余計なお世話、と言いたいところだが、心底心配しているのがわかる故、いつも何とか受け流している。」
「それはまた・・つらいところですね。」
「うむ。さほど興味がないので、余計にな。今は精霊によるより強い守護魔方を研究中で、そちらの方が楽しいし・・お前は結婚は?子どもは?」
「結婚してますねー・・子どもも2人います。」
「そうか・・」小さく息をつく。「私とダリエリスも子どもがいればもう少しこう・・何とかなったのだろうかと思うことがある。」
うー・・ん・・
「・・どうでしょうね・・私にしたって子供のいてよかったなと思うときとそうでないときがありますし。それに私の国でも、独身のまま仕事をして頑張ってる女性はいっぱいいます。何が大事かは人それぞれですし、再婚に興味がないならそれはそれでいいんじゃないですかね。」
「うむ・・」今度は少し考え込む。「オリータ殿、一つ聞くが。」
「はいはい。」
「ダリエリスに再婚の話などあるか?」
「しょっちゅう会ってるわけではないのでアレだけですど、聞いたことないですね。」
「そうか・・」
・・ネレイラさん・・もしかして。聞いちゃってもいいだろうか。
「ネレイラさん。もしかしてまだローエンさんのこと・・気になります?」
この問いにネレイラさんは幾ばくか考えていた。目を閉じ、片頬に指を当てて、じっと・・そして、口を開いた。
「・・初めてお前とエライザ共和国の宿屋で会ったときのことを覚えているか?私とダリエリスはのっけから口喧嘩していた。離婚以来、会えばずっとあの調子だった。だが、“アマルディン女神の鏡”でお前からダリエリスの不摂生を聞いたとき、私の心の中に怒りがこみ上げた。」
「そんな感じでしたね・・でも、あれって心配しているように聞こえましたよ。」
ネレイラさんはカップを置いて、やや間を置いてうなずいた。
「うむ。後に我が身を振り返り、自分でもそう思った。それで・・色々考えるようになって・・」小さなため息。「ダリエリスとの離婚については、先程も言ったように後悔してはいない。だが・・今は何か割り切れない・・もやもやしたものが心に生じている。」
「・・もしかしたら、ローエンさんも迷ってるのかもしれない・・かも。」ネレイラさんが私を見た。「通達を出すとき、ブリングスト王様から聞いたんですけど、10年前に王様と初めて会ったとき、ローエンさんは一人で森のドラゴンと戦って血だらけになってたそうです。」
当時、ヴェルトロアを囲む森にドラゴン(正確にはこちらの世界のドラゴンに似た生物)が出没して、そこを通る商人さんや近隣の農民さんが大変迷惑していたそうだ。やっと巣を押さえて、王様が騎士団を引き連れて森に向かうと、激闘の末ドラゴンを倒した血だらけのローエンさんに出くわしたのだという。
「王様はローエンさんを連れて帰って手当てして、何で危険な魔物と一人で戦っていたのか聞いたそうです。そしたらローエンさんが、こんなどうしようもない男は死んでもよかった、って言ったそうです。そのときは、ローエンさんはそれ以上何も言わなかったんですけど、ミゼーレさんからローエンさんの素性を聞いて、主席魔導師にとりたてて、宴会でお酒が入ったときなんかに少しずつ事情を聞いたら、自分は愛した女性一人幸せにできなかった、いくら魔法を極めても人としては最低の男だ、って言ったそうです。」
「!!」
「で、王様は大体のところを察したんだけど、それ以上はローエンさんが何も言わないんで、無理にどうこうするのもためらってたそうです。そこに、先日のセルフ謹慎とネレイラさんのヴェルトロアでの療養が重なったので、これはいい機会だと王様は思ってあの通達を。ただ、今思うと・・」
「何だ?」
「私、思ったんですけど・・私と王様と王妃様はヴェルトロア側から見て、というか、ローエンさん側から見た視点でだけ考えてあの通達になったんですけど、ネレイラさんの気持ちには今ひとつ思いをいたしてなかったなあと・・あの、嫌な思いをさせていたらすみません。」
「あ・・いや、顔を上げてくれ。嫌な想いはしなかった。驚いたがな。ミゼーレの屋敷の離れで本を読んでいたら、ダリエリスがやってきた。片手にかご、片手になんと花束を持っていた。」
「お・・おお。」
「かごには回復用のポーションが30本も入っていた。ダリエリスのポーションを見たことはあるか?1種類ごとに番号をつけているが、番号が進むにつれ効果が強くなる。それは材料の値がはるということでもあり、最高クラスの20番は希少な材料を数種使う故、1本で、そうだな・・今の私の給与の半年分はかかる。その20番を・・」ネレイラさんの声が少し震えた。「ダリエリスは5本も持ってきた。ポーションは薬草なども使うので、長年作り置きできるものではない。あの男は・・ダリエリスは、私のためにどれほどの金を使ったのか・・しかも花束付きだ。私が好きな赤や紫の花をこれでもかと詰め込んで。以前はあんなことは一度もなかった。いったいどんな顔で注文したのだろうな。」
「・・ホントですね。」
「お前からヴェルトロア国王陛下の話を聞くまで、あの訪問をどう心に落とし込むか悩んでいた。先程私にダリエリスのことが気になるかと聞いたな?・・その問いには・・今はそうだ、と答えよう。だが、それをダリエリスには伝え・・」
「・・てみましょうか?今すぐにとはいかないけど、何らか方法を考えて伝えますよ。王様の話とか、ポーションと花束のことからいけば、ローエンさんもネレイラさんのこと、悪く思ってない気がします。」
ネレイラさんが微笑む・・ほんのちょっとのきっかけで泣き出しそうな微笑で。
「ありがとう。もう少し考えてみるとしよう・・陛下にもああ言われたことだし。」
「そですね。」
「ふむ・・甘いものを食べた後ではあるが、もう一杯くらい飲んで寝ないか?極上の葡萄酒を開けてよいときだと思う。」
一杯どころか一本開けて、いい気分で私達はベッドに入った。
あと、ネレイラさんは私をオリータと呼ぶことになった。
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