<5-2 ガルトニ王国王都ガレナドにて>

 暗い。目が慣れても薄暗い。

 左右は煉瓦造りの壁で、間から大きな通りが見え、馬車が横切っていった。足下にはゴミが散乱し、何か小さな動物が走っていく。あまりいい雰囲気じゃなかったので、そそくさと石畳の通りに出て、周りを見回す・・歩いている人たちの服装を見るに、私は今、いつもの異世界にいる。

 (うひゃーーー・・・クローネさん抜きでこっちにきちゃった)

 私は未だに魔法に慣れないもので、一人でこの世界に転移できていない。

 たぶん今も、結月ちゃんに引っ張られたのだ。

 結月ちゃんの持つ魔石アイリストスはなにしろ強力なので、私一人余計に連れてくることくらいたぶん朝飯前。

 だけど、その結月ちゃんがいない。それに・・

 「ここ、どこ?」

 私がなじみのヴェルトロア王国の王都ヴェルロアは、よく本屋さんに行くので地理は大体把握している。

 だけどここは・・こんなに大きな通りなのに、見覚えがない。ヴェルロアの大通りよりずっと道幅が広い。

 あと、なんだか見た感じが寒々しい。“緑滴る”国と言われるヴェルトロア王国には花の無い家はなく、庭はおろか窓辺やドアの前にもいくつもプランターや植木鉢が置かれ、いつでも何かしらの花が咲いている。でもここはそんな家はないし、街路樹の葉っぱも枯れ落ちている。その家も、ヴェルトロアは木と漆喰みたいなのがよく使われるけど、ここの建物はほとんど煉瓦と石造り。

 エリオデ大陸の南側に位置するヴェルトロアは年末間近のこの時期でも、晴れて小春日和が続くけど、今は曇り空、風は今にも雪が降りそうに冷たい。行き交う人たちの服もモコモコで、ヴェルトロアではあまり見ない毛皮や毛糸を使っている。

 「うーん・・」

 冷や汗がたらりとこめかみを伝う・・

 (ここはヴェルトロア王国じゃない。じゃあどこ?)

 (ツボルグ王国は勘弁願いたい・・)

 大陸第三の商業国ツボルグ王国は猜疑心と奸計で有名で、前にヴェルトロアにいらんちょっかいを出してきたことがある。

 とすると、あとは・・

 顔に影が差した。

 気づくと目の前に馬車が止まっていた。窓があいて、中から声がする。

 「そなた・・オリータ殿ではないか?」

 見上げるとつややかな黒髪と整った顔立ちの女の人が、馬車の窓から私を見ていた。

 「あ・・ネレイラさん?!」

 「やはりオリータ殿か!どうしたのだ、こんなところで。我が国に何か用か?」

 「我が国。てことは、ここはガルトニですか?!ガルトニ王国ですか?!」

 「そうだが?」

 「おお・・・よかった・・よかった・・知り合いに会えてよかった~~~」

 安心したあまり道ばたにしゃがみ込んだ私を見て、ガルトニ王国の主席魔導師ネレイラさんは小首を傾げた。

 

 5分後、私はネレイラさんの馬車に乗り、事情を説明していた。

 「では・・友人を追って、気づいたら我が国に来ていたと?」

 「はい、たぶん友人の魔石に引っ張られたかと。ハイクラスの魔石なんです。」

 「ほお・・で、その友人は今どこに?」

 「それが・・気づいたら一人で立ってたし、私、ガルトニに来たのは初めてで、探すにもどこがどこやら・・」

 「そうか。ここは王都ガレナドだ。大陸一の人口と規模を誇る町故、人一人を探すのは土地勘がなければ難しいな。よし、手を貸そう。なに、水や風の精霊に探させる。彼らはどこへでもゆける故、いずれ見つかる。それまでは私の家に来るといい。」

 「え・・ホントですか?いや、いいんですか?いきなりお世話になるとか・・」

 「土地勘のない知り合いを、一人で放り出してはおけまい?宿などあるのか?」

 「いいえ、ありません。じゃあ、すみません、お世話になります。」

 「うむ。そう気を遣うな、私も・・そうだな、ただでとは言わぬ。ちょっと聞きたいこともあるのだ。」

 「ええと・・ヴェルトロアの国家機密とかは知りませんよ?」

 ネレイラさんは声を上げて笑った。

 「そのようなことをお前から聞こうとは思わぬ。もっと・・そう、個人的なことだ。第一、私の知るヴェルトロアの最重要機密事項に関しては、人に話せばとんでもないことになる呪いがかかっているからな。」

 ネレイラさんの言う“最重要機密事項”とは、ヴェルトロア王国第一王女エルデリンデ様のBL趣味のことである。親御さんのヴェルトロア国の王様と王妃様も知らないこの情報を知ってしまったネレイラさんには、これをばらした時点で超絶臭いナトズの草を食べずにいられなくなる呪いがかけられている。そしてその呪いを提案したのが私であることは、黙っておこうと思う。

 「さて、友人の名は?」

 「えーと、鈴沢・・」日本の名前を言ってもわかるかな?「・・月下のベルナさんです。」

 「変わった名だな。」

 「ペンネームなんですよ。ええっと、本を書くときとかに使う名前で。」

 「著作があるのか。」

 「はい。でも、一般にはあまり知られてないかも・・その筋では絶大な人気を誇ってるんですが。」

 「その筋?・・あ!お前の言う筋といえば、アレだな?男同士の・・」

 さすがガルトニ王国の主席魔導師をはる人だ、勘がよろしい。

 「ご明察です・・あ、あれってお城ですか?」

 私が指さしたのは、小高い丘の上に等高線のように巡らされた3重の石壁と、その一番高いところにある、これまた石造りの建物だった。ヴェルトロアのお城はお城と言うより瀟洒な“館”に近い見た目だけど、こちらはどっちかと言えばあまり飾り気のない、要塞寄りの見た目をしている。通りからは見上げる形になるので、全体像はつかめないけど、重厚な威圧感がある。

 「そうだ、我が国の王城だ。私の自宅も王城の敷地内に設けられている。」

 「お城に住み込みですか?ローエンさんと同じで・・あわわわ、すみません!」

 何でこんなに謝るかというと、ヴェルトロア王国の主席魔導師ダリエリス・ローエンさんと、こちらのネレイラさんは元ご夫婦なのだ。合えばバチバチにけなしあう仲なんだけど・・

 「気にするな。別れたのはもう10年も前のことだ。」きっぱり言って王城の門番に通行証を見せ、「前に言ったとおり、雑な男だ。離婚という選択に後悔はしていない。」

 「はあ・・」ローエンさんの雑は認める。「でも最近ちょっと見直す出来事がありまして・・詳しくはいえませんが、剣も魔法も使えない私を囮に出したんですけど・・」

 「なっ・・馬鹿か、あいつは!」

 私の言い方も雑すぎた。

 「でも、行く前に守護魔法を強化したり、護衛の手配をしてくれたりしまして。しかも私が出た後、だまし討ちみたいに素人を囮に出した責任取って自主的に謹慎したんです。」

 ネレイラさんは呆れた。

 「責任・・そうならそうと言えばよかろうに・・ああ、もしや、“見えざる敵”の手先が捕まったというのは・・」

 「それです。ネレイラさんにも伝わってました?」

 「ああ、手先が捕まってそれがガルトニ人であったということまでは。だが、お前が巻き込まれていたとは知らなかった。けがなどなかったか?」

 「あ、大丈夫です、このとおり。」

 神作家さんのウスイホンが焦げて穴があくという大惨事はありましたが。

 ローエンさんに頼んで紙の神コゾさんに焦げを直せないか、聞いてもらおうと思ったのに、セルフ謹慎騒動で吹っ飛んだままだ。

 と、馬車が止まった。

 「さあ、着いたぞ。」

 そこは町から見えた石垣と石垣の間に伸びる芝生の通路で目の前に小さな門がある。

 ネレイラさんは門に手を当て、小さな声で何事かつぶやいた。カチリ、と音がして重い木のドアがすーっと開く。

 「うわ~・・魔法だ~!いかにも魔法っぽい感じだ~!」

 「はは・・魔法そのものだ。ドアに使われている木の精霊に私の合い言葉で開けるように命じてある。精霊魔法は得意な方でな。」

 「精霊魔法・・前にローエンさんが高位の地の精霊を使ってるのは見たことがあります。高温を使ってるけど周りに被害を出さないんだって言いまして・・」

 「ダリエリスが精霊魔法を?しかもそれは確かに高位の精霊を使役しているな。む・・相変わらず研鑽だけは積んでいるようだ。あの男は元々精霊魔法は苦手でな。どちらかというと、魔法薬と新呪文の開発が得手だ。対して私は精霊と契約してその力を使う精霊魔法が得意だ。無論、魔導師の基礎として錬金術や魔法薬、呪文はそれなりに修めてはいるが・・」

 と、バン、と音がしてドアが開いた。私達が歩いている城壁の中の白い石造りの廊下には途中にドアがいくつかあり、城壁の中に作られた部屋につながっている。

 「あけたら閉めんか、リールっ!」

 と、部屋の中から男の人の声がして、出てきた若い娘さんが首をすくめた。

 「す、すみません!もう・・ザカーリさんたらうるさいなあ・・・あ、先生!」

 おかっぱに切りそろえた黒髪が揺れ、廊下のたいまつの明かりがめがねのレンズに反射する。まだ20歳前後の若い娘さんだった。

 「何を騒いでいるのだ?リール。」

 「い、いえ・・今日は用事ができまして、これで早退します。」

 「そうか。ん?明日も休みを取っていたのではなかったか?」

 リールさんの肩がギクリとふるえる。

 「は・・はは、はい、ちょっとその・・はい。」

 「理由をいえぬ欠勤か?何か困ったことがあるのではなかろうな?」

 「いえ!そんなことはありません!その、明日・・ああ、いえ、その・・」

 ふ、とネレイラさんは微笑んだ。

 「まあいい。ただし、本当に困ったことがあればいつでも遠慮なく言うのだぞ。」

 「は、はい!ありがとうございます!それでは失礼いたします!」

 小走りに立ち去るリールさん・・何か落としていった。拾ってみるとA5ほどの紙。

 「リールのものか?」

 「はい、たぶん。なになに、『開催!第一回ガルトニ・コミックマーケット!』・・・はあああああああーーーー???!!」

 「な、なんだ?!どうしたのだ?!リールが何かまずいことになっているのか?!コミックマーケット・・?これがどうかしたのか?!」

 「いえ、あの・・まずいことは・・まずいことはない・・はずです、はい・・」

 もう一度紙を見ても確かに書いてある。手書きのきれいなロゴで『開催!第一回ガルトニ・コミックマーケット』と・・!!

 うん、ある意味まずいか。

 「まずいようだな。あ!もしやあの男同士の・・」

 「まー、そんなとこです。そうか・・どっちだ?買う方?売る方?てか、誰がガルトニでコミケなんて主催してるの?」

 ネレイラさんはあごに指を当て、

 「なんと・・その文化に我が弟子も侵されていたとは・・恐るべし・・」

 「ははは・・なんかすいません。同志として一応謝っときます。」

 「いや・・普段の生活や仕事に支障が出ていないならかまわん。こんな休暇がしょっちゅうなら話は違ってくるが。」

 「いやもう、その通りで。でも、心が広いなあ・・ローエンさんは今でもこの文化を目の敵にしてますけど。」

 「あの男は保守的だからな。ん?お前の友人、例の分野の作家と言ったな。もしや・・」

 「あー!」

 結月ちゃん、来るかも。てか、そうか、主催者・・!

 紙を裏返すと、参加する人たちのブースの配置が載っていた。

 「ふおおおおおおっ!」

 「今度はどうした!」

 「ああ、すみません、神作家さんがいっぱいいて・・いや、それどころじゃない、あ、いた!“月下のベルナ、”いた!」

 一番奥のブースに“主催者”の肩書きとともに、その名が出ていた。

 「やっぱそうか~・・結月ちゃんたら!じゃ、明日この会場に行けば、結月ちゃんを捕まえられるわけだ!」

 「この住所は・・うむ、倉庫街の一角だな。川岸に商人達が自分の倉庫を設けているのだが、所々に共同管理している空き倉庫がある。手持ちの倉庫から荷があふれたときに使うのだが、商人会議の許可を得れば、このような催しに借りることもできる・・私も行ってみようかな。」

 「へ?」

 「この界隈には詳しいから、お前を案内しがてら私も行こう。なに、私もリールが何をしているのか見てみたい。会えばきっと驚くだろう・・その顔も見てみたい。」

 そう言ってネレイラさんは、いたずらっぽく笑った。

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