<4-7 双子の王女、原稿にインクをぶちまける>
翌朝。
起きて着替えていると、ノックの音がした。
「おはようございます。」
と言って入ってきたのはクローネさん。後にサーシャさんが続く。
「お加減はいかがですか、折田さん。」
「大丈夫、よく眠れてばっちり元気だよ。あ、サーシャさん、服の洗濯と着替えの用意、ありがとうございます。」
「お気遣いなく。任務ですので。」
さわやかな朝なのに、相変わらずちょっと陰がある。まあ、侍女さんは大勢いるんだからこういう人もたまにはいるんだろうね。
「折田さん、朝食は妹姫様方がご一緒したいと仰せです。ネームでしたか、あれができたので見てほしいと。」
「マジで?頑張ったねえ!」
ネームがそのままいければ、今日明日の2日はペン入れとかの仕上げにまるっと使えるんだけど・・と、クローネさんが声を潜めた。
「それから、ローエン様より、妹姫様方のお部屋に行く前に工房へ寄ってほしいとの伝言です。」
「なにかな。ローエンさんの依頼とか、嫌な予感がする。」
根拠が無いわけじゃ無い、確かな実績がある。
ともあれ、部屋の掃除をするサーシャさんにお礼を言って、工房に向かう。
ローエンさんの魔術工房はこんな朝早くでもお弟子さんがいて、普通に稼働していた。
で、その師匠であり工房の主である魔導師ローエンさんは、つるりとした頭の照り返しを室内に浴びせながら立っていた。
「おはようございます、ローエンさん。今日も天気が良くてお日様がまぶしいですね!」
「わしの頭を見ながら言っとらんか?」
「気のせいです。」
「絶対違うだろ。」
「気のせいですって。」
私達がむうーとにらみ合っていると、クローネさんが割って入る。
「まあまあ、お二人とも。ところでみなさん、こんな朝早くからお仕事ですか?」
「あ~、2日や3日昼夜を徹して錬成するものもあるからな。」
「ローエンさん、用事って何です?」
「うむ。ブラゲトスを出せ。」
「うちのブラー君に何をする気ですか。」
「魔石に名前をつけるな。あと、人聞きの悪い言い方をするな。守護魔法を強化してやろうというのに。」
ブラゲトスのブラー君には、頭の中への通信機能、転移機能、そして守護魔法が仕込まれている。本来はブラー君にはない力ばかりだけど、ローエンさんの超強力魔具である指輪“リンベルク”の力が一部付与されているので、こんなことになっている。しかし。
「守護魔法の強化ってどうーゆうこと?!私に何か危険があるとでも・・あるわ。」
「あるだろうが。お前達、今から遮断結界を張るぞ。」
はい、と何人かの声が聞こえてローエンさんが右手を挙げる。魔道具“リンベルク”が右手にまぶしく光る。
「音声遮断。」
それだけ言うと、周囲の音がすっと消えた。お弟子さん達は相変わらず忙しく動き、話しているのに、その音も声も聞こえない。
「ローエン様、これは・・」
「わしらの周りだけ音声を遮断した。結界の中の物音は外に聞こえん。」
「へ~。原稿やるのにもってこいの空間。」
「そんなことには使わせんぞ。」
「あの、お二人とも本題に入りましょう。」
再びにらみ合いかけた私達はクローネさんに機先を制される。
「よかろう。折田、一つ仕事を頼まれろ。何、町中の人気のない場所を、一人でうろうろするだけの簡単な仕事だ。」
「気楽な感じに言ってますけど、不穏な感じしかしません。」
「妹姫様方の件の合間に息抜き程度に時折やればよい。どうせ例の本を買いに“マウステンの塔”に行くのだろうが。」
「ちっ。」
人の足下見おって。
「舌打ちするな!近頃この城から魔法で何かを飛ばしている者がおる!しかもそれに呼応して何かが返ってくる!魔法探知に引っかかったのだ!」
ローエンさんが指さした方には、ヴェルトロア王国の模型がある。縦横1m位の大きさで王国の地形や町・村の位置と形が、全て正確に写し取られている。
「王国の分身のようなものだからな、国土を包むように張った防護結界もそのまま写し取ってある。何か魔法を帯びたものが結界を突破すると模型が反応するのだ。」
「国土を包むって・・まさかそれ、ローエンさんがやったの?」
「当たり前だ、他に誰がおる。まあ、当時はまだ弟子達の技量が足りなかったからな、ガイゼル大神官殿はじめ、神殿の神官達に手伝ってもらった。」
ガイゼル大神官・・私は名前のミゼーレさんの方で呼ばせてもらっているが、この国の神官さん達のトップであり、大陸でも屈指の法力を誇る女性である。
「つまりこの城から誰かが外部の者に何か知らせ、その者が返事を返してよこしたということだ。やましいことがなければ手紙でも書けばいいものを。」
「それってつまり・・」
「“見えざる敵”の手の者が、この城に入り込んでおるのやもしれぬ。」
えー・・それってスパイじゃ・・ん?
「待って。それと私が町中に出るのと何の関係が?」
「通信をしている者はおおむね把握しておるが、確たる証がなくてな。わしは例の“見えざる敵”の手の者と思っているが、それを証明するのに両陛下や殿下方の手を借りるわけにはいくまい?」
「ローエン様、質問です。」
「何だ、クローネ。」
「それは、折田さんが囮になるという解釈でよろしいですか?」
「馬鹿者、はっきり言うやつがあるか!」
「ちょっと!!」思わずローエンさんに詰め寄る。「囮って何?!」
「あー・・言葉のあやだ、言葉の。おまえは町をうろついておればいいのだ。」
「で?“見えざる敵”が来たらどーすんの!」
「向こうがどう出るのかわからん。適切に対応せい。」
「丸投げか!!」
私は武術も魔法も心得はない。逃げ足だって大して早くないし、口もそんなに上手くない。久しぶりに言わせてもらうと、一介の市の臨時職員で2児の母親で平凡な人妻で、あと、どこにでもいる人並みのオタクでしかない!!
「断固拒否!お断りします!私は日本に夫と子どもと親兄弟親類縁者がいるんです。前回無茶をして、ガルトニの王様にさえ気をつけろって言われたくらいなんで反省して、無謀なことはしないと決めたの!」
「四の五の言うな!!いいかオリータ、その仕事が終わればな、その暁にはいくらでもウスイホンが読めるぞ!」
「死亡フラグだ!!」
「心配するな、クローネをつける。必ずやおまえを守るであろう。」
クローネさんが元気よく胸をたたく。
「もちろんです。守るであろう、ではなく守ります!絶対です!」
それにしたって守護魔法の強化・・何が町をうろつくだけの簡単な仕事か。
「いったい、どれほどの事態が想定されてるんですか。」
「普通の人間の力ではまず破れん。王宮ほどもあるマウンテントロールが全力で棍棒を振り下ろしても、毛ほどの傷もつかん。また、先日の北方の呪術師程度であれば、術を完璧に遮断する。」
「えらい危険度だ!」
・・でも・・
レルタリス姉妹の画集はほしい。あの繊細な線とインパクトのあるビビッドな色使いが大好きなのだ。それで描かれた美少年や美青年ときたらもう・・
「くっ・・」ブラー君を握りしめる。「ホントに大丈夫なんでしょうね。」
「無論・・多分。」
「どっちだ。」
「では画集とやらは諦めて・・」
「行きます。」
即答した私を見てローエンさんは要った。
「オタクは業が深いのう。」
言わせておいて何を言うか。だが、私はこめかみに冷や汗を浮かべつつ、フッと笑う。
「褒め言葉ですね。」
レベルアップしたブラーくんを受け取り、なんだかげんなりして妹姫様方の部屋に入ると・・
「「おはよう、オリータ!」」
鈴を振るような声のステレオ挨拶とともに、柔らかな金髪が陽光にきらきら光る。同じ照り返しならこっちの方が断然いい。
「おはようございます。ネームができたんですって?」
「ええ!」水色のリボンで髪をハーフアップにまとめたミルデリーチェ様が、原稿を持ってきた。「何とか10ページに収めたわ。」
「ちょっと残念だけど・・こういう終わり方もおもしろいかもね。」おなじ髪型でピンクのリボンをつけたリルデレイチェ様もやって来た。「みんな驚くわ。」
「どれどれ、ふんふん・・いいんじゃないですかね。これでペン入れしましょう。ペン入れの時は思いがけない事故があるので、早め早めに手をつけた方がいいです。時間があった方が丁寧に描けますしね。」
ちょっと最初の3ページが冗長だな、とか、このキャラにはもっと強く主張してほしい、なとか、思うところはあるけど、今は口を出さない。そういうのはコンテストが終わり、時間があったらアドバイスしようと思う。
ナッツの香りが香ばしいパンと目玉焼き、豆とハーブのスープ、フルーツサラダに金色のハーブティーで朝食がすむと、早速ペン入れを始める。
お二人とも専門の道具は持っていないけど、ふだんから羽ペンを使ってるし、定規もインクもあるので何とかなる。
「あ!インクが!」
枠線を引こうとして、定規の使い方を間違えたのだ。インクが定規と紙の間にはみ出して小さく広がっている。
「定規をひっくり返して、紙との間に隙間がある方で引きましょう。はみ出したところは乾いたらホワイトで・・えっと・・白絵の具を水に溶かずに使って消しましょう。ゆっくり丁寧に塗ってください。急ぐと失敗しやすくて二度手間です。」
「わかったわ。」
「オリータ、カケアミって知っていて?私が描くと汚く見えるの。」
カケアミか。任せなさい。柚月ちゃんはお絵かきソフトでチャチャッと描くそうだが、こちとら線を一本一本手で描いていた世代だ。
「線の間隔と太さをそろえるときれいに見えます。ちなみにつなげてだんだん線の数を減らし、これを放射状に並べるとなんだか怖い雰囲気を出せます。」
一通り描いてみせると、感嘆のため息が聞こえた。
「シュウチュウセンについて教えてくださる?何度描いてもあまり迫力が出ないの。」
ネームを見れば中心がズレている。
「中心に×を描いて・・私は、初めは4本、次にその間に4本、で、間に線を書き込んで増やしていきます。このとき同じ間隔にはあえてしないで、線にも長短をつけます。線は一気に同じくらいの力で引いて最後にスッと力を抜きます。」
それから点描。
「点描は細かく一点ずつ丁寧に丸くうつのが、時間はかかるけど、結果としてきれいになります。」
「ゆっくり丁寧に、が基本のようね。」
「そうですね~、時間はかかるけど結果、後で自分が楽になります。」
細々したところも見過ごさない。
「ベタははみ出さないこと。はみ出しは全て白絵の具で消しましょう。枠線も角はきっちり合わせましょうね。」
お二人はいつしか椅子を引っ張ってきて、私の手元を真剣に見つめ、いらない紙に自分たちでも描いてみている。
「たしかに・・丁寧なテンビョウはすごく見栄えがするのね。」
「ミル、見て!私のシュウチュウセン!人物がすごく引き締まって見えるわ!!」
「なんだか急に上手くなったみたい!」
うーん、なんて嬉しそうに言ってくれるんだろう。ちょっとしたコツや注意点なんだけど、どうやら今まで聞いたことがなかったみたい。私はどうしたんだっけ・・そうだ、少女漫画の描き方、みたいな子ども向けの本があってそれを買ってもらったんだ。今王女様方に言ったことは全部その本で読んで練習したり、友達にも聞いたりして、自分なりのやり方を見つけてきたのだ。
(あの頃は百均で安い画用紙を買うとかできなかったから、チラシの裏が白いのを集めて、箱にためてたっけ)
(お年玉なんかも全部、自由帳とか鉛筆とか絵を描く道具に使って)
(とにかく上手くなりたくて毎日毎日描いて・・それこそ寝る間も惜しいときもあった)
妹姫様方は熱心に線を引いたり点を打ったりしている。
そう、今、この子達はそういう時期なんだ。昨日言っていたとおり、絵を描くのが楽しくて大好きで、とにかく描いていたいんだ。
「じゃあ、そろそろ本番に入りましょう。私も頑張ります。」
それからしばらくの間、小春日和の光を浴びながら、私達は粛々と描き続けた。
思いの外ペンが走って、私も王女様方も夕ご飯の後まで描き続けてしまった。
「かなりいい進捗状況ですよ。」
私が言うとシュレジアさんは安堵のため息をついて言った。
「では姫様方。今宵はここまでにして、お風呂に入り、ベッドに入った方がよろしいかと存じます。」
「「えーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」」
超高音のステレオ悲鳴にもシュレジアさんは一切動じない。今は夜の9時半。ふむ・・
「今日はお食事以外は朝からずっと描き通しでございます。お目などお疲れでしょう。もうお休みくださいませ。」
「いやよ、せっかくここまで描いたのに・・」
「明日はベタヌリだけにしたい!白絵の具で修正しなければいけないところもあるし。」
「オリータに教えてもらって、今まで一番きれいで上手なマンガになってるの。だから、ベタヌリと修正も徹底的にきちんとやりたいの!」
「そのためにも今日は線描きを終わらせたいのよ、シュレジア!」
「ですが・・」シュレジアさんが困った顔で私を見た。「オリータ殿、何とか言ってくださいませ。王女様方はきっとひどくお疲れです。それにこのままでは、お風呂を用意する侍女達の勤務時間も過ぎてしまいます。私にしてもあまり遅くなるとその・・体に堪えまして・・」
言葉は懇願だったけど、シュレジアさんの目には、こんな下らぬ絵のために・・という憤懣がありありと見えた。いやあ・・
「・・よし、お二人とも今日は寝ましょう。」
「え・・」
「そんな、オリータ!」
ペンがのってきているので、今止めるのが惜しい気持ちはわかる。でもまだ14歳。
私としても子供を持つ親の身として、いきなりの深夜修羅場はおすすめできない。
「あのですね、今は楽しくて感じないだけで、1日ずっと座って描き続けた疲れはあるはずなんです。だから今日はここまでにして、明日また頑張りましょう。」
「「・・・・」」
「まあ、オリータ殿のお言葉ですよ。ささ、片付けてお風呂にいたしましょう。ささ!」
「私も部屋に戻ります。お二人とも、また明日。」
渋々ペンを置いたお二人は、それでも微笑んで、
「わかったわ。」
「ではまた明日。ごきげんよう。」
と言ってくれた。
シュレジアさんはそそくさとお二人を浴室に連れ出し、私は画材と原稿を片付け、控えていた侍女の方達に会釈して、外に出た。
一人の侍女さんが私の部屋まで送ってくれて、どこかからサーシャさんを呼んできて、私のお世話を引き継いだ。
目覚まし時計が鳥の声で鳴いて目が覚めた。
着替えてカーテンを開けると、今日もすがすがしい秋晴れだ。
サーシャさんの介添えでゆっくり朝ご飯を食べ、それから昨夜、夜中過ぎまでやった原稿のペン入れを確認。私の場合、夜中に描くとハイな気分と疲労が重なって変な絵ができ上がっていることがあるので、冷静な目で見る確認が欠かせない。案の定、服のひだの描き方等々いくつかミスが見つかったので、鉛筆で薄く印をつけておく。
「それは・・」
お茶を持ってきてくれたサーシャさんが原稿を見ていた。
「マンガです。知ってます?」
「は・・いえ、知りません。」
はいと言いかけた気がするけど、まあ、いいか。
「昨夜お描きになっていたものですか。その印は・・修正箇所?!まさか、こんなに上手いのに?」
「いや~、うれしいですけど上手くないです、ほんと。私よりすごい絵師さんがこの国にも私の国にもたくさんいますから。」
「貴女様は下手だと?それでも・・描くのですか?」
「下手だけど、仕事じゃなく、趣味なんで逆に描けるというか・・元々絵を描くのが好きなんで、絵を描いてる時間は疲れるけど幸せなんですよ。」
「しあわ、せ・・」
「はい。サーシャさんは絵とか描きます?」
「えっ・・わ、私は・・絵は・・その、いえ、描きません。」
「そうですか・・」
私の中のオタク探知センサーの針がちょっとだけ振れているんだけど・・深追いはするまい。描けても描けると言えない事情があるのかもしれないし。
「あの・・オリータ様、今日のご予定は?」
「ん?」
「今日も1日絵を描かれるので?」
「あ~・・そだね。」
首と肩は凝りまくり、手首もきしんでいるけど、今日一日は王女様方のそばにいよう。まだ線描きは終わっていないし、ベタ入れと修正もあるし。
「外に出る用事もあるけど、明日かな~」
「明日、ですか。」言葉が途切れたので背後を見ると、サーシャさんの灰色の目と目が合った。「では、お世話をする身として私が随行いたします。」
ここで、ローエンさんの司令を思い出す。一人でうろうろせにゃならん。
「いやあ、いいですよ。サーシャさんも休まないと。明日は一人で行きます。」
「そうですか・・」
なんか残念そうだ・・仕事を取っちゃったことになるのかな?
とりあえず部屋の掃除にかかったサーシャさんを残して、王女様方の部屋に向かった。
「「きゃあーーーーーーっ!!!」」
妹姫様方の悲鳴とともに、シュレジアさんが慌てている声が聞こえてきて、私はノックもせずに部屋に飛び込んだ。
「どうしました?!」
「あ・・」
「オリータ~・・」
お二人が涙目の上、シュレジアさんの顔が蒼白になっている。何事?!
駆け寄るとテーブルの上には・・インクでがっつり黒くなった原稿用紙4枚があった。
「ふおぉ?!」思わずのけぞりかけて、何とか耐える。ここは私が冷静であらねば・・「えっと・・なんでまたこんなことに?」
「天気がいいからお日様の光を浴びながら原稿を描こうと思って、机を動かしたの。」
「そしたら、インク瓶が転んで・・」
最後にシュレジアさんが付け加える。
「ですから、瓶のふたを閉めてから、と申し上げましたのに・・」
「あ~・・」
なんと言っていいかわからない。
「とりあえず、原稿を見てみますね・・王女様方はまず手を洗ってきましょうか。」
お二人がシュレジアさんに連れられて手を洗いに行っている間に、急いで被害状況を確認する。2枚は半分近くが黒く、後の2枚は大きな飛沫が飛び散っている。どちらもホワイト修正だけでは効かないレベルだった。
「4枚とも描き直しです・・」
戻ってきた王女様方にそう告げるのはつらかった。何しろ昨日までの仕事の半分が一気に壊滅したのだ。
お二人はいすにへたり込み、シュレジアさんさえショックを受けていた。
「ま・・まずは机をきれいにしましょう。シュレジアさん、雑巾はどこでしょう。」
「それは侍女がいたします。貴女方・・机の掃除と・・新しい紙を。」
侍女さん達がささっと動いて、机を手早くきれいにしていく。王宮の侍女さん達は総じて気が利くんだけど、今は侍女さん達もショックを受けていて、言われるまで動けないでいた。
掃除が終わり、新しい原稿用紙が用意され、補充されたインク瓶が机にのったけど、王女様方はまだ動かなかった。
「さあ、急いで描き直しましょう。時間がありません。」
昨日までにできたアドバンテージは一気に吹き飛んだ。とにかく描かないと間に合わない。なのにお二人は動かない。
「あの、描かないと明日のコンテストに間に合わないですよ?」
「もう無理よ。」
「描けないわ。」
「え?」
「明日までなんて間に合わない。コンテスト出場は諦めるわ。リルはどう?」
「私も諦める。」
「でも今から頑張ればまだ間に合うかもしれないです、まだ朝だし・・」
「無理。下書きから書き直しなんて・・しかも4枚も・・」
「せっかく描いたのに・・あんなに頑張って描いたのに。もう、胸が痛くて・・」
そう言ってお二人は机に突っ伏した。完全に戦意喪失している。
シュレジアさんが訴える目で私を見る。
侍女さん達も心配そうだ。
むう・・目を閉じ、考える。
そして深く深く深呼吸し・・
「何言ってるんですか。さ、描きますよ。」
少し強い口調でそう告げると、王女様方が顔だけ上げた。
「で、でも・・もう間に合わないわ。」
「あと6ページもあるのよ。そのうち4枚は下書きから描き直しで・・」
「だから何ですか。締め切りまであと1日あるんです。最後まで描きましょう。」
「でも、昨日一日で8ページよ?!今日はベタヌリと修正もあるのに!」
「1日あります!お父さんとお母さんが許してくれた1日を無駄にするんですか?!そんな、もったない!」
お二人の白い手がぎゅっとインクよけのエプロンを握る。でも私は続ける。
「それにですね、いいですか、マンガを描いていればこんなことは結構あるんです。私が昨日寝ちゃって、インクを原稿に落としたのは見てましよね?昔はもっと大変なこともしましたよ。めっちゃ上手くいった男の子の顔に墨をこぼしたり、乾いてない絵の具に手を滑らせて色が混ざったり・・でも、締め切りまでに間に合わせたくて必死に直しました。限られた時間でいいもの描きたくて!」
「で、でも・・」
「ここで諦めたら、お二人のマンガにかける気持ちがまた疑われますよ。エルデリンデ王女様に、二度と描くなって言われちゃいますよ。」
実際止めればいいと言われたのだ。それを思い出してかお二人の肩が小さく震えた。
「お描きになってください、姫様方。」私は振り返った。「たとえ“いい加減な絵”であろうとも、一度手をつけたことをそう簡単に諦めるようでは、ヴェルトロアの王族として、今後が思いやられます。お描きください。」
シュレジアさんは毅然としてそう言った。
お二人は恐る恐る顔を見合わせ・・そっと鉛筆を手に取った。
そもそも他の子は一人で描いていて、今みたいな惨事があっても一人で対応せざるを得ないはずなのだ。おなじページ数でも、二人で描いていること自体が大きなアドバンテージだ。それを考えると、やっぱり頑張ってもらわねば。
浮かない顔で描きだしたお二人・・でも、その鉛筆がだんだん早くなっていく。
視線が熱を帯び、私語もなくなった。
来た。
私が期待していたスイッチが入った。
以前お兄さんの王太子ラルドウェルト様が同じように時間がない中で、国の一大事に関わるフィギュアを作らなければならなくなり、そのプレッシャーに何度も投げ出しそうになったんだけど、一度腹をくくったらその後の集中力は爆発的だった。
妹姫様方にも同じ血が流れているのを期待していたのだ。
この分なら汚した分のネームはあと1時間もすれば終わる。お昼前にはペン入れには入れるだろう。油断はできないけど、いけるかもしれない。
とにかく、描かなきゃ終わらない!
私は、離れたところでお二人を見守るシュレジアさんのところに向かった。
「さっきはありがとうございます。お二人の背中を押してくれて。」
「いいえ。私の仕事をしたまでのこと。先ほども言いましたとおり、“いい加減な絵”であっても、途中で物事を投げ出すのはいかがなものかと思いました故。」
いつもの、木が発したかと思うような感情に乏しいしゃべり方だったけど、王女様方のことを思いやる気持ちは感じられた。
修正はちょっと手間取った。汚れたコマを切り抜き新しい紙を貼り付けるとか、途中がホワイトで消えた線をきれいに一本につなげる方法とかを教え、お二人にやってもらう。
お昼ご飯の後眠気と戦うお二人に「これがシュラバというものです。」と言うと、俄然復活したので、オタク気質がうかがえた。
日が傾く頃、ペン入れが終わる。それからまた墨をこぼさないよう、細心の注意を払ってベタ塗り。夕ご飯をはさみ、ホワイトで修正を入れ・・
夜の8時頃、ついに作業が終了。
「終わったーーーーーっ!!」
「できたわ!シュレジア、見て!」
「おめでとうございます、ですがまず、絵の具をお片付けくださいませ!」
「そ、そうね!」
「ほら、ふたを閉めたわ、さあ、見て!!どう?どう?シュレジア!」
困惑しながらマンガ原稿を手にするシュレジアさん・・“いい加減な絵”をどう表現するのか・・
「・・・はい。ちゃんとお話になっております。よく最後までお描きになりました。お二人ともご立派です。」
作品ではなく原稿を完成させたことへの評価だったけど、まあ、いいか。一度は投げだそうとしたんだから。
「オリータも見て!どうかしら?」
「はいはいっと・・うんうん、いいんじゃないですかね。完成おめでとうございます。」
「やったわ!!マンガが描けたわ!!」
「私達だけでお話を一つ書けたのよ!すごいわ!!」
手を取り合って喜ぶ王女様方。
よかった。本当によかった。
あー・・駿太が小学校の野球部で初めてレギュラーになるまでの日々を思い出した。ダンナと一緒にランニングや筋トレしたり、ちょっとだけソフトボールの経験がある私と毎日キャッチボールしたりして、でも、なかなかレギュラーがとれず心折れて泣いて・・やっとレギュラーになれた日は、みんなでお祝いに焼き肉屋さんに行ったっけ・・
「ねえ、オリータ!」
「ん?どうしました?」
「このマンガ、お父様とお母様にも見せてさし上げたいんだけど・・どうかしら?」
「お父様に馬鹿にされたりしないかしら・・?」
「いやあ、陛下はそんな人じゃないと思い」シュレジアさんの顔が見えた。こんなものをお見せするのですか?!と目が訴えている。「・・ま、す・・よ?」
冷や汗をだくだく流しながら答えると、シュレジアさんの眉間にはっきりしわが寄る。
「・・・・・ただ今、両陛下のご都合を伺って参りましょう。誰か。」
シュレジアさんの渋面には全然気づかず、王女様方はいそいそと大きな書類ばさみに原稿を挟み、インクよけのエプロンも外して服装や髪を整えている。
やがて戻ってきた侍女さんが両陛下が待っていることを告げると、お二人は私の腕をつかんで部屋を出た。
出しなにドアの前で見送るシュレジアさんが、
「完成したのはようございましたがね。」
とつぶやくのが聞こえ(というか、たぶん私に聞かせて)、私はへこへこしながら通り過ぎるしかなかった。
王様はゆっくりじっくりと、娘さん達の描いたマンガを読んだ。王妃様も傍らからのぞき込み、一緒に読んでいる。
なんだか胃が痛い。自分の原稿なら、こんなに緊張しない気がする。
読み終わると、王様は静かにテーブルの上に原稿を置いた。
「ずいぶんと白い絵の具を塗った跡があるが、これは何かな?」
「黒く塗ったときにはみ出たり、線を間違って引いたところを直したりしているのです。」
「近くで見るとちょっと汚く見えるけど、遠くから見れば大丈夫です!」
「ほほう、どれ、こう離して見れば・・うむうむ、たしかにそうじゃな。」
それから集中線の効果やカケアミの描き方でひとしきり王様の感想や質問が続き、王女様方がそれに答えるというほのぼのとした光景が続き、ほほえましく拝見させていただく。
「さて、オリータよ。」
「は・・はい!」
「この子らは次からそなたの助けを借りずとも、マンガを描けそうかな?」
!・・そうだな・・
「お二人には技もお伝えましたし、下書きやペン入れにそれぞれどのくらい時間がかかるか、今回で大体つかめたと思います。だから、私があれこれ言わなくても、時間をやりくりして描けると思います。ね?」
「「え?」」
お二人が顔を見合わせる。
「ええと・・ええ、たぶん・・」
「インクをこぼして原稿をだめにしていなかったら、もっと早くできていたはずだし。」
「まあ、そんなことがあったの?」
「はい、お母様。今朝、昨日一日で書いた分の半分にインクをこぼしてだめにしてしまい・・一時はコンテストに出すのを止めようと思いました。」
「でも、シュレジアが最後まで頑張りなさいって言ってくれて、オリータが色々直し方を教えてくれて、それで何とか完成させることができました。」
「まあ、そうだったの。」
「うむうむ。」
王様はひげをなでながら楽しげにうなずいて言った。
「なればミルデ、リルデ。オリータはああ言うていたが、これからは王族としてのつとめ・・そなたらの場合は学業だが、それに支障をきたさずマンガを描けそうか?」
王女様方の顔がさっ、と緊張する。
「そなたらの都合だけでこれ以上講師達を振り回すわけにはいかぬ。好きなことは続けてほしいが、それだけに時を費やすことはできぬ。」
「「・・・・」」
「よいか、我らは王族ではあるが国の民が出してくれた税金で暮らしておる。それは民が暑い日も寒い日も懸命に働いて得た金の一部を、分けてもらっているものなのだ。そんな金を使って好きなことだけやっておもしろおかしく暮らす、というのでは民は許すまい。そなたらが民の立場になってみよ・・自分が出した金で他人がただ遊び暮らしているのを見るのは、おもしろくはあるまい?」
「「・・・・」」
「王宮での授業を休むのはこれきりじゃ。これより後は時間を上手く使って、マンガも学業も両方こなすようにするのじゃ。よいな。それが民より金を得ながら民の上に立つ王族の義務じゃ。」
「王族の義務・・」
「・・そ・・それを果たせば、マンガを描いてもよいのですか?」
「おお、よいとも。何か悩むことがあれば、相談せよ。父や母だけでなく、エルデやウェルトでもよい。どちらも学業と趣味をきちんと両立させておる。」
うん、確かに。エルデリンデ王女様は自ら気づいて誰にも何も言われずに両立を成功させ、王太子ラルドウェルト様ははじめこそ趣味にかまけて公務をサボったりしたけど、今は何とか両立できているようだ。
「そしてあと一つ。王族としてのみではなく、家族としてのつとめも果たしてほしい。」
「家族としての・・」
「つとめ?」
「学院から来たものは全て父と母、またはシュレジアにきちんと見せよ。近頃この点で父と母が困ることが続いたぞ。よいな?」
「「あ・・」」お二人のほおが真っ赤に染まる。「「はい。ごめんなさい。」」
よしよし、とうなずく王様。王妃様は優しい目でお二人を見ている。
「さて、最後に・・このマンガの続きはもう考えているのかな?」
「「続き?」」
「うむ。主人公の姫達が言うておるではないか。『私達の冒険はまだまだこれから!』と・・王宮の門を出たところで話が終わっておる。」
そうなのだ。
結局10ページではそこまでしか描けなかったのだ。
こんな、連載13週で不自然に終了するみたいな終わり方がコンテストでどう見られるかは、わからない。そこは王女様方も納得済みで作業してきた。
「そうね。私も続きが楽しみです。」と王妃様。「乳母が寝た隙を見計らって破ったシーツをつないで2階の窓から降り、魔導師に大好きなお菓子をあげて作らせた眠り薬で、それを燃やした煙で衛兵を眠らせて・・これから町に出て一体どんなことに出会うのか、ぜひとも続きが読みたいわ。」
ええ・・と顔を見合わせる王女様方。はじめはびっくりし、次にうれしくなり、恥ずかしくもなり・・
「続きは描くわ、お母様!疲れたから少し休んでからだけど・・」
「お父様も楽しみにしていて!」
きっぱり宣言するミルデリーチェ様とリルデレイチェ様。王様と王妃様はそんなお子さん達を嬉しそうに見ている。子供達が何の憂いも無く趣味に打ち込めることが、お二人の喜びであり、希望だ。
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