<4-8 折田桐子、暗殺者と神作家に出会う>
1時間後。
私はデイパックに湖畔のヴィオラさんの最新刊とレルタリス姉妹さんの画集を入れ、王国の老舗書店“マウステンの塔”を出た。今更だが、“マウステンの塔”とは古代のエリオデ大陸にあった伝説の塔の名前だそうだ。8階建てのこの塔の1階から5階が図書館で、その頃出版されていたあらゆる本が収蔵されていたという。
(折田さん、いつもとは逆に進んで下さい。突き当たったらさらに右に)
ブラゲトスのブラーくんを通して、クローネさんの声が聞こえる。
クローネさんも魔石パレトスを持っていて、それを使って心の中で会話できるのだ。一緒にいると来る者も来ないかもしれないとのことで、どこか離れたところにいて着いてきてくれている。
いつもとは逆、とは“マウステンの塔”を出て左に進み、中央広場に出るところを右に進む・・要するに段々人通りが少ない場所に移動していくのだ。緊張で汗が出る。
(あれ?ここ・・公園じゃない?)
急に視界が開けて緑も鮮やかな生け垣と、その向こうの花壇が見えた。
(王立公園のはずれです。生け垣の切れ目があるはずなので・・)
(あ、あるある・・こっから入るのね?なんか・・人が見当たらないけど)
(すみません・・そういう場所を選ばないと、“敵”は来ないでしょうから)
王立公園は王国王都ヴェルロワ市民の憩いの場だ。“緑滴る”国ヴェルトロア王国の園芸技術の粋を集めた植木や花壇の数々は常に花を絶やすことがなく、ベンチや遊歩道までも手入れが行き届いている。
でも今はその美しさが、かえって不気味に思えてきた。
(折田さん、落ち着いて聞いて下さい。実は、“敵”らしき者をすでに確認しています)
(え、もう?!)そっと視線を巡らすも当然見つかるはずもなく・・(ど、どうすればいいの?)
(とりあえず・・そうですね、その木の下に座って本を読みましょうか。“敵”はそこを狙ってくるでしょう)
(狙ってくるですか・・)
あの雑魔導師め、囮とか、ホントにもう・・泣きたい気分でデイパックを下ろし、木の下に座る。取り出した湖畔のヴィオラさんの最新刊が、装丁がきれいすぎて目に染みる。
影が差した。さっきまで晴れてたのに・・
空を見ようと顔を上げ、目を見張った。
目の前に黒ずくめの人がいる。すでに振り上げた右手を勢いよく振り下ろして・・その手には何か握っていて・・
凄まじい火花が散った。
とっさにデイパックをかざして火花を避ける・・変な匂いがした・・多分デイパックの化繊が溶けてる。
「折田さん、そこから動かないで下さい!!」
クローネさんの声。
恐る恐るデイパックの陰から顔を出すと、見覚えのある輪っかが何本も私の周りでゆっくりと回っていた。
ブラゲトスに仕込まれた防御魔法が作った結界だ。輪っかは文字と記号でできた魔方陣で、私が危険な目に遭ったときに私の周囲に現れ、守ってくれる。さっきの火花は敵の刃物と魔方陣がぶつかってできたものらしい。
今、その敵の姿が結界の外にはっきり見えた。
黒ずくめの細身の身体で細身の短剣をふるい、背中には一つに結った銀髪が揺れている。顔は灰色の目を除いて覆面で覆われていた・・灰色の目に一つ結いの銀髪?
「もしかして、サーシャさん?!」
打って出ようとした足がわずかに止まった、その隙をクローネさんは見逃さなかった。下から剣を跳ね上げ短剣を手から飛ばし、返す刀で上からサーシャさんの身体を縦に両断・・サーシャさんの手から離れて飛んできた短剣が、クルクル回って結界のすぐ下に突き立った。
目をつぶるヒマも無かった。流血の惨事を覚悟した私の目に映ったのは、顔からはらりと落ちる黒布と、あらわになった敵・・サーシャさんの顔。
布だけ切り落としたクローネさんの剣技に、元々色白のサーシャさんの顔が蒼白になった。だけど素手のまま、構える。まだ諦めていない。
「サーシャ殿・・身のこなしに他の侍女殿とは違うものを感じていたが・・ローエン様の探査だけではない、私の直感も当たっていたな。」クローネさんは剣を構えてじりじり距離を詰める。「どこの手の者だ。誰に頼まれて、なぜ折田さんを狙った!」
それだよ、なんで私?
「あの・・私、サーシャさんになんかした?」
結界の中から恐る恐る尋ねる。
「何も。」
「じゃあ、なんで。」
「依頼を受けたまで。強いて言えば・・この国に現れたことがお前の不運だ。ただ観光だけで済ませておけば良かったものを、王族と関わりを持ったのがよくなかったのだ。」
「いや、そんなの意味わか・・ん?え・・え、ひょええええええええっ!!!!!」
「折田さん、どうしました?!」
「クローネさん、大変!!湖畔のヴィオラさんの・・湖畔のヴィオラさんの最新刊に穴が開いてるうぅっっ!!」
なんかさっきから手にガサガサ触るなあ、と思っていたのだ。
で、手を見たらなんか黒いものが着いてて煤?と思って、なんで煤?と思って、どこから着いたのかなと指が触っていた場所を見たら・・
「そうか、さっきの火花!!あの時デイパックから最新刊出してた!あーーーっ、私としたことが、ウスイホンをデイパックの上にあげたまま火花の盾にしていたとは!!!!オタクにあるまじき愚行、ウスイホンに対する暴挙っっっ!!しかも神作家さんの本に、神作家さんの最新刊に穴を開けるとか、作家さんに対する冒涜!!わったっしっとし、た、こ、と、がああああっーーー!!!」
なんということか。
仮にもオタクを名乗る者がすることか。
「じ、自分の身を守るために神作家さんの本を犠牲にするとは、何という罰当たりかあああっ!!!・・」
結界の中で頭を抱えてゴロゴロとのたうち回る・・折田桐子、一生の不覚!!
「いえ、そこは自分の身を守って下さい、折田さん!というか、ナナイ殿から湖畔のヴィオラさんの最新刊はもらったのでは?取り置いていただいてたのですよね?!」
「あるよ・・まだもらってないけど・・でもね、そういう問題じゃないの。これは保存用に買ったの。ナナイさんの方は読む用。」
「はい?」
「いい?クローネさん。神作家さんの本とあれば、2冊買うのは必定!!」
「?!」
「なぜなら!普段読む用と保存用だから!!何なら鑑賞用に1冊、布教用にもう1冊あると、なお良し!!お金ないから我慢してるだけ!!」
「よ、4冊???!しかも鑑賞用と布教用というのが意味がわかりませんっ!」
「布教用は神作家さんの偉大さを知らしめる布教活動に使う!!外で使って汚れる心配があるから、布教専用なの!ちなみに鑑賞用はケースなどに入れて装丁やなんかの美しさを楽しむ用、保存用は光や湿気をがっつり遮断して保管し、後世に作家さんの偉業を語り継ぐ用!まるで美術品?そうだよ、神作家さんの本は芸術品だよ、読む芸術なのっ!!」
「・・・・・・・・・・・・・はい。」
「ましてや大ファンの湖畔のヴィオラさん・・その最新刊・・それに焦げた穴を・・この美しい表紙に無残にも・・うううううううう・・・・・無念だ・・」
カサ、と音がした。
クローネさんが素早く剣を構え直す。
その剣先に、サーシャさんが芝生に手をついて項垂れていた。
「ど、どしたの、サーシャさん。」
「我が名はサーシャではない・・“夜鴉のサシェ”だ。」
よがらすのサシェ。
「最近八千代さんとよく見る、日本の時代劇の盗人(ぬすっと)のような名だ・・」
「ああ、火付け盗賊改めのやつ?」
「はい!!あの長官殿の重厚にして愛嬌あるところがたまりません・・カルセドなどより数段素敵です!!」
「ああいう人が好みなの、クローネさん。」
私も大好きな俳優さんだけど、それはさておき。
「サ・・シェさん、どうしたの?具合でも悪いの?」
「わ、私は・・」
「うんうん。」
「私は暗殺者を辞める・・」
「うん?」
「狙った標的が同志では・・殺せん。」くっ、とうめき声が漏れる。「標的を殺せないと言うことはすなわち、暗殺者失格だ!暗殺の女神シェリーアへの誓いを破ることになる!だが・・湖畔のヴィオラを愛する者を手にかけるなど・・私にはできない!!」
「「・・・・・・・・・・・」」
芝生を握りしめ、苦悩するサシェさん。
そうでしたか。
「あなたもこっち側・・ちょっとーーー!!」
駆け寄ったクローネさんが手をひねり上げ、その痛みでカミソリみたいな小さな刃物が
芝生に落ちる。
「危ないところでした。」
「ダメだよ、自殺なんかしちゃ!!」
目の前で人に死なれるとか、平和な日本人にはショックが大きすぎる。
「しかし・・暗殺に失敗した以上もうこの世に私の居場所はない・・しかも、敬愛する神作家の本も傷つけた・・あの方は、湖畔のヴィオラは、暗殺ですさんだ私の心にそそがれた清水のような存在だった。あの方の本を読んでいるときは、人に戻れた気がする・・忘れていた人としての感情を取り戻せた気がしていたのだ・・そんな方の本をあんなむごい姿にした・・私など、存在する価値はない!!」
「いや、なにもそこまで!」いつしか私の周りの結界は消えていた。危険は去ったようだ。「も、もういいから。か・・形あるものはここ、壊れるって言うしね。うん。」
「だが、お前・・涙目ではないか・・」
「うっ。い、いや、もう・・いいです、諦めます。」大人ですから。大人。「だから、存在価値がないとか言わないで。そりゃあ宝物だけどさ、人の命以上のものじゃないよ。」
「オリータ、様・・」ぐす、と鼻をすすりサシェさんは片膝ついて頭を下げた。「騎士よ、私を捕縛してくれ。」
「依頼人のことなど話してもらうぞ。」
「無論。知っていることは全て話す。」そして私を見た。「オリータ様の寛大さに報いるつもりだ。」
クローネさんはベルトのポーチから取り出した細い縄で後ろ手にサシェさんを縛り上げ、さらに首から提げているパレトスを取り出す。
「これより王宮に飛びます。では。」
「では。」
手慣れてるねと思うなかれ、単独瞬間移動はまだしたことが無いのです・・
クローネさんがサシェさんを引き渡しにどこかに行ったので、とりあえずローエンさんの工房に報告とお礼に向かう。
ケミスさんがローエンさんが残していったというお茶を入れてくれた。疲労回復と興奮沈静効果があるそうだ。
一服飲んで、ちょっとしけったクッキーなど食べて、やっと落ち着いて周りを見回す。
「ケミスさん、ローエンさんはなんか用事?」
工房内に見当たらない。頼みたいこともあるというのに・・
「ええと、それがですね・・」
ここで初めて、ケミスさんの表情が不安げなのに気づく。
「なにかあった?」
と、ノックの音がした。ケミスさんがドアを開けると、侍従長エルベさんが立っていた。
ケミスさんが礼を取り、私もぺこりと頭を下げる。
「オリータ様、こちらでしたか。陛下がお呼びです。」
「あ、はい・・」
ケミスさんとうなずき合い、私は廊下に出た。
「オリータ、無事ですか?」
部屋に入った途端、王妃様が駆け寄って私の手を取った。王様も来て、「けがはないか?」と、心配そうに聞いてきた。
「大丈夫です。」ガッツポーズでアピールする。「この通り、元気ですよ!」
「ああ、よかった・・さあ、こちらへ。お茶が入っています。」
「ありがとうございます。」
ローエンさんの工房で飲んできたばかりだけど、思いの外のどが渇いてて、深い紅色のお茶が体にしみる。ナッツ入りのカップケーキも美味しい。
「そのローエンじゃが、」王様はお茶を一口飲んで言った。「本人の申し出により、自宅にて謹慎処分としておる。」
「は?」キンシンショブン?!「あ、いえ、すみません、ご無礼な口きいちゃって・・あ、これも無礼か、すみません。あー。えと、そうだ、今何て?謹慎ですか?!何でまた?!」
「そなたを危険な目に遭わせてしまったことへの償いとしてだ。」
「“見えざる敵”につながる者をあぶり出すため、武術や魔法の心得のない貴女を一人で囮に出した、ついてはその非道さ故に自らを罰したいと言って。」
「・・・・・」
何なの、ローエンさん。
なんでそんな殊勝なことをいきなりやり出すの。
そういうこと、行く前に一言くらい言っといてよ。
もう・・もう・・雑なんだから!
「あの、でも・・私が無事なのはローエンさんが、魔石にものすごい守護魔法を仕込んでくれたおかげなんです。あと、クローネさんが付いてきてくれるよう、手配してくれてましたし。だからその、謹慎とかそこまでする必要はないかなあ、と・・それに、サシェさんも捕まえられましたし・・」
「あの暗殺者か。クローネは相当の手練れと申していたぞ。それを思えばますます謹慎処分は妥当に思えるが?」
「え~と・・」
困った。ローエンさんとはケンカはするけど、別に仲が悪いわけじゃない・・と私は思っている。一応、こうして無事なんだし・・
「あ、というか、その・・私もアレなんですよ、“マウステンの塔”に行きたい用もあって最終的に行くことに決めたのは私なので・・だからローエンさんだけのせいでもないんです。あの・・その謹慎、お昼ぐらいで終わりにできませんでしょうか?」
「ふむ。」
王様はあごひげをなでて考える。王妃様は王様をそっと見やる。
しばらく考えた王様は・・
「いやしかし、やはりローエンには処罰が必要じゃな。」
「え・・」
「ただし、処罰を謹慎ではないものとする。」
王様は私を見てにやりと笑った。そして、新しい罰について話してくれた。
「・・これでどうじゃ。」
「いいと思います。」
「王妃は?」
「大変よろしいかと。」
王妃様は私を見、にっこり微笑んだ。私も微笑み返した。王様の羽ペンがさらさらっと動き、新たな文書をしたためた。
「よし。エルベ、ローエンに通達して参れ。」
「は。」
いつものようにエルベさんが静かに出て行く。
「さて、オリータ。幸いにも“見えざる敵”の手先を確保することができた。そなたにも関わりあること故、今までに判明したことを話しておこう。」
「手先・・ということは、サシェさんは“敵”そのものではないんですね。」
「うむ。」
安心した。“敵”そのものだったら、重罪になるかもしれない。
「オリータ、そなたは命を狙った者を案じておるのか?」
「え・・あー・・」だって。「本心からじゃないかもしれませんけど、二晩侍女としてお世話してくれて・・なんというか、関わりがあった人が私のせいで死刑になったりするのは・・心が痛むというか・・」
平和ボケとか綺麗事とか言う意見もお有りだろうが、イヤなものはイヤなのだ。
「では、そなたに免じて命は取らずにおこう。だが、雇い主を裏切って敵に通じた暗殺者の人生は厳しいものじゃ。まず、故国には戻れまい。」
「サシェさん、どこの生まれなんですか?」
「ガルトニじゃ。生まれついての孤児で、暗殺を生業とする組織に拾われて、訓練を受けたそうじゃ。この一年ほどは今の雇い主に派遣され、その者の命を受けて働いておった。」
「その雇い主は誰かとかは・・」
「そこまではまだわからぬ。雇い主は本名を隠し“サグニス”と名乗っておったが、衣服が上等であったため、それなりの身分であろうとのことだ。」
「それなりのって・・そんな人が何で私を狙うんでしょう。ガルトニの人に狙われることはあまりないと思うんですけど・・」
ガルトニ王国の知人と言えば、王太子ヨシュアス殿下、そのお父さんのリヴィオス王様、ヨシュアス殿下付きの将軍デナウアさん、美人魔導師ネレイラさん・・くらいかな。
これ以上は無いくらい“それなりの身分”の人たちなんだけど。
「だが、そなたの知り合いのガルトニ人は今では信用できる者達と言ってよかろう。何しろ、夜を徹して飲み明かした仲じゃ。」
「そうですねえ。私は途中で抜けましたけど・・」
前回の訪問で、アルメリア族の王様やガルトニの王様と王太子様、ヴェルトロアの王様、王女様や将軍さん達を交えて国境の要塞で催された宴会のことである。
「皆様、随分意気投合なされたとか。よい宴だったのですね。」
「そうなんですよ。ガルトニの国王陛下が大変気さくなお人柄で・・クローネさんのお父さんとデナウア将軍も、お互いの娘さんの話なんかして・・」
・・正確には、自分の娘さんと同い年のクローネさんに婚約者がいることを上司のリヴィオス王様に大いにいじられた娘さん大事のデナウアさんがしおれ、それをクローネさんのお父さんのエドウェル・ランベルンさんが慰めているうちに、クローネさんの縁談が宴の席でお酒の勢いで決まったということを暴露してしまい、それを聞いたクローネさんが荒れ、エドウェルさんとミゼーレさんがそれをなだめにかかり、その傍らでアルメリア王ダンデラさんが自分の婿になる人は自分を倒せなければだめだとか言いだし、娘さんのマリリスちゃんが『そんなことを言ったら誰が婿に来るのよ!』と言って親子げんかが始まるというカオスに突入したところにヨシュアス殿下が機転を利かせて、『名だたる“暴風王”の戦斧“ヴェルジュオン”を是非拝見したく』と言った途端に、男性陣と格闘技の名手ミゼーレさんで武器談義が始まり・・10分ほど黙って見ていた後、エルデリンデ王女様が、疲れたので女性陣は退席しますと言って、クローネさんを連れて退室、空が白むまで結婚や恋について(もちろんオタ話も)語り合う女子会をしていた・・と言うのが真相である。
「娘と言えば、リヴィオスがエルデにヨシュアス殿のどこがいいのかと尋ねてのう・・」
「まあ。エルデはなんと?」
「国のこともエルデのことも同じように誠実に考えるところ、エルデのために命を差し出そうとしてくれた勇気と優しさじゃそうな。」
「エルデが時折そのようなことを言っておりましたが・・オリータ、ヨシュアス殿は本当に命を差し出そうとしたのですか?」
「本当です。私のことも一緒に助けようとしてくれました。アレです、お見合いの前に言われてたようなことは全然なかったんですよ。私達を誘拐した呪術師を負ぶっていこうとまでしたんで、逆にこっちが止めたぐらいで・・なんであんな悪い噂になってたんだしょうねえ。」
「そうね・・ああ、ヨシュアス殿は?ヨシュアス殿はエルデのことは何か言っていて?」
王妃様の目がきらきらしてきた。王様はなんだかどんよりしてきた。
「リヴィオス王様がそれもヨシュアス殿下に聞いたんですよ。そしたら、美しさと聡明なことは前から知っていたけど、今は王女様の剛胆さにも感銘を受けているって。」
「まあ!エルデのこと、ちゃんとわかってくださっているのね!殿下は、きっとよい旦那様になりますわ、ねえ、陛下?」
「・・・・・うむ。そうじゃの・・・・」
さっきまでの峻厳な雰囲気はどこへやら、娘大事の親ばかモードに入った王様は、遠い目でそう答えた。かわいそうになってきたので、話を戻すことにする。
「ところで、そのサグニスさんとやらは、なんで私を殺そうとしたんでしょうか?」
「おお、それがな、」王様がやや元気になる。「彼の者は魔術と占術を能くするのだそうだ。その占術により我が国に“未知の因子”がおり、それが彼の者の計画を邪魔しておると出たという。」
「“未知の因子”って・・」
「その者は、ガルトニとヴェルトロア両国の内情をおおむね把握しているらしい。それでもあずかり知らぬ何者かがいた・・つまり、そなたじゃ。」
おう。
「じゃあ、サシェさんは・・」
「“未知の因子”を探らんと侍女として我が国に潜入していたところ、そなたが訪れた。それを魔法通信で彼の者に報告したところ、占術により間違いないと出た故、襲撃せよと命じられたそうじゃ。」
何それ・・占いで命を狙うんじゃないよ・・
「防護結界を突破して魔法通信が何度かガルトニに飛んでいたことは、ローエンがつかんでおったが、王宮のあちこちから飛ばされていたため、なかなか飛ばした者を押さえきれずにいた。ところがそなたが来たその日、そなたに当てた部屋から通信が飛んだのだそうな。それで飛ばしていたのが“サーシャ”であろうと。」
「えっ・・私の部屋から?サシェさん、大体私と一緒にいてお世話してくれて・・あー、いえ、お風呂入ってるときは・・」
「うむ、“サーシャ”がそなたの部屋に一人であったろう。それでローエンは侍女長に“サーシャ”について尋ねた。するとそなたが来たと聞いた途端、新参者ではあるが経験を積むために賓客の世話をさせてほしいと自ら申し出たと言ったそうだ。それで“サーシャ”がいよいよ怪しい、しかも狙っているのは我ら王族ではなく、そなただと考え、正体を暴こうとして、そなたを囮にした。だが、このことをわしに報告して許可を求めたところで、それは許されんと思い、秘密裏にそなたを呼び出し、外へ出したというわけだ。」
そっか・・で、さすがに気がとがめて、めっちゃ守護魔法を仕込んだり、クローネさんを護衛につけてくれたりしたあげく、自ら謹慎したわけだ・・
「サシェさんの雇い主の計画って何なんでしょう。」
「それはわからぬ。その者はサシェに何をするかを命じるだけで、何のためかの説明はなかった。暗殺者じゃからの、サシェはそれでいいのだ。そうであろう?エルベ。」
侍従長のエルベさんが静かにうなずく。
「暗殺者の本分は命じられた仕事をするのみ、でございます。余計なことを知るのは後々自分の首を絞めることにもなりかねませぬ故、あえて知らぬ方がよいのです。暗殺者には何をするかということのみが重要であり、理由や背景への理解は不要なのです。ただし、長く生きたければ、理由や背景を自力で探り、命の担保にする努力は必要です。」
「ほ~・・詳しいですね、エルベさん。」
さすが敏腕侍従長さんだ。
「何、エルベも元は暗殺者だったからのう。30年前わしを狙ってきて失敗し、爾来わしに侍従として、陰に日向に仕えてくれておる。」
ティーカップを落としかけた。
「え・・いや、マジ・・じゃなくてホントですか?!」
「本当です。」エルベさんはニコニコと答えた。「私はサシェと同じくガルトニの出身で、当時はヴェルトロアと犬猿の仲だったガルトニの先代国王に、陛下の暗殺を命じられたのですが、陛下の戦斧に完敗いたしました。ですが陛下は私を殺さず、私の技を陛下のために役立ててくれまいかと仰せられ・・その剛胆さとお心の広さに感服し、一生かけてお仕えすることにいたしました。」
「おかげで陰謀から学院の通知文書まで、エルベの働きには本当に助けられておる。」
「恐悦至極にございます。」
穏やかな笑顔で微笑み頭を下げるエルベさん。それに対してやっぱり穏やかな笑顔で応える王様。それを見て思う。
「サシェさんは・・この後どうなるんでしょうか?」
「ふむ。先ほども言ったように故国には戻れぬであろう。戻れば組織の仲間や雇い主の探索がかかろう故、人目のないところでひっそりと生きていくことになろう。見つかれば恐らく殺される。」
「では・・ガルトニに戻らねば?」
王妃様の問いに王様はもう一度ふむ、と考え、
「他国に亡命するしかなかろうのう・・まあ、サシェの人生故サシェが決めることだ、今はとりあえずエルベに預かってもらい、そのあたりを考えてもらおうと思う。」
エルベさんが深くうなずく。
サシェさんの人生だから、か・・あんまり悲しいことにならないでくれればいいな・・まだ若いし、オタ仲間だし。
「陛下、そろそろ定例会議のお時間でございまず。」
「む、もうそのような時間か・・では最後にルーテイル夫人との会談についても伝えておこう。」
おお、それはぜひ!
「結論から言えば、謀反などという考えはさらさらなかったぞ。ただただ王妃に勝ちたい一心でしたことじゃ。“見えざる敵”とは無論関わりはなく、サシェからもそのように証言を得ておる。全く浅はかなことよ。謀反と取られかねんと聞いて真っ青になってのう。娘を側室にあげる件は取り下げると確約した。これですっきり収まったわ。」
「あー・・よかったです。」
「私も安心しました。」
王様が見やると、王妃様は日だまりのような暖かな笑みで微笑んでいた。
「ようございました。“見えざる敵”と関わりがなかったこと、安堵いたしました。」
「そうか。」
「はい。」
「・・うむ。」
小春日和の光が柔らかに王妃様の金髪を照らし、反射して、室内におなじ柔らかな金色の光が満ちているようだった。その穏やかな表情に、落ち着いた物腰に、豊かに実った小麦畑のような豊かさと安心感を王妃様に感じた。
花と木が満ちあふれる“緑滴る”国、豊穣の女神の国ヴェルトロア王国の王妃には、やっぱりこの人がふさわしい、と思った。
さて・・今回の件はこれで終わりそうである。
王様に側室が来る件はチャラになったし、その原因となった妹姫様方のマンガも、これからは学校と上手く折り合いをつけていけるだろう・・そう願います。王国内のオタクの子達のためにも、是非お手本を示していただきたい。一番のお手本はエルデリンデ王女様なんだけど、こちらはオタ活を公表できないからね。
(・・・あ)
オタ活で思い出した。
背中のデイパックとその中身の惨状を。
(ああああ~~~~~!)
廊下で悶絶したいところを耐え、クローネさんと帰宅の打ち合わせをすべく、警護に当たっているエルデリンデ王女様の自室にとぼとぼと向かう。
「オリータ様!!」
侍女の制服の裾を軽くからげて走ってきたのは、ナナイさんだった。
「こんにちは!どうしました?」
「ずっとオリータ様を探していたのです。もしお手すきでしたら、いらしてほしいと王女殿下が仰せです。」
「あ、はいはい。」
廊下のドアから外に出ると、芝生の上に置かれた白い石の椅子に腰掛けた王女様がいた。そして、丸テーブルを挟んだ向かいにもう一人娘さんが座っていた。
まるでナデシコのように可憐な人だった。柔らかめの金色の髪はハーフアップに自然に結い上げられ、肌は色白、目は薄い緑色。着ている服は白と桜色を上品に組み合わせた配色で、顔立ちによく合っている。
「オリータ、我が友レティマリア・ルーテイルを紹介します。」
娘さんが立ち上がり、右手を胸に当てて頭を下げた。
「初めまして、オリータ様。レティマリア・ルーテイルと申します。エルデリンデ殿下から常々お噂をうかがい、いつかお会いしたいと思っておりました。」
おお、この娘さんが側室になるところだった人か。
「オリータと申します、初めまして。よろしくお願いします。」
促されて同じテーブルに座ると、王女様が早速言った。
「側室の話が無くなったことは・・そう、聞いたのね。実はレティにもお父様の元に嫁ぐ気はなかったの。」
「そうでしたか。」
「レティは彼女のお母様がお父様に呼ばれたと聞いて、心配でここに来たのよ。でも、何もかも無事に済んだようなので、今は安堵のお茶を飲んでいたところです。」
「王女殿下にご心配をおかけして、学友として申し訳ないかぎりですわ。本当にお母様ときたら、人騒がせな・・いつもそうなのです。当事者の言うことを聞かず、一人で決めて事を運ぼうとするのです。今回も事前に何の相談も無く、側室にあげることになるだろうから準備しておいて言われたのが、一昨日の夜遅くですよ。」お顔に似合わずはきはきした物言いで、レティマリアさんはため息をついた。「小さな頃からエルデリンデ殿下の遊び相手として王宮に入れていただき、国王陛下に手ずからお菓子をいただいたり、時には一緒に遊んでいただいたりもして、もう一人のお父様のように思っていた方ですから、夫になるなどと想像もできません。第一、私としては、王妃様とお並びになっているお姿が好きなのです。満月のごとく清らかに美しい王妃陛下と森の大木のごとく重厚な国王陛下の組み合わこそが至上であって、私がその間に割り込む図なんて考えられません。」
一気にそう言って、レティマリアさんはお茶を飲んだ。
「そもそも、誰かに嫁ぐ気があるのかしら、レティ?」
王女様がいたずらっぽい口調で問い、レティマリアさんは口に手を当てて小さく笑った。「ないわ。今はまだ普通の男女の恋愛に興味はありませんもの。」
・・ん?
「私は今少し、男の子同士の恋愛を追求してみたいの。今後少なくとも3年は、美しい少年達の集う紫の薔薇のごとき風景の中をたゆたっていたいのです。」
「ぶほっ。」茶を噴いた。「お・・王女様、この方・・」
「ええ。同志です。」
にっこり笑ってさらりと答える王女様。
なんてこった・・それで、私に紹介したのか。
「男の子同士の愛が存在することを知ったのは、レティの方が早かったわね。それから私に教えてくれて。」
ちょっと、ローエンさん、文句を言うならレティマリアさんだよ!
「それで今、ちょうどレルタリス姉妹の画集の話をしていたのです。もしや、もう入手なされて?」
あ。あ~~~・・・
さっきの王様並みにどんよりしてきた。
急に落ち込んだ私に王女様が事情を聞いてきたので、私は焼け焦げたデイパックと湖畔のヴィオラさんの最新刊の惨状を披露した。
「まあ・・」
「ちょっと問題が発生しまして・・火の粉をよけるのにとっさにデイパックとウスイホンをかざしてしまって・・」無念さがぶり返す。「うう、情けない・・神作家さんの本をこんなにしてしまうとは、不覚の極みです・・推しの・・好きな作家さんの本は2冊持ちたいのに・・日頃読んで心を慰める読む用と、作家さんの偉業を後の世に残す保存用として・・ううううううう・・・・」
思わずむせび泣く私のそばで、レティマリアさんが両手を胸に当てた。
「まあ・・ウスイホンを焦がしたことを不覚の極みとは・・しかもウスイホンを2冊、読むためのものと・・偉業を伝えるための保存のためのものと・・なんということ、確かにその通りだわ!できることならそうすべきよ!これがオリータ様というお方・・このウスイホンにかけるお心、情熱・・殿下が賞賛する理由がわかりました!」
「賞賛されることなんて無いですよ~・・神作家さんの本をこんなにしちゃったんですから~」
「その悲しみ、悔しさ、手に取るようにわかりますわ。私も心が痛みます。殿下、この方のために1冊取り置いているとのことですが、もう1冊差し上げては?」
「そうね・・そうしましょう。ナナイ・・」
「はい、第3巻を1冊追加してお持ちします。」
グス、とすすり上げて去って行くナナイさん。ありがとう皆さん、共感してくれて。
「・・ん?でも、王女様、湖畔のヴィオラさんの最新刊を何冊もってらっしゃるんですか?すぐ1冊追加できるって・・」
「印刷の発注に予備を20冊入れたの。それがまだ残っているから貴女に2冊あげても大丈夫よ。」
「ううっ、すみません・・ありがとうございます・・・?」
「貴女のことですもの。それに、原稿は戻ってきているので、足りなくなればまた印刷できます。」
原、稿?また印刷・・?
「いや、原稿?!湖畔のヴィオラさんの最新刊の・・原稿?!どど、どうして王女様が原稿持ってるんですか?!」
「どうしてって・・」小首を傾げる王女様。「私が書いた原稿ですもの。」
続いてレティマリアさんが、
「“湖畔のヴィオラ”は王女殿下ですから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
“湖畔のヴィオラ”さんが王女様。
「“湖畔のヴィオラ”さんが王女様ーーーーーーーー???!!!」
「まあ、オリータ様、今までご存じなかったのですか?」
「そう言えば、・・言ったことが無かったかもしれないわ。ごめんなさい、オリータ、驚かせてしまったわね。」
「は、はい・・この世に生を受けて30有余年、私史上一番の驚きでした・・」
と、ある記憶が頭をよぎった。
初めて王女様に会ったその日。私との話の流れで、自分にも物語がかけるかもしれない、と王女様は確かに言った。部屋を出る瞬間、机に付いたのがチラ見えた。
あれが発端か。
あの会話がここまでになってしまったのか。
レティマリアさんがまいた種に、私が水をかけたのだ。
呆然としていると、ナナイさんがそっと2冊の最新刊を私の前に置いてくれた。
「ありがとうございます・・えっと、お金お金・・」
「お金などいりません。今回は妹達が面倒をかけたので、お礼として進呈したいわ。」
「だめですよ、作家さんの労働にちゃんと報いないと・・」
印刷は王女様の手許金・・つまりお小遣いを貯めて、それに既刊2冊の売り上げを足して捻出しているとのことだけど、王様の言葉を借りれば王女様のお小遣いは元は税金だ。国は違えどおなじ納税者としては、ただではいただきにくい。
「少ないですが、次の時の足しにしてください。」
と言って、何度もお願いしてやっと受け取っていただいた。(なんだかんだで今は私も、この国のお金を多少は持っているのです)
「折田さん。」
「はいな。」
「早く帰りましょう、折田さん。できるだけ早くここから出ましょう。」
「クローネ、聞こえているぞ。」
「申し訳ありません、王太子殿下。ですが、一刻も早くここから去らねば時間が来てしまいますので。」
「時間って?」
「カルセドの出勤時間が来る、ということだ。今日は夜の宿直だ。」
「ああ、そうだったんですか・・でも、王太子様、がんばりましたね~!この鎧の錆や傷のつき具合の感じがすごい!」
「そうであろう?“灰かぶりの騎士”の登場人物の一人、黒銀鎧のグライドなのだが、戦で単騎奮迅した後の状態を想定して作ったのだ。此度は王宮に鎧を納める鎧師に聞いて勉強し、鎧の部品一つ一つを作り、塗ってから、本物の鎧と同じ手順で組み合わせた。一月近くかかったぞ。」
「一月・・しかもそんなに勉強してまで。すごい、よくぞそこまで・・それにしてもグライドですか!いや~、渋い、渋いなあ~筋肉の盛り上がりもすごいですね!」
「折田さ~~ん・・・」
「筋肉自慢の者ならいくらでもいるからな。頼み込んで絵を描かせてもらい、そこから形にした。その体に合うように鎧を作ったのだ。これであの同好の士の支援に対する礼となるだろうか。」
「もちろん!」
スマホでヒギアの写真を撮る背後から恨めしい声が聞こえてくる。
「柳沢さんには私から言っておきますので・・折田さん、お願いですから・・!(泣)」
「わかった、わかった、泣くな、クローネ。名残惜しいがもう終わりにしよう。それにしても、泣くほど嫌がるとはどうしたのだ。そこまで嫌っていたか?」
「あの宴会でのこと、まだ根に持ってるんだね、クローネさん・・」
「それはそうです!人生の一大事を酒の勢いで決められたのですよ!私のあずかり知らぬ間に!」
あずかり知らぬと言うけど、当時のクローネさんは3歳。言ってもわかるかどうか。
クローネさんとカルセドくんの婚約が決まった経緯を話すと、ラルドウェルト王太子様はふーむと考え、言った。
「まあ、だがものの弾みで結婚が決まるのは、王族や貴族にはままあることだ。」
「私の結婚がものの弾みなのは嫌です!」
「しかしだ、ランベルン家とシグラント家によほどの信頼関係がなくば、こんな形での婚約は成立するまい。エドウェルとジェド(シグラント家当主でカルセド君のお父さん)は普段から仲がよい。そなたとシグラント家との縁談は必然だったのではと、私は思うのだが・・」
「・・せめて・・カルセドではなく・・」
「カルセド君って他に兄弟いるの?」
「兄と弟が一人ずついますが、兄は婚約済みで弟はまだ11歳ですね。」
「おお、カルセド。」
クローネさんの婚約者、カルセドリオ・シグラントくんが颯爽と入ってきた。
「カルセドリオ・シグラント、これより宿直の任に着きます。」
「うむ、よろしく頼む。」
「オリータ様、お久しぶりです。おいでなのは存じていましたが、ご挨拶できずに降りましたこと、申し訳ございません。」
「いえいえ、こちらこそ・・忙しいんでしょ?」
「これでもなかなかに。しかも最近、ガルトニの国王陛下から手紙が届きまして、父がなにやら気ぜわしくなっております。私とクローネの婚約を支援するという内容なのですが・・」
なぜガルトニ国王陛下が?と首をかしげるカルセド君。私は思わず吹き出し、クローネさんは顔を引きつらせた。
「カ、カルセド!それは・・そのような手紙は無視しろ!いや、燃やしてしまえ!」
「ガルトニ国王の手紙だぞ、そんなわけに行くか。確か、『“ヴェルトロアの剣”と言われたランベルン家と“ヴェルトロアの盾”と言われたシグラント家の婚約は誠に喜ばしく頼もしきことである。カルセドリオ・シグラントにおいては、その優れた捕縛術で青天を舞う“隼”を捕縛し、雄々しき子をなすがよい』・・とそんなことが書かれてあった。」
この文言は宴会で出たリヴィオス王様の言葉を、格調高めに翻訳したものと推察します。
なぜなら実際には宴席で荒れるクローネさんに、
『何、捕縛術だけ勝てぬ?妻を捕まえておくなら、ちょうどいいではないか!』
とセクハラまがいの発言をかまして、クローネさんをさらに荒れさせ、
『父上、少し黙っていてください!』
と息子のヨシュアス殿下に怒られていたのだ。ちなみに酒の勢いで両家の婚約を認めたヴェルトロアの我がブリングスト王様は、デナウアさんと涙の娘酒を飲んでいて、フォローどころではなかったのでした。
「光栄ではあるが、ちょっと気恥ずかしいな。それに結婚自体ががまだ先の話だ。」
「む?まだ先・・?」なぜか口角が上がっていくクローネさん。「そうか。まだ先、か。ふ・・ふふふ・・私にはまだ時間があるようだ。フロインデン女神様の恩寵が下された!」
「何言ってんの?クローネさん。」
「さあ、折田さん、帰りましょう!この機会を無駄にはしませんよ!では王太子殿下、ごきげんよう!」
「いや、あ、ちょ・・」
気づいたときには我が家の居間に戻ってきていた。
時間は夜中・・出て行ったときとタイムラグなく戻ってくるので、体感では3日前の我が家である。
「いやあ、危ないところでした。実は我が家にもリヴィオス陛下から手紙が届いておりまして。」薄暗い中、私の家族を起こすまいと気遣い、ひそひそ声で話すクローネさん。「めでたいこと故、さっさと話を進めるがよい、我が国の陛下ともそういう話をしたということで・・余計なお世話ですよ。」
「ま、またそんなこと・・」
「おかげで父が浮き足立ってしまい、明日にでも陛下のところにジェドおじさまと出かけて、結納を進めようかと言い出しまして。」
「それであんなに日本に帰るのを急いでたの?」
「はい。カルセドが何も言わないところを見ると、シグラント家には、父はまだ話をしていないのです。王太子様の前で結納の話などされた日には、話が一気に進みかねません。まったくリヴィオス様ときたら、余計なことを。あんなふうでエルデリンデ王女様の舅御がつとまるのでしょうか。あ・・すみません、長くなりました。今夜は失礼しますね。では、また。」
「う、うん・・また。」
魔石パレトスの力でクローネさんは、自宅のあるひまわりマート三口町店に帰って行った。だけど・・
「これって問題を先送りにしているだけじゃなかろうか。」要は敵前逃亡しただけだ。「何かあってヴェルトロアに帰れば、お父さんに捕まるわけだし・・でもまあ、いいか。」
今は寝るとしよう。
明日は普通にお仕事だし。
クローネと折田桐子が慌ただしく消え去った室内で、王太子ラルドウェルトは、
「ふむ。」
と息をついた。
「逃げられたが・・あれでよいのか?」
「はい。」カルセドは微笑んだ。「まあ、いつものことです。」
「カルセド。一つ聞いてよいか。いや、不躾な問い故、嫌なら答えずともよいのだが。」
「ご随意に。」
「クローネ・ランベルンとは・・本当に結婚するつもりなのか?」
「はい。」
即答が帰ってきて、ラルドウェルトは逆に困惑した。
「ちなみに、どのような点が気に入っているのだ?」
「性格ですね。真っ直ぐで、優しいところです。」
「真っ直ぐは認めるが・・」
「私への当たりの厳しさは激しい照れ隠しと思っています。不器用なのです。それに子供や老人にはとても優しく接しているのを何度も見ています。それがクローネの真の姿です。ああ、顔立ちも好きですよ。涼やかできりりとした目が特に好きです。騎士故に髪を短くしていますが、あれはあれでよく似合っていますし。」
何の遠慮もなくのろけられて、聞いている方が恥ずかしくなる。
「本当にクローネでよいのだな・・家同士の面目を保つため、幾分無理をしているのではないかと思っていた。」
「結婚にはそんな無理はしないと決めています。」
「そうか・・」
「ただ、クローネの気持ちに添い、クローネにも無理はさせまいと思っています。時間をかけて“捕縛”する所存です。」
「すごいな、おまえは・・諦めるという選択肢は無いのだな。」
「はい。」
にこっ、とカルセドはまた微笑む。この側近、単なる好青年というだけの男ではないなと、ラルドウェルトは近頃思い始めている。
「ふむ・・」ヒギアを手に、ラルドウェルトは立ち上がった。「私もいつかそのような気持ちになるものかな・・」
隠し部屋をあけ、中に入る。作り付けの棚にはたくさんのヒギアが並んでおり、中には美しい少女のものもある。
「少し前まではこれらがあればそれで何も要らぬと思っていたが、今は・・私も誰か心を通じて話せる者がいれば、人生はもっと楽しかろうと思う。」グライドのヒギアを棚の一角に並べ、今度はラルドウェルトが苦笑する。「だが、これの話ができる者はそうはいないだろうな。オリータのような令嬢などいる気がせぬ。」
「そうですね。あの方は特殊ですから。」
はは、と声をあげて笑い、ラルドウェルトは隠し部屋を出た。
「少し外へ出る。近頃隠し部屋にこもるか公務かのどちらかだったからな。」
「は。」
外は相変わらずの小春日和だが、風は少し冷たさを帯びてきた。
「もうすぐ冬か・・」
ラルドウェルトはそんな冷たさをも楽しみながら、しばらく庭を歩いていた。
1週間後の折田家(わがや)。
お風呂から上がると、食卓に一枚の紙が乗っていた。
曰く、『天馬市立三口中学校 参観日のお知らせ』
出欠の締め切りは5日後だった。
「駿太が持ってきたよ。褒めておいた。」
読んでいた新聞から顔を上げて、ダンナが言った。
「ふーん。」・・残念。「今度またやらかしたら言ってやろうと思ってたのにな・・『家族のつとめを果たしなさい』って。」
「なにそれ。どこで聞いてきたの。」
「えーと・・」ブリングスト王様の言葉だけども。「ネットで読んだんだっけかなあ。」
「へえー、“家族のつとめ”か・・なるほどねえ。」
王様みたく、重厚に決める予定だったんだけど仕方ない。
明日、私も褒めてあげようっと。
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