第16話 一歩前へ、一歩先へ

-3069.12.29-


 中央管理局は「箱」を含めて未曾有の騒がしさを有していた。多くの管理官、治安維持隊の面々が、右へ左へ、上へ下へと、慌ただしく走り回っている。「箱」の扉は分厚いはずなのに、外側から騒ぎが聞こえている。この受け入れてはならない喧噪は、管理局内はおろか、ロムルを苛立たせるには十分すぎるものだった。彼の、怒号ともとれる指示や判断が無線を通して「箱」に大きく反響する。マキナはただ、呆然としながら、目の前のモニターに映し出された警告画面に釘付けになっていた。


 シュウゾウとユウキ。二人の労働者が、この一週間で消息を絶った。


 労働者が減ったという点では喜ばしいことなのかもしれない。さらに前者に至ってはすでに処分が完了している。しかしロムルにとってこの事件は、労働者が支配階級自分たちを出し抜いた、というものに他ならない。そしてその事実が、彼の誇らしい人生に、大きなシミ汚点を与えた。自身の輝かしい経歴に傷をつけられたロムルは今、怒りの絶頂に置かれていた。


「本当に余計なことをしてくれたな。マキナ!」


 「箱」の扉が開く音と同時にロムルの罵声が飛んでくる。それもそうだ。私が労働者を救い続けた結果、このような事態を招いてしまったからだ。マキナ自身はそうは思っていないけれど、おそらくロムルはそう考えているだろうなと簡単に想像がついた。しかしどれだけ口汚く罵られても、「完全に一歩出遅れた」という事実が覆ることはない。そしてそれはロムルの怒りを加速させ、そしてその怒りが爆発する度に、ロムルの怒りを、たまたま近くにある矛先にいたものにぶつける。今回の怒りの矛先にはマキナ。痣と傷にまみれ、ただ死んだ目と心で、そこにたたずんでいる。もはや人と言えるかすら怪しいような人形に、ロムルは息を荒げてマキナに近づいてくる。


 ここ数日、仕事を与えてもらえるようになってから、マキナはロムルの怒りを解消する為に度々呼ばれては、愛玩人形のように、何度も何度も、文字通り人形のように使われてきた。今日は殴打か。マキナの目は動かなかったが、目の端に写ったロムルの動きで、不可避の殴打に備える。彼の口から漏れ出す息が臭い。アルコールと煙草の匂い。ここ数日、ロムルは酒に溺れ、自身のコレクションである葉巻を吸い尽くした。心の平穏の為だろうか。貴重な旧世界の遺産を喰い尽しても、怒りが収まることはないのだろう。しかし彼の握りこぶしは途中で動きを止めた。殴り終えて少し気が晴れたのだろうか。どうにもならないと感じたのだろうか。ロムルはその手を下ろして続けた。


「思えば、今まで、歴代のマキナが、最後まで言う事を聞く事は無かったな。労働者と恋に落ちるものも居れば、この国のルールを勝手に書き換えるようなヤツもいた。お前のように、労働者に情を書けるようなヤツが一番多かった。なぜこのような、私の国の安寧を乱すようなやつらに情を掛けるのか。本当に理解できん。お前達道具のために、何度も何度も手を掛けてきた私の苦労を考えろ!」


 思い返せば、マキナがなぜいきなり機械仕掛けの女神様デウス=エクス=マキナに組み込まれることになったのかを考えたことはなかった。マキナは時折入れ替わる。しかし、なぜ入れ替わる必要があるのか。それに疑問を感じたことはなかった。国の管理と安寧のために、完全な安全は保証されるはずだ。だから、殉職などはあり得ない。だが、事実、マキナは何度も入れ替わっている。その原因が今、判明した。


「さぁ、私の道具マキナ。お前がすべきことは分かっているな。いい加減司令部エクスを動かせ。逃げ出した労働者を探せ!」


 マキナは、言われたとおりに司令部エクスを動かす。今、マキナは言われたとおりに体を動かし、言われたとおりの考えをする。まさに”機械仕掛け”だ。自分の意思は尊重されず、期待されたことだけに答える、最高に都合が良い道具だった。


 機械仕掛けのマキナは、反抗する姿も見せずに監視カメラの映像を呼び出す。頭脳部デウスはここ数日の録画を一際大きなモニターに映し出し、司令部エクスは世界中の監視カメラやドローンを起動し始める。私は、何をしているのだろうか。盲目だった私の目を開けてくれた彼を見つけ出し、罰するために、マキナにのみ許された権能を行使している。自己嫌悪に狂いそうになったが、それをするのは道具じゃない。言われたとおりで良いんだ。じゃないと、マキナかみさまじゃいられない。だが、心はそれを許してくれなかった。


 今のこの姿、ユウキが見たらどう思うだろうか。そう考えることを辞められなかった。これまでのひどい扱いの中、ユウキの顔が脳裏によぎることが多かった。むごい仕打ちを受ける度に、彼の姿と、「機械仕掛けだな」の一言が脳裏に浮かぶ。自分の正義を抱いた途端に、それを真っ向から、自分が道具であるという言葉じじつと共に打ち砕かれた。そして今、自分の意思を放棄して、ただ言う事を聞いている。この姿は、まさに”機械仕掛け”ではないだろうか。


 モニターの右端に誰か見えた。そこには管理官が連絡通路を歩いている姿が映し出されている。マキナがこの管理官に気がついたのには理由があった。かつてこの連絡通路を通り、ユウキ達労働者に会いに行ったからだ。人生を変えた通路、自分が見たはずの本来の世界の姿が、その通路と共に記憶によみがえる。そしてそこに居たユウキの姿を違わず共に想起する。ちょうど今歩いている管理官も、ユウキのような体格だ。気づくと、彼と通じる物を感じ取り、ユウキの共通点をいつしか探し出していた。まず体格がそっくりだ。痩せ細っていて、だけどそれなりに筋肉がついている。身長も同じぐらいだ。あの管理官はきっと自分自身と目線が合うだろう。驚いた。歩き方もそっくり。何かから逃げるような、探しているような。確固たる意思を彼の足取りから感じ取った。


 監視カメラの映像が切り替わる。別の監視カメラの映像に切り替わったのだろう。その映像にはまだその管理官が写っている。後ろ姿から切り替わり、今度は正面から見える。マキナはそこで気がついた。彼にも泣きぼくろがあった。帽子を深く被ってはいるが、確かに右目の下にほくろがある。ユウキと同じ位置だ。他人のそら似という言葉がある事は知っているが、ここまで共通点が人間にあるものだろうか? その管理官は、どうやら一般階級の入り口にたどり着いたようで、自身のネームプレートを機械に通す。連絡通路には鍵が取り付けられており、自身の情報が登録しているカードを通すことで解錠できる。かの管理官は、すこしぎこちない手つきでその鍵を開け、扉の奥に消えていった。


――不審なログを感知。


 刹那、警告音と共に頭脳部デウスが機械音で騒ぎだした。件の管理官がちょうど鍵を開けたと同時の事だったので、マキナは驚く。


「すぐさまログを開け」


 ロムルが側で指示をすると、半ば言いなりになってしまった頭脳部デウスがそのログをモニターに映し出す。そこには、何時何分何秒に、誰がどの扉の鍵を開けたのかが秒単位で管理されている入行ログが表示されていた。デクトリアの身分階層の壁は分厚い。住んでいる地区以外にはそうそう移動が出来ない。かつてのマキナのように、境界線を無断で越えることはデクトリアへの反逆を意味する。だから、入念に管理する必要がある。管理監は自身のデータを読み込み、そのログに記録を残して壁と壁をすり抜ける。つまり、誰がいつ、どこの道を通ったのかが丸わかりだということだ。そのログをロムルとガランドが覗き込む。


「おかしい」


 ロムルの横にいたガランドが、突然こう言った。何がおかしいのだろうか。ログは問題なくすべてを写しているはずだが……。ログには


3069.12.29 第98労働地区 管理官用連絡通路 小山内 裕喜 


と書かれている。日付、場所、誰が通ったのか。全て問題なく記載されているではないか。それはロムルも感じ取っていたようだ。ガランドだけが、その異変に気がついていた。


「何もおかしいことはないだろう。ただこいつが入っただけだ」

「いえ。それがおかしいんです。ログの一番上。なんで、、鍵を開けられるんだ……? それもたった今……」


 全ての違和感が線で繋がる。シュウゾウに殺された管理官の死体は直接確認出来ていない。遺体をみる必要は無かった。映像だけで十分な情報だったからだ。もし、彼の遺体が制服と共に労働地区にあったらどうだろうか。その制服を盗んだ労働者が入り込むことだって出来てしまう。その可能性以外あり得ないような異常事態だった。それに気づいたガランドは叫ぶ。


「こいつは、シュウゾウに殺された人間です! 死んだ人間が、たった今鍵を開けたんです!」


「箱」内が騒然とする。死んだ人間が出入りするのは物理的にあり得ない。しかし映し出されていたログには死んだ人間が扉を開けていたことをありありと証明していた。マキナの妄想が確信に変わる。ユウキが来てくれた。ユウキが彼の服を着て、ここにやってきてくれたのだ。しかしそれは、ロムルも感じ取っていた。おそらく、いや十中八九私とは正反対の心持ちだ。自分に泥を塗った労働者を見つけた怒りとうれしさで、声が数倍大きくなっていた。


「やっと尻尾を出したか! ガランド!! 治安維持隊を派遣しろ!」

「はっ!」

司令部エクスは警備用ドローンを集中配備!!厳戒態勢をひけ!」


――承知しました。


「やっと見つけたぞネズミめ!」


 デウス=エクス=マキナの機械音声を最後に、本体が忙しく動作を始める。青と緑の点滅をめまぐるしく転移させ、時折体の中の蒸気を排熱した。世界各地の警備ドローンを対象地域に向かわせるべく、何百、何千もの処理を繰り返し、轟音を響かせている。そんなけたたましい機械音の中、「箱」中にいた大勢の治安維持隊の面々が出て行った。あれほど人であふれていたこの空間に、久々の静寂が訪れる。機械音のみが響いている箱の中、誰も人が居ない孤独な空間は、人が減ったことでより静かになったはずなのに、不思議と心地が良かった。果たしてこれは、ユウキを、画面越しではあるが、見ることが出来たからだろうか。


「ユウキ……」


 気がついたら、声が漏れ出していた。誰も居なくなった「箱」の中。思わず名前を呼んでしまった。口をついて出てきていた。


□……□……○……○


ボーダーラインを超えた先は、全くの異世界だった


 まず目に入ってきたのは、まぶしい鮮烈な光。青、緑、ピンク、様々な色の光がいきなりユウキのまぶたに入り込んでくる。思わずそのまぶしさに目をしかめた。突然、自分の真上から空を切る音が聞こえ、思わず上を向くと、ちょうど自分の真上を、人がまたがった飛行体が通り過ぎたところだった。よくみると、何十と同じものが空中を飛び交っている。何十もの高い建物がそびえ立ち、空が狭い。まるで井戸の中のような閉塞感を感じながら、縦横無尽に飛び交う機械ドローンを見つめていた。


 ここが、一般階級の居住区。


 労働者達の世界は錆と歯車で出来ていた。埃だらけの世界だ。しかしそれとはまるで違う。灰色で、だけど色鮮やかな世界。これが一般階級の暮らす世界なのか。ユウキはその差に目がくらんだ。そして怒りを覚える。


――なぜここまで満たされていながらも、俺たちから奪うんだ。


 真後ろにある労働者の工場から、ボチャン、と音が聞こえた。どうやら何かが水路に落とされたような音だった。目をやると、そこには白い何かが浮かんでいる。それは、大きな骨だった。まるで人の骨盤のような白い物体が、工場から排水路に投げ捨てられた所だった。ユウキにとってそれは食肉工場でよく見た現場であったはずだが、今回ばかりは違った。まるで親友のベネットが今この瞬間に殺され、亡骸をないがしろにされたような錯覚を覚えたからだ。


 この国に友を奪われた。この国に弟を奪われた。この国に親を奪われた。


 「首洗って待ってろよ。機械仕掛けの女神様……!」


 すべてを国に奪われた怒りを胸に、ユウキは足を動かす。その歩みは一歩前へ。一歩先へ。この破滅への歩みを止める気はない。

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