第17話 歯車は止まる事を知らない。

-3069.12.31-


 2日間の探索の末、ユウキは中央管理局の扉の真ん前に立っていた。


 死に物狂いで、何度も死線をくぐり抜けながら、機械仕掛けの女神様デウス=エクス=マキナの在処を自力で突き止めたのだ。


 この2日間、彼の中の火は消えることは無く、炎となってなお燃えさかっていた。彼が彷徨った世界はありありとを見せつける。明るくきらびやかに輝く電光はほころびだらけの労働者環境のみすぼらしさを。空をあちらこちらへ縦横するドローンやモービルは自分たちの取り巻く環境の貧しさを。そして今この瞬間袖を通している上質な服装は、本来であれば着ることは許されておらず、着ているだけで治安維持隊の面々に追いかけ回されること。


 ここにある全てのものは、に用意されたものであり、自分たち労働者には何も、希望一つさえ残されない。普通ではないのだから。


今居るこの環境は全て、自分が労働者ということを浮き彫りにさせるには十分だった。だからこそ燃え上がっていたのだ。


「普通か普通じゃ無いかを考えるなんて馬鹿げてるよな。お前らも、みんな等しく人間だろ」


 ユウキは目の前にそびえ立つ、遥かに高い建物にそう言い捨てた。ユウキの指す「お前」が誰を指すのか分からない。しかしそれは確かに、彼の、意思を孕んだするどい目線の先にいた。機械仕掛けの女神様かみさまなんて信じない。俺が信じるのは、俺のかみさまだ。確固たる意思を持って、その敷居に足を踏み入れた。歯車は止まることを知らない。動き出した後はもう――


――進むだけだ。





□……□……□……□





頭脳部デウスの警告音が空っぽになった「箱」に響き渡る。それは今までの警告音とは全く異なっていた。今までのは異常を知らせる物、だがしかし、今鳴り響いているのは、まるで私達の命が脅かされていることを知らせるような激しさを伴っていた。この警告音が鳴り響く理由はただ一つ。マキナも、固唾をのんだ。


 権限を持たない者が、中央管理局に侵入した。


――非常事態発生。非権限者が中央管理局に侵入。即時厳戒態勢を……


「待ってデウス!!」


 いつの間にか口をついて出ていた。これは決断を下すべき事案。デクトリアが成立してから起こったことのない歴史的な大犯罪になるのは確定だ。マキナが黙って見過ごしていいものではない。


 決して止めてはだめだ。あの仕打ちを忘れたのか。頭の中で心臓部マキナが問いかける。少し前の、私は機械仕掛けでいなければならない。そう理不尽と共に教えられたこの数日間。求められていない答えが、すぐさま鞭や拳による痛みに変換される拷問のような日常。思い出すだけで古傷が疼き、体が震え出すような、何よりも耐えがたい日々。私は、マキナとして、ここで止めてはならないんだ。頭では分かっていた。


 しかし、心臓の辺りがどうもざわついて、口から漏れ出そうとする制止の言葉を止めようとしなかった。


――なぜ止めるのですか?心臓部マキナ、これは非常事態です。デウス=エクス=マキナが黙認していい事案ではありません。


「ユウキだ。きっとユウキよ!!」


――可能性、大。被害者の身体特徴は脱走者、宍戸ユウキと酷似しています。不審なログから推測しても、彼が宍戸ユウキである可能性は高いでしょう。


「ユウキ……」

 

 自己否定の日常に紐付いてユウキを思い出す。私、このままでいいの? ただ皆の期待に添うように、自分の思いを全て変化させてきた。労働者たちの処分を望めば処分をして、かわいそうだと思うことを望まなければ、言われたとおり冷酷になった。それは、彼の言葉を借りれば、本当に”機械仕掛け”なのではないの?


――侵入者は現在、管理局中心部に到達しました。このままでは「箱」内部に到着します。

――心臓部マキナ、一刻も早い決断を

 

 機械音で催促をする。二柱とも機械音で、同じスピーカーから声を流す。以前はこれが普通だった。「箱」の中が全てで、人は皆平等で優しい。傲慢なんてものはとうの昔に戦争で滅ぼされていて、デクトリアは1000年、何の問題も無しに発展し続けてきた。マキナにとってはこの「箱」こそが世界であり、一カ所からしか流れてこない声が全てだった。


 しかし、もはやマキナは無垢では無くなってしまった。変えたのは他でもない。ユウキとラスカだ。ユウキはこの世界の残酷さを。ラスカはそんな世界でも輝き続ける人の美しさを。そして、自分を取り囲んでいたこの「箱」は、そんな残酷さを、自分から遠ざけてしまうための牢獄だったことを知ってしまった。私は、この世界に生きる誰よりも不自由だったんだ。


 ユウキとラスカの姿が脳裏に浮かぶ。支配階級たちが暮らす世界では想像も出来ないほど不衛生な世界で笑う2人の姿だ。間違いない。間違えようも無い。世界を教えてくれたのは2人だ。


 でもどうして?止めてはならないと頭では分かっているはずなのに。「会いたい」と思ってはならないはずなのに。マキナの頭では全ての情報を処理出来なかった。矛盾を孕み、双璧をなす思想。処理すべきなのに会いたがっている。成すべきなのに成せないこの不合理さに、正解を出すことが出来なかった。


――心臓部マキナ、決断を。

――心臓部マキナ、決断を。


 デウスとエクスが催促をしてくる。板挟み。どうしよう。私は、機械仕掛けの女神様、この国の安寧を保ち続けなければならない。しかし、どうにも私はユウキを止められないようで、この決断を下せない。このままでは、私はまた役立たずだ。ここに居られるのも、そう長くない。決断を下せないのなら、私は労働者にすらなれない。ただの肉塊として、生きているかも分からないような生活を強いられるのだろう。でも、何かが引っかかって、警告をだせないで居る。これは何なのだろうか。分からない。


 「箱」の中はいつの間にか静寂に包まれていた。いつしか警告音は消え去っていて、デウス=エクス=マキナから聞こえてくる排気音が、やけに際立って聞こえている。マキナが必要以上に自分を追い込めてしまっているのだろう。その音すら、今のマキナには急かしにしか聞こえなかった。


 「もう、分からない……」


 絞り出した言葉には、マキナの本心が含まれていた。齢にして15。神様としてあがめ奉られていたが実際はただの少女だ。このような大きすぎる決断を下せるほど年を取っていない。いつしか心は限界を迎え、涙が止まらなくなった。


――過剰なストレスを検知。心臓部マキナ、どうか……


 「そうよ。私はマキナ。デウス=エクス=マキナ、この世界を管理するのが私の役割。この国の神様は極めて合理的で無くてはならない! そのためには、自分なんて持ってても意味が無い! だから、自分を殺して警告を出すのが正解なの。正解だし求められている!!でも……」


 漏れ出たのは本音。マキナは限界だった。


「でも、そんなの嫌なの! ユウキは、ラスカは! 私に現実を見せてくれた。世界を見せてくれた! 私を人に変えてくれたのは紛れもない彼なの! 彼等を助ける。そんな自分の信念を得られたのは紛れもない彼等のおかげなの! そんな恩人を、私はこんな国のために殺すなんて出来ない!!」


 病院でのラスカの話、労働現場でのユウキの姿、それは紛れもない、人の営みのそれだった。旧世界にはあふれていた、無駄で、とても美しい人の営み。しかし、現実はそれを受け入れない。人の愛も、行動も、全てが管理されなければならない。管理から逃れようものなら、その無駄を切り捨てて行かなければならない。マキナは、先ほどの心の矛盾にようやく結論を出すことができた。しかし、納得出来た訳では無い。心の内を言語に出来たことで、今度は別の感情が姿を現した。

 

「言う事聞かなきゃ殺される。でも、こんなに自分を殺して、正しいと思う自分を殺し続けるのはもう嫌!」


 それは恐怖だった。自分を持ち続けることですり減る自分への恐怖。命令に背くことで、また訪れる日々の痛みの恐怖。


「助けてよ。デウス、エクス……。こんな私は、一体どうすれば良いの……?」


 決断を下すように、いつもやってきたようにデウスとエクスに答えを委ねる。マキナはこれ以外に方法を知らない。いつだってこれで正解を作りだしてきた。しかし、帰ってくるのは排気音だけ。答えは無い。その事実だけを押しつける。やがてマキナは立てなくなった。あまりにも重く、冷酷すぎる現実は、とうにマキナの心の許容量を上回っていた。そして、糸が切れた人形のように、崩れ落ち、うずくまった。


「ユウキ……。貴方ならどうするの……?私はもうこれ以上自分を殺したくない……。でも、殺さなきゃ、殺される……。私、もう分からない……」


 気がつく。ユウキはマキナの心の支えだ。いや、今やそれ以上なのかもしれない。何も知らない機械仕掛けの女神様は、何かに頼り、縋ることを知らなかった。初めての葛藤、初めての苦しみ。それから逃れる術を知らなかった。しかし、マキナの本能はそれを知っていたのだろう。無意識のうちに、恐怖から逃れるように、ユウキの名前を口に出す。


「……助けて。ユウキ……」


 彼女の逃避の言葉すら、「箱」の吸気口は吸い込んで見せた。














……かに思えた。







「情けねぇ声出してんじゃねぇよ」


 自身の背後から聞こえた声に、思わずマキナは振り返る。聞こえるはずの無い声が、「箱」の入り口から聞こえてきた。


 薄暗く、蒸し暑い。閉鎖的な「箱」の空間に、入り口から漏れ込んだ光が差し込む。いつもと変わらない、無機質な蛍光灯の光。しかし、今のマキナには、その光が温もりを孕んでいるように思えた。冷たいはずなのにあまりにも暖かい。それはその光が、ある人物を隠しているからだろう。


 開いた扉の前には、管理監の制服を着たユウキが立っていた。

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