第15話 歯車は止まらない

―3069.12.28―


 労働者達はみな静まりかえっていた。

 表沙汰にされた秘め事が、労働者の口から言葉を奪っていた。


 2日前、ユウキ達の労働地区にけたたましいサイレンが鳴り響いていた。最初はただの脱走者だろうと思われ、いつものようにそこまで騒がれなかった。数少ない労働者はたまに脱走を企てる。あまりの激務と心労に耐えられないからだ。主に楽園墜ちをした人間に多いのだが、その脱走と処刑を見るのは、労働者にとっては、むしろ平坦で代わり映えのない日常の中発声する小さなイベントだった。このサイレンの後、いつものように、労働者達はすこし浮き足立つ。誰が逃げたのか、それを予想し合って、賭けまで起こってしまう。だが結果はいつも代わり映えせず、脱走者は広場で処分される。労働者もひとしきり騒いだ後は、ただいつも通りの心持ちで、脱走者の処分を広場で眺めるだけだった。しかし、労働者達はそれがシュウゾウによるものだと知ったとき、寮内は騒然とした。シュウゾウは誰より規則に厳格だ。脱走なんて企てようものなら、真っ先に叱られる。シュウゾウに言わせるなら、「馬鹿なこと」だった。


 皆が皆、それぞれの妄言を口々に出しながら、この2日間、気が気でなく生きてきた。きっと誰かの罪をかぶったのだ。見間違えに決まってる。もしかしたらシュウゾウさんの変装をした人間かも。皆、口々に否定する。そんな馬鹿なことをシュウゾウさんがやるはずがない。皆それぞれの考えを抱いてはいたが、労働者達の総意は皆そろってこうだ。「シュウゾウさんはそんな馬鹿なことをしないし、きっとまた会うことが出来る」


 しかし、今朝、寮のスピーカーは音割れ声で、労働者達の夢想を真っ向から否定した。


 「本日の朝礼にて、反逆者、宍戸シュウゾウの処刑を行う。繰り返す。本日の朝礼にて……」


 最悪の妄言が現実になったのが今日だった。たった今、シュウゾウは眼前で首をくくられた。あの日、神様が目の前に現れた広場で、まるで自分たちを見下すようにそびえ立つ絞首台の上で、ガコンという音と共にシュウゾウはただの有機物になった。あの引き締まった口元がだらしなく開き、脇からよだれが垂れている。いつも血色が悪かった顔は不気味なほどに赤みがかかり、たくましかった足元には黄土色の水たまりが出来ている。そして、あの鋭くも優しさを孕んでいた眼差しは、眼球がこぼれ落ちないように真っ黒な布で隠されていた。


 シュウゾウは反逆の罪で公開処刑された。「決して国に反するな」と、念押しのプロパガンダと共に。


 ユウキはこれですべてを失った。あの常にひっついてくる友達ラスカを失った。労働現場で常に絡んでくる友達ベネットを失った。そして、最後には残ってくれていたシュウゾウをも、たった今失った。天涯孤独、労働者に払う敬意はない。ラスカもベネットも、残す事は許されず、すべて等しく処分された。おそらくシュウゾウのものもそうだろう。ユウキには、何一つ残されなかった。残ってしまったのは、ものを語らぬ死体一つだけだった。


 「……やっぱり、神様なんていねぇじゃねぇか」


 シュウゾウの亡骸を前にして、やり場のないむなしさを拳に込めて、シュウゾウだったものにぶつけてみる。


ぼす


 ただその音だけが帰ってきて、シュウゾウが死んだということを事実として押しつける。軽く体が揺れるだけで、お叱りの拳骨もなかった。視界がゆがむ。あふれんばかりの涙が、ユウキの視界を徐々にぼやかしていった。どう声を出せば良いのかユウキには分からない。人間として生きることを許されなかったユウキには、悲しむ自由もなかった。しかし、今は違う。人として生まれ変わり、そして、人として幸せを奪われた。何もかもが初めてで、どうすれば良いのか分からなかった。初めて生まれたこの「悲しい」という感情を処理できなかった。頭の中で処理できなかった情報は言葉をせき止める代わりに、涙としてあふれ出る。流れ出た悲しみは一滴、二滴とシュウゾウの体にたれ、シュウゾウの名札の上にまだらのシミを作った。彼の名前がじわりとにじむ。


 ユウキには、シュウゾウの存在が、名前とともににじみ消えてしまうように感じ、慌てて名札を引っぺがした。一度失った人間をもう一度失う事が堪らなく恐ろしかったからだ。案の定、ユウキの涙はシュウゾウの「ウ」の字が消えかけている。にじみ、ぼやけて、後ろの模様を正面に転移させている。これ以上シュウゾウの名前を消すわけにはいかない、慌ててユウキは自分の作業着の袖で拭こうとし、そこである事に気がつく。


「裏に……、なんか、書いてある」


 ほつれかかった名札をむしり取る。先ほどまで気がつかなかったが、確かに名札の裏には何かが書かれていた。それは汚れではなく、明らかに文字だと分かる。そこには、こう書かれていた。


ユウキへ

3069.12.7 あの日の下

愛するお前に送る、ワシからお前への最初で最後の贈り物

シュウゾウ

―3069.12.25―


「12月7日って……。あの」


 そこに書かれていたのは、日時だった。思い出が巡る。12月7日、ユウキが初めて心情を吐露し、ユウキを成長したと褒めてくれた日だ。あの日はラスカが選抜に選ばれた。居なくなってから、自分の気持ちに気がつき、どうすれば良いのか分からなくなった。どうにも落ち着かなくて、寮のベランダで黄昏れていた時にシュウゾウと会い、そこで少し話したっけ。あの日の下とはどういうことだろうか。確かに、ベランダの下には空間がある。人が二人ほど入ることが出来るスペースがある。あの下に何か埋めてあるのか?いつの間にか、涙が引っ込んでいた。何も残らなかったわけじゃない。その事実が、ただ嬉しく、勇気を持たせてくれていた。ユウキは、まだぬくもりが残っているように感じるそれを手早く胸ポケットに突っ込んだ。


「何をポケットに入れた?」


 見張っていた管理官に呼び止められる。それもそうだ。これからあの死体シュウゾウは、国の管理下で処理される。管理官がいるのも無理はない。国のものをユウキは盗った。十分な厳罰対象になる。しかしそれでも、ユウキは平然としていた。落ち着き払った声と態度で、こう答えた。


「名札ですけど? このぐらい取っちゃダメですか?」


 そして、「俺の名札の代わりにしようと思って」と付け足した。人間と言うのは凄い。追い詰められたとしても、こうも簡単に、それらしい嘘をつくことができるのだから。流れるように出てきた嘘に驚いたが、それを利用しない訳にもいかなかった。死体のものまで利用する労働者の浅ましさに、管理官は、半ば馬鹿にしながら道を空けた。その卑しさを馬鹿にする小言も、ユウキの心には届かなかった。


 ユウキはシュウゾウの遺体安置所を出ると。すぐにあの日のベランダの所にやってきた。砂の舞う、埃っぽい場所だ。目の前には広場と労働現場を兼ねた施設が見える。歯車と錆で赤くなった、薔薇のような施設だ。そこからの蒸気や風が、下の砂を巻き上げている。だから砂っぽい。寮とその広場は基本的に通路で繋がっているが、その間にはちらほらと、手の加わっていない黄色い地面が見える。このベランダも、その地面の真上にある。そしてユウキは、その砂が柔らかく、軽いものだと知っていた。


 手すりに手を掛け、柵を乗り越える。ベランダの左側には、かつて整備で使われていたはしごがある。それを使えば、安全に降りることが出来る。労働者はだれも気にしたことはない。が、ユウキはそれを知っていた。ラスカが嬉々として教えてくれたことだ。あいつの知識も、以外と馬鹿にならないな。そう思うと手早くはしごを下る。サビの鉄臭い匂いが鼻を突く。しかしそれも慣れたものだ。労働で嫌となるほど触れてきているからだ。今日は少し強いような気もするが、それは長らく使われていなかったからだろう。そんなことを思いながら下っていると、柔らかい地面にたどり着いた。自分の体重で少し沈む。歩きづらいことこの上ないが、すぐ近くに希望があるかもしれない。その期待は彼の足を速めていった。


 「神様に会って文句を言いたい」それが初めてユウキが望んだことだった。今まで、ユウキは望むことを知らなかった。望んでも叶わないことを若くして知っていたからだ。しかしシュウゾウはそれに心を痛めていた。望んだことが叶わないという罰を受けるには、ユウキは無関係だし若すぎる。シュウゾウはただ、ユウキの夢を叶えてやりたかった。ユウキの心の痛みは誰よりも知っている。人として幸せをつかみかけた所だったのに、それが、他の人間とは明らかに違う、どんなに小さな幸せだったとしても、ユウキはそれを奪われた。そんな姿を見ていられなかった。だから、彼自身の尊厳と命をかけてユウキの望みを叶えたかったのだ。


 ベランダの真下に来ると、砂が不自然に盛り上がっていることに気がついた。きっとこれの事だ。幸い柔らかい地面は簡単に掘り返せる。数回、砂を手ですくってどけるだけでその全貌が見えてきた。そこにあったのは、管理官の死体。首が据わっていなかったが、状態は良かった。皮膚の下が少し萎んでいるように見えたが、目立った外傷はなく、あまり見た目は変わっていなかった。そして何より、死体はまだ服を着ていた。そして驚くべき事に、そいつも「裕喜」という名前だった。


 だから、シュウゾウは若手を狙ったのだ。奇跡にも、若手はユウキと同じ名前であり、体格、体型も、すべて同じだった。だから、彼の服装であれば、。管理官の服装を着ていれば、もはや支配階級の管理官だ。であれば、一般階級の居住区域に入れる。そしてやがて神様への道のりを見つけ出すことは出来るだろう。それが、奇行に走ったシュウゾウの真意だった。それはまさに、18歳のクリスマスに届いた、ユウキの望みを叶えるための希望だった。


「……相変わらず言葉が足らねえ爺さんだな」


 ユウキ自身もその真意に気がつき、ぼそり、と独りごちた。そして、流行る気持ちを抑えて、手早く服を脱がす。パキ、と死体の肘が鳴ったように思えた。ちらと見ると、死体の腕が本来あり得ない角度で曲がっている。おそらく折れているだろう。落ち着けては居なかった。だがユウキには、それを気にするほど余裕はなかった。死体の状態など気にしていられるものか。


 剥ぎ取った管理官の制服に腕を通すと、びっくりするほど体になじんだ。まさに、自分の為に作られたのではないかと勘違いするほど裾も袖もぴったりだ。煌びやかに輝く勲章も、労働者達を罰するための装備も、全てが自分のために用意されたような錯覚を覚える。すべて着終えたユウキの姿は、管理官と見間違うほど完璧な見た目になった。これなら、怪しまれずに労働者地区を抜けることが出来る。千載一遇のチャンスが今、ユウキの元に舞い込んできた。ユウキは今、この瞬間、管理監になった。


 ユウキは生まれ変わった姿で、今まで来た道を戻っていく。ベランダ、廊下、談笑スペース、寮の出入り口、広場。道中見知った顔が何度も会ったが、誰一人としてユウキだと気づく事がなかった。皆が皆、かつて自分が向けていたように、怒りや怨嗟の目を自身に向ける。自分がユウキだと分かっていない証明だろう。ユウキは、終始誰にも気づかれることなく、ある場所にまでたどり着いた。


 そこにあったのは、鉄で出来た重厚な扉。扉の縁は黄色と黒の警告色で彩られており、扉の上には「管理官用連絡通路」と書かれている。目線の先には注意書きが書かれており、「ここより先一般階級区域。許可無しに侵入した場合、反逆者とみなし、処罰の対象になる」と書かれている。権利を持っていない労働者がこの扉に入ると、注意書きの通り直ちに処罰対象になる。いや、処罰で済めば良いほうだ。実際は銃殺されるだろう。だから労働者達も好き好んで近づくような場所ではない。ユウキ自身も、ここに近づくとろくな事がないと知っていた。だから近づかなかった。しかし今、ユウキは、明確に「ここに入る」という意思を持っている。これから、前代未聞の事を起こすのだから。


 扉を叩く。そこからは、寮の扉とは比べものにならないほど頑丈な鉄の音が響いた。さすがは労働管理室。労働者達がそう簡単に入れないようになっている。しかしあれだけ大きな音で扉を叩いたのにもかかわらず、中から誰も出てこなかった。確信する。中に誰もいない。ユウキは手早く扉を開き、決して許されない境界線を跨いだ。もしここから先、正体がバレたとしたら、ユウキは殺されるだろう。しかし決死の覚悟はとうに出来ている。神様に会って文句を言う。それだけの希望を持って、ユウキは足を踏み入れた。


 こうなればもう、自分を制御する必要はない。神様は自分の心にいる。その神様に従ってやるさ。動き出した歯車は止まらない。

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