第14話 シュウゾウ
真夜中3時の労働現場は、人の気配の一切ない、ただ蒸気の音が鳴り響く無機質な空間だった。
ある人影はただ一人、シュウゾウだ。人の気配の一切ない通路をひとりでに歩きながら、シュウゾウは今までの過去を思い出していた。
シュウゾウ一族の楽園墜ちが決まってしまったその時、まだユウキは一歳にもなっていなかった。原因は息子の異常行動、支配階級の女と恋に落ちたことだった。階級を超えた色恋沙汰はデクトリアでは許されない。彼等がたどった道は無論「処分」、2人は見せしめとして、広場での絞首となった。デクトリアに逆らうとこうなるぞ、そう言わんばかりのプロパガンダと共に息子と息子が愛した女はてるてる坊主になった。そして、責任を取る形で、シュウゾウも労働者になった。
最後の面会の日、2人の死体を拝むことが出来た。首にある痛々しいほどの細い痣以外は、昨日も笑顔で笑っていた、笑顔が似合う息子とその婚約者。しかし、笑顔が似合う顔は吐瀉物でまみれ、うっすらと赤みがかっていた。
「全く……。馬鹿息子め」
そうぽつりとつぶやいたとき、ある異変に気がつく。それは、腹だった。娘の腹が大きく膨らんでいる。留置期間に太ったのか?それは考えにくい。ルールを破った人間に満足な食事など与えられるわけがない。実際、シュウゾウもひもじい暮らしを強いられていた。だから、この異様な腹の大きさに違和感を抱いていた。すぐさま人を呼び、診断してもらう。やはり妊娠していた。二人は捕まる前に、子を成していたのだ。すぐさま腹を開くと、そこには小さな子どもがいた。それは、息子と息子が愛した娘の最後の忘れ形見だった。幸運にも、その孫息子には人権は与えられなかったが、労働者として、地獄に生まれ落ちることは出来た。
思えば最初からユウキの運命の歯車は止まってしまったのかもしれない。自身のせがれが禁忌を犯し、宿してはいけない子を宿した。それ故に産まれた望まれない子、そんな子に明るい未来などあるはずがない。労働者として、永遠に命を削り続けるしかなくなってしまったのだ。
それでも、シュウゾウにとっては遺灰のない息子達の忘れ形見、蔑ろには出来なかった。「息子達が幸せになれなかった分、どうかユウキだけは幸せになってほしい」シュウゾウはただ、それだけを祈っていた。
労働者達には何もない。そこにいるのは人だけだ。なら友達を作れば良い。そう思ったシュウゾウは優先的にユウキの部屋に人を配置した。あわよくばユウキにとっての
止まってしまった歯車が動き出したのは、ラスカを配置してからだった。突然、支配階級から楽園墜ちをしてきた子どもがいた。それが14人目の同室、それがラスカだった。彼は上手くやっていた、持ち前の純粋さで労働を覚え、投げかけられる罵詈雑言にも耐えていた。持っていた根性で、自ら首をくくることもなかった。その底抜けの明るさと、明るい未来が待っているような振る舞いは、もしかしたらユウキの心を溶かしてくれるかもしれない。その予想は見事的中し、5年の間、ユウキと関わり続けてくれた。
ラスカが同室になってから6年、ユウキの人生の歯車は着実に動き出していた。無表情だった顔に感情が芽生え、人との関わりをめんどくさいと形容するようになった。ユウキは確実に変わり、労働者から人間と変わっている最中だった。ラスカのおかげで出来た友人、ベネット、彼等の漫才のようなやりとりに辟易するユウキ、ただ、そこには確かに友情と呼ばれるようなものはあった。遠目から見ていたユウキの成長に、目頭が熱くなるような感覚がした。
そんなユウキの宝物が、先ほど、完全に処分されてしまった。いくらこのエリアの総責任者とはいえ、所詮は労働者、選抜された労働者がどうなったか知ることは決して出来ない。しかしユウキの姿と管理官の急な押しかけを考えると、そう考えるのが妥当だと考える他無かった。ユウキの宝物が、ユウキの幸せが、この国に奪われた。
「神様なんてこの世にはいないんじゃねぇか」
ユウキの一言を何度も反芻する。その言葉は、絶望をまとっていた。たった今日、ユウキは人として、心を殺された。それが何より耐えがたく、許せなかった。
シュウゾウが向かっていたのは管理監室。その地区の労働環境を管理する管理官達が待機室として利用している。無論普通の労働者にはそこに近づく権限はないが、総責任者にはそれがある。ドアを3度叩くと、
「管理監殿、夜分遅くに申し訳ありません」
「誰ですか?」
中から声が聞こえる。その声は若かった。シュウゾウの目論見は当たっていた。
「この地区の総責任者であります。宍戸シュウゾウです」
中からかちりと音を立て、扉が開く。そこにいたのは、最近新たに配属が決まった、若手の管理官だった。この時間、管理官は帰宅している。しかし労働者がいつ暴動を起こすか分からない、必ず1人は残るようになっている。当番制で、今日は若手が残るのをシュウゾウは知っていた。
「シュウゾウさん。どうかされたんですか?」
「報告のし忘れがありまして、それを」
「そうでしたか。では、中にお入りください」
労働後に、シュウゾウはそれぞれの工場や労働現場からの報告をまとめ、それを管理官に提出している。基本報告の抜けがあることはない。シュウゾウはいつも冷静だ。
「こちらをどうぞ」
若手の管理官はお茶を入れてきた。普段はこんなことはされない。いきなりの行動に少し狼狽える
「これは……?」
「紅茶です。僕のお気に入りなんですよ」
「それは分かっておりますが……、なにゆえ私めにこれを?」
「いくら労働者と言っても、お客様をもてなすのは当然です」
こんなこと、普段はできないんですけどね、と若い管理官は苦笑いをした。管理官の中にも、このような礼儀正しい青年がいたのか、そう思い、少し胸が痛む。出された物を一口飲む。懐かしい香りが鼻を抜けた。
「で、報告の抜けがあったと。困りますよ。僕じゃなくて先輩だったら、鼻、折れてる所でしたよ」
若手は軽く注意をする。それもそうだ、あくまで総責任者であれど、これも労働者の仕事だ。抜けや漏れは決して許されない。
「大変申し訳ありません。急な来客対応がありまして……」
軽くごまかす。確かに、ごまかしではあるが嘘ではない。ユウキの部屋に管理官が押し入ってきたのは確かに急だった。嘘は言っていない。が、それだけで夜中3時まで大幅に報告が遅れることはない。若手は自分にも注いだ紅茶を飲む。鼻を通った懐かしい香りがふわりと広がる。そうだ。これは息子の交際相手がよく飲んでいたものだ。たしかだーじりんとか言っていたっけ。彼女の好物を思い出し、他の思い出が芋づる式に連鎖する。息子の成長、息子の笑顔、幸せそうだった二人の笑顔、彼等の最後、ユウキが生まれてくれたこと……。最後に思い出したのは、「自分の中に神様はいる」とユウキに言ったことだった。
「あはは。まぁ忙しそうですもんね。急に押しかけちゃったもんだから」
若手は、その対応が自分たち管理官による物だと気づいていた。しかし、全容を知ることはなく、ただヘラヘラと笑っていた。
「それで、報告なのですが……」
シュウゾウは重い口を開く。やれやれ、これで自分も死ぬかもしれないな。覚悟を決めて、続けた。
「労働者の暴動が発生しました」
そう言い切ると、中央のティーテーブルを思いっきり蹴り上げた。自分に出された紅茶が注いでくれた人にかかる。若手はその緊急事態に、ただあっけにとられるだけだった。シュウゾウには技術があった。先の戦争で、戦果こそ残せなかったが、ジェンドール家と並ぶほどの実力があったのがシュウゾウの一族、宍戸家だった。正確には、財力とマンパワーで名家になったジェンドール家とは違い、宍戸一族は純粋な格闘術や狙撃術など、技術で追いついていた。その分戦闘力や実力はジェンドール家よりあるといっても過言ではない。その名家の中で培われた実力はシュウゾウの中から消えた訳ではない、ただ眠っていただけだ。それがたった今、目を覚ました。
若手の視線をテーブルで切ると、視界に入らないように彼の後ろに回り込んだ。そして彼が気づく前に、まだ筋肉のつききっていない細い首に腕を掛けた。若手は気づく、が、もう遅い。すでに気道は絞まりかかっていた。
「すまんな若造。暴動を起こすのはわしじゃ」
グッ。ゲッ。と若手は苦しそうな声を漏らす。最初は腕をどうにかしようと抵抗していたが、これが叶わないと気づくと、シュウゾウめがけて肘鉄を食らわせる。みぞおちに見事的中し、シュウゾウの手が緩む。若手は若いといえど管理官、その隙を逃がすはずがない。若手は素早くかがみ、シュウゾウから抜け出す、そしてかがんだ体制を利用して、卍蹴りを放った。見事命中して、シュウゾウを後ろに追いやった。
「おかしいと思ったんすよ……。いつも仕事を完璧にこなす貴方らしくないって……」
「まぁな。お前を狙っていたからな。まだ経験を積んでいない、孫のような細いヤツをな」
「良いっすか?この暴動は記録されてます。最終警告っすよ。これ以上続けるなら、あんたの命、保証しない」
「お前、口調が崩れてるぞ。それに……」
余裕のない若手とは対照的に、シュウゾウは笑って余裕を見せる。自分の心に素直になれと言ったのは自分じゃないか。だから後悔はない。この行動を神様は祝福してくれる。そう思い直し「もとよりその覚悟だ」と後から足した。
若手は焦り、部屋の奥に向かう。そこには緊急事態を通達する通信装置があるはずだ。させるかと、すかさずシュウゾウも追う。通信装置に先に手が届いたのはやはり若手だった。しかし、それと同じぐらいに、シュウゾウは若手の首に手が届いた。もとより無傷で帰る気は無い。無実で帰るつもりもない。若手の首に右腕を掛けると、ぐいっと自分の方に引き寄せた。そして、余った左手で頭をつかみ、そして……。
ゴキリ
頸椎をへし折った。動かなくなった若造の右手は通信装置に伸びており、すでに録画されていたこの部屋の映像が送信されていた。彼には申し訳ないと思っている。カメラに向けてそう言い残すと、若造だった死体を背負い上げ、管理監室を後にした。
担ぎ上げた死体をある場所に持って行くと、手を使って地面を掘り出した。幸いなことに、この労働地区には硬い土はない。柔らかい砂だけだ。目の端にまぶしい光が見える。もう日の出か。おそらく自分が管理官を殺したことはすでに知られているだろう。これを早く隠しきらなければ。ヘトヘトなはずの体に鞭を打ち、手をより早く動かす。やっとの事で穴が人一人埋められる大きさになった時には、もう朝日が昇りきっていた。急げ。手早く若手の胸ポケットからペンを抜き取ると、上から砂をかぶせ始めた。そして、自分の名札の裏に何かを書き始めた。我ながら、最後に父親らしい事が出来たかな。
すべてを終えて、帰路につく。道半ばで、今日が25日だと言う事に気がついた。そういえば、今日はクリスマスか。そう思い、その場を後にした。
今日がかつてクリスマス呼ばれていた事を、ユウキは知るよしもなかった。
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