第6話 ラスカは今日も働く

―3069.11.1―


 支給された服装が薄く、寒さに堪える季節になってきた。


 ユウキ達労働者達は、デウス=エクス=マキナの突然の凱旋から、何事も変わりなく過ごしてきた。新たな少女が神になった、壁の向こうで起きた他人事の大ニュースが、たったひとつの変わったことだった。今日もまたいつものように業務が割り振られるのだろう。けたたましく鳴る起床ベルに起こされ、もう寒く感じるようになったいつもの支給服に袖を通す。


 時計を見ると、朝7時、また今日も仕事の1日が始まる。今日はなにか見つかるだろうか、文字が書かれていればいいな。それがラスカにとっての唯一の、未来につながる希望だった。袖を通した後はいつものようにユウキに絡み、朝食を食べる。


 今日は――というより今日も味気のない携帯食であった。食事を食べ、いつものように配属場所をシュウゾウから聞く。通常の業務に追加して異例の労働内容が課されたのは、当の本人、ラスカだった。


「――それとラスカ、お前達は嗜好品生産工場だ」


 経験を十分に積み重ねた労働者達の名前の中に、ラスカの名前がシュウゾウの口から出る。嗜好品生産工場。かつて世界中の人間は、タバコや酒などの嗜好品を嗜んでいた。世界が1つの統一国家になったとき、その文化は消えてしまうと危惧されていた。この文化を絶やしてはならないと誕生したのがこの工場、世界中のワインやビール、タバコや葉巻が作られている。労働者達はごく稀にその工場へ配属される。しかし通常であれば、それは18歳以上の成人が割り振られているはずだ。12歳のラスカが選ばれるのは異例中の異例だった。


「工場だって。ユウキ行ったことある?」


 小さな声でユウキに訪ねる。いつもであれば、うるせぇぞなどの軽口を叩かれるはずだが、今日もうなずかれるだけだった。なぜだか分からないが、神様がやってきた日からやけにユウキがよそよそしい。その理由を明らかにしたかったが、管理官に腕を掴まれ、強引に引っ張られた。どうやらもう工場に向かうらしい。遠ざかっていくユウキの姿はなんだか暗く見えた。何か抱えている気がする。工場から帰ってきたら問いただそう。そう心に決めて、ユウキの元を後にすることになった。


▽……▽……▽……▽


 工場はむせかえるような異様な香りであふれかえっていた。甘いような、苦いような、苦しいような……。慣れない香りに頭がふらっとする。しっかりしろ自分、ここでの労働は始めてだ。何処でも同じだが、管理官は労働者に優しくない。少しでも指示を聞き逃したらそれだけで厳罰だ。実際何度もそれでペナルティを課されたことがある。きっと新しい環境に慣れてないだけだ。ラスカは自分自身にそう言い聞かせ、自分の体にむちを打ち、意識を保ち続けた。


 配属された第3工場は煙草の製作工場だった。言いようもない香りがさらに強く鼻を刺す。先ほど居た工場の入り口の香りは甘くもあり、苦くもあったが、ここは特にひどく甘い。いつの間にか他の労働者は別の工場に移動していて、1人だけになっていた。


 ラスカは案内されるままに工場内を歩き周り、今日の仕事に必要な情報を頭に入れていく。デクトリアに広く普及している煙草は「一般合成煙草」と呼ばれており、味によってⅠ型、Ⅱ型と番号が振られている。第3工場は、果実の香りを煙草にブレンドしたⅤ型の工場なので、果実を物理的に練り込むのが今回の仕事らしい。いつもなら滅多に食べることができない果実を拝めると言う点で運がいいと言えるが、充満したきつい香りにやられてしまって、あのラスカでさえ喜ぶことが出来なかった。


「ここがお前の作業場だ」


 管理官に案内された場所はまさに香りの爆心地と言えるような場所だった。中央に作業するのに十分な広さの机、果実を潰す回転式の機械マッシャー、それを練り込む機械……。それまではいいものの、目の前の箱に思わず目がいく。そこには、ラスカはおろか、何十人のベネットを軽々と入れてしまいそうな大きなコンテナ。その中にはこれでもかとオレンジ色の果実が入れられていた。


 中の果実は十分に熟れていて……というか、熟れすぎていて、甘ったるい香りを漂わせている。何ヶ月前に収穫されたのだろうか、コンテナの中を見ると、果実から出たであろう白い液体が底にある果実を完全に隠してしまっている。中もやはり、ひどく甘い匂いだ。いくらこの国の食べ物には賞味期限が無いとはいえ、ここまで放置していいものか。


「あの……」


 思わずラスカは管理官に声をかける。


「これ、本当に煙草に練り込んでいいんですか? なんというか、実から汁が出てるんですけど」

「その汁が香りの正体だ。」


 管理官は短く答える。なるほど、これを練り込めと言うことか。ラスカの魂胆は、流石に耐え難い香りの元凶をあわよくば何処かにどかしてしまおうと言うものだったが、どうやらその野望も潰えたようだった。今日はこの香りの中、ベタベタした白い液体を煙草に練り込む必要がある。


 管理官はいつの間にかラスカのもとを後にしていて、胸焼けがするような部屋の中たった1人残されてしまった。


「やるしか……無いよね」


 ラスカは一人ごちる。仕事に対して滅多に文句を言わないラスカだが、今回ばかりは堪えているようだ。しかしゴネても仕方がない。そう思うとおもむろに服を脱いで、口元を隠すように顔の周りに纏った。ラスカは工夫が得意だ。今まで、何度も、12歳には酷な仕事を任されてきたが、それらをすべて工夫でなんとかしてきた。地頭の良さなのだろう。脱いだ服で作ったのは即席のマスクだ。これで香りも幾分かマシになるだろう。狙い通り、鼻に入ってくる香りが減ったように感じる。これなら出来る。そう思い仕事に取り掛かった。


 果実を取り出し、機械で潰し、そこで出来たペーストを煙草の芯に練り込む。1本の煙草になったら箱に入れる。果実を取り出し、潰し、練り込む。煙草を入れた箱がいっぱいになったら別の箱を取り出し、入れる。これの繰り返しだ。取り出し、潰し、練り込む。取り出し、潰し、練り込む。取り出し、潰し……。




 作業をしている間、ラスカは家族のことを思い出していた。5年前のあの日、適性検査の結果が返ってきた日だった。暗く、嫌に冷え込んだいつも温かかった部屋、涙染みの出来た封筒、自分に向けられた両親の憐れみの目――。


 一般階級以上の子供は学校に通い始める前にも適性検査を受ける。異常な傾向はいつ発現するか分からない。平和な世界を作るためにも、こうした異常の芽は徹底的に摘んでいかなければならないからだ。ラスカは不幸にも、小学部に上がる時の適性検査で「異常あり」と判断されてしまったのだ。この結果が出てしまった以上、両親とラスカは共に暮らすことができない。その結果を聞かされたのは、ラスカが遊びから帰ってきた後だった。母親が顔を伏せて泣いていたのを覚えている。


「じゃあ、ぼくはみんなとくらせないの?」


 父親が痛々しく頷く。その事実は到底受け止められないものだからだ。本人だけでなく、両親にとっても。


「きっとこれは、何かの間違いだ。次の適性検査では問題がないと出るに決まっている。6年後、再検査の申し立てをするよ」


 父親が続ける。その声には、ラスカを絶望させまいと、無理に明るくしようと努力した痕が聞いて取れる。今思い返せば、それは苦しい言い訳だったのだろう。それでも、その言葉はラスカの心に深く残っている。


「だからね、ラスカ。労働者になってしまっても、勉強はし続けなさい。6年後には必ず戻ってこれる。これは、ただの機械の気まぐれだ」

「ほんと?ぼく、またみんなとくらせるの?」


 記憶の中の自分の顔が明るくなる。「勉強をし続ければきっとみんなとまた暮らせる」その言葉は、まるで太陽のように、井戸の底に投げ込まれた自分を照らすには十分な輝きを持っていた。



「ぼく、頑張るからね……」



 いつの間にか口から出ていた。仕事中の私語は厳禁だ。ハッと気づき、周りを見渡したが、幸いなことに誰も聞いていなかった。最初は安堵したが、誰も聞いてなかったか、そう考えたときに、なんとも言えない寂しさがラスカを襲った。


「あと1年。頑張るんだ」


 自分に言い聞かせる。ラスカが楽園堕ちをして5年が経っている。約束の年はあと1年だ。今は苦しくとも、あと1年我慢すれば、今とは打って変わった普通の生活を送れる。労働とは無縁で、好きなことが出来て、温かいご飯も目一杯食べられる。そうだ。ここさえ頑張れば。そうすれば、ユウキもきっと楽しく過ごしてくれるんだ。果実を絞る手に力が入る。そして……。


「あれ? なんでユウキが……」


 ふと気づいて、手が止まる。思い描く明るい未来になぜかユウキがいる。その表情は明るく、笑っている。しかしそれはあり得ないことだ。ユウキは紛れもない労働者だ。労働者になる前はユウキのことを知らないはずだ。だからこれは過去の記憶ではない。では理想の未来か?しかしそれは不可能だ。階級が違うのだから、共に暮らすのは不可能なはずなのに、考えずにはいられない。同じものを、同じ屋根の下で食べ、今までと同じように過ごしている。しかし身なりは人並みにきれいで、清潔であった。その姿は、かつて自身が過ごした家でも違和感がなかった。この服をユウキが着て、一般階級にいたとしても、周りの人は、変な目で見ることはないだろう。一般階級としてのユウキを妄想していた。自身で気づいていないが、もはやラスカは、ユウキ無しの人生が考えられなくなっていた。



 その隙だった。鋭い傷みが右手全体に走る。ふと気づいて、我に返る。目の前のマッシャーが異音をたてながら真っ赤になっている。潰しているのは、果実ではなく……、




――ラスカの右手。




 刹那、右手の傷みがラスカの脳に届く。むせ返るような甘い香りを忘れ、自分の血の匂いが鼻を支配する。


 どうすればいい?まず非常停止。機械には安全装置として緊急停止のボタンがつけられている。しかしそれは最新のものだけだ。その機械は作りが粗雑で型が古い。非常停止するには電源を抜くしかない。固定されていた機械の電源は遠く、腕まで巻き込まれたラスカには届かなかった。


ガリガリ。パキ、メシャ。


 機械は異音をたててラスカを腹の中に収めようとする。このまま自分は果実のように潰れていってしまうのか、行く末が、嫌になる程鮮明な想像が、言いようもない恐怖を駆り立てる。自分の肘が小気味のいい音を立てる。すでに右手首は潰れきっていて、肘まで飲み込まれそうになっていた


「誰か!誰か!!」


 ラスカは泣き叫んだ。叫びが第3工場に反響する。しかし、誰にも届かなかった。先ほどの独り言のように。


「助けて!誰か!誰か!!」


 理性では諦めていても、本能がそれを止めようとしなかった。機械はいつの間にか、ラスカの肩を潰そうとしている。もう終わりだ。ここで誰にも気づかれずに死んでいくのか。自覚した瞬間言いようもない絶望感がラスカを襲う。ここまで騒いでも、誰も気付いてくれない。ここまで大ごとを起こしていても、ここには注意してくれる人も、心配してくれる人もいない。自分が虫になったような、ひどく惨めな気持ちがした。自分の終わりはなんとも孤独なんだ。最後を覚悟した時、ある言葉が喉から溢れ出てきた。


「助けて。ユウキ」


 瞬間、ラスカの意識は、真っ白な世界に落ちていった。

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