第7話 デッド・オア・アライブ

――人体解析完了。右腕完全骨折と断定


――「こんな怪我初めて見た。身元の特定は?」


――特定完了。ジェンドール=ラスカと断定します。

――支配階層、ジェンドール家の人財と推測。完全治療が推奨されます。


――「この子、見たことある。頭脳部デウス、この子の人間関係は?」


――データバンクにありません。司令部エクス、観測を開始。

――観測完了。労働者、宍戸ユウキと近い関係にあると断定。


――「やっぱりそうだ。あの時ユウキと一緒にいた子ね」


――ロムル=デクトルの提言を確認。処分を推奨します。当該国民は国家安寧を著しく脅かす存在と適性検査から確認。


――「え?」


――心臓部マキナ、決断を。


 困った。目の前にいる男の子はジェンドール=ラスカ。支配階級の生まれにしながら、労働者階級の男の子だ。この子が労働者階級に墜ちた理由はおそらく適性検査だろう。本来であれば処分することは容易だ。しかし、エクスの観測で、ユウキと親密な関係にあるという事が分かってしまっている。何かつかんだあの日から、労働者にも助けを与えるべきだと考えているマキナにとって、この二択は今まで経験したあらゆる選択肢よりも複雑で、大変悩ましいものだった。デウスとエクスが機械音で催促してくる。


 神様は完璧でなければならない。このような選択肢も、最善を選ばなければならない。目の前の労働者を処分するか、助けた人間の友人を助けるか。

デッド命令に従うか・オア・アライブ自分の意思に従うか

マキナはしばし長考した後、意を決して決断を下す。


――「治療しましょう。中央病院に指令を」


 私は私の意思に従う。自分の心に従うんだ。彼女の声を最後に、けたたましい機械音が鳴り響く……。


□……□……△……△


 ラスカが目を覚ますと、そこは薄汚れた自室ではなく、汚れひとつない真っ白な部屋だった。どうやら病室のベッドに寝かされているらしい。右手をついて体を起こし、そこで気がついた。腕が残っている。潰されたはずの右手にはケーブルが一本つながっており、心電図を映し出している。病院だ、楽園墜ちをする前の記憶から、ラスカはすぐに気がついた。しかしなぜ自分はここに寝ているのだろう。労働者になってからしばらくはお世話になっていない。僕がここに居るなんて、許されるはずがないのに……。


 プシーと音を立てて自動ドアが開く。看護師さんかな。目を向けると、そこには1人の女の人が立っていた。真っ白なワンピース、金色の歯車の装飾。この世の物とは思えないほど綺麗な人だった。


「腕、大丈夫?」


 女の人はしずしずと入ってきて、ラスカのベッドの横に立った。近づいてくる途中で気がつく。あの時の女神様だ。ユウキを助けてくれた、この世界を統べる存在。神様のように美しい人。興奮とも感動とも言えない感情がラスカを支配する。その人はラスカの右腕をさすりながら微笑む。


「良かった。怪我はもう無いみたいね」

「あの!女神様ですか!!?」


 病院内で到底上げるべきではない大声がラスカの口から飛び出た。慣れない大声で喉がかすかに痛み、咳き込む。無理もない。ラスカが読んできた文字達の内容はすべて彼女をたたえるような内容ばかりで、当然ラスカにとっては人生をかけて会いたいと焦がれるほどの存在だ。目の前にいるのはそれほど焦がれた神様かもしれない。希望を胸に彼女がうなずくのを待った。


「ええ。私はマキナ。 デウス=エクス=マキナのマキナ」


 期待していたとおりの答えが返ってきた。ラスカの興奮が最高潮に達する。


「あの!ありがとうございました!!」


 気がつくと、ラスカは感謝を述べていた。自分を治してくれたことよりも、ユウキを助けてくれた事に対しての感謝だった。マキナは自分が与えた施しへの賛辞と捉え、当然のことをしたまでだと言わんばかりに微笑み返す。


「そうじゃなくて!! あ、いや、それもそうなんですけど……」


 ラスカが口をつぐむ。神様を目の前にして言葉がうまく出てこない。伝えたいことと言いたいことが頭の奥底からあふれ出る。しかしこれを逃してしまえば、また出会える機会なんて滅多に無いだろう。一度落ち着いて、それから伝えよう。ラスカは深く深呼吸をして、そして伝えた。


「ユウキのこと、ありがとうございました」


 マキナは目を丸くした。想定外の感謝に驚いたからだ。


「なぜ、貴方が礼を?」

「ユウキは、その、僕にとって特別なんです。あの時、ユウキが倒れた時、なんと言うか、僕の全てが奪われたように感じて……。」


 確かユウキの死亡時の第一発見者はこの子だ。そこでゆっくりと死んでいく彼を見たのだろう。想像した上で、マキナの脳裏に初めての視察の光景が浮かぶ。ラスカはあの労働の中、確かに楽しそうに笑っていた。おそらくそれは、周りに仲間が居たからだろう。確かに、ラスカがユウキと近しい関係であるのは見ていたし、エクスの観測結果からも、2人が親しい間柄だということは知っていた。


「正直、もう戻ってこないかと思った。でも、貴方がユウキを治してくれた! 何もなかった僕の唯一の宝物を。僕を2回も救ってくれた貴方に、感謝したいんです。」


 到底受け止めきれないような深く、重たい情念がマキナにのしかかる。しかし、その重みは不思議と心地いい。


「ありがとうございました」


 ラスカは再び、深々と頭を下げる。分からない。マキナは、12歳のラスカから放たれる、彼の小さい体の割に合わない感謝を素直に受け止められなかった。デウスから一通りの知識を教わったはずだが、分からないことは初めてだった。


「なぜ、貴方は他人のためにそこまで感謝することが出来るの?」


 え?、と今度はラスカが面を食らったような顔をする。素直な疑問だった。宍戸ユウキは、ジェンドール=ラスカの身内ではない。つまり父親や母親のように、無条件の愛情を与える理由はないはずだ。共同生活が長くとも、それはここまでの深い情念を芽生えさせるには足りない。ラスカも、その質問に答えられないようで、頭を動かし続けている。


「……恋?」


 1つの答えがマキナの中で生まれる。恋。デウスから教わった、かつて地球上の国々で広がっていた感情。かつての人類がこの感情に最もよく従っていた、恋。理屈を超えた恋心というものは人に影響し、人そのものを劇的に変えてしまう。それほどに恋と言うものの影響力は偉大だ。ラスカの、家族でも身内でもないユウキに対する感情を説明するのに、マキナはそれ以外がつかなかった。あくまでつぶやいただけであったが、ラスカの耳にしっかり届き、やがてラスカの顔を赤くする。マキナの予想が確信に変わる。


「貴方、ユウキに恋してるの?」


 ラスカの顔がどんどん赤くなり、溶鉱炉よりも赤くなってしまった。その顔を見られたくないのか、マキナに向けていた顔を枕で隠してしまう。


「分かんない」


 声にならない呻き声の後、くぐもった声が返ってきた。ラスカはまだ枕に顔を埋めている。


「でも、ユウキがいないのは、考えられない」


 驚いた。驚いて顔を見ようとする。ラスカの顔を見ることはまだ出来ないが、おそらく果実のように赤いだろう。ラスカには明らかに、ユウキに対する恋慕の情を抱いている。他人に指摘されたのは初めてのことで、こうなってしまってはラスカは元には戻れない。ラスカ自身も、初めて人に言われたことで自覚したのだろう。自分はユウキが好きなんだ。


「そうだよ。神様の言う通りです。僕は、おそらくユウキが好きなんです。幸せな未来を考えると、どうしてもユウキが出てきちゃう。無理だって分かってるのに、頭ではずっと一緒にいられるって思ってるんです」


 マキナは初めて恋という物を目の当たりにした。なんと美しいものなのだろう。知識だけでは理解し得ない素晴らしさがこの世界にはまだ溢れてるのだ。マキナは感動し……、







そしてこの世界に絶望した。




「でも、貴方、男の子よね?」


 ラスカがぴくりと反応する。登録された国民情報によると、ラスカは男性と記録されていたはずだ。肉体も、精神も、れっきとした男の子だ。ラスカは暫く黙った後、ゆっくりと枕から顔を離す。そして、先程とは全く違う、全て悟ってしまったような顔で呟いた。ラスカの顔からは、もう熱はなくなっていた。


「そうです。僕は男です」


 そして、痛いとこ突くなぁ、と苦笑い。その表情は12歳の子供とは思えない、この世の辛苦を知り尽くしたような表情、さっきの火照りきった顔はどこに言ったのだろう。ラスカは続ける。


「確かに僕は男です。それは事実。 でも、ユウキが好きなんです。 どうしようもなく。 これも本心なんです。 だけど、そんなことこの国では許されない。だから、見ないふりしてたんです。 気づかないふり。」


 マキナはタブーに触れてしまったことにようやく気がついた。他でもない。ラスカに恋を自覚させたのも、、紛れもなくデウス=エクス=マキナの仕業なのだから。


「神様は、残酷ですね」


 ラスカは笑ってみせた。さっきとは違う、陰りのある笑顔。その笑顔と先ほどの言葉が、マキナの心に、鉛のように重くのしかかった。向けられた気持ちは先ほどと同じぐらいのはずなのに、こっちはとても耐えがたい。あぁ。一体どこまで彼らは報われないんだ。労働者はゴミだ。それがこの国のトップの考え方だ。だからこの国は変わらない。ゴミはゴミなのだから、報われてはならないのだ。しかし、マキナはこの、数千年続いてきたこの世界の暗黙の常識を受け入れることが出来なかった。これが、一般階級以上の常識……?私はこれからも、残酷にならなきゃいけないの?


「私は、応援するわ」


 いつの間にか、手を握っていた。ラスカの手は温かく、年以上に華奢であった。しかし、そこには確かに命が存在している。目の前の命を蔑ろにするのがこの世界の神様か。そんなわけ無い。自分の中の感覚を大事にしよう。そう決意したではないか。確かにこの国は神様しか変えられない。だからどうしたというのだ、私こそが神様なのだ。握った手に力が入る。


「私は、応援します。貴方の恋を」

「何を言ってるんですか……?この国のルールはそう簡単に覆りませんよ。貴方1人が認めてくれたところで、社会は認めてくれないんだ……」

「ならば、世界を変えてしまいましょう」


 ラスカがきょとんと、驚いたような顔をする。その手には脂肪はない。だか、希望と温もりはある。こんな人間たちがいるのが信じられなかった。こんな人間たちが、枝葉を落とすように簡単に処分されている。「箱」の中では気付けなかった現実。これを知らなかったから、機械仕掛けと言われたのか。マキナはようやく、ユウキの言っていた真意にたどり着いた。でも今はもう違う。私はもう機械仕掛けじゃない。


「私は、貴方達を救いたい」


 目を真っ直ぐラスカに向けて堂々と宣言する。


「約束します。私は、貴方の恋が当たり前になるように、この世界を作り替えてみせます」


 ラスカの目の色がガラリと変わる。さっきの暗い表情がどこかに行き、そこに無垢な喜びが入れ替わる。


「ホント?! ……ですか?」


 そこにはもう絶望はなかった。明るい未来が待っているかのような、希望に満ちた表情でラスカは聞く。一度向けるべき言葉を間違えたと思い、あわてて言い直す。それほどまでに突然で、魅力的な宣言だった。マキナも、ええ、と微笑みを返す。


「それが、私の役割だもの」

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