第5話 この世界の神様は

 この世界の神様は、崇高で平等で、旧世界の神様とは違い、極めて合理的である。


 それが私、デウス=エクス=マキナだとずっと教えられてきた。デウスが教えてくれた世界は、争いひとつなく、全てが滞りなく進んでおり、まさに平和そのものであると。しかし現実はそうではなかった。自分の初仕事で助けた労働者の様子を始めて目の当たりにして、自分達との差に愕然とした。


「いいか。これ以上あのゴミどもに取り合うな」


 工場の視察を終えたロムルは、首脳地区の中央管理局の最上階、総督室の中で、来ていたスーツを乱雑に脱ぎ捨て、マキナにそう言った。


「なぜでしょう?人間はみな平等であると頭脳部デウスから教わりました。」

「簡単な話だ。労働者は人間ではない」


 簡単で、残酷な答えが帰ってきた。


「我々がどのように階級を割り振られているかは知っているな?」

「はい。出生時の身体検査で決定されます」


 デウスに教えられた通りの答えを返す。


「デクトリアの国民はすべて出生時に適性検査を受ける義務があります。階級はその結果で振り分けられており、何も問題が無ければ一般階級、優れた適正や能力があると判断されれば支配階級、反対に、国民生活において何かしらの支障が出かねないと判断されれば、労働者階級に配属されます」


 これ以上無い満点の答えだろう。それを聞いたロムルは満足げな表情をしていた。よろしい、と微笑みを向け、さらにもう一つ質問を重ねる。


「では国民生活において何かしらの支障、とは何かね?」

「基本的に、四肢の欠損、発達障害、同性愛や身体性と精神性の不一致などが該当します。デクトリアの法律は彼等の存在を想定していないからです。例外として、過去に犯罪歴のある他階級の人間も配属されます。通称、楽園墜ちです」

「完璧だ。さすがはデウス=エクス=マキナ。」


 二つ目の回答も完璧に答えられた事にロムルは満足し、正面の椅子に腰掛ける。ギシッと音を立てた後、机の中から茶色い棒を取りだし、それに火をつけた。煙がゆらゆらと立ち上る。


「しかし適性は違えど、性質は同じ一種の人間です、総督様はなぜ労働者たちを『ゴミども』とお呼びになられるのですか?」


 ロムルがフーっと口の中の煙を吐き出す。白いうねりが部屋中に広がる。


「そうか、お前は知識は完璧だ。しかし神として完璧ではない。次は常識を学ぶ時だ」


 机の上のボタンをロムルが押す。そのボタンを押すと、必ず秘書がやってくる、呼び鈴のような物だ。おそらく捨てたスーツの発注と、灰の処分をやらせるのだろう。


「私達は紛れもない、人間だ。最も、我々支配階級は上に立つべき人間だがね」


 ロムルの開いた口から、ほろ苦くも、どこか甘い香りがこぼれ、マキナの鼻をつく。コイーバ。キューバと呼ばれる国がまだ地球に存在していた頃の、現存している数少ない葉巻だ。ロムルは大きな一仕事を終えると、自身のコレクションから、デクトリアに統合される前の国々の嗜好品を楽しむ。今日の視察もロムルにとって大仕事だったのだろう。ロムルはひとしきり煙を楽しむと、おもむろに口を開いた。


「しかし、不完全なあいつらが、同じ人間だと思えるかね?我々と同列に立てると?」


 甘い香りに鼻が慣れ、漏れ出す煙が苦くなる。


「私はそうは思わない。なにかしらの欠陥をもったあいつらと、私達は同じではないのだよ。それが我々の常識だ」


 近寄ってきたロムルに肩をつかまれる。ツンとした苦い香りが更に濃くなる。


「最も、デウスには記憶を許していない領域だ。知らなくても無理はない。次はこれを学んでいくときだ。」


 両開きのドアが突然開き、カツカツとハイヒールの音を鳴らしながら女性が入ってくる。


「おおエレナ!突然呼び出してすまない。」

「構いませんわ総督様。どうかなされましたか?」


 現れたのはロムルの秘書のジェンドール=エレナだった。この国で最も美人で、知性にあふれる女性であり、マキナを産んだ体だ。といっても、母親ではない。デウス=エクス=マキナの心臓部は、この世界の最も優れた女性を選出し、デクトリアに保存されている、ある精子をその女性の子宮に注入する。マキナはこの女から産まれ、デウス=エクス=マキナとして今までデウスの教育を受けてきた。母親的な情念は受けていないこともあり、目の前の女性が母親という感覚はマキナには無い。それはエレナも同様で、エレナにとってマキナは、ただロムルからの情念を集める為にこしらえたものであった。エレナは側にいるマキナに目もくれず、ロムルの側に歩み寄る。


「マキナの教育を次のステージに進めたい。あらかた知識は覚えたようだ。次は我々の常識を教えていかなければならない。教育役はお前のような聡明な女しかいないと思ってな」

「神様の教育。この身に余る光栄ですわ」


 エレナと初めてそこで目が合った。ロムルに向けるような眼差しとは正反対の、微笑んではいるが、目は笑っていない。冷ややかで鋭い眼差し。私への教育は、ただ総督の信頼を勝ち得たいためだけの利得行為なのだろう。マキナは年相応の想像力を働かせ、そのような結論を心の中で出した。


「というわけだ。明日から新たな教育を施していく。お前も準備しておくことだ。デウス=エクス=マキナ」


 わかりました、とうなずいて、部屋を後にする。いくら神様といえど、国の管理は1秒たりとも手を抜くことは出来ない。すぐさま戻り、たまってしまっているであろう問題への対処に決断を下していかなければならない。それが私の、与えられた使命なのだから。


「ところで、お着物はどうなさいましたの?」

「労働者たちの空気が染みついてしまってな。あんな物はもう着られん。それの注文も任せたい」


 閉まる直前の総督室から2人の声が聞こえる。ここからは2人だけの時間を過ごすのだろう。私が介入する隙は無い。そうマキナは思い、心なしか逃げるように足を速めていった。


☆……☆……□……□


 厳重に管理された扉を何枚かくぐり抜けると、デウス=エクス=マキナ本体にたどり着く。中央管理局最深部、通称「箱」。世界中の誰にも侵すことは出来ない聖域だ。マキナだけに開ける事が許された重厚な鉄の扉を開けると、廃熱孔から出た熱気がマキナのほおをなでる。しゅうしゅうと音を立てるファン、何色にも色づけられたケーブルのジャングルを越えると、本体が現れる。六角形の部屋の中央にそびえ立つ大きな柱、部屋中の壁がちかちかと点滅し、演算結果をはじき出している。壁から伸びた一際太いケーブルは、木の根のように中央の本体につながっていて、中央の幹には一際大きなモニターがあり、実行ログをつらつらと映し出している。私はこの世界の神様だ。責務を果たさなければ。マキナは青白く光る、マキナだけに許された空間に入った。案の定機会音声がマキナに話しかける


――お帰りなさい。心臓部マキナ。決断を保留している案件が5000件あります。直ちに決断を。


 さすがは統一国家デクトリア。地球上では、半日という間で、5000もの事件が起きているのか。それを対処するのも私の責務だ。答えなければ。


――「順を追って決断していきます。頭脳部デウス、古い順に提案して」


 彼女の声を最後に、けたたましい機械音が鳴り響く。




 5000もの案件を対処し終えたのは、2時間近く経過した後だった。


 いくら彼女に許された特権だからとはいえ、さすがにマキナも疲弊しきっていた。ふうと一息つく。ため息は廃熱孔の音に紛れて消えた。ねぎらいの言葉をかけるような人間はこの近くに居ない。あるのは無機質な人もどきと孤独だけだ。


 気がつくと、今日の視察で訪れた労働者達のことを思い出していた。ユウキはあのような環境にいながらも、ねぎらいの言葉をかけるような人間には困らないだろう。そういった点では、私よりも満たされているのではないか。


 ゴミどもに取り合うな。次にロムルの言葉を思い出す。本当にあの労働者達を人間と思ってはいけないのだろうか。気がづくと、デウスをいつの間にか呼んでいた。


――保留している案件はありません。どうかなさいましたか?

――「ねぇ。労働者達って、人間じゃないの?」


 周囲の壁からパチパチと音が鳴る。きっとデウスは今データバンクから回答を検索しているのだろう。デウスの検索能力は優秀で、数秒もしないうちに結論を出してきた。


――検索結果、多少能力に差はあれど、同じ人間だと結論づけます。人体の構成要素の比率は等しく人間です。

――「でもね。総督様が『ゴミども』を人間扱いするなって」


 またパチパチと音が鳴る。今度は時間がかかっているようだ。


――検索結果、無し。類推結果からの結論です。社会的に弱い立場の人間が労働者階級に置かれています。また、人間は強い立場でありたいという本能があり、その事から攻撃的になっているという事実があります。総督の、労働者達を見下す発言だと類推します。


 検索結果無し。この結果にひどく狼狽えた。マキナは今まで滞りなく物事を判断してきた。でもそれはデウスが正しい結論を検索してくれたからだ。しかし、デウスに教えられた教訓「若い命を救いなさい」を実行し、労働者を助けたら笑われた。知識は完璧でも、常識は理屈じゃない。この差は何なのだろうか。鉛のような一言が、マキナを悩みの海に引き摺り込んでいく。


――「私、どうすれば良いのかな……?知識とは違う事を決断しなければならないのかな?」


 検索要請と捉えたデウスがまたデータバンクの中から答えを探し出した。答えがすぐに見つかり、先ほどの検索のようにすぐデウスが音声を返してくれるのを祈ったが、結果はなかなか帰ってこなかった。


――検索結果、無し。歴代のマキナの行動から類推します。歴代のマキナは、自分が正しいと思った事を実行する傾向があります。それは常に合理的な理由とは限りません。「貴方が正しいと思ったことを実行しなさい」を提言します。


「思った事を、実行する……」


 暗い海に沈んでしまったマキナの心に、ろうそくのような光が点る。与えられた言葉を咀嚼する度、重かった心が軽くなるのを感じる。しかし、それが何なのかは分からなかった。


 ただ1つ言えるのは、あの環境と労働者達を見て、マキナは彼等とゴミとは思えなかった。人間をゴミ扱いすることは許されていないはずだ。


 デウスの言葉が再度マキナを照らす。ならば、そうしなければ良いのではないか?自分が出来る範囲で、労働者達を助けていけばどうなるのだろうか。これがもし得るべき常識なのだとしたら、きっと総督様も笑ってくれるのではないだろうか。マキナの心はもう冷たくなくなっていた。デウスからの言葉を胸にだいて、機械の側のベットに横たわり、眠りについた。すうすうと立てた寝息は、聖域の、見えなくなるほど高い天井に吸い込まれていった。


□……□……☆……☆


 エレナにとってロムルとの時間は何物にも代えがたい甘美な時間であった。この国の最も偉い人間からの寵愛を受けると同時に、自分の価値を強固にしていくものであったからだ。エレナはジェンドール家に嫁いだ身である。名家に嫁ぐことの出来る申し分ない知性と適正、美貌を備えていた彼女は、ロムルに見惚れさせるには十分であった。ロムルは彼女を、神を産むにふさわしいと判断し、デクトル一族の特権を利用し、ガランドも承知の上でマキナを仕込んだ。ジェンドール家の一員であり、総督に認められ、神を孕んだ女。これ以上無いステータスはエレナという女を最も高貴なものにし、派手な化粧となる。


「ねぇ。ロムル様」


 猫なで声でエレナは言う。ひとしきり行為を終えたふたりは寝台の上で寝そべり、その余韻に浸っていた。余韻を破るような一言がロムルに届く。


「私、来月の後継子申請を出そうと思っていますの」

「そうか。2人目を育てるのだな。いいとも、出資をしてやろう」

「いいえ。そうではないのです……」


 エレナは重々しく口をつぐんだ。なにか言いづらいことがあるのだろう。ロムルは体を起こし、何を言われるのか、心の中で身構えた。


「1人目を無かったことにしたいのです。これは夫と共に考えた結論です。栄えあるジェンドール一族から同性愛者が生まれるなどあってはなりません。その過去を無くしてしまいたいのです。あの子を消して、新たに生まれた子をジェンドール家の跡継ぎとして育てていきます。どうか私たちの願いを聞き入れていただけませんか?」


 ロムルが口を開く。それは、あっけらかんとした答えだった。


「なんだ。その程度のこと、思い詰めるまでもなかろう」

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