4.ふたつめの言いつけ「恋が実るのが先か、息絶えるのが先か、それが問題だ」
合宿が開始されて五日がたった。その後シリウスからあの夜のような雰囲気を感じることはなく、日々は平穏に過ぎていっている。
残念ながらプロジェクト自体にはそれほどの進展はなかったが、いっしょに過ごす時間が増えたおかげで、荒療治的にシリウスと話すことにも慣れてきた。まだ若干緊張はするものの、どもることも、自分で自分が何を言っているのかわからなくなることももうほとんどない。今では打ち合わせのときに問題なく互いの意見が交換できる。
「ねぇ、マリィくん」
うむ、自分、成長してる。がんばってる。と最近のがんばりを内心自画自賛していたところ、ベルテに呼びかけられた。
「え、あ、はい、先生。すみません、ぼーっとしていました」
「うん、それはいいんだけどね。それより、今日の謎シチューなんだけど」
今日は二回目の夕食当番で、マリィはまたしてもベルテの希望でシチューを作ったのだった。前回は鶏肉のホワイトシチューだったので、今回は牛肉のドミグラスシチューだ。
「え、何かおかしいですか? まずいですか?」
ぼーっとしていたので味わうことなく機械的に口に運んでいたのだが、まさかよほど変な味付けだっただろうか。調理中はちゃんと集中していたはずなのだが。
「うん、違う。逆だよ、逆。なんかもう、ほっぺた落ちちゃいそうなくらい、一口で多幸感湧くくらい、過去最高においしいんだけど。ねえ、これ、何かドーピングしてない? 怪しげなキノコとか入っちゃってない?」
「してませんよ! 何言ってるんですか!」
とんでもない疑惑に目を丸くする。
確かに魔女の扱う薬の中にはそういうものがないわけでもないが、断じてそんなことはしていない。
「本当に? 煮込み時間二倍にしたとかもない?」
「してません。だいたい、調理に使える時間は限られてるんですから、そんなに煮込み時間増やせませんよ」
食事当番とはいえ、日常業務があるのだ。調理に使った時間は前回と大差ない。ドミグラスソースだって市販品の缶詰を使った。
「マリィ先輩はいつも通りでしたよ」
同じ調理班のロムが援護に回ってくれる。
「えー、じゃあどうしてこんなに威力倍増みたいな味になってるの?」
威力って兵器みたいな言い方をしないでほしい、と思いながらも自分でもシチューを一口口に運び、マリィは思い切り眉間にしわを寄せた。
「………なんだこれ」
「ね。やたらめったらおいしいでしょう?」
ベルテの言葉に、しぶしぶうなずく。
今日のシチューは、これまで食べてきたどんなシチューよりもおいしかった。口に入れた瞬間、香りがふわっと広がり、続いてうまみがガツンと脳髄をしびれさせる。
確かにドーピングを疑うレベルだった。
「本当に心当たりないの、マリィくん」
「………ありません」
思い返してみても、特別なことは何もなかったはずだ。
「んー、なんだろうねぇ、祝福がレベルアップしたのかねぇ」
「レベルアップって」
ゲームか何かのスキルのような言い方をする恩師に、マリィは苦笑した。
「まあ、身体に悪いものでもなさそうだし、おいしいことはいいことだし、ま、いっか」
うんうん、とうなずくと、ベルテはおかわりを注ぐべく席を立った。いかにもおおらかな彼らしい。
「あ、でも何か心当たりがあったり、変化があったりして、それで不安になるようなことがあったら、ちゃんと相談するんだよ」
厨房へ向かう途中で足を止め、振り返った恩師がほほえむ。
「ボクは今でもキミの先生なんだからね」
遠慮しちゃダメだよ、と付け加え、今度こそベルテは鼻歌を歌いながら厨房へ向かっていった。
「ありがとうございました」
食器洗いを手伝ってくれた数人のプロジェクトメンバーに礼を言い、厨房を出ていく彼らを見送ってからマリィは額の汗をぬぐった。
さて、これからの時間をどう過ごすべきだろうか。
今夜はこのあと、深夜に月が南中する時刻に合わせて実験をする予定になっているのだが、仮眠を取るには少し時間が短いし、特別眠くもない。それに、明日の午前中は全体オフの予定なので、睡眠時間はそこで確保できるはずだ。
「うぅん」
ベルテの部屋に積まれていた論文でもあさろうか、と思ったところで、後輩たちがまだ戻ってきていないことに気づく。
前回マリィとシリウスを外の洗い場まで行かせてしまったことを気にやんでいたようで、今回、彼らはこちらが気づくより早く鍋を持って出て行ったらしい。気づくと彼らと鍋の姿がなかったので、厨房で残された皿を洗いつつ待っていたのだが、戻ってくるのが遅すぎる。もしかしたら精霊や妖精たちにからかわれて、洗い物がはかどっていないのかもしれない。魔術師である彼らでは精霊や妖精と交渉するのはむずかしいだろう。
ちょっと様子を見てくるか、と厨房を出る。そのまま食堂を経由して廊下に向かおうと思ったのだが、食堂にはまだ数人のメンバーが残って雑談に興じていた。楽しげな笑い声に気を引かれてそちらへ目を向ければ、シリウスを囲んで女子学生が三人と企業所属魔術師の男性がテーブルを囲んでいる。
おそらくマリィ同様、実験開始時間までの暇を持て余しているのだろうが、ずいぶんと楽しそうだ。話の内容までは少し離れた場所にいるマリィには聞き取れなかったが、なかなかに盛り上がっていた。
シリウスは積極的に話しているわけではないようだが、気の利いた返しをしているらしく、彼が口を開くたびに同席している人たちが笑みをこぼした。
すごいなぁ、と思う。マリィも別に人見知りというわけではないが、あそこまで社交的でもないし、人をひきつけるようなふるまいもできない。
彼特有の、華やかでありながら、人をなごませる雰囲気。
シリウスのまとう空気は、きっと多くの人を魅了する。マリィだけではなくて、たくさんの人が彼の視界に入りたいと望む。現に、彼を囲む人々はきらきらした憧れ焦がれる目でシリウスを見つめている。
自分も、あんなあからさまな目で彼を見つめているのだろうか。それはちょっと恥ずかしい。気づかれていて、それでも何もなかったようにふるまわれているのだとしたら、それはそれでちょっとさびしい。
人に囲まれているシリウスを見れば、彼の特別になりたいという望みが分不相応なものにしか思えなくなるのに、でも望みのすべてを捨て去ることもできない。
自分は、自分で思っていたよりずっと愚かだったらしい。
彼という光にいつか焼きつくされるまで周囲を飛び回るしか能のない蛾みたいだ。
ため息をこぼし、ついつい立ち尽くしてシリウスを眺めていた視線をそらそうとしたのだが、その瞬間彼の藍色の目がこちらを見た。反射的に視線をそらし、足早に廊下へ向かう。
今は、シリウスの視線を正面から受け止めたくなかった。
「あ、マリィさん」
それなのに、彼とは違う声に呼び止められた。
しぶしぶ振り返ると、魔術師の男性が手招きをしている。
「よければマリィさんも、いっしょに時間までお菓子でもつつきません?」
ちょっといいチョコもありますよー、と笑う彼は、アリシアと同じ企業から派遣されてきている魔術師で、確か年齢はシリウスのひとつ上、つまりマリィのみっつ上だったはずだ。黒髪にモスグリーンの目、という暗い色合いが「陰気」ではなく「理知的」な印象になるのは、いつも朗らかで、場を和ませるような冗談を言いつつも周囲をよく見ていることが伝わってくるからだろう。顔立ちはシリウスのような「美青年」タイプとは違うものの、爽やかに整っている。
直接しゃべったことはあまりないが、女子学生たちのおしゃべりにはよく登場する「有望株」だ。
「……チョコレート」
好物にふらりとしそうになったが、女子学生たちのものに混じってこちらに向けられているシリウスの視線に落ち着かない気分になって目を伏せる。
「ありがとうございます。でも後輩の――」
様子を見てこようと思っているので、と断りの言葉を告げようとしたところで、当の後輩たちの声がその場に響いた。
「あ、マリィ先輩」
「先輩、鍋、洗ってきましたよー」
「ちょっといろいろありましたけど」
ロムをはじめとする男子学生三人が、それぞれ寸胴鍋を手に食堂に入ってくる。その姿を見た瞬間、たった今までの落ち着かない気分など意識の彼方に吹っ飛んだ。
「なんでべしょべしょなの!」
三人はどうしてだか全身ずぶ濡れだった。季節は春に変わったとはいえ、まだ夜は冷え込む。そんな格好でいたら風邪を引くではないか。
三人に走り寄りながら手に魔力を集めると、まずはリーダー格のロムの頬を両手で包んだ。
「ま、マリィ先輩?」
どうしてだか動揺したように目を泳がせる彼はマリィより頭半分背が高い。下から睨みつけるように彼の灰色の目を見つめ、魔法を行使する。
「毛皮はふんわり日向の匂い。身体はぽかぽか巣穴のぬくもり。濡れねずみなんて、もういない」
魔女なのにそれほど魔法が得意でないマリィは細心の注意を払う。もちろん、ずぶ濡れの相手の全身を乾かして、あたたかな空気で包むことくらいはできる(はずな)のだが、出力調整に失敗することがままあるため、気は抜けない。
何せ相手はかわいい後輩である。間違って髪の毛をちりちりにしてしまったりしてはかわいそうだ。
ふわり、と魔力が自分に寄り添うのを感じる。いつもはここで望むだけの量を望むように動かすのに手間取るのだが、今日は少し様子が違った。いつになくスムーズに魔力が望む形に動いて魔法が発動する。
「んん?」
首をかしげつつも、ロムにちゃんと魔法が作用したことを確認して、残りふたりも同じように乾かしてやる。こちらも危いところひとつなく魔法が発動する。
今日は、妙に調子が良いようだ。手早く後輩たちを乾かしてあげられてよかった。
内心で胸をなでおろしながら、自分の前に並ぶ三人の後輩を眺める。身体があったまったせいか、頬を赤らめている三人に、呆れた口調で告げた。
「自分たちでもこれくらいできるはずでしょ?」
精霊か妖精に意地悪をされたのだとしても、全身濡れたままで帰ってこなくてもいいだろう。
魔術でだってマリィが今やったことと同じようなことはできるのだから。
もう、と軽く睨んでやると、三人は気まずそうに目をそらした。
「それがー、ですね、魔力をすっからかんになるまで奪われちゃったんですよね……」
肩を落としたロムが、そう白状する。
そう言われて改めて意識を凝らしてみると、確かに目の前の三人の中に魔力の気配がない。魔力の扱いに秀でた精霊や妖精――加えてかなり優秀な一部の魔女や魔法使い――ならば、人間の身体の中の魔力を抜くくらいわけなくできる。
奪われたところで死ぬわけではないし、一晩寝れば元に戻るだろうが、これでは魔法使いや魔女とは違い、体外から魔力を調達できない魔術師は魔術が使えないはずだ。
はあ、とため息をこぼす。これをやったのが精霊だか妖精だかはわからないが、きっと軽い気持ちでいたずらしたのだろう。
「……災難だったね」
ぽんぽんぽん、と三人の頭を順番に叩いてから、笑ってみせる。今回のこれは、彼らの落ち度ではないのだから、叱ったのは筋違いだった。
「お鍋洗ってくれてありがとう。お疲れ様。片付けたら、今晩は魔術が使えないこと、いちおう先生に報告にしに行っておいで」
礼を述べ、いちおう先輩として助言しておく。
今夜の実験で彼らが魔術を使用する予定はなかったはずだが、それでも何があるかわからない。何かあった際に彼らに指示を出すベルテが状況を把握できていないと不都合が起きかねない。
「はいっ」
元気よく返事をすると、頬を紅潮させたまま彼らは寸胴鍋を片付けるべく厨房へ駆けていった。
それにしても、どうして彼らはあんないたずらをされたのか。よほど目に余ることをしないかぎり、精霊や妖精は自分達のことを見ない相手に興味を抱いたりしない。無視するはずなのに。
うーん、と首をひねっていたマリィは、いつの間にかシリウスがそばに来ていたことに気づけなかった。
「マリィさん」
声をかけられ、軽く飛び上がるくらいに驚く。振り返ると、申し訳なさそうに笑っているシリウスがいた。
「またびっくりさせてしまいましたね」
「いえ」
驚きがおさまってくると、先ほどまで感じていた気後れがぶり返してくる。
「あの、どうか、しましたか?」
彼と談笑していたメンバーは先ほどと同じ場所からこちらの騒動を見ていた。どうしてシリウスだけ近寄ってきたのか。
「改めて、お茶をごいっしょしませんか?」
途中になったマリィの断りの言葉を正確に読み取っていたらしい。
「えと、あの……」
後輩たちのことはもう口実に使えない。嘘は絶望的に下手くそだ。かといって、「あなたといるのが気まずいので無理です」なんて真実も伝えられない。
ど、どうしよう、と冷や汗をだらだら流していると、彼は首をかしげた。
「気が進まないようでしたら――」
解放してもらえるのかな、と思ったが、甘かった。
「お茶ではなく、夜の散歩でもどうでしょう?」
なんで! そうなる!
もちろん好きな人から誘ってもらったのだ。うれしくないわけがない。うれしくないわけがないのだが、純粋に喜べるかと言えば話はそう簡単ではない。
緊張する。気まずい。さすがにふたりきりはハードル高すぎる。
「でも、シリウスさんは――」
ちらり、とお菓子を囲みつつこちらを窺っている面々に視線をやり、暗に「あちらが先約でしょう」と訴えたのだが。
「ああ。通りがかりに声をかけてもらって混ぜていただいていただけで、そろそろお暇しようと思っていたので問題ないかと」
シリウスが抜けると言えばあちらは絶対残念そうな顔をすると思うのだが。
とにかくシリウスに、簡単に引く気がないのはわかった。
何でだ。
「えと、ええと」
断る口実がないものか、と考えをめぐらせていたマリィだったが、ふと脳裏に神妙な女性の語り口が甦る。
『ふたつ。彼に散歩に誘われたら、断らないこと』
これかーーーーーー!
地面に崩れ落ちて、両手で大地を叩きつけたかった。もちろんそんなことをしたら挙動不審もいいところなのでぐっと我慢する。
だめかな。断ったらだめかな。シリウスはやさしいから、何だかんだマリィが嫌がれば最終的には引いてくれる気がするのだがだめかな。
『返事は?』
脳内の占い師が低い声で決断を迫る。
おー、さー、いえっさー。
がくりと肩から力を抜いて、マリィは白旗を揚げた。
「散歩、でしたら、お付き合いします」
シリウスの表情がぱっと明るくなる。
ちょっとだけ待っててください、と言い置いて、彼は先ほどまでいっしょにいたメンバーのもとへ戻っていって抜ける旨を伝えている。女子学生たちがあからさまに残念そうな表情を浮かべていて、なんだか罪悪感を覚えてしまう。
ごめんよ、後輩たち。私も、なんとか回避しようとはしたんだが力及ばず。許して。
それにしても、なんでシリウスはこんなに自分といっしょに過ごそうとするのだろう。何か研究の件で相談したいことでもあるのだろうか。
「お待たせしました」
首をかしげていたマリィのところへ来たシリウスは輝く笑みを向けてくる。
「じゃあ、行きましょう!」
なんだか細かなことはどうでもよくなるような笑顔だった。
それほど遠くへ行くわけにもいかないので、散歩先には学院の庭園を選んだ。昼間は光と緑に満ち、ベンチでランチをしたり読書をしたりする学生であふれている場所だが、夜ともなると鬱蒼としてなかなか何か出そうな雰囲気へと一変する。
まあ、マリィは幽霊を恐れるようなかわいらしい性格はしていないのだが。
「暗いので、足元気をつけてくださいね」
いちおう数ヶ所に灯りはあるのだが、庭園の隅々まで照らし出すには心もとない。
気を使ってそう声をかけてくれたシリウスが、振り返って目を瞬かせた。
「あの、マリィさんの周りがちかちかして見えるんですけど。もしかして精霊や妖精が集まってきています、か?」
「あ、はい。妖精です」
彼の言葉を肯定して、マリィは自分の周りを飛び回るちいさな妖精たちに手を差し伸べた。彼女ですら言葉を聞き取るには耳をすませなくてはならないほどちいさな彼らは、喜々として腕の上に止まる。
昼夜を問わず活動する精霊とは違い、妖精は夜のほうが活発になる。昼間は木々の葉の陰に隠れていた彼らも、夜には気の向くままに飛び回る。
精霊同様、その姿は魔女や魔法使い以外に捉えることは出来ないが、魔力に馴染んだ者――魔術師や錬金術師――にならば彼らが飛ぶたびに舞い散る魔力の残滓が光になって見えるらしい。
「いちおう魔女ですし、私、見た目だけは彼ら好みですから。夜に外を歩くとよく集まってきますよ」
精霊や妖精は金や銀の髪、緑や青の目といった鮮やかな色彩を好む。
マリィの金色の髪とエメラルドみたいな緑の目は彼らの好みのど真ん中だ。
それにしても今日はなにやらいつもより集まってきている数が多い気がする――と考えたところで、もうそろそろ満月なのかと気づく。
暦が春に移って最初の満月は、妖精たちにとって祝いの日だ。彼らにとってすべてが始まる日であり、冬の間自分の領地に閉じこもっていた妖精王たちが人間界に遊びに来るようになる日であり、浮かれ騒いで羽目を外す日でもある。人間と妖精の間でトラブルが起きやすい日でもあるので、魔女や魔法使いは毎年気の抜けない一夜を過ごすのだが。
冬の間じっとしていたちいさなものも、満月が近づいて浮き足立っているのだろう。
腕の上に腰掛けた彼らの透ける羽――蝶やトンボに似たものが多いが、いろいろな形がある――をちょいちょいとつついていたマリィに、シリウスが大真面目な表情でうなずいた。
「そうですね。マリィさんの髪も目も、とってもきれいですから。先生に紹介してもらったとき、妖精みたいだって思いました」
さらりとほめられて、マリィは固まる。身体は硬直したものの、頭はすごい勢いで空回りする。
「え、えと、ええと?」
いきなりそんなことを言われては、これが現実なのか都合のいい空想なのか混乱するではないか。
だが、マリィの困惑に気づくことなく、シリウスはさらに言葉を重ねる。
「もちろん、顔立ちも、ですけど」
いや待って、さらにほめられても何も出ない。
マリィが無言で立ち尽くしている間にも、彼の口はとどまることなく動いてマリィを混乱させる言葉を紡いでいく。
「でも、きっとそれだけじゃない気がします」
にこり、とマリィの好きなやわらかい笑みを浮かべ、シリウスはマリィの顔をのぞき込んできた。
「マリィさんのやわらかな日差しみたいな雰囲気が、精霊や妖精、それに人間も惹きつけるんだと思うんです」
ふわっふわぬくぬくの雰囲気で、老若男女を骨抜きにしているのは貴方の方だ!
マリィは内心で、全力で叫んだ。
というか、シリウスの目に映っているマリィは本当にマリィなのだろうか。疑念すら浮かんでくるが、彼の藍色の目はまっすぐにこちらを見つめてきている。
「人外のものに好かれすぎると連れて行かれてしまう、と言いますし。気をつけてくださいね」
無用な心配まではじめた彼に、マリィの口はぎこちなく、ではあるもののやっと動き出す。
「祖母とは違って、私、そんなこと言われたことありませんよ」
祖母・サラはしょっちゅう妖精や精霊の王から自分たちのもとへ来ないかと誘われていたらしいが、マリィはいまだに一度もそんな経験はない。母も父と結婚するまではちょくちょくお誘いを受けていた、と親戚からは聞いているのだが。
妖精も精霊もやさしいが、「自分だけのものにしたい」と彼らが思うほどの魅力はマリィにはないらしい。
だから、シリウスも、母も、そんなことを心配しなくてもいいのに。
笑い飛ばしてみせたのに、シリウスは納得がいっていないみたいに軽く眉をひそめた。
「マリィさんは自分の魅力に無自覚で無防備ですから、少し、心配で」
藍色の目に憂いの色が浮かぶと、とたんに悩ましくなる。
「マリィさん」
あの声だ、と思った。
いつも以上にやわらかで、ふんわりと、とても丁寧にマリィの名を呼ぶ声。
「あなたは、自分がどれだけ周囲を魅了しているのか、知らないでしょう」
何のことですか、と言い返したかったのに、唇ははくはくとするばかりで言葉を紡げない。
空気がジャムみたいに煮詰まってしまったみたいな錯覚を起こす。とろりと重く、しっとり甘い。
心臓が激しく脈打つ。
どきどきしたり挙動不審になったりしてしまうのは、好きな人がそばにいるという状況に慣れていないから。
占い師はそう言った。
でも! 思う! こんなの! 慣れるとか! 無理だから!
恋が実るのが先か、息絶えるのが先か、それが問題だ。が、自信を持って言える。息絶えるのが先だ! だって見つめられただけでこんな状況に陥っている自分が彼に告白とか、奇跡かな??
頭の片隅ではこれ以上ないくらいの大騒ぎを繰り広げているのに、マリィの唇からはやっぱりなんの言葉も出てこない。
だって、よくわからないけど、シリウスの目が、声が、雰囲気が、あまりにも熱を帯びているように感じられて、その熱が伝わってくるような気がして、くらくらふわふわするのだ。
切なげに目を細めたシリウスが、そっと手を伸ばし、指先でマリィの震える唇に触れた。
「僕だって――」
その言葉を、マリィも息を呑んで待ち受けたのだが――。
ざああああああああああっ。
唐突に空から大量の落ち葉がシリウスに降りそそいだ。
「なっ」
葉に腰まで埋まったシリウスも、マリィも、あまりのことに絶句した。しかし、くすくすと耳を打った笑い声にマリィはすぐさま原因に思い至って、上空をきっとにらみつけた。
「なんでこんな意地悪するの?」
眦をつり上げてみせると、そこにいたちいさな妖精たちはむーっとむくれた。
『そいつ、きらーい』
『きらーい』
「シリウスさんはあなたたちに何もしていないでしょ?」
悪いことをしていない相手にどうして、と言いつのったマリィに、彼らはつんと唇を尖らせた。
『まだ、してないだけだもん』
『ぜったい、これから、するもん』
それだけ言うと、彼らはひらひらと飛んでいってしまう。
「もう、なんなの?」
シリウスは妖精たちの姿が見えないけれど、わざわざ彼らが嫌がるようなことをする人ではない。
いつになく理解不能な妖精たちの振る舞いに首をかしげつつ、木の葉の山に埋もれているシリウスに向き直った。
困り顔のままこちらを見つめている彼に笑いかける。
「妖精たち、なんだかご機嫌斜めだったみたいです」
葉っぱどけちゃいますね、と声をかけ、風を呼ぶ。
先ほどは妙に調子がよかったし、別にそこまで細かな調整を必要とする魔法でもない。普段のマリィでも呪文なしで成功するような魔法だったのだが――。
「え」
思った以上の魔力が一気に押し寄せてきて動転する。
「ちょっと、なんで」
木の葉を吹き飛ばすだけの風を呼ぶはずだったのに、それは思いもしないほどの強風となってマリィとシリウスに吹き付けた。
目的通り木の葉は飛んで行ったが、同時にマリィもよろめく。ふらり、と身体がかしいだところを、力強い腕がそっと抱き寄せて支えてくれた。
「………」
風が吹き止んだところで、おそるおそるいつの間にか閉じてしまっていた目を開く。
案の定目の前にあったシリウスの顔のアップに息の根の止まる思いをした。
さすがシリウスさん倒れそうになったマリィを紳士的に助けてくれたらしい。いやしかし、あのまま倒れていたほうが精神の平穏は保たれた気がしなくもない。
「平気ですか?」
そんなマリィの内心を知らぬ彼は、にっこり笑うと腰を支えているのとは反対の手を伸ばしてきてマリィの髪をすく。
「んぁっ」
なんだなんだなにごとだ、とあわてふためくマリィに、シリウスは「葉っぱがついてましたよ」と手にした木の葉を差し出した。
ああこれもあれか。妹によくやってました的なあれか。いやいやいや無理無理無理きゅんきゅんぎゅんぎゅんしすぎて無理ぃ!
「……ありがとうございます」
内心の叫びを表に出すわけにもいかず、マリィはそれだけ言うと、ぎこちなくシリウスから身を引いた。
シリウスはきょとん、と目を丸くしてから、自分たちが密着していたことに気づいてさっと頬を赤らめた。
「つい、とっさに。すみません」
「いえっ、あの、私こそ魔法失敗しちゃってすみません」
お互いに目をそらして言葉を交わす。その後に漂った沈黙に耐えきれず、マリィはわざとらしく笑って見せた。
「そ、そろそろ戻りましょうか?」
正直それほど歩いていないが、なんだか気恥ずかしくてこれ以上シリウスといっしょにいられる気がしない。
「……そうですね」
シリウスの同意を得たマリィはそのまま元来た道を進もうとしたのだが、かくん、と腕を引かれて振り返る。自分の手首をシリウスの長い指がとらえていた。そのままするり、と互いの手を重ねられ、ぎゅっと握りしめられる。
「へあっ」
つい奇声を発したマリィに向かって、シリウスは照れ臭そうに笑った。
「その、やっぱり足元、暗くて危ないですから」
行きましょう、と当然のように手をつないだまま歩き出した彼に、マリィは何も言い返せなかった。
うん。もしかしたらこの状況がおかしいと思う自分のほうがおかしいのかもしれない。
触れた指先がむずむずして、落ち着きなく動かしたくなるけれど、そんなことしたら変に思われてしまうかもしれない。ああ、でも、緊張のあまり手汗をかいてしまいそうだし、もう少しふんわりした感じにつなぎ直せないものか。それにしても、シリウスさんの手、厚みはそれほどでもないけれど、やっぱり大きいな……――ただ手をつないでいるだけのはずなのに、猛烈な勢いで流れ込んでくる雑多な情報の波に溺れないようにするだけで、マリィはあっぷあっぷだ。
やたら温かく感じる互いの手をつないだまま、無言でふたりは建物の中まで戻ってきた。
ふたりの手は、自然に手をほどける。
ちょっぴりさびしい気分になって、マリィはじっと自分の手を見つめた。
「あの、マリィさん」
「ふぁい!」
そこに話しかけられて、返事が裏返る。見上げたシリウスの顔は真剣で、ほんのり目じりのあたりが赤く染まっているようだった。
「また、いっしょに散歩に行ってくれますか?」
「……はい」
気づいたら、そう答えていた。
脳内に鬼教官風占い師がちらついたわけでもないし、実際よくよく考えたわけでもない。ほぼ反射のようにそう答えていただけだ。
それでも、「楽しみしてます」と笑ったシリウスがあまりに幸せそうで、たとえ息の根が止まるような緊張感にさいなまれたとしても正しい返事をしたんだと思えた。
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