_50_アンセシス_


 長い道のりの果てに、アゼルはようやくそこへと辿り着いた。


「……ここに来れば、何か分かると思っていたんです」


 こちらを振り向きもせず、ぼんやりと虚空を見つめるセフィに向かって、アゼルは無言でゆっくりと歩み寄る。


「けれど、ここには私の求める答えなんて、無かったみたい。あるいは、この輝きの向こうにそれはあるのかもしれないけれど、私はそれに触れる事ができない。私は”シェムハザの娘”なのに、私にはシェムハザを理解することができない……」


「……別に、良いんじゃないか? それならそれで」


 アゼルの言葉に、セフィはようやくゆっくりと振り返った。


「俺は、親の顔も名前も知らない。自分が何処から来たかなんて知らないし、何のために生まれたかなんて事も知らない。でも、俺は俺だ。俺が何者かなんて、俺自身で決める。誰かにその答えを委ねようなんて思わない。……セフィも、それじゃ駄目なのか?」


 セフィは俯き、アゼルから再び視線を外した。


「私は、あなたみたいに強くはなれない。それに、私の血は、私の存在そのものが、この世界を歪に変容させてしまう。私は、この星の外から来た存在によって、不自然に造られた存在です。本来、この星に在ってはならない存在。それを否定してくれる何かが欲しくて、ここに来たのに、私は……、駄目だったんです」


 尚も顔を背けながらポロポロと涙を流し始めるセフィに、アゼルはしっかりとした足取りで一歩一歩静かに歩み寄り続ける。


「そんなのは、誰だってそうだろう。皆、互いに影響しあって生きてるんだ。確かに俺はお前と出会って、その血によって大きく変化した。でも、ガントやリュゼとの出会いだって、それなりに俺を変えた。ミンスキンや、西方の連中からだって。逆だってそうだろう。俺だって、多少は皆に影響を、変化のきっかけを与えてきたはずだ。セフィ、お前にだって」


「それとこれとじゃ、話が違います」


「いいや、同じだ。ヒトも世界も、生きてる限り、その関わりの中で変化し続けるのが自然なんだ。変化が止まるって言うのは、死ぬことと同じだ。……お前と出会う前の俺は、そういう状態だった。過去からも未来からも目を背けて、誰とも深く関わろうとせず、何も考えずに、ただ無駄に時を過ごしていた。お前との出会いが、俺をそこから救い出してくれた。お前が、俺を変えてくれた」


「……そうした変化が、良いものばかりとは限らない」


 アゼルがすぐ目の前まで来ても、セフィの頑なな態度は変わらない。

 アゼルは、ただ穏やかな声で、言葉を続けた。


「だったら、お前やシェムハザが居なくなれば、それでもう世界が悪く変化していくことは無いっていうのか? 俺はそうは思わない。俺達が本当にすべきなのは、現実から目を背けずに、自分勝手な誤解や偏見やワガママを捨てて、まっさらな目で自分自身とも他人ともちゃんと前向きに向き合って、そうやってこれから先の未来をちょっとずつでも良くしていくことなんだと思う。違うか?」


「……そんな事が、本当にできるのでしょうか?」


 視線を伏せたまま小さく呟くセフィに、アゼルははっきりとした声で、答える。


「できるさ。しなくちゃいけないんだ。何度だって言うけど、俺がそういう風に思えるのは、お前が俺を変えてくれたからなんだ。それが歪なものだろうが何だろうが、俺はそれで良かったと思ってる。だから、お前も自分の全てを否定せずに、俺の言葉を信じてくれ。大丈夫、この世界はお前やシェムハザの存在も受け止められないほどに小さくも、脆くもないはずだ」


 そのアゼルの言葉に、セフィはまだ決心が付かないという風で、言葉を零した。


「本当に、私も……変われるのかな?」


「変われるさ。今すぐじゃなくても、ゆっくりとでも、変えていこう。全部、俺たち皆で、一緒に」


 そう言って差し出したアゼルの手を、セフィはしばらく迷ってから、決意したように触れ、ぎこちない笑顔とともに、固く握った。





『……実に興味深いものを見せてもらった。さあ、もう行きなさい、子供たち。未来が君達を待っている』


 頭の中でそんな声が響いた気がした瞬間、アゼルとセフィは眩い光に包まれた。

 その光が引いていった後、互いの手を握り合ったままの二人の目の前には、巨大な大十二面体の姿があった。


「戻って来た……?」


 アゼルがそう言葉にするのと同時に、背後から別の声が響き渡った。


「……バカ!」


 顔中を涙でグシャグシャにしたクリューが、勢いよく二人に飛びかかってきた。

 アゼルとセフィが慌ててそれを抱き止めると、クリューは力いっぱいに二人の体を抱きしめて声の限りに叫んだ。


「どんだけ待たせんのよ! いい加減にしてよ、まったく!」


「ごめんね、クリュー。心配させちゃったね」


「うるさい! あんたに言ってやりたい事、沢山あんだからね! 分かってんの!?」


「うん、分かってる」


「分かってない!」


 そんな二人のやり取りから視線を外し、アゼルはシェムハザの方を振り返った。


 それは今も絶えずキラキラと眩い光を乱反射させているが、心なしかその輝きも以前よりも穏やかで優し気なものに変化している気がする。


 アゼルはその輝きに向かって疲れたように微笑むと、セフィとクリューの方へと振り返った。


「さあ、帰ろう。皆が待ってる」





 アゼル達が井戸の上へと戻っていくのを見送ってから、アレクサはゴシェナイトへと静かに尋ねた。


「……あなたは、戻らないのですか?」


「私はここに残るわ。まだ拓かれたばかりのネクサスは不安定で、誰かが管理・調整を続ける必要がある。それに、私はもっとシェムハザを深く知りたい。この広大で深遠な知識の宝庫を探検して回りたい。前みたいに深みに嵌りこんで自分を見失わないように、焦らずにちょっとずつでも。時間なら、幾らでもあるのだから。……アレキサンドライト、あなたは? あなたの方こそ、戻らないの? あなたには、待っている人たちがいるのでしょう?」


「私は……、いえ、そうですね。私は、今は、彼女たちのもとへ戻ります」


「そうするといいわ。でも忘れないでね、アレキサンドライト。ネクサスを通して、私たちはどれだけ離れていても繋がることができる。他者を強制的に縛り付けるための鎖ではなく、他者をより強く深く想えるための絆。この星の知性がこの力を本当に有効活用できる未来が来るのはまだまだ先の事でしょう。けれど、その時はいつか必ず訪れる。私は、そう信じている」


「ええ、私もです。まずは未来を信じてみなければ、何も前には進まない」


 ゴシェナイトとアレクサは、見つめ合い、しっかりと頷きあった。


「それではまた、ゴシェナイト」


「またね、アレキサンドライト」





 シェムハザ内部の概念空間から物理世界へ戻り、光の井戸から上がったアレクサを、ぼんやりと幽霊のように佇むアメトリンが迎えた。

 

「……今しがた、アゼル達が去っていきました。中で、何があったのですか?」


「別に、何も。それぞれの間で、少しの会話が行われただけです。問題を解決するために本来必要だった事を、今更になって行ってきただけの事です」


 アレクサはアメトリンの肩を優しく掴み、その体を自分と一緒に前へと歩かせた。


「さあ、行きましょうアメトリン。これで何もかもが終わったわけではない。私たちには、まだやるべきことは沢山ある」


 施設を出たアレクサが上を見上げると、蓋部構造の隙間越しに、明るく力強い陽の光が注ぎ込んでいるのが目に映った。

 アレクサはアメトリンを連れ、その光を目指し、真っ直ぐに地上を目指し、駆け上がっていった。





「……アレクサちゃん!」


 地上へ出たアレクサは、すぐにシシとヨーラを見つけ、再会した。

 二人の無事な姿を確認し、アレクサの心には温かいものがこみ上げてきた。

 それは、二人の方も同じようだった。


「あの変な侵入者は? ちゃんとブチのめしてやったか?」


 シシがそんな物騒な事を聞いてきて、アレクサは思わず苦笑を浮かべた。


「いいえ。ゴシェナイトはただ、偏った知識から来る思い込みに縛られていただけなのです。それももう、解決しました。時には暴力でしか解決できない問題もあるのかもしれませんが、何もかもがそれで済む話でもありません。シシ、あなたにも、それを知ってほしい」


「え? あ、ああ」


 いまいち釈然としない様子で取り繕うように頷くシシに対し、ヨーラが茶化すように言葉を掛ける。


「そうだよシシちゃん。ケンカは良くないんだよ。……もう、ケンカしないでいいんだよね?」


 そう尋ねるヨーラに、アレクサは決意を込めた声で答えた。


「そうです。そうでなければいけない。私たちは、世界をそういう風に変えていく必要がある」





 アレクサがそう言葉にした瞬間、地面が激しく揺れ、地の底から、何かが天を衝くように勢いよく伸び始めた。

 その塔のようなものはしばらくして上昇を止め、やがて枝葉を伸ばし、花をつけるように、横に拡がり始めた。


 キラキラとした光を放ち続ける、宝石の大樹。


 おそらくはゴシェナイトがシェムハザとの”対話”を進め、両者の間で、その構造をよりこの星の環境に適したものへと改変することが行われたのだろう。


 以前のものよりも柔らかなフォティアが、これ以上この星の命を傷つけることなく、拡がっていく。


 最早ゲヘナから見上げる空の色も、以前のようなくすんだ薄灰青色などではなかった。


 どこまでも澄み渡る美しく輝く青空の中、眩く輝く大樹の姿を、アレクサは柔らかな笑みを浮かべ、見つめ続けた。

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