_49_クロス・ザ・ボーダー_


 突然シェムハザから光が迸り、次の瞬間にはアゼルの姿は忽然と消えていた。


 後に残されたクリューは訳も分からず辺りを見渡すが、何処にもアゼルの姿は見えない。

 そのまま視線をシェムハザへと戻し、その無機質な形状をじっと見つめる。


「……皆、この輝きの向こうに行ってしまった? ……私は、どうすればそっちに行けるの? それとも、私には出来ない事なの?」


 クリューはどうしようもない思いを爆発させ、目の前の何も言わない物体の縁を、力いっぱいに掴んだ。


 余りにも高濃度のフォティアに浸かり過ぎたせいで、段々と強い吐き気と頭痛が襲い始める。

 純正のシェムハザ系ではない、アンソスのヒトベース翻案体としての限界。


「私が所詮は紛い物のアンソスだから? だからあなたは私を拒絶するの? 答えなさいよ、シェムハザ!」


 悔しさに固めた拳をシェムハザへとぶつけようとしたその時、上方から何かが降りてくるのに気づき、クリューは慌ててそれを警戒した。


「……あんた、アレキサンドライト?」


 血の底へと降り立ったアレクサは、そのままヨロヨロとした足取りで、真っ直ぐにクリューとシェムハザのもとへと歩き出した。


「落ち着いてください、クリフォト・アンソス。シェムハザの情報処理系は、ヒトのそれよりも、機械のそれに近い。それだけの事です。シェムハザは悪意や敵意をもってあなたを拒絶しているわけではない。セフィロトよりも更にヒトに近いあなたの存在を上手く認識できず、直接的な変換・再構築が難しいのでしょう。どうか、シェムハザを憎まないで」


「……それなら、アゼルはどうなのよ? あいつは? あいつは、人間じゃないって言うの?」


「分かりません。あるいは、そうなのかもしれない。彼は、ヒトも、ゴーレムも、アンソスも、その全てを超えた存在となったのかもしれない」


「……バカバカしい」


 そう言って顔を背けるクリューの脇を通り、アレクサはゴシェナイトの前に立つと、そこにそっと手を触れた。


「あなた方姉妹は、ヒトとシェムハザが互いを理解しようとする過程で生まれた存在。平和の架け橋となってくれるに違いない存在です。あなたは、決して無力な存在なんかじゃない。どうか、自分の力を信じて」


「信じろって言われたって……。この光の向こうにも行けないのに、何ができるって言うのよ、私なんかに」


「今はただ、この向こうに居るアゼルとセフィロトの二人を想い、祈ってください。シェムハザに、ヒトの善き想いを観測させてください。それはきっと、何よりも大きな意味を持つはずです」


 その言葉を残し、アレクサの姿も眩い輝きの中に消え、クリューは再び独りその場に残された。


 それから少しの間迷ってから、クリューは大きく息をつき、アレクサに言われたように二人の無事の帰還を祈って、祈り始めた。


「……早く戻って来なさいよ。そんな訳の分かんないとこに籠ってないで。皆どれだけ心配してると思ってんのよ」





 時間の変化を感じられない空間で一人、祈り続けたクリューの頭の中に、ふいにアゼルの声が響いてきた。


「……アゼル!?」


 慌てて大声で返事をするものの、それっきりもう声が聞こえてくることは無かった。

 クリューは不安を押し殺し小さく息をつき、ただ信じて待ち続けた。





「クリュー、お前か? おい! ……駄目だ、離れちまった」


 アゼルはそう残念そうに呟き、肩を落とした。

 その様子を、すっかり落ち着きを取り戻したゴシェナイトは黙って見ていたが、やがて何かに思い至ったように声を上げた。


「クリフォト……。一つ、手があるかもしれない」


「……あ?」


 突然の発言に、苛立った様子で乱暴に聞き返すアゼルに対して、ゴシェナイトは澄んだ声で言葉を続けた。


「当然のことだけど、セフィロトとクリフォトの遺伝子コードは酷似したもののはず。だから、クリフォトのそれを基にシェムハザの情報管理インデックスなり、それに類するものに照会を掛ければ、もしかしたら」


「何言ってんのか分かんねえけど、お前ならセフィの居場所を探せる、ってことか?」


「いいえ、今の私には無理。その為には、少し準備がいるわ。私は改めてシェムハザとより深く直接接続し、ネクサスを拓く必要がある」


「分かるように言ってくれ」


 ゴシェナイトはアゼルのその言葉には答えず、代わりに、傍らのアレクサの顔をじっと見つめた。

 アレクサも黙って同じように、それを見つめ返す。


「……私は、今も自分の考えが間違っているとは思わない。けれど、もしかしたらそれはより客観的な視点、つまりは他者からの検証が必要なのかもしれない、とは思い始めている。……あるいは、私は間違っていたの? アレキサンドライト……」


「そういう風に自分自身を見つめられるようになったのなら、あなたはもう大丈夫。私は、そう信じます」


「……おい、聞いてんのかよ、人の話」


 ゴシェナイトとアレクサの会話に痺れを切らしたように割り込んだアゼルに、ゴシェナイトは改めて言葉を返して言った。


「つまり、私はさっきまでそのネクサスを使って、人類を皆全て私の思想で染め上げ、強制的にその存在を歪に改変しようとしていた。そのために私はシェムハザと接触したものの失敗し、一度は発狂をきたした。私が今提案しているのは、行動としてはそれとまったく同じ事。ただ、その利用目的が違うだけで。……もしかしたら、私はあなたを裏切るかもしれない。口では手助けすると言っているだけで、結局は自分本来の野望を果たそうとするのかもしれない。……あなたは、それでも私を信じられる?」


「そういう人を試すような言い回しって、すっげえ大嫌いだけどさ、答えてやるよ。俺はお前を信じる。そうするしかなさそうだ、ってのもあるけど、今のお前の目、嘘つきの目じゃないからな。自慢じゃないけど、これまでクソみたいな連中とばっか出会ってきて鍛えられてるからな。そういうのだけは、上手く見分けられるんだ」


 アゼルは何でもないような口調でそう答えると、今度は逆に自分の方からゴシェナイトへと質問を返した。


「で、お前自身はどうなんだよ?」


「私自身?」


「そう。別に裏切ったりはないとしても、またトチ狂っちまう可能性はあるんだろ? お前がそんなのやりたくないって言うなら、俺は無理には頼まない。どうにか他のやり方でセフィを探す。だから、聞かせてくれ。お前自身は、それでいいのか?」


 その言葉にゴシェナイトはしばらく黙り、自身の内に答えを探し求めた。


 やがてしばらくして、その答えは自然と口をついて出ていた。


「私も、私を信じてみたい」





 ゴシェナイトは静かに目を瞑り、意識を集中してシェムハザの中枢へと慎重に接触を試みた。


 その境界を覗き込むと、そのすぐ向こうからもこちらを覗き込んでいる顔が視界に入った。


 自我を歪に肥大化させた醜い獣。他者を受け入れようとせず、ひたすらに飲み込もうとする我欲の塊。


「……あなたは、私じゃない。今の私は、あなたとは違う。私は、変わった」


 はっきりとそう宣言し、ゴシェナイトは古いバージョンの自分の鏡像を掻き消しながら、ゆっくりと境界を越えていった。


 襲い来る情報の暴流を掻き分け、必死に奥へと進んでいく。


「やめて、シェムハザ。今の私にはまだ、あなたの全てを一遍に理解する事は難しい。私に全てを押し付けようとしないで。私の声を聞いて、私の望むものだけを教えて」


 その”対話”が成立したのか、情報の流れは段々と緩やかなものとなり、ついにゴシェナイトの精神は、シェムハザの中枢へと至った。





 ふいに、ぼんやりとした靄のような光に包まれていた虚空の景色が澄み渡り、アゼルはこれまでになく鋭敏な感覚がどこまでも拡がっていくのを感じていた。


 今もシェムハザの物理的構造体の前で祈り続けるクリュー。その上方で佇むアメトリン。遺跡の外で傷を癒すディットとリュゼ、地上に居るリフィーシュ、ラケン、レシア、ガリウス、シシ、ヨーラ、名も知らないペクスの隊員達……。


 皆の存在を、想いを、アゼルは直接的に感じ取っていた。


 感覚は更に勢いを増し、地上を覆っていく。

 空と大地と海と、自然の全ての在り様も、今ではそのままの形で感じられる。


「……アストラル・ネクサスは、拓かれた」


 目を開けてそう呟いたゴシェナイトは、疲れたような様子で、目の前を指さした。

 アゼルがその先を視線で追うと、そこにはいつの間にか、一本の道ができていた。


「見つけたわよ。この道が、あなたをセフィロトのもとへと連れて行ってくれるはず。……私にできるのはここまで。後はあなた次第。精々上手くやりなさい」


「……ああ、分かってる。じゃあ、行ってくる。ありがとうな」


 そう言ってアゼルはゴシェナイトに礼を言ってから振り返り、一本道をセフィのもとへと駆け出した。





「……ねえ、聞いた? アレキサンドライト。”ありがとう”、ですって。もちろん、世の中にそういう言葉がある事は知っていたけれど、自分自身に向かって言われて初めて、その言葉の本当の意味を知った気分。なんだか不思議ね」


 自嘲混じりの笑みを浮かべながらも、清々しい表情をするゴシェナイトを、アレクサは穏やかに見つめる。


「だから言ったでしょう? あなたはまだ、学ぶべきことが沢山ある、と」


「どうやらそのようね。何もかもが取り返しのつかない事態になる前に気付けて、良かったと思う。あなたのお陰よ、アレキサンドライト。ありがとう」


 ゴシェナイトはいい加減、素直にその価値観の変容を認め、自分の感情を自由に解き放つことにした。

 

 自然と表情と心が柔らかくほころんでいくのを感じながら、ゴシェナイトはアゼルの去っていった道の先を、ただ見つめ続けた。

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