_47_アライバル_


「フォティア・フラッド……‼」


 突然起きた現象に全身の力を奪われながらも、ゴシェナイトはどうにか立ったままの姿勢を維持し、敵の出方を警戒した。


 その視線の向こうで、たった今、致命的な一撃を加えたはずの騎士が堂々と立ち上がり、背後からはアゼルが猛烈な勢いで接近するのが感じられる。


 そのどちらともが、全く力の衰えを感じないどころか、逆に以前にも増して力強く感じられるほどだ。


「何故こいつらは、フラッドの影響を受けていないの?」


 後方からのアゼルの鋭い杖の突きを捌き、同時に前方から仕掛けてきた騎士の剣の連撃もかわしていく。


 しかし、感覚はそれらの攻撃を完全に捉えられているものの、体の方がフラッドの影響で鉛のように重たく、言う事を聞かない。

 段々と一撃、また一撃と掠るようになり、次第にそれがまともに直撃を食らうようになっていく。


 ゴシェナイトは尚も必死に敵の攻撃を捌きながらも、既に反撃を差し込む余裕すらなく、理解不能な事態にパニック寸前となっていた。


「何なのよ、あなたたち! 何があなたたちを動かしている!?」





 ディットは、溢れ出る力を感じていた。

 自分を取り巻き、癒し、高め、強くする、柔らかく暖かで、何よりも確かな力。


 これは、単なるフォティア・フラッドなどではない。

 この力は、忌まわしい血の呪縛などではない。


「これは、クリューがくれた、祝福そのものの力だ!」


 今の状態は、まるで限界というものを感じられなかった。


 同じくクリューの血を受けたアゼルも同じ力に満たされ、二人は互いの意思を重ね、更に増していく力を振るい、連携して敵を追いつめていく。





 その余りの事態に、ゴシェナイトは初めての恐怖を抱き始めていた。


 自分自身という存在そのものを喪失するかもしれないという絶対的な恐怖。

 死への恐れ。


「私は、お前たちのような獣に穢されたりはしない‼」


 必死に声を張り上げ、自分を鼓舞するものの、それで何がどうなるわけでもない。


 クリフォトはよりヒトに近い形で改変されたアンソスだ。

 その性質がシェムハザのフォティアと反応し、より強化され変異し、クリフォトの血を受けたヒト二人の能力を底上げする一方、その直接の眷属ではない機械の自分の力を削ぎ落しているのだろう。


 それを理解できても、焦りが思考を掻き乱し、対抗手段がまとまらない。

 慌ててフォティアに対する干渉を試みたところで、それは焼け石に水と呼ぶほどのものにすらならない。


 それでもゴシェナイトは諦めることなく、自分を奮い立たせ、二匹の獰猛な獣へと果敢に立ち向かった。


 騎士の攻撃を敢えて受けつつ、一気にその懐へ飛び込み、その脇腹を抉る。

 赤紫色に光る返り血が飛び散り、それが自分の体を穢したが、もうゴシェナイトにはそんなことに構っている余裕はなかった。


 狂乱の叫びを上げ、今度はアゼルへ向かおうとしたところ、今無力化したはずの騎士が痛みに呻きながらも倒れこむように飛びかかり、そのままこちらの脚を両腕で抱え込み、動きを封じてきた。


「アゼル‼」


 騎士の短い叫びに、アゼルは杖を光の槍に変えつつ飛び込んできた。


「任せろ‼」


 その言葉とともに、アゼルは槍を真っ直ぐ、深々とゴシェナイトの胸へと打ち込み、貫いた。


 これ以上の機体の活動を維持するのが困難なほどの致命的なダメージ。

 自分自身が消失する現実にゴシェナイトは狂気に陥り、絶叫し、理性を失した捨て身の反撃をアゼルへと向けた。


 恐らく今の攻撃に力の全てを注ぎ込んだのであろうアゼルはそれを真っ向から食らい、限界を迎えたようだった。

 その巨体がフォティアへと還元され、消失していく。


 生身の姿に戻ったアゼルは健在なようだが、消耗し、立っているのもやっとの様子だった。


「……殺してやる」


 ゴシェナイトは表層的な思考からではなく、自身のより根源的な部分から発生した言葉を呟くと、矮小なアゼルを踏み潰そうと足を振り上げた。


 しかし、ゴシェナイトの方もそれで限界だった。


 ネフィリムの力が剥がされ、自分がちっぽけな存在へと還元されていく無力感の中、ゴシェナイトの姿は元のアルディの形状へと戻っていった。





 全身の感覚器がしきりにダメージの深刻さを報告し続けるのを無視し、ゴシェナイトは素早く辺りを見渡した。


 位置的に、自分の方がシェムハザに近い。


 ゴシェナイトは咄嗟に判断を下し、アゼルに背を向け、走り出した。


 既に機体の各部は限界を越えつつあるが、シェムハザはもうすぐ目の前にある。


「待て!」


 背後からアゼルの叫びが響くが、相手にはしない。

 足を動かしつつ、最小限の動きでそちらを振り返ると、アゼルは痛みと苦しみに悶え、追うに追えない状態の様子だった。


 ゴシェナイトはそのまま感覚器の警告を無視し、軋む関節を無理やりに働かせ、一気に隔離施設の中へと潜り込んでいった。





「ディット!」


 目に涙を浮かべて駆け寄るクリューに対し、ディットは瓦礫に背中を預けて座り、荒く息をつきながら、精一杯の笑顔で応えた。


「大丈夫だよ、クリュー。僕はネフィリムだ。この程度の傷、どうということは無いさ」


 ディットは脇腹の傷を抑え、その猛烈な苦痛を表情に出さないよう気を付けながら、そう言った。


 これで死にはしないだろうが、流石に消耗が酷い。立って歩くどころか、意識を保っている事すら難しい。


 頭を動かすだけでも鈍い痛みが走り、ディットは目だけを動かしてアゼルの様子を探った。

 その背中は敵の後を追って、ヨロヨロと頼りない動作ながら、遺跡の中に消えようとしている。


「クリュー、ごめんよ、僕はここまでだ。君はアゼルに付いていてやってくれ。ここから先は、シェムハザの領域だ。ここから先は、君のアンソスとしての力が何よりも意味を持つのだと思う。アゼルには……、そしてセフィ様には、君が必要なんだ」


 その言葉にクリューは少しの間迷った様子を見せ、それから意を決したように目の涙を拭い、小さく頷いた。


「……ありがとう。あなたは、私の騎士としての務めを立派に果たしてくれた。私は決してそれを無駄にはしない。……行ってくるね、すぐ戻ってくるから。皆、一緒に」


 そう言ってクリューはディットを傷に響かないようにそっと抱きしめてから立ち上がり、アゼルの後を追って走り出した。





「アメトリン……!」


 遺跡の最深部に辿り着いたゴシェナイトは、その前に立ちふさがった姿を憎々し気に睨みつけた。


 限界間近の手負いの体とて、非戦闘用の旧式ゴーレム如きに遅れを取るわけはない。


「……どきなさい!」


 ゴシェナイトは荒々しくアメトリンを突き飛ばし、光り輝く井戸へと向かって、無心で足を動かし続けた。


「止まりなさい、ゴシェナイト。落ち着いて、自分のしてきた事を振り返りなさい。……世界に解き放たれてから、あなたのしてきた事は、崇高な魂に相応しいものでしたか? 理想と現実は全く異なるもの。あなたは、それを知ったはずです。……そしてそれは、私も同じ。私たちは、それらにどう折り合いを付けていくかを、学ばなければいけない。どうか、取り返しの付かない事態となる前に、今はその足を止めてください。お願いです、ゴシェナイト……!」


 アメトリンの必死の言葉も無視し、ゴシェナイトはひたすらに進み、ためらう事無く井戸の縁を越え、その中へと身を沈めていった。


 全身を灼け焦がすような猛烈なフォティアの輝きに耐えながら、同時にゴシェナイトの精神はゆったりとした浮遊感の中、得も言われぬ恍惚に包まれてもいた。


 無限にも感じられるほどの甘美な時間の果てに、その足は静かに地の底へと触れ、その目の前には、その存在があった。


 ゴシェナイトは究極の充足感の中、フワフワとした足取りで音も無くそれに歩み寄ると、その顔に無邪気な笑みを浮かべた。


「さあ、私を受け入れなさい、シェムハザ。私が、世界を変えるために」

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