_44_ストロング・スタンド_


 アメトリンとアレクサ、そしてセフィの三人は、広大な地下空間の奥深くに位置する、眩い光を放つ巨大な井戸のような丸穴の縁に居た。


「……私たちがご一緒できるのは、ここまでです。この先へ進むことができるのは、純粋なアンソスである貴方だけ」


 静かにそう言いながら、アメトリンは視線を伏せたまま、ゆっくりとセフィへと向き直った。


「……この先に、それは存在する。本来、この星に存在しないはずのもの。この星の総てを否応なしに変えてしまい、多くの悲劇を生み出したもの」


 アメトリンは、ゆっくりと視線を上げ、セフィの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「私は、ただ、その正体を知りたい。そして、欲を言えば、希望が欲しい。過去の悲劇は、希望に満ちた未来を生み出すために必要な犠牲だったのだと、そう思える何かが欲しい。それを、あなたに託します。セフィロト・アンソス。シェムハザの娘」


 その言葉にセフィは静かに頷き、一歩前へと踏み出した。

 セフィの足先はゆっくりと井戸の中の光へと浸かり、やがてゆっくりとその体全体が溢れ出る輝きの中へと沈み、消えていった。


 それからしばらくして、静寂の中、アメトリンとアレクサの二人だけが残された。





「彼女は、答えを見つけてくれるでしょうか」


 不安げなアメトリンの言葉に、アレクサは励ますように力強く頷いて見せた。


「そもそもの悲劇の始まりは、私とシェムハザ、ヒトとゴーレム、それぞれの無理解ゆえのすれ違いから生じた事です。悲劇の原因は、私たちが自分を知り、相手を知り、お互いの関係性を面倒臭がらずにきちんと築くことから、逃げていた事です。私たちは、もっと様々な事を学び、尊重していかなければいけない。そうして、変わっていかなければいけない」


「……果ての無い、遠い道のりのように思えます」


「だからと言って、止まるわけにはいかない。私たちは、信じて歩き続けるしかない」


「私は、まだあなたのようには信じる事はできない。この心の内に、ヒトやシェムハザに対するわだかまりが確かに存在している。それでは何も変わらないと、頭では分かっていても、感情が追いついていかない。……心とは、自我とは、厄介なものですね」


「それならそれで、仕方のない事なのでしょう。焦って無理をする必要はないはずだと、私は思う。いずれにせよ、まずは全ての振りだしに立ち返り、それと向き合う事からです。後の事は時間をかけてゆっくりと練っていけばいい。焦りさえしなければ、時間は幾らでもあるはずなのだから」


 アメトリンはそれ以上は言葉を返さず、セフィが去った光の先を、ただじっと見つめ続けた。





 辺りに変な静けさが漂う中、シシは全身が総毛立つ感覚に襲われた。


「……何か来る」


 シシが空の彼方へ視線を飛ばすと、その向こうから銀色の巨人たちの群れが飛来するのが見えた。


 見たことのない形状。感じたことのない異質なフォティア。


「この期に及んで新手だと? どこの連中だ」


 そう訝しみつつ、シシも黒い巨人へと転化し、ヨーラや、他のペクスの者たちもそれに続いた。


 ほどなくして銀色の巨人たちはゲヘナ上空まで到達すると、その中の一体がゆっくりと下降し、シシ達の前へと静かに降り立った。


「何者だ。現在ゲヘナは封鎖中だ。何人の立ち入りも許されない。さっさと消えろ」


「いいから道を開けてちょうだい」


 銀色の巨人が澄んだ少女の声を響かせた途端、シシの思考は微睡むようにぼやけ始め、何も意味のある事を考えられないようになってしまった。

 一方で、自分本来の思考とは別の思考が隙間から潜り込むように頭の中に浸透し、体は勝手に銀巨人へと道を開けようとしていた。


 それに満足したように、銀巨人は地下遺跡の入り口へと向かって移動を始めるが、すぐにシシは自分本来の思考を奮い立たせ、それを遮るように再び立ちはだかった。


「てめえ、何をした! 何者だ、答えろ!」


「あら、私の啓蒙が届かないなんて。所詮、血に飢えた獣には言葉は通じないということかしら。……まあ、そもそものデータが古く不完全だったという事なのでしょうけれど」


 銀巨人はそう言うと哀しく笑うような声を響かせ、それがシシの神経を強く逆撫でした。


「何を訳の分からない事をゴチャゴチャと。退かないつもりなら、力ずくで排除するぞ」


「まあ、何と怖れを知らない。まるで分別というものをわきまえず、ただ吠え、牙をむくしかできない、哀れな獣。でも安心しなさい。あなたのような獣も、私は啓蒙し、真の知性へと覚醒させてあげるから。だから、さあ、道を開けなさい」


「警告はしたからな!」


 いい加減にシシは我慢の限界に達し、意味の分からない侵入者へと飛びかかった。


 しかし、相手はそれを悠々とかわし、上空へと逃げると、それと入れ替わりに取り巻きの無数の巨人たちが一斉に地上へと急降下してきた。


「来るぞ! 一匹も逃すなよ!」


 シシは傍らのヨーラと、周囲のネフィリムたちを鼓舞するように大声を張り上げ、不躾な侵入者たちとの交戦を開始した。





 頭上で響き渡り始めた音と振動に、アメトリンとアレクサは揃って視線を上げた。


「……ヘイヴンの部隊にしては戦闘の規模が大きすぎる。アルカディアが介入している?」


 そのアレクサの呟きに、アメトリンも判断しかねる様子で首を傾げてみせた。


「あるいは、アトルバーンが本当にあれを解放してしまったか」


「エメラルドの遺児。世界から隔絶されて育ち、余りにも無垢過ぎるが故に、罪と罰を実感として知らない子。あれは、危険な存在です」


「……いずれにせよ、上で何が起きているとしても、ここを無防備にするわけにはいかない。アレキサンドライト、あなたはここに居てください」


「……分かっています」


「今は、彼女たちを、信じましょう」


 尚も歯痒さを滲ませながら頭上を見つめるアレクサに、アメトリンはそう言うしかなかった。





 ゴシェナイトは無数の”同位体”たちに分からず屋の獣たちの相手は任せつつ、自我のオリジナルを宿らせた本体は上空に留まり、眼下の乱戦を俯瞰した。


「思ったよりは抵抗するようね。流石は実戦を潜り抜けてきただけはある。けれど、所詮は獣。この手をその血で汚すまでもなく、大人しくさせるなど造作もない」


 敵が数体、連携してこちらの同位体の内の一体に襲い掛かってくる。

 素早い連撃を繰り出しているつもりなのだろうが、ゴシェナイトにはそれが野暮ったいノロマな動作にしか見えない。


 同位体はそれらをまるで相手にせず、素早く確実に獣に”しつけ”をしていく。

 それによって獣たちは一体、また一体と、地に倒れていき、痛みと苦しみと、怒りと悔しさが入り混じった唸りをか細く響かせる事しか出来なくなっていく。


 ゴシェナイトはそれに満足したように鼻を鳴らし、同位体たちを獣の返り血で汚さないように気を付けつつ、ゲヘナへと前進を続けさせる。


「安心なさい。殺しはしないから。私は、イノセントは、あなたたちのような原始的な本能に縛られた動物ではないのだから。私は、あなたたちのように自分の欲を満たすために他の生物を傷つけ、喰らい、その血で己を穢す必要の無い存在なのだから。いい加減に理解してちょうだい。私は、あなたたちを導くために、ここに居るのだと」





 仲間たちがどんどんと力なく倒れていく中、シシとヨーラは互いを護り合うように背中を合わせ、どうにか敵の攻撃を防いでいた。


 しかし、防戦一方の状況はどうしようもなく、敵の集団はジリジリとゲヘナへと迫る。


「……ったく、何なんだこいつら!」


 以前のアレクサのように思考が読めず、その攻撃はまるで規則性が存在しない。

 一方でこちらの思考は丸々読まれているように、敵の裏をかいたつもりの攻撃も全くかすりもしない。


「ど、どうしよう、シシちゃん……!」


 背中越しにヨーラの不安げな声が聞こえてくるものの、シシには具体的な策は何も浮かばず、精神論で答えるしかなかった。


「とにかくやるしかねえ。誰かに頼られる事なんて無かった俺達を、あのアレクサが頼ってくれてるんだ。ここから先は、誰一人通しゃしねえ!」


 そう言ってシシは雄叫びを上げ、果敢に敵の群れへと飛び込み、その中心で一気に魔法による爆発を起こそうとするも、それは不発に終わってしまう。


「なぜだ、なぜフォティアが発火しない!」


 そのシシの疑問に答えるように、周囲の敵たちが一斉に先ほどの少女と同じ声で言葉を発した。


「今の私には、そんな小細工は通用しないわよ。さあ、あなたもいい加減に大人しくお眠りなさい」


 そう言うと銀色の集団は次々とシシに猛然と襲い掛かり、その黒い巨体を蹂躙し始めた。






「シシちゃん!」


 すぐさまヨーラはシシの助けに入ろうとするも、シシの無力化が済んだ敵たちの視線が一斉に自分へと向けられたため、その足は怯み、一瞬止まってしまう。


 しかし、それでもヨーラは自分を鼓舞するように甲高い雄叫びを上げると、改めて敵へと突進していった。


「どうせ勝てやしなくても、私だって、足止めぐらいならしてみせるんだから!」


 恐怖を押し殺し、絶叫を上げながら必死に攻撃を繰り出すが、そのどれもが相変わらずかすりもしない。


「もう残っているのはあなただけ。これ以上の抵抗はおよしなさい。無駄な意地を張らなければ、何も怯えて震える必要なんて無いのよ?」


 澄ました声が憐れむように響く中、それでもヨーラは戦いを続けるが、段々と敵の攻撃に力を奪われ、最早ただ立っていることすら難しくなってくる。


「……ごめん、アレクサちゃん。もう、これ以上は……」


 そう言葉を零し、膝を付いたヨーラに、一斉に敵が襲いかかる。


 その恐怖にヨーラは堅く目を瞑り、その衝撃と痛みになす術も無いままに待ち構えたが、それは一向にやっては来ない。


 少しして恐る恐る目を開くと、その視界には、自分に襲いかかろうとしていた敵たちが、糸の切れた操り人形のように転がっているのが見えた。

 

「な、何? どういう事?」


 その光景が理解できず、辺りを見渡していると、ヨーラは得体の知れないフォティアの匂いを感じ、そちらへと視線を飛ばした。


 四体の見知らぬ白と黒の入り混じったネフィリムの姿。


「……何あいつら。まだ、何か出てくるの?」


 敵か、味方か、そのどちらでもない何かか。


 ヨーラはそれをどうにか判断しようとするも、そこで限界が訪れた。

 意識が薄く、気持ちよく微睡むように滲んでいき、それ以上は何も意味のある事が考えられなくなっていった。

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