_43_リターン・トゥ・ゲヘナ_


「……もう、何もかもが終わりだ。この身は、フォティアに汚染されてしまった」


 そんな事を呟き、顔面蒼白で項垂れるガルフェスを前に、ガントの頭の中には様々な感情が渦巻き、しばらく何も掛ける言葉が浮かばなかった。


 視線を動かすと、薄暗い都市の天井に空いた穴から、今も暖かな陽の光と、明るい青空が顔を覗かせているのが見える。


「何もかも、幻だったんだよ」


 ガントの小さく呟く言葉はガルフェスの耳に届いていないのか、反応を示さない。


「純血種なんて、とっくにこの星から消え去っちまってるんだよ。俺達の姿を改めてよく見ろ。千年以上にも渡って陽の光を浴びない歪な暮らしを続けたせいで、俺達の体は、余りにも矮小で脆弱なものに退化しちまってる。寿命だって縮む一方だろう。今この街で、五十を無事に越えられたのは何人居る?」


 その問いかけにも、ガルフェスは答えない。


 その余りの無反応ぶりに、ガントの声音が強いものに変化していく。


「結局は俺達も純血種そのものなんかじゃなく、ある意味ではシェムハザの到来によってそこから変異して生まれた、新しい種族でしかないんだ。俺達は、”ドワーフ”なんだよ」


 ガントは兜の中で大きく呼吸すると、意を決し、それを脱いだ。


「な、何をする、ガント! お前まで汚染されてしまっては、誰がこの後を!」


 今更に取り乱す兄を気にせず、ガントはゆっくりとフォティアに満ちた空気を肺に送り込んだ。


 色も無く、何の味も臭いもしない。

 自分たちは、これまで何を恐れてきたのだろう。


 あるいは、やはり早まった事をしたのだろうか。

 ドワーフはフラッド前に地下に籠った者達の末裔で、そのフラッドでは耐性の無い多くの人が命を落とした。

 自分自身、こうしてフォティアに身を晒したことで、そうなるのかもしれない。

 けれど、不思議とそんな心配は頭の中には浮かばなかった。

 これまでにも多くのドワーフが地上に出て、中には故郷と鎧を捨てる覚悟をしたものは居たが、その誰に対しても、フォティアの影響による健康被害を生じたという記録はない。


 昔と今では、フォティアの性質そのものがこの星の環境に適応し、変化しているのかもしれない。

 自分たちは過去の悲劇に溺れ、建設的な目線での調査の継続を怠っていただけなのかもしれない。


「いずれにせよ、あのバカ爺が何もかもをぶっ壊しちまった。否が応でも、俺達は変わっていくしかない」





 結局セフィの消息について確たる情報が何も得られないまま、ただ時間だけが過ぎていき、アゼルは目に見えて焦りを募らせていた。


 そんな中、傍らのリュゼが何かを思いついたように言葉を発した。


「……アゼル、そう言えばさ、あんた、西方からこっちに戻って来た時にやったみたいにさ、セフィのとこへビュンって飛べたりしないの?」


「何度も試したさ。でも上手くいかない。あの時は不意にセフィを感じて、一気に線で繋がって物凄い勢いで引っ張られた感じだったけど、そんなの意識してやったことじゃ無いし、そもそも今はセフィの事を感じられない」


「そっか。……ったく、こんだけ捜しても見つからないなんて、また連中に攫われちゃったのかな。畜生、こんなんじゃエノンの神様に合わせる顔が無いよ」


 顔いっぱいに悔しさを滲ませ、それっきり黙りこくるリュゼと入れ替わりに、今度はクリューが口を開き、言葉を発した。


「……あいつ、攫われたんじゃなくて、自分から消えたんだと思う。なんか、自分のアンソスとしての在り方に苦しんでるみたいだったから。……もしかしたら、あいつゲヘナに向かったのかもしれない」


 その推測に、アゼルは一縷の望みを得たように食いついた。


「ゲヘナに? 何で?」


「自分の存在に思い悩んだら、まず自分のルーツを深く探ろうと思うものじゃない? 少なくとも、私の場合はそうだった」


「……その通りかもしれませんね」


 クリューが話を続ける途中、何処かへ行っていたポラートン課長が不意に戻ってきて、そうクリューに同調して言った。


「気になる情報をちょっと小耳に挟みましてね。どうやらセリオンの首魁がミンスキンの生き残りを引き連れてゲヘナ入りしたようです。それに、これは未確認の情報ですが、白い肌の少女も同行しているようです。髪や瞳の色は頭巾で覆い隠されているらしく不明ですが。断言はできないものの、まあ、可能性は高いでしょう」


「何それ、本当にあいつらに攫われてたって事?」


 リュゼが疑問を口にする一方、アゼルは我慢の限界という雰囲気で立ち上がった。


「そんなのはどっちだっていい。俺は行く」


 ポラートンはそれに頷きつつ、素早く視線をリュゼに移し、指示を出した。


「リュゼリアリス君もついて行ってお上げなさい。いずれにせよ、ゲヘナでまだ何かあるのは確かなようだ。そこにミンスキンも居るとなれば、ネフィリムが一体でも多く必要になる事態も想定されます」


「りょーかい」


 その指示に短く答え、リュゼもアゼルの後を追って立ち上がったのと同時に、今度はクリューが声を発した。


「私も行くわ」


 その発言に対し、ディットが慌てた様子でクリューを止めに掛かった。


「何を言ってるんだ、クリュー。危険過ぎる。君はここに残るべきだ」


 そんなディットに対し、クリューは冷静な態度でキッパリと言い放つ。


「黙りなさい」


「はい」


 その勢いに圧されるように、ディットは怯んだ様子で口を噤んだ。


「あなたは私の騎士なんだから、何があっても、どんな危険からも、私を護ってくれるんでしょう?」


「も、もちろんだとも!」


「じゃあなんの心配もいらないじゃない。ほら、さっさと行くわよ」


「え? あ、はい……、え?」


 ディットがいまいち納得がいかない様子で困惑する一方、クリューの方はそれを気にせずに足早に部屋を出て行ったため、ディットも慌ててそれを追って走り出した。


「ま、待ってくれ、無茶苦茶だよ、クリュー!」





 ゲヘナ、ビッグ・ツリーへ入ったシシは、ゆっくりとその光景を見渡していった。


 今では大勢いたダイバー達や、それ相手の商売をしていた民間人達は皆強制退去させられている。

 とは言え、無人というわけではなく、今もゲヘナ確保のためにペクスは駐留し、更にその増援として各地から合流している部隊もあり、街は黒ずくめに染め上げられ、以前とは大分雰囲気が変わっている。


「……まだ一年も経っちゃいないってのに、やけに遠い昔みたいに感じやがる」


 ペクスの構成員達が所在なげに猥談や賭け事に興じている横を通り、見覚えのある崩れた建物を眺めながら、シシは遺跡へと向かって歩き続け、その後をヨーラが続く。


「……シシさん! ご無事だったんですか」


 突然声を掛けられ、シシは足を止め、その方向へと顔を向けた。

 岩人。見覚えはあるが、名前までは思い出せない。


 男はドシドシと音を立てて歩いてくると、お辞儀をするように背を曲げ、シシと目線を合わせた。


「ヨーラさんもご無沙汰してます。……ジグさんは一緒じゃないんですか?」


「あいつは死んだよ」


 シシは別段何の感傷も無く、ただ事実をありのままに素っ気なく告げた。

 それに対して、岩人は微かに表情を曇らせ、多少しんみりとした様子で言葉を続けた。


「そうですか……。あんなにもキマイラの権利のために必死になられていた方が逝ってしまわれるなんて……」


 その言葉に、シシは思わず鼻を鳴らす。


「でも、そのお陰で俺達は勝てた。セリオンの正義が果たされた。これからは、俺達みたいなキマイラも、ゴミみたいにただ使い潰されるだけじゃない、真っ当な人間として扱われる社会に変わっていくんですよね?」


 無邪気に目を輝かせて言う岩人のその視線から目を逸らし、シシは溜め息をひとつついてから、それに答えた。


「……さあな」


 ゆっくりと空を見上げる。

 以前と何も変わらない、何の面白味もない一面の薄灰青色。


「何か変わるのかもしれないし、何も変わらないのかもしれない。……そもそも、俺は本当に何かを変えたくて戦ってたのか?」


「……シシちゃん?」


 シシの様子がいつもと違う事に気付いたヨーラが心配そうに声を掛けると、シシはそれを安心させるように微笑んで見せた。


「なあヨーラ、全部終わったら、俺達いい加減、何処か静かな土地を探して、落ち着くか? アレクサも誘ってさ」


 その提案に、ヨーラも明るく笑い、賛成する。


「そうだね。そうしよう。それがいいよ。もう私、戦って怪我したり、怪我させたり、嫌だもん。アレクサちゃんの頼みだからもう少しだけ付き合うけど、もうこれで最後にしたい」


 その言葉にシシは頷き、改めて岩人に視線を戻し、軽く手を振って挨拶し、その場を去る事にした。


「じゃあな、ゴディ。多分、近々ここでもう一悶着あるだろうけど、死ぬなよ」


 ようやく思い出した。

 確か、そんな名前だったような気がする。

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