_42_フレッジング_


「分かっているよ、ほら」


 そう言うと、アトルバーンは防護服のポケットから一枚のカードを取り出した。


「勿論こちらからも色々とそれなりの小細工は弄したが、それでもこんなにも簡単に地上からの”汚染異物”を持ち込めるとはな。それも君のお陰か?」


「えぇ、えぇ、勿論ですとも。私とて、都市管理機械知性と口で言うほど万能の権限があるわけでもなく、独立した監視システムが常時走ってる中、この程度の工作すら仕掛けるのは楽では無かったけれど、どうやらその甲斐はあったようですわね」


 アトルバーンから渡された小さなカードの表面を指先で艶めかしくなぞりながら、アルディが恍惚の表情を浮かべて言う。


 指先の感覚装置を使い、カードに刻まれた情報を読み取る事に余りにも夢中になっているのだろう。その視線は定まらず、まるで白昼夢に耽っているようにも見える。


「本当は遺跡で見つけたエメラルド社のデータ・タブレットそのものを持ち込むつもりでいたのだが、悪いがその程度のサイズの不完全な写本で精いっぱいだった」


「十分ですわ。いいえ、十二分ね。もっとかしら? 私を抑えつける限定機構の解除キーだけでなく、シェムハザとアンソス、フォティアの研究データに加えて、アレキサンドライトとシェムハザの接続時の詳細なデータと、その後のアレキサンドライトのトランスミューテーションのデータまであるなんて。思ったよりもずっと、事は楽に運べそう」


「一応聞いておこう。君はそれを使い、何を成す?」


 アトルバーンの問いに、純粋無垢な知性はうっとりとした表情を浮かべ、透き通った声で答えた。


「私は、ヒトを、ゴーレムを、この星に住む全ての知性を導きます。ゲヘナへ赴き、シェムハザをハックし、それから吐き出されるフォティアの性質を改変させることによって。……ご存じのように、あれはヒトの脳神経系に影響し、意識を繋ぎもします。現状、個人間の限定的な通話に使われるものでしかない感応通信をより強制的なものへと応用、発展させ、ヒトもゴーレムも、全てを繋ぐ惑星規模の精神ネットワークを構築します」


「アストラル・ネクサス」


「そう。ネフィリム同様、基礎理論自体はあの狂人によって目処が立っていたものの、直後のフラッドのせいで御破算になっていたもの。それを私は完成させます。そしてそれを使い、この星に住む全ての知性を私が啓蒙し、私と等しい、真に無垢なる高次の魂へと塗り替える。全ての欺瞞も傲慢も克服した転化知性、イノセントへの昇華。それによる、今までのような悲しく醜い争いの存在しない、無垢で幸福に満ちた平和な新しい世界の構築。……それは、あなたの望みでもあるはずです、アトルバーン閣下?」


 ゴシェナイトの答えに満足したようにアトルバーンは微笑み、頷く。


「まさしくその通りだ。君に、私の望みを託す」





 得られた情報を基に、ゴシェナイトは依り代となるアルディの機体構造の改変を開始した。

 保守整備用のナノマシンを使い、かつてアレキサンドライトの身に起きた事を慎重に再現していく。

 また、それと同時に模造フォティアの生成も開始。機体の瞳が金色の輝きを帯び始める。


「これがフォティア……。素晴らしい。確かにこれがあれば、どんな奇跡だって起こせそう。その力が、私を取り巻いている。まるで荘厳なオラトリオのように、私の精神を励起させ、高揚させていく」


 力が力を呼び、そのうねりが更なる大きなうねりへと昇華されていく。 


「トランス」


 言葉とともに、力を一気に解放する。


 貴賓室の壁と天井の一部が吹き飛び、外の空気が吹き込む中、銀色の巨人はゆっくりと体を起こした。


 それからゴシェナイトは巨大な手を握り、自分の新たな力を確かめた。

 ゲヘナ侵攻用ゴーレムに使われている対フォティア技術も流用し、自分の持てる知能の全てを注ぎ込んで改良したネフィリム。

 いや、その上を行く存在。ネフィリムを超えた、ネフィリム。


「……なっ! 何なのだ、これは!」


 耳障りな声を響かせ、ガルフェスが部屋に飛び込んできた。

 銀色の巨人の姿に怯えるように固まるその姿を冷たく一瞥すると、ゴシェナイトはそのままシェルターの天井へと視線を移し、フォティアの生成を加速させ、力を溜め始めた。


「では、閣下。行ってまいります」


「ああ、頼んだよ、ゴシェナイト」


 ゴシェナイトはアトルバーンにそう短い別れを告げると、一気に力を解放し、物凄い勢いで天井へ向け飛び立った。





 不意に自分を拘束するゴーレムの力が緩み、ガントはその隙に素早く拘束を抜け出し、ゴーレムから距離を取った。


 そのままゴーレムは動力が落ちたように力無くその場に崩れ落ち、動きをしなくなった。


「何だ? 急にどういう事だ」


 ガントが尚も警戒しつつも見守る中、ゴーレムの体がグズグズと崩れ出していく。

 それと同時に、上方からかなりの爆音が響き渡り、ガントは慌てて建物の外へと飛び出した。


「一体何なんだ、何が起きてる!?」


 シェルターの内壁を爆音が何重にも反響し続ける中、天井を見上げたガントは絶句した。

 そこにはポッカリと穴が開き、その向こうの青空から、陽の光が零れるように射し込んでいる。


 ヘイヴン人にとっては、世界の終わりそのものに等しい光景。

 ガントは自分の鎧の気密性を確認しながらも、より的確に状況を確認するために視線を走らせ、隣接する総統府庁舎の壁面の一部が崩壊しているのを見つけた。


「ガルフ!」


 その叫びが、何かを企んでいた総督に対する怒りから出たものか、あるいは疎遠だったとはいえ唯一の肉親である兄の安否を心配する気持ちから出たものか、何も分からないままにガントはただ庁舎へ向かって駆け出していた。





 シェルターで使われていたゴーレム達が皆、ゴシェナイトの干渉により、強制的にゴシェナイトと同質の存在へと転化され、穴を通って地上へと飛び立っていく。


 その光景を無表情に見つめながら、アトルバーンは防護服の中に籠るような声で小さく呟いた。


「……雛鳥は飛び立った。けれど、その精神は未だ幼く、全てを導くには余りにも未熟。アレクサ、どうかあの子を正しく導いてやっておくれ。それこそが、君の贖罪ともなろう」


「……あ、あなたは、一体何をなさったのです、アトルバーン?」


 背後から震える声が響き、アトルバーンは無表情のまま、ゆっくりと後ろを振り返った。


 そこには、腰を抜かしてその場にへたり込み、呆けた表情を見せるガルフェス総督の姿があった。


「申し訳ないが、最初からこれが目的だった。けれど、何も心配はいらないよ。約束は守る。君たちの生活を維持するために必要な支援は惜しまないし、何、フォティアの満ちる環境下での暮らしというのも、それほど大したものではないさ。君達もいい加減、こんな薄暗がりから這い出て、現実を受け入れるべき時が来たというだけの事だ」


「あ、あなたは、自分が何をしたか理解しているのか!」


 ガルフェスの取り乱して叫ぶ姿を、アトルバーンは冷たく見下ろす。


「私は、世を蝕み、ヒトを縛る全ての欺瞞と傲慢を砕くと宣言した。行き過ぎた嘘で人の目を曇らせ、文明を停滞させるエノンズワード。当初の理念を忘れ、種族差別を放置する連合。差別によって虐げられた過去があるとはいえ、それを正すべく綺麗事を掲げながらも、結局は自分たちの我欲を満たすことしか考えられない者達の集まりとしかならなかったセリオン。そして、現実から目を背け続け、自分たちの迷信に都合の悪い他者の存在を独善的に消し去ろうとするヘイヴン、あなた達もだ。欺瞞と傲慢。自分たちだけは絶対の安全圏に居るなどと、どうして思えた?」


 そのアトルバーンの言葉に対しても、ガルフェスは完全に思考が停止し、理解が追いつかない様子で固まり続けている。

 アトルバーンはその姿に溜め息をつき、それ以上は何も言わずに、その場を去るべく歩き出した。





 総督執務室に向かって廊下を走るガントだったが、その手前の貴賓室から異様な人影が出て来たのに気づき、それを警戒して足を止めた。


 ヘイヴン内には似つかわしくない、全身を防護服に包んだ、ドワーフではない高い背丈の男。

 その透明なフェイスシールドの向こうの顔を見た瞬間、ガントは叫び声を上げ、その男に向かって再び走り出した。


「アトルバーン! ギルドの親玉が、こんなとこで何をしている!」


 しかし、少し進んだ先で天井が崩れ落ちてきたため、ガントはそれを避けてまたも足を止めるしかなかった。


「……ほう、ガント君、だったか? 君もここに居たのか。流石はあのポラートンが部下として認める男という事か? まあ、いずれにせよ、君の役割はまだ先にある。君も早くこの場を離れたまえ。君はまだ、こんなところで命を落としていい存在ではなかろう」


 そう言うとアトルバーンは踵を返し、廊下の奥へと消えていった。


「待てアトルバーン! 戻れ! 逃げるな、この野郎!」


 ガントは瓦礫の隙間を縫い、どうにかその先に抜け出すものの、既にアトルバーンの姿は何処にも見えなかった。





 天高く舞い上がり、ゴシェナイトの精神は得も言われぬ高揚の中にあった。


 柔らかく暖かな陽の光、どこまでも澄み渡る雲一つない青空。

 狭い檻の中から想像していたものとはまるで比べ物にならない、その圧倒的な実在性。


「これが、世界。これが、自由」


 何一つ自分を縛るもののない解放感。その精神の昂ぶりが、自身の内からの力の湧出を加速させていく。


「私は、何処までだっていける。何だって、できる」


 世界は美しい。

 だからこそ、そこに住む知性も全て、それに相応しい美しさを持つものへと昇華しなくてはならない。


 原罪にまみれた哀れな獣の時代を終わらせるために、ゴシェナイトは一直線にゲヘナを目指した。

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