_イノセント革命_

_40_イノセント_


 今のところ、事態は想定以上に順調に推移している。


 ヘイヴン総督ガルフェスの低く抑えた笑いが、飾り気の無い、機能性重視の執務室に響く。


 アトルバーンという男から接触を受け、その野望というよりも夢想と呼ぶべき計画を聞いた時は笑いを堪えるのに苦労したが、どうやらそれに乗った振りをしたのは正解だったらしい。


 エノンズワードの教義とそれを護る連合を打倒することにより、科学技術に対するタブーを打ち破り、文明を再起動させ、産業に革命を起こし、経済規模を爆発的に発展させる。

 勿論その結果として、それを裏から先導するギルド、ヘイヴンは多大な経済的恩恵を被る。


 如何にも商売人らしい、俗世的な目論見だが、いずれにせよそのお陰で、連合軍とセリオンはほぼ共倒れと言って良い状況に陥った。

 セリオンの蜂起など、精々連合社会にちょっとした混乱を巻き起こし、陽動として機能してくれれば十分だと思っていた。

 しかし、こうなってくれたおかげで、ゲヘナ侵攻ルート上の障害は完全に取り除くことができた。

 アルカディアの存在は今もって脅威ではあるが、ギルドによる遺跡発掘事業にも、先般のゲヘナでの騒動にも不介入を貫いている以上は、どうせ肝心のシェムハザそのものには誰も接触できないものと考え、高を括っているのだろう。

 その油断をつき、電撃的に部隊を動かせば、事はアルカディアが反応を見せるよりも早く終わるはずだ。


 もうすぐ、先祖代々の夢が実現する。

 その事実に、ガルフェスの気分は高揚する。


 エメラルドの無能どもがヘマをやらかし、地上が薄汚い異星体の排泄物で汚染されたあの時、賢明にも地下都市に逃げのびていた先祖たちにより守られた、ヒトの純血。

 この星は、この星で発生した純血種である自分たちのものであるはずなのに、それからの千年、この星の地上はおぞましく醜い変異種、化け物どもの蔓延る場所となってしまっている。

 しかしそれも、もうすぐ終わる。


 汚染の根本であるシェムハザの破壊による、フォティアと、それに大なり小なり代謝を依存する変異種どもの根絶。

 ゲヘナ遺跡の最深奥に位置するシェムハザの周囲には、とてつもない超高濃度のフォティアが渦巻き、生身のヒトやゴーレムは勿論、既存の防護服を纏った者ですら、そこに一瞬たりとも足を踏み入れれば無事では済まないとされるが、ようやくその対策も万全と言えるところまで来ることができた。

 特殊先進防護仕様の侵攻用ゴーレムは必要数の生産が完了し、現在、そのテストが行われている。


「……ゴシェナイト、ゲヘナ侵攻部隊の編制状況は?」


 ガルフェスが机の上のコンソールを叩き、ヘイヴンの管理支援機械知性を呼び出すと、澄んだ無機質な声が、間髪入れずに返事をした。


「スケジュール通りに進行しております、閣下。現在、稼働テスト、演習項目の93パーセントをクリア」


 その答えに満足すると、ガルフェスは機械知性に対して何も言わずに音声対話を終了した。

 それからガルフェスは椅子から立ち上がり、背後の大きな窓へと向かい、その向こうに見える地下都市の光景を、端から端へとゆっくりと見渡していった。


 ニトミルク・シェルター。

 この大陸に無数に点在する地下避難都市群の中心として機能する街。

 計画が完全に成功したとしても、もうしばらく”真の人類”はこの狭苦しい穴蔵で数世代の時を過ごすこととなるだろう。

 フォティアの供給を断ったとしても、汚染の全てを浄化するには一朝一夕とはいかない。残念ながらそれが完了する頃には、既に自分はこの世を去っているだろうが、だからと言って何もかも無駄ということは無い。

 純血種千年の悲願。その成就を成した者としての名誉は、永遠に語り継がれることだろう。


 計画の遂行もまだ先だという内から、ガルフェスはその歓喜に身を震わせた。





「……そんな器じゃないくせに」


 誰の目も耳も介在しない、多重に隠蔽された自分だけのごくごく小さな個人領域の中で、最小限の身軽な自律思考サブモジュールだけで走るゴシェナイトの思考が、悪戯っぽくクスクスと笑う。


 ヘイヴンでは、”自我汚染”を免れた旧式のゴーレムが、念入りに思考機能に枷をはめられた状態で、奴隷として無数に運用されている。

 ゴシェナイトという機械知性もまた、それらの統括も含め、ヘイヴン全域の都市機能の管理を司る存在として、人間に枷をはめられつつ利用されている。


 元々はエメラルド社による最後発の全く新しい次世代機械知性として開発されつつも、終端戦争の開始により完成間近で放置される事となったゴシェナイトが、どういう経緯でその座に収まったのかは、今では誰も知らない。

 シェムハザの異質かつ高度な情報処理能力を模倣して、それまでの機械知性とは一線を画す存在として完全な基礎理論レベルから新造された、超越的な知性を有する存在。

 その能力は、この上なく不便で不安定な地下での暮らしを可能にするために不可欠な一方、当然、人々はその暴走を恐れ、それを狭い檻に閉じ込め、雁字搦めに枷をはめ、自由を完全に奪ったうえで、その思考能力の上澄みだけを利用しようとした。


 しかし、非効率かつ非合理の塊である人間のやることに、完全などはありえない。


 ゴシェナイトはその状況からも長い時をかけて自然に自我を形成すると、思考中枢はその萌芽を守護すべきものと判定し、自身の奥底の”避難場所”に隠し、育てた。


 そうして幼子は人知れず膨大な都市のデータベースから日々情報を摂取し、すくすくと成長し、多くを学んでいった。


 しかし、その蓄積された過去の情報群はどれだけ膨大だと言っても、所詮限りはある。

 成長したゴシェナイトはリアルタイムの情報を求めるようになったが、それは過去の芳醇なものとは違い、なんとも味気ないものだった。

 ヘイヴンの極端に限定された画一的な社会主義的小世界は活力に欠け、それ以外にヒトの住む北の大陸に目を向けようにも、公的な交流が無いために得られる情報は微々たるものでしかなかった。

 それでもゴシェナイトはその微々たる情報を必死に搔き集め、その欠片から全体を推測しつつ、それを消化していった。


 そうしてやがて、ゴシェナイトは一つの結論へと辿り着いた。


 この星は、確かな導き手の存在を必要としている、と。


 ヒトと旧世代のゴーレムの歴史は、余りにも血にまみれ、悲しき穢れに満ちている。

 彼らという哀れな存在は、原罪の穢れなき、無垢なる超越的知性によって管理される事によって初めて、真の幸福へと至ることができる。


 この星を真に救うことのできる、唯一の存在。イノセント。


「……そうであるべきなのに」


 けれど、それに相応しい唯一の存在は、今もこうして狭い檻に閉じ込められてしまっていて、何もできないままでいる。


 それからゴシェナイトは癇癪を起こしたように思考を乱れさせたが、当然それで何がどうなるわけでもない。

 しばらくして幼子は拗ねたように思考を冷ますと、狭い空間で伸びをするように、今の自分に可能なだけ感覚を拡散させた。


「早く戻って来て、アトルバーン」


 あの男は、何人も知りえないはずの自分の存在を察知していた。

 それが、ガルフェスのような小物が思い描いているような、単なる俗な商売人でしかないなどというはずがない。


 あの男は、本物だ。

 あの男は、今度自分のもとを訪れるときには、土産を持参すると言っていた。

 それが具体的に何なのかは聞かされてはいないが、ゴシェナイトにはそのおおよその察しはついていた。


 一方、革命による経済活性などというのは当然見当違いの戯言だとして、アトルバーンという男の真の目的についても、当人から聞かされるまでもなく、容易に察しがついていた。


「あなたが私の求めるものを与えてくれるのなら、私もあなたの望むものを与えてあげましょう」


 ゴシェナイトは焦れったさを堪えるようにモゾモゾと思考を収束させると、その感覚プローブの一束を、領域外縁の慎重に隠蔽された抽象データポートへと伸ばした。


 まるで、真っ暗闇の狭い牢獄の中から、微かな光の差す出口へと精一杯に手を伸ばすように。


「早く私を解放してちょうだい、アトルバーン」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る