_39_トランス・ワールド_
メタ・トランス・アゼル。
翆色とも赤紫色とも違う、澄んだ青色へと更なる変質を遂げ、より大型化した輝く翼。それをマントのようにはためかせ、全身の甲殻に走る金色の縁取りが眩い輝きを放ち、頭頂からは伸びた数本の角が王冠のような形を取る威容。
覚醒を果たしたフォティアの絶対王者は、その青く輝く瞳で敵を睨みつけた。
自我を完全に喪ったジグだった肉塊は、増殖を繰り返しながら、他のネフィリムの数倍はあろうかという巨人の形へと変化していく。
その肉の塊が体を揺らし、動かすたびに、周囲にはどす黒く濁った毒そのもののフォティアが放出されていく。
それをアゼルは自身のマントから清純なフォティアを放出し、毒をまっさらに洗い流し、浄化していく。
「ア……ゼル……!」
尚もジグはアゼルへと拳を振り上げ、攻撃を仕掛けてくるが、そこには何らの意識の残滓も感じられない。
単に生前の行動を反復しているだけの肉塊、生ける屍。
アゼルはその攻撃を微動だにしないままに防壁で受け止め、弾き返すと、何もない虚空に手をかざし、そこから自分の身長ほどもある長い杖のような武器を取り出した。
更に攻撃を続けようとする肉塊に対し、アゼルが手にした王笏を向けると、その先から無数の光の矢が飛び出し、肉塊の至る所に次々と突き刺さっていった。
もう痛みも何も感じることのない肉塊はそれでも怯むことなく向かってくるが、アゼルの方もそれに動じず、その針の山のような体に笏を向け、激しい雷撃を浴びせかけた。
その雷撃が敵の体に刺さる無数の避雷針代わりの矢へと直撃し、その巨体を内側から焼いていく。
「ア……ゼ……」
それでも肉塊は全身から煙と毒をまき散らしながら進み、ついにはアゼルの目の前まで到達した。
直後、アゼルは右手の中の王笏を虚空に戻すと、その手を堅く握り、素早くジグだったものの胸の中心を貫いた。
その攻撃を食らった肉塊の部位が真っ白な灰と化し、その変質は瞬く間に全身へと伝播し、数秒後にはその全てが灰となって崩れ、風の中へと消えていった。
それからアゼルは青色に輝く巨大な翼を大きく広げると、その清いフォティアで戦場の毒気をもう一度洗い流していった。
その壮絶な光景を、セフィは恐怖に慄きながら茫然と見つめていた。
ジグの暴走。そして、アゼルの更なる人間離れした異形への変貌。
思わず、自分の手をじっと見つめる。
「私が……、私の血が、何もかもを不自然な形に歪めていく……」
セフィは自分自身を恐れていた。
恐怖に頭が真っ白になり、この場から逃げ出したくなり、全てから目を背け、駆け出そうとする。
しかし、その振り返った視線の先に何者かが立っているのが見え、セフィは足を止めた。
「セフィロト・アンソス……」
長い黒髪を風に揺らす女性。
「あなたは……?」
女はそれには答えず、少しの間空を仰ぎ見てから、言葉を続けた。
「……私は、世界がこうなる前の形を、今でもはっきりと憶えています」
セフィがどう対応していいか分からないでいると、女は尚も話を続けながら、ゆっくりとセフィへと歩み寄ってきた。
「それも、シェムハザの到来がなにもかもを変えてしまった。そして今また、あなたの存在が、ネフィリムなどという歪な存在を生み、それが、世界を塗り替えつつある」
「私は……。ネフィリムは、私が望んで生み出されたものではない!」
思わずそう言ってしまうものの、それが言い訳でしかないことは、セフィは自覚していた。
だからそれ以上の言葉は出てこず、その隙をつくように、女は言葉と足の運びを続けた。
「今となっては、その良し悪しを測ろうとは、思いません。これが時代の趨勢というなら、無力な私はそれに飲まれるしかない。けれど、それならばせめて、私は知りたい。シェムハザ、アンソス、あなたたちが何故存在し、何を望むのか。せめてそれだけは、知りたい」
セフィの目の前まで辿り着いた女はそう言うと、セフィを誘うように手を差し出した。
「私と、一緒に来てください。あなたも、あなた自身を知りたいのでは?」
セフィは、その手を、ただじっと見つめ続けた。
戦いは、終わった。
ギリギリで首都の防衛はなったものの、東方領域全体としては連合軍の戦力は大きく削られてしまい、最早負け戦の雰囲気が漂い始めていた。
敵の巨人たちも相当数が討伐されたものの、まだどれほどの数が残っているのかは未知数だ。
結果、連合は条件付きでの降伏を申し出ることとなった。
実際的な統治力の未知数なセリオンへの急激な全権移譲は致命的な社会不安を招くとして、現行の体制はしばらく維持したまま権限移譲は段階的に行う事とし、また、その間も大まかな舵取りはセリオンの意思に従う事とする。
それに対し、自分たち自身も少なからず痛い目を見たセリオンもその条件を承諾。
これにより、事態は一応の解決へと辿り着いた。
「あーもー、なんかスッキリしないな」
面白くなさそうに呟くリュゼに対し、その場に居る誰もが黙ったままでいる。
「……で? これから私たちどうなんの?」
続けて誰にともなくリュゼがそう尋ねても、すぐには答える者はなかったが、少ししてからガントが鼻を鳴らしつつ答えた。
「どうもこうもないだろ。これでお終いだ。唯一出来る事と言ったら、神様に祈る事ぐらいか? 得意だろ、お前、そういうの」
そのガントの皮肉に対し、今度はリュゼの方がムスッとした顔で黙りこくってしまう。
「……そんなことより、セフィだ。あいつが何処に消えたか、まだ分からないのかよ」
次に声を上げたアゼルに対し、ガントが何か答えようとしたものの、それよりも早くポラートン課長が声を発し、アゼルをたしなめた。
「落ち着きなさい、アゼル君。現在、大勢の人たちが探し回ってくれているんですし、時間的にそれほど遠くへは行っていないでしょう。すぐに見つかります。安心しなさい」
アゼルにとってそんな言葉は何の気休めにもならなかったが、かと言って、大規模な捜索が行われている中で自分一人が無暗に駆け回っても何にもならないだろうという事ぐらいは理解してもいた。
アゼルはただ歯痒い気持ちを抱いたまま、その場に立ち尽くすしかなかった。
「……クソっ! 何がどうなってんだよ!」
そんな沈みきった場の空気を払うようにポラートン課長は大きく溜め息をつくと、それと同時にガントがいつもの軽い調子で課長へと声を掛けた。
「この状況で切り出すのも気が引けるが、課長、しばらく休暇をもらってもいいかな?」
「休暇、ですか?」
「なんかここんとこ、急に故郷が恋しくなってね。ちょっと帰省でもしようかと」
「ふむ……」
何でもないような態度でいるガントに対し、課長はその感情の見通せない鎧姿を値踏みするようにまじまじと見つめる。
「……ま、良いんじゃないですか? お土産話、期待してますからね?」
「どうも。それじゃ、善は急げってことで、すぐ発ちます」
そう言って立ち上がり、部屋を出て行こうとしたガントの背中に、課長はもう少しだけ付け加えた。
「くれぐれも気を付けて下さい。ちゃんと無事に帰ってくるんですよ。君のサボり癖のお陰で、山のような仕事が残っているんだから」
ガントはそれに対し、言葉ではなく背中越しに手を振るだけで応え、そのまま部屋を去っていった。
草葉を揺らしながら、穏やかにそよぐ風の吹き行く先を見つめる老人の隣に、銀髪の少女が音もなく歩み寄った。
「閣下」
「珍しいな、アレクサ。君がここに顔を出すなんて」
それから、アレクサはアトルバーンと同じように風の行く先を見つめ、改めて言葉を続けた。
「私は、私であることを取り戻しました。アレキサンドライトであることを、その罪を」
「それで? 君はどうしたい?」
「私は、行きます」
「そうか。……本来、セリオンとは、上っ面の反体制組織を指す言葉ではない。”汝の意思することをなせ”。セリオンを定義する言葉とは、ただそれだけだ。虐げられた者たちのセリオンは同じ方向を向き、集い、組織としての体裁を取り繕った。しかし、君がそれに従い続ける必要などはない。君は、君のセリオンを理解したのなら、それにこそ従えばいい。君のしたいようにしたまえ。何人もそれを縛ることなど、許されはしないのだから」
「……この世界がこうなってしまったのは、私のせいです。私は、その罪を償わなければいけない」
アレクサは一瞬物憂げな表情を見せてから、それを毅然としたものへと変え、アトルバーンの顔を真っ直ぐに見つめた。
「閣下。私は、アメトリンと共に行きます。全ての誤解を解き、全てのわだかまりを解し、離れ離れになってしまったものを再びひとつに繋ぎ合わせるために。ヒトも、ゴーレムも、シェムハザも。皆を千年の呪縛から解放し、自由にするために」
その言葉に、アトルバーンはゆっくりと頷く。
「そうして世界そのものを淀んだ微睡みから覚醒させ、新たな段階へと転化させるために。そのために、私は君を起こした。君に、私のセリオンを託す」
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