_38_メタ・トランス_


 突然街中に現れた巨人は、公的機関の施設のみならず、目に付くもの全てを見境なく襲い始めた。


 赤黒い甲殻が鈍く照り輝き、長い尻尾を伸ばし、膝を曲げ、体勢を低くし、腕を垂らした姿。猛り狂う獣そのものの姿。


 その迎撃にリュゼとディットはすぐさま駆け付けたものの、二人掛かりでも、その獣を無力化することは容易ではなかった。


「なんだよこいつ、無茶苦茶だぞ!」


 リュゼは必死に攻撃の機会を窺うも、敵は長い尻尾を激しく振り回し、懐に踏み込む隙は無い。かといって、魔法をぶつけようにも、強力な防壁を張り続けているようで、生半可な攻撃ではダメージは通りそうにも無い。


「このままでは埒が明かない! 僕が突破口を開く。続け!」


 西方の騎士はそう言うと飛び出していき、リュゼもタイミングを計り、身構えた。


 ディットは腰の装備を空中に放出し、それを駆使して敵の尻尾をいなしつつ、肉薄。一気に間合いを詰め、剣の攻撃を鋭く差しこんだ。

 それは真っすぐに敵の左肩の甲殻を砕き、肉を突き刺したものの、敵は痛みに怯む素振りも見せずにすぐさま反撃を繰り出し、その直撃を受けてディットは吹き飛ばされてしまう。


「次は私の番だ!」


 入れ替わりに今度はリュゼは渾身の力で勢いを込めたパンチを繰り出すが、敵はそれを更に強化した防壁で防いだ。


 その防壁の余りの強度に逆にリュゼの拳の方が粉々に砕け、リュゼは絶叫を上げつつも、敵の追撃をかわし、一旦距離を取った。


「どうすんだよ、これ。なんでこいつ、こんな急に強くなってんだ」





 不意に、アゼルは目を覚ました。


 どこかの室内。病室か何かだろうか。

 軽く軋む感覚に耐えながら上体を起こすと、すぐ傍でセフィが椅子に座ったまま寝息を立てているのに気づいた。その背中には、見覚えのある大きな黒いフードが掛けられている。


 ぼんやりとした頭で、自分はどうしてここに居るのだろうと記憶を探っていると、何処か遠くの方で誰かが戦っているのが感じられ、アゼルはそちらに意識を集中した。


 リュゼとジグ、そして、ディット。


 何故ディットがこんなところに居るのだろう。

 自分の最後の記憶は戦っている最中のものだ。今もその戦いは続いているのだろうか。


 よく状況が飲み込めないまま、とにかくアゼルはベッドから起き上がることにした。


「……アゼル?」


 その動作がセフィを起こしてしまったようで、セフィは目をこすりながら、寝起きのボソボソとした声を発した。

 しかし、アゼルの姿を確認するとすぐに意識がはっきりと覚醒した様子で、セフィは声を張り上げた。


「アゼル! 良かった、目が覚めたんですね」


「ああ、よく分かんないけど、心配かけたみたいでごめん。もう大丈夫だ。まだ皆戦ってるんだろ? ちょっと手助けに行ってくるよ」


 そう言ってアゼルは部屋を出て行こうとするが、その手をセフィは堅く握り、引き留めた。


「セフィ?」


「駄目です、アゼル。何を言ってるんです? そんな体で戦いなんて出来るわけありません。行っては駄目です」


「心配してくれるのは嬉しいけど、大丈夫。今までもこんなことは何度もあったけど、それでも結局は無事に切り抜けて、お前の傍に戻ってこれた。今度だってそうに決まってる」


「決まってません!」


 その叫びにアゼルは動揺しつつも、改めて穏やかな声を作り、説得を続けた。


 遠くの方からは尚も、激しい戦いの続くのが感じられる。


「行かせてくれ。そうしたいんだ。そうしなきゃ、って思うんだ。俺の中の何かが、そうしろって叫ぶんだ」


「私だってそうです。あなたを行かせてはいけないって、危険な場所には行かずに、ずっと傍に居てほしい、って。以前、あなたは言いました。私に、本当の気持ちを言え、って。だから私は……!」


 セフィの手が、痛いぐらいの力で自分の手を握りしめている。

 アゼルはそれを感じつつも、自分自身も力を込め、その手を強引に離した。


「ごめん、セフィ」





 アゼルが参戦し、三対一となっても、それほど状況は好転しなかった。


 アゼルの強力な魔法に対してもジグは防壁で絶対的な拒絶を見せ、三人掛かりの攻撃に対してもそれ以上の仕返しを繰り出し、一向に消耗する様子も見せはしない。


 しばらくしてミンスキンの残りのメンバーも乱入し、そのまま三対四の形勢不利に転ぶかと思われたものの、連中としてもリーダーが街中で暴走するのは不都合らしく、結局はジグ相手の総力戦の様相となった。


 それぞれが自らも傷つきながら必死に攻め、一人が倒れてもその隙に他の者で攻め、着実にジグの体にダメージを与えていった。

 しかし、それでもジグの勢いは一向に弱まりはしない。

 確かに甲殻はひび割れ、体のそこかしこから翆色の血が、淀んだ毒素のようなフォティアとともに流れ出ているにもかかわらず、ジグはまるで痛みも消耗も感じないかのように激しく暴れ続けた。


「ジグ、お前、もう完全にぶっ壊れちまってるのか」


 その姿に、アゼルは憐れみすら抱き始めていた。


「もう、全部終わりにしようぜ。お前との腐れ縁。何もかも」


 アゼルはそう覚悟を決めて飛び込むものの、どうにもあと一歩力が出てこない。


 前回のような神経の苦痛は無く、自分の中に途轍もない力が爆発寸前に高まっているのも感じるが、その取り出し方が分からないもどかしさ。


 気持ちの上での覚悟が決まっても、力が追いついてこない。


 そんな中、ジグが急に咆哮を上げると、アゼルへと一直線に向かって来た。

 アゼルはそれを受け止めようとするものの、そのための十分な力を引き出せず、真っ向から攻撃を食らい、地に叩きつけられ、その上を激しく転げ回ってしまう。


 それに追い打ちを掛けるように、ジグは獰猛な声を上げ、槍のような尻尾を構え、跳びかかった。


 アゼルはその攻撃に左胸を貫かれながらも、反撃として敵の腹の傷口へと両翼を剣として振るい、敵の上半身と下半身を一気に両断した。


 ジグの上半身がその勢いで吹き飛び、近くの建物を叩き壊しながら着地する一方、アゼルも胸に突き刺さった尻尾を引き抜くと、その場に崩れ落ちた。


 視界の奥では、瓦礫の中からジグが上半身だけで動き、こちらへ這って来ようとするのが見える。


「……まだやるつもりなのかよ。どうしてそこまで!」


 アゼルはジグをいい加減に楽にしてやろうと立ち上がろうとするが、足が滑り、もんどりうって倒れこんでしまう。


 左胸からは赤紫色の血が勢いよく溢れ、それとは別に、自分の力が自分自身に吸い取られているような理不尽な感覚すら抱く。


 自分の中で力を蓄え、強まり続ける新たな力。

 その存在を確かに感じながらも、その力は自分の奥底に埋まり、手が届きはしない。


「……クソっ。立てよ。俺の体なら、俺の言う事を聞け……!」


 しかし、どれほど気合を入れても、それもすぐに自分自身へと吸い取られ、ついには意識すらも保てる状態ではなくなり、アゼルのそれはまたも微睡むように薄れ、掠れていった。





「……アゼル!」


 淀んだ暗闇の底に沈むジグの意識には、もうアゼルへの憎しみしか残ってはいなかった。


 腹の断面からは血と臓物がずるずると崩れ落ちていくの感じ、それ以外の全身の甲殻も次々にひび割れ、粉々に砕けて散っていく。

 それでもジグは残された両腕を必死に前後させ、アゼルを倒すべく這い続ける。


 その命を削る行進の中、ジグの脳裏には様々な過去の光景が微かな残響のように浮かび、消えていった。


 そうしてようやくアゼルの元へと辿り着いたジグは、その身動きを止めた体を衝撃波で仰向けに倒すと、その上へと這って上った。

 そして、アゼルの首根っこを両手で掴み、それをありったけの力で締め上げた。


「……アゼル!」


 この上ない愉悦。


 それがジグの最後の思考だった。

 それからもジグは意識を失ったアゼルの首を力いっぱいに締め続けるが、最早そこには怒りも憎しみも、愉悦も達成感も、何一つの感情も残ってはいなかった。





 混乱する警備の隙をつき、アゼルの後を追って外へ飛び出したセフィの視界に、その光景が刺すように飛び込んでくる。


 まるで時が止まったような感覚の中、思考が極度の緊迫の果てに飽和していく。

 そして、それはふいに弾け、外に対して物理的な衝動となって放出された。


「アゼル!」


 絶叫とともに解き放たれた超密度の猛烈なフォティアの奔流が、戦場を飲み込んでいく。





「フォティア……フラッド……!」


 傷つきながらもなんとか立ち上がり、アゼルの助けに入ろうとしたアレクサだったが、その思いもよらない現象に転化を解かれた上、機体の命令伝達系統すらもやられ、最早立ち上がる事すらもままならない状況に陥ってしまっていた。


 瓦礫の山。渦巻くフォティアの奔流。


 ふいに遠い過去の記憶が鮮明に蘇り、それが目の前の光景と重なっていく。

 シェムハザと接続され、パニックに陥り、初めて巨人へと転化した時の記憶。


「私が、世界を……滅ぼした」


 その事実にアレクサが衝撃を受ける中、その視界の奥で、ジグの体に変化が起き始めた。


 全身のひび割れた甲殻の奥から、何かが殻を破るように大きく膨れ上がっていく。


「暴走……!?」


 トランサーによる耐用限界を越えた肉体は、後はただ崩壊するだけのはずだが、このフォティアの奔流の影響で組織が変容し、代謝系のタガが外れてしまったのだろう。

 先ほどまでジグだった肉塊は際限なく増殖を繰り返し、極端に巨大な肉の塊へと変貌していく。


「止めなければ……! このままでは、また世界が……!」


 アレクサは残された力を振り絞り、なんとか立ち上がろうとするも、体はまったくいう事を聞いてはくれない。


 周囲を見渡しても、他の者たちも皆、意識のあるなしに関わらず変身が解け、戦える状況ではないようだ。

 ただ一人、例外を除いて。アゼルだけは、意識はないようだが、今も巨人態のままでいる。


「アゼル……!」


 アレクサは、声の限りに叫び、呼び掛けた。

 この状況を救えるのはただ一人。その意識を呼び起こすため、アレクサは必死にアゼルへ呼びかけ続けた。





 アゼルは、自身の内面に三つの力を感じていた。

 顔も名前も知らない両親から貰った、自分自身本来の資質。

 そして、セフィとクリュー、二人のアンソスから貰った、シェムハザ由来の資質。


 それらはこれまで別々に自分の中に存在していたが、今それが一つに結びつこうとしているのも、感じていた。


 そのためにはまだまだ力を溜めこむ必要があったが、それも今セフィが与えてくれた膨大な量のフォティアで賄う事ができた。


 すべての準備は整った。


 アゼルは意識を覚醒させ、自分の中に蓄えられた莫大な力の塊を”発火”させた。


 瞬間、何もかもが一つに融合し、完全無欠の相補性フィードバックループを確立させていく。


 力が力を呼び、そのうねりが更なる大きなうねりへと昇華されていく。


 アゼルはその力を使い、まずは自分という存在の物理的世界に対する切片である小さな器、肉体の改良に取り掛かった。


 ヒトを超えたヒト。

 ネフィリムを超えたネフィリム。

 トランスを超えたトランス。


 アゼルは声を発し、それを実行した。


「メタ・トランス!」

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