_37_リユニオン_


 静かな寝息を立てて眠り続けるアゼルを、セフィはただじっと見つめる。

 あの戦いから数日、意識を失ったアゼルは今もそのまま、目を開けはしない。


 リュゼの面倒を見ている専門チームによれば、命に別状はなく、遠からず目を覚ますだろうとのことだが、そうは言っても、セフィとしては実際に目を開けてくれるまでは安心のしようも無く、不安で押し潰されそうな気分だった。


「私の血のせいで、またあなたを危険な目に遭わせてしまった……」


 俯き、手の中の小物を所在なく弄ぶ。

 千年祭の出店で買った、二人お揃いの小さな金属細工のアクセサリー。


「……私ね、ずっと憧れていたんです。”普通の女の子”に。……普通に同じ年ごろの男の子と出会って、普通に一緒に楽しく遊んで、普通に仲良くなっていって……。私、あなたと出会って、舞い上がっていたのかもしれない」


 少しずつ、声に震えが滲み始める。


「でもね、やっぱり違うんだな、って。私は、普通じゃないんだな、って。ようやくそれが、分かったんです。だって私は、シェムハザの娘だから。翆色の血を流す、堕天使の娘、だから」


 視界も潤んで滲み、金属細工の輪郭がグニャグニャと溶けていく。


「私は、ただの醜い化け物だから……!」


 もう堪えきれず、涙が溢れ出し、嗚咽が漏れる。


「私のごっこ遊びにあなたを巻き込んだせいで、こんなことになって……。ごめんなさい。ごめんなさい、アゼル……!」





「……まったく、私も傍からはこんな風に見えてたのかしら。確かにこれは鬱陶しいわね」


 突然背後から声が聞こえ、セフィは慌てて涙を拭い、振り返った。


「……クリュー!? どうしてここに?」


 記憶にあるよりは大分背が伸びているが、確かに面影のある少女の姿。

 しかし、あの頃とは雰囲気が違い、黒いフードからは頭を出し、明るい橙色の髪を揺らしながら、堂々とした足取りで室内へと入ってくる。


「決まってるでしょ、情けない姉を嗤いに来たのよ」


 そう言うとクリューは寝たままのアゼルの姿を一瞥すると、複雑な表情を見せた。


「心配なのは分かるけど、どうせすぐにケロッと起き上がるわよ。そういう奴でしょ、こいつ」


「……そっか、アゼル、西方に居たって言ってたもんね。クリューも知ってるんだ」


「まあ、ね。そんなことより、今あんたがブツクサ言ってたこと、アゼルが聞いたらどう思うかしら? ……シャキっとしなさい。大丈夫。あんたは化け物なんかじゃないし、アゼルもそんなこと気にしない」


「……うん。そうだね、私、もっとしっかりしないと」


 セフィはそう言って頷いてみせるが、内心では全く納得していないのは丸分かりだった。

 それに対して、クリューはそれを見透かしたようにため息をつき、ただ黙って姉の傍に居ることにしたようだった。





「……私ね、本当はずっと、クリューのこと羨ましいと思ってた」


 しばらく続いた沈黙の後、急にセフィが呟くように口を開いて言った。


「はあ? あんたが私を? 逆ならともかく、私の何処にあんたが羨ましがるような要素があるって言うのよ」


「だって、クリューはお父さんとちゃんと血が繋がってるから……。でも、私はそうじゃないから。お父さんのこと、本当にお父さんって呼んでいいのかって、ずっと不安だった」


「……まったく、この妹にしてこの姉あり、ね」


「え?」


「何も言ってないわよ、空耳でしょ」


 それからクリューは大きくため息をつき、姉の目をしっかりと見据え、続けた。


「そんなのエノンが聞いたら卒倒するわよ。あいつがどれだけあんたのこと大事にしてたか、あんた自身、しっかり分かってるんでしょ。あんた、私と違って頭良いんだから」


「うん、分かってる。でも、それに甘えていいのかな、って。私にその資格があるのかな、って」


「何が資格よ、くだらない。誰かが大事にしてくれる、って言うのなら、それに精一杯甘えて見せればいいだけじゃない。難しく考える必要なんて無いの」


 そう、なんでもない事のように言うクリューのことをセフィは意外そうに見つめ、それから少しして、顔を綻ばせて言った。


「なんか、変わったね、クリュー」


「は? そりゃそうでしょ。あんたがこっちに発って何年経つと思ってんのよ」


「ううん、そういうんじゃなくてさ」


「……ま、こっちはこっちで色々あったしね。こいつには何かと散々引っ掻き回されて大変だったんだから」


 そう言ってクリューはまたアゼルへと視線を移し、セフィもその視線を追ってアゼルの寝顔を見つめた。


「こいつ、私に自分のしたいようにしろ、って言ったの。自分で自分を縛る必要なんか無い、って。あんたにだって同じようなこと、言ってたんでしょ? あんたも、自分自身の気持ち、自分自身がどうしたいか。そういうの、もっと大事にして良いんだと思う」


「うん……」





 同じころ、ガントたちも一堂に会し、アゼルの身を案じていた。


「で、具体的には? 勿体ぶらずに手短にな。あんたらの話はすぐに枝葉末節に流れていくから」


 ガントがそう促すのに対し、ネフィリムの研究開発・整備運用を一手に引き受ける混成科学者チームの責任者が資料をペラペラとめくりながら答えた。


「改めて言うが、心配はないと思う。耐用限界のような組織の崩壊現象は見られず、これまで通り安定はしている。……というよりも、更により安定した状態への変遷のためにエネルギーを蓄えている、といった風にも見える」


「素人にも分かるように頼む」


「……これまでのアゼル君の体内には、生来の組織と、アンソス由来の組織が互いに独立しつつ併存する形で存在していた。それが今、彼の全身はそれらを融合させ、より効率的で、より安定的なシステムを再構築しようとしているのだろうと思われる。……まあ、所詮は推察だがな。我々としても手探りの状況だということは改めて断っておく」


「まあ、危篤の心配が無いならとりあえずあいつの事は後回しにしよう。他にも考えておかなきゃいけないことは山ほどある」


 ガントがそう溜め息まじりに言い、それに乗ってリュゼが口を開いた。


「軍の魔法戦部隊はほぼ壊滅。アゼルも意識不明。敵がまた攻めてきたら、私一人じゃ抑えきれないかもしれない。もちろん、やるだけやるつもりではいるけどさ」


「敵方も相当戦力は削られているはずだと思いたいが、蓋を開けてみないことにはな。ただでさえ連合全体としては劣勢だ。この首都まで落ちたら瓦解は決定的。悪いが、お前にはできるだけの無理はしてもらうことになるだろうな」


 それにリュゼが力強く頷くのと同時に、部屋の隅でそれまで一連の流れを黙って聞いていた少年が、口を開いた。


「……いざともなれば、僕も手を貸そう」


 全員の視線が少年に向けられる。


 もう一人のアンソスとともに、その護衛として突然西方から来た若騎士。


「……あんたが?」


 リュゼが疑わし気に聞くも、少年は気にせずに続ける。


「誓約騎士の事は知っているだろう。戦力としては十分に期待に沿えられると思うが?」


「西方の魔王の僕。……西方からの技術提供のおかげで生き永らえてる私が言うのもなんだけどさ、どこまで信用していいの?」


「我が魔王としても、東方における現在の状況は喜ばしいものとは言えない。終端戦争後の千年に渡る平和は、東西が互いに睨み合う、力の均衡の下で醸成されたものだ。その一極が崩れれば、アルカディアの平穏さえも乱されかねない。西方の平和のためにも、東方には現行の秩序を維持し続けてもらう必要がある」


 その説明にもリュゼは完全には納得しない様子ながら、一応は頷いて見せた。


「ま、なりふり構ってる場合じゃない、か」





 ジグが、長い廊下を行く。

 懐に力の源を感じ、高揚を抱きながら。


 この力があれば、今度こそ自分をコケにしてきた者たちを完全に潰してやれる。


 逸る気持ちが足をひたすらに動かしていると、ふいにすれ違った者と肩がぶつかり、相手は無様に床を転げた。


「何をするんだ!」


 そう耳障りな声を上げられ、ジグは舌打ちをしながら足を止め、振り返った。


 よく見れば、見覚えのある顔だ。

 メフリーズで自分を嘲笑った者たちの一人。

 それが自分たち同様、このナーグプルへと送られ、先日の作戦にも参加していたのだろう。

 全身のそこかしこにまだ包帯をした傷だらけの姿。

 出来損ないのネフィリムもどきは、回復能力も不完全らしい。


 すぐに立ち上がる体力も無いのか、まだ床に転がったまま、何事か喚き続ける男へ、ジグはゆっくりと近づいていく。


 そして、相手の胸の傷口へと、力いっぱいにかかとを落とした。

 相手の絶叫が廊下中に響き渡るのも気にせず、ジグは何度も何度も、足を振り下ろし、傷を踏みにじる。


 段々と絶叫が弱まり、か細いうめき声となり、すぐにそれも掠れて消えていった。

 それからもしばらくジグは足をひたすらに振り下ろしていたが、ようやく満足した様子で興奮した息を整えると、そのまま振り返り、廊下の先へと消えていった。





「……彼を、ジグを、止めてください!」


 突然取り乱した様子で部屋に飛び込んできたアメトリンの姿に、シシたちは驚いてソファから立ち上がり、駆け寄った。


「なんだ、どうした」


「彼は、力に飲み込まれ、見境を無くしている。このままでは恐ろしいことになる。どうか彼を止めてください。今は、あなたたちしか頼ることができない」


 いまいち要領を得ない説明に困惑しながら、シシたちはお互いの顔を見合わせるが、そんな中、アレクサがいち早く決断の声を上げた。


「行きましょう」


 それにシシとヨーラも素早く頷き、三人は一丸となって部屋を飛び出していった。


 後に残されたアメトリンは尚も不安に怯えるように肩を抱き、皆の走り去った方をじっと見つめ続けた。


「……ネフィリム。シェムハザ、アンソス。その力が、存在が、またも人を狂わせ、世界を壊す」


 アメトリンの視界に、かつての翆色の輝きが爆ぜる廃墟の光景がオーバーラップする。


「……私は、諦めるわけにはいかない」

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