_36_エモーション_


 こちらの抑えつける力に対し、ジグの反発する力は完全に弱まり、最早無抵抗と言っていい状態になっている。

 アゼルは魔法の発動を止め、ジグを超重力の檻から解放した。


「いい加減、懲りただろ。もうやめようぜ、こんなの。本気で世界を変えたいって思うなら、やり方間違えてるだろ。今ある世界が気に食わないからって、ただ後先考えずにぶっ壊したって、それで何が変えられるんだよ。自分の事、頭良いって思ってんなら、それぐらい分かるだろ。分かってくれよ」


 アゼルは、この馬鹿げた争いに対して、本気で嫌気がさしていた。

 

 実際、ジグと言う男は自分よりもずっと頭が良いのだろう。それがどうして、理性的な話し合いよりも、感情的な暴力を優先してしまうのか。

 アゼルにはその理屈がまったく理解できなかった。


 しかし、そんなアゼルの願いも虚しく、束縛から解放されたジグは最後の力を振り絞るように獣のような雄叫びを上げ、またも襲いかかってきた。


「どうしてそうなるんだよ!」


 アゼルは絶叫し、もう全てを諦め、敵にとどめを刺す覚悟で魔法を放とうとした。

 しかし、そのために頭の奥でフォティアを発火させようとした瞬間、全身を激しい苦痛が襲ったため、アゼルは咄嗟に発動を中断するしかなかった。


 セフィの血を飲み、初めてネフィリムへと転化したときに感じたのと同じ、全身の神経が脳髄から末梢まで激しく燃え上がるような激烈な反応。


 何故今頃になってまたそんな苦痛が舞い戻ってきたのか。

 それを考える暇もなく、ジグが突然の隙を好機と捉え、一気に間合いを詰めてきた。


 アゼルはとにかく痛みを堪え、魔法を無理やりに発動し、それを迎撃した。


 ジグがその直撃を食らい、叫び声を上げて吹き飛ぶのと同時に、アゼルの方もまた激しく燃え上がる痛みにうめき声を上げ、身をよじって苦しんだ。


 それでもなお、ジグはよろけながらも立ち上がろうとし、アゼルもフラフラになりながら、それに追い打ちを掛けようとする。





 雲一つない、抜けるような青い空。

 アレクサの瞳に映る景色が、翆色の光が舞う廃墟から、何の前触れもなく一瞬の内にリアルタイムの映像へと切り替わる。


 咄嗟に機体のステータスを確認。

 思考中枢による主観では、それなりの時間、”夢”の中に居たつもりだったが、現実ではほんの数秒程度しか経過していないようだ。危機回避のために、自動的にオーバークロックが働いたのだろうか。

 全身のダメージは大きいが、戦闘の続行は可能だろう。少なくとも、敵を牽制しつつ撤退するぐらいの行動の自由は利くはずだ。


 それだけを確認すると、アレクサはすぐさま活動を再開した。

 

 すぐ傍でまだこちらを警戒したままの敵のネフィリムを、それが反応を示すよりも早く起き上がり、全力で突き飛ばす。そしてそのまま、敵に追撃はかけずに跳び上がり、上空で視線を走らせ、改めて戦場の状況を俯瞰する。


 強引に力押しをすれば、このまま押し切れないことも無い状況に見えるが、その場合、味方にも相応の損耗が発生しないとも限らない。

 

 以前のアレクサであれば、それはやむを得ない犠牲と判断して、あくまで戦術目標の達成を第一に行動選択を行ったはずだが、いつの間にかアレクサは、味方の犠牲をやむを得ないものとは評価しなくなっていた。


 しかしいずれにせよ、自分はゴーレム、人間の道具であり、その指示には従うしかない。

 アレクサはジグの指示を仰ごうとその姿を探し、その危機を察知すると、敵の脅威度の判断もせずに、救出へと飛んだ。





 素早くジグの盾になるポジションへと着地し、敵の強大な魔法攻撃を全身で受け止める。

 アレクサはどうにかそれを堪え、反撃を繰り出そうとするも、まだらな灰色のネフィリムは苦しみに耐えかねたように頭を抱え、そのままその場に膝を付いた。


 アレクサはそれを反撃の好機と捉える思考を否定し、とにかくジグの状態の確認を優先する。

 すぐさま後ろを振り返ると、ジグは既に転化が解け、生身の姿で意識を失い、倒れていた。


 アレクサが巨大な両手でその体をすくい上げると、そこからは確かな体温と鼓動が感じられ、ひとまずの安心は得られた。


 それからアレクサは視線を走らせ、先ほどまで相手をしていた方の白いネフィリムの様子を窺った。


 ジリジリと間合いを測るように近づき、戦闘継続の意思は崩してはいないようだ。


「待ってください。こちらにこれ以上の攻撃の意思はありません。我々は退きます」


 アレクサが咄嗟にそう叫ぶと、敵は警戒を維持しつつも、動きを止めた。


 アレクサは誰かから指示を受けたわけでもなく、自分自身でそう判断を下したことに動揺しつつも、それを誤魔化すようにシシとヨーラへと視線を送った。


 指揮権を持つジグは意識を失い、それに次ぐシシもまだ痛みに悶えるように身を震わせ、指揮を取れるような状態ではないようだ。


「良いですね、ヨーラ? 撤退の許可を!」


 突然そう声を掛けられたヨーラは、それが全くの想定外だった様子で狼狽えつつも、その提案に喜んだような声で返事をした。


「逃げるの? そう、そうだね。そうしよう!」


 そう言うとヨーラはすぐさまシシを抱え、一目散に飛び去って行った。


 それを確認しつつ、アレクサはもう一度教皇庁のネフィリムを振り返るが、どうやら向こうもこれ以上の戦闘継続のつもりはないらしい。


 アレクサは一応その姿から目を離さないようにしつつ、自身もヨーラを追い、手の中のジグになるべく衝撃を与えないよう気を付けながら、撤退を開始した。





「あーあ、行っちゃった」


 逃げ去る敵の姿を眺めつつ、リュゼが巨人のままの姿で気の抜けたような声を発する。


 すぐに追うべきなのかもしれないが、自分自身、もう時間切れ間近で、深追いするほどの余力も無い。


 とりあえず周囲を見渡すものの、状況は酷い有様だった。

 どうにか有象無象の量産型巨人たちは退治され、施設の防衛はなったものの、軍はギリギリの辛勝と言った風で、そこら中で怪我人がうずくまり、阿鼻叫喚の絵面が広がっている。


 そのまま視界を動かしていくと、変身が解け、他の怪我人たち同様に地面に倒れているアゼルの姿が目に映った。


「おいアゼル、大丈夫かよ」


 リュゼも変身を解き、アゼルへと駆け寄る。

 意識はまだあるようだが、よっぽど酷い痛みに苦しんでいる様子で、返事ができる状態ではないようだ。


「……まったく、無茶苦茶だよ。なんでこんな風になっちゃうんだよ」


 とにかくリュゼもアゼルを抱きかかえ、後の事は軍に任せ、その場からさっさと退散することにした。





「誰が撤退などしろと命じた! 機械が勝手な判断をするなど!」


 ジグがそう狂ったように叫び、アレクサを糾弾するのを、ヨーラはただ黙って見ているしかなかった。


 自分はエノンズワードの信者ではないし、真っ当な教育も受けてはいない。とはいえ、それでもやはり、ゴーレムというものに対してはどうしようもない恐れのような感情が心の根底にこびりついているのは確かだ。

 アレクサが勝手に動き出し、自分たちに牙をむくのではないかという不安。

 そういう意味では、ジグの態度も理解はできてしまう。


 一方で、アレクサの判断が無ければ今頃皆どうなっていたか。

 実際にはアレクサは自分たちに牙をむくどころか、自分たちを助けてくれた。


 ヨーラはアレクサというゴーレムをどう評価していいか分からなくなり、ジグから激しい怒りをぶつけられているその姿をじっと見つめた。


「……もういいでしょ、ジグ。アレクサが可哀想です」


 気付いたときには、そんな言葉が口をついて出ていた。

 そのことにヨーラがハッとした表情を浮かべるのと同時に、ジグは鬼のような形相をし、今度はヨーラへと向かって来た。


「貴様、今何て言った?」


「ごめんなさい……!」


 ヨーラはジグに殴られると思い、咄嗟に謝罪の言葉を叫び、か細い腕と翼で頭を守ろうとした。


「落ち着けよジグ。何ムキになってんだよ」


 傍らに居たシシが慌ててヨーラを庇うようにジグの前に立ちはだかるものの、ジグはその顔面を無言で殴りつけ、それに逆上してシシも声を荒げる。


「てめえ、何しやがる!」


「やめて、シシちゃん!」


 ジグに掴みかかろうとするシシを、ヨーラは必死に抱きかかって止めようとする。

 自分のせいで起きた揉め事にこれ以上シシを巻き込み、怪我をしてほしくない。


 そんなヨーラの想いも知らずにジグは尚も拳を振り上げようとするが、そちらはアレクサが割って入り、その腕を強引に掴み、止めた。


「……何をしている、放せ!」


 ジグの命令にも、アレクサは掴んだ手を緩めようとはしない。


「約束してください。彼女たちに、無用の暴力は振るわないと」


「ふざけているのか。いい加減にしろよ、人形風情が! よもや貴様も自我に目覚め、人間に楯突くつもりだとでも言うのではないだろうな!」


 ジグがそう吠えた瞬間、アレクサの手が一瞬緩み、その隙をついてジグはその拘束を素早く振りほどいた。


 それからジグはアレクサとシシ、ヨーラを順にゆっくりと見ていくと、急にバカバカしくなったとでも言うように鼻を鳴らし、そのまま部屋を出て行った。





「やるじゃないか、ゴーレム」


 最後のジグの言葉を聞いてから、茫然と立ち尽くす様子のアレクサに対して、シシは明るい調子で声を掛けた。

 それに対してアレクサは無表情でゆっくりと振り返り、シシの瞳を見つめる。


「私は……自我に目覚めた? 私は……人間に楯突く?」


 そんな露骨に動揺を見せるアレクサに対し、シシは単に肩をすくめるだけで答えた。


「そんなことしないよね? アレクサちゃん、きっと良い子だもん。そんな悪いこと、しないよ」


「私が……良い子?」


 ヨーラが穏やかな声でそう言うのにも、アレクサは戸惑ったように言葉をオウム返しするだけだった。


「まあ実際、あのクソ野郎なんかよりはずっと良いヤツなのは確かだな」


 シシはそう言うとドサッと大きな音を立ててソファに身を預け、ヨーラもその横へと静かに腰を掛けた。


「ねえ、アレクサちゃんもここ、座りなよ」


 ヨーラが自分の横を軽くポンポンと叩き、誘うものの、アレクサはまだ動揺した様子を見せつつ、それを辞退した。


「……いえ、私は……、立っています。皆さんのお邪魔にならないよう、部屋の隅で」


「いいから、ね?」


 それでもヨーラは暖かく微笑んでアレクサを誘った。

 それに対し、アレクサは尚も戸惑いつつも、段々とその表情が変化していく。


「あれ? アレクサ、お前、笑ってる?」


 その変化をシシはそう指摘し、目を凝らすが、その変化は余りにも微かなもので、これまでと同じまったくの無表情のようにも見える。


「……やっぱ、気のせいか?」





 部屋を飛び出していったジグはその足で、アメトリンの元を訪れていた。


「……強化型をよこせ!」


 ノックも無しに部屋へと入り、挨拶もなく、いつもの気障ったらしい態度を取り繕うこともせず、ジグは吠えるようにそう告げた。


 それに対してアメトリンは長い黒髪をなびかせながらゆっくりと振り返り、その荒れ狂う獣のような姿を無表情に見つめた。


「あれはもう無いと言ったでしょう」


「そんな戯言はいい。出せと言っている!」


 有無を言わせない調子で詰め寄るジグに対してもアメトリンは怯む様子も見せず、その姿を頭からつま先まで訝しむように視線を走らせた。


「あれは、危険なものです。あなたの体は、もう限界を迎えつつある。あれのもたらす力の反動には耐えられないでしょう。……あなたはもう、十分にセリオンの尖兵としての役目を果たしてくれた。あなたはもう、前線からは身を引くべきです」


 アメトリンの視線が、自分の小刻みに震える左手に向けられていることを察したジグは、すぐにその手を堅く握り、震えを無理やりに抑え込み、更に一歩アメトリンへと詰め寄った。


「用済みになったから切り捨てると言うのか。貴様にとっては俺も、単なる実験動物でしかないと言うのか! 貴様も所詮、あいつらと一緒だと言うのか!」


 聖女のように澄ました顔をした女ですら、自分を蔑み、馬鹿にし、使い捨ての消耗品のような扱いをする。

 ジグの全身は怒りに震え、歩みを進める。


 アメトリンは怯えた表情を浮かべ、それから逃げるように後退るが、すぐにその背中が本棚にぶつかり、その衝撃に中の本がバサバサと音を立てて落ちていく。


「そんなことは言っていません! 私はただ、あなたの体を心配して……!」


 そんな言い訳じみた言葉にも耳を貸さず、もう逃げ場の無いアメトリンを追いつめるように、ジグは尚も近づく。


 そうして初めて、その人間離れした美しい女の顔を間近で見つめ、ジグはようやくその正体に気が付いた。


「……貴様、そうなのか? 貴様も……、人形だと言うのか?」


 ジグはそのことに愕然とした様子で一瞬だけ顔を仰け反らせたが、すぐに調子を戻し、何も言えずに怯えるアメトリンの首を両手で掴んだ。


「……貴様も、人形の分際で、俺に楯突くと言うのか……!」


 ゆっくりと、じわじわと、両手に力を込め、細い首を締めあげていく。


「や、やめなさい、ジグ……!」


 アメトリンの表情が、苦悶に歪む。


 機械も首を絞められれば、苦しいのだろうか。

 それとも、こちらを怯ませるための単なる芝居でしかないのか。


 いずれにせよ、ジグはその反応も気にせず、怒りに任せてどんどんと力を強めていく。


「いいから、俺に、力を、寄越せ。誰よりも強い、力を……!」

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